無知の遠慮は許さない
「本当ですか!?」
通いなれたレオニードの執務室。そこに集められた翔とマルティナは、同じく集まっていたステヴァンらと共に、その衝撃の情報を知らされることとなった。
森羅の悪魔による、襲撃の始まり。その第一報が、もう一つの都市から届けられたのだ。
初手こそ悪魔に譲ることになったが、今のところは人類陣営の優勢。しかし、あちら側に配属された悪魔殺しであるイルファーンが、森羅の悪魔の動きに違和感を感じているらしい。
リアルタイムで届けられる情報のため、錯綜はもちろんあるだろう。けれども、悪魔による都市の襲撃。これだけは疑いようの無い事実なのだと、この場にいる人間は全員理解出来ていた。
「イルファーン殿は、中東で最も古い歴史を持つ召喚魔法使い一族の棟梁だ。悪魔との実戦こそこれが初めてだろうが、魔法使い同士の小競り合いや邪教崇拝者の討伐など、潜った死線は数多い。あの方の判断は信用に足る」
「つまり、森羅の悪魔が、また何かしらの仕込みを行っている可能性が高いと?」
ボルコによる報告を聞き、持論を展開するレオニード。問いかけたステヴァンの言葉にも鷹揚に頷いてみせた。
「マルティナ嬢はどう考える?」
「間違いなくもう一波乱あるわ。私、一度起きたことは何度でも起きるって考える質なの」
「具体的には?」
「伏兵、秘匿魔法、陽動の線も捨てきれない......けど、はぁ...... その前にいいかしら?」
「もちろんだとも」
「アマハラ。あんた、ついてこれてる?」
先ほどまで真剣な顔でレオニードと話し合っていたマルティナだったが、ちらりと翔の顔を伺うと、ジト目で彼を睨みつけながら質問をした。
「......ぶっちゃけ、向こうに配属された悪魔殺しの所から限界だった」
マルティナに問い詰められ、あっさりと白状する翔。散々知識量不足を思い知った彼は自分の無知を隠そうともせず、いっそ堂々さが板についていた。
「あっそ、じゃあそこからね。まさか、拒否なんてしないでしょ?」
「あぁ。翔君も大切な戦力だ。ここで消費される時間を惜しいとは思わないよ」
「えっ? マルティナ? レオニードさん?」
これまでもそうであったが、今もまた、翔を置いてけぼりにして会話が進行していっている。
しかも、会話の内容から察するに、わざわざ時間を割いて自分に解説を行ってくれるようである。この忙しいタイミングでそんなことをしていいのか。そんな困惑から、翔は二人の顔を見回した。
「意識が低いようだから言っておくけど、あんたは悪魔殺し。この都市の最高戦力の一つなのよ。そんな奴が、仲間の魔法は分かりません。現在の状況も分かりません。今何をすればいいか分かりませんで許されると思う?」
「......思わねぇ」
「そう、あんたは説明を求めなきゃいけないの。全てを理解していなきゃいけないの! それが悪魔殺し、それが人類の希望が担うべき役割の一つなのよ! 分かったらさっさと説明を聞きなさい!」
「はい!」
思わず綺麗な返事を返してしまうほどのマルティナの迫力。しかし、そんな罵声交じりの叱責は、どこまでも正論だった。
無知は許されないし、無能も許されない。だからこそ翔は分からない部分に都度、自主的に説明を求めなきゃいけない。言葉にすればそれだけだが、だからこそその叱責は翔の胸に響いた。
何も暴力を以て、悪魔を討伐するだけが悪魔殺しではない。悠然と構え、人類に希望を与えることもまた、悪魔殺しの役割なのだ。
「まず、向こうの防衛を任されているのはイルファーンって名前の悪魔殺し。ワームって名前の、ミミズの親玉みたいな使い魔を操る召喚魔法使いよ。ここまではいい?」
「お、おう」
「......本当に?」
「......いや、どうやってミミズなんていう、知能の低そうな使い魔を操れるのかが疑問に思った」
ギンと翔に向けられる鋭い瞳は、本当に疑問が何もないのか疑うためのものだろう。そんな顔を向けられて隠し事を続けられるほど、翔の肝は太くない。
くだらない疑問だと思いつつも、白状することを決めた。
「一族の秘伝だろうから一部推測が混じるけど、おそらく特殊なフェロモンで操っているのだろうと言われているわ」
「フェロモンって、あの虫とかが使うやつか? いや、それよりも! こんなことも答えてくれるのかよ!?」
「言ったでしょ? 分かりませんは許されないって」
「そ、そうか。......サンキューな」
「何を感謝してるんだか」
呆れた様子のマルティナだが、翔からしてみれば、たった今の彼女の姿勢が何よりもありがたかった。
通常人は、何を聞いてもいいと言われても、本当に何もかもを聞いたりはしない。それは、本当に全てを聞いてしまうことで無知を笑われたり怒られたりすることを警戒し、遠慮するためだ。
しかし、マルティナは翔の質問を笑わなかった。むしろ抱いた疑問を隠し持っていたままだった態度自体を怒ってみせた。翔が質問を行うための精神的ハードルを、可能な限り引き下げてくれたのだ。
ぶっきらぼうで直情型、おまけに頭に血が昇ると話を聞かなくなるなど欠点が多い彼女ではあるが、一度決めたことを滅多に曲げない態度はまさに美徳であり、長所と言えた。
「じゃ、じゃあ、くだらない質問が続くけど......」
マルティナが顎をくいっと動かした。続けろ言っているのだろう。
「ワームって言うくらいだから、砂に潜るんだろ? でも、確か砂って、めちゃくちゃ重いはずだよな? どうして潜れるんだ?」
「そんなの内向きの変化魔法一つで、どうとでもなるじゃない。まぁ、腑分けなんて誰もさせてもらったことが無いからこれも推測よ」
「じゃ、じゃあ_」
こうして翔は多くをマルティナに聞いた。
現状の戦況の詳細。森羅の悪魔が用いた戦術。対するワーム達の戦術。イルファーンが抱いた疑問など、本当に多くをマルティナに聞いた。
それでも彼女は一度として文句を言うことは無かった。いや、この場にいる誰一人として、二人の行いに否を突きつける者はいなかった。
翔はあらためて自覚することになった。己の立場と己が持つに至った権力を。
「......なるほどな。だから今の状況が怪しいってことか」
これだけかみ砕いて説明してもらえば、さすがの翔と言えども理解することが出来る。
根気よく翔に説明をしてくれたマルティナと、それを認めてくれた三人には感謝しかなかった。
「翔君も現状を理解出来たみたいなので、本題に移ろう。現在こちらの都市は選択の岐路に立たされている。マルティナ嬢は分かるね?」
「......へっ?」
ひと段落が付いたところを見計らって、レオニードが話し出した。しかし、そこから飛び出てきたのは予想だにしなかった選択という言葉。せっかく話に追いついた翔は、またも大きく引き離される。
「......分かりたくもないわよ。人類滅亡の手前だってのに、政治ごっこなんかに意味があるわけ?」
「......はっ?」
そして、マルティナの方はそれだけで理解出来たようだ。苦々し気な表情で、レオニードをにらみつける。当然翔には、彼女がどうしてそんな表情を取るのか分からない。
「手前だからこそだよ。翔君、今私達は、向こうに応援部隊を派遣させるべきかどうか悩んでいる。どうして悩んでいるか分かるかい?」
「......説明をお願いします」
元々隠す気など無かったが、ここまで露骨な態度を取ってしまえば隠し通すことは不可能だろう。
翔とマルティナの問答タイムは、もう少しだけ長引くことになった。
次回更新は4/29の予定です。




