都市間で育つ謀略の根
「ほれ、目の前の壁ばかりに集中し過ぎじゃ」
手に持った杖を地面に数回叩きつける老人。それが合図となったのか、ズドオォンと身体を揺さぶる衝撃と共に、門に取りついていた獣の集団が大口に呑み込まれる。
事態を引き起こしたのは、大小様々なワーム達だ。一見すると、森羅の使い魔達よりもよっぽど凶悪な見た目をしているワーム達。しかし、その見た目に反して、着実に獣だけを狙って襲撃を繰り返していた。
「外の戦力は削れておる。中はどうじゃ?」
「申し訳ありません。初手で魔力感知にかかりにくい小型の使い魔を送り込まれたせいで、まだ何とも」
「......よいよい。今の内に中の掃除を済ませておけ」
無線機を片手に持った老人はそう言うと、もう片方の手に持った杖をカツカツと地面に何度も叩きつける。
すると、それに呼応するかのように、ワーム達の目標が門に取りすがる獣から、他の密集部分へと変化した。間違いない。この老人がワーム達を操っているのだ。
「イルファーン様、ありがとうございます。これで防衛網の再構築が叶います」
「それでよい。此度の森羅は用兵に優れておる。戦闘も魔法使い同士の決闘と考えず、人間同士の戦争と考えた方が良い」
「確かにその方が正しそうです。イルファーン様がいらっしゃったからこそ、こうして盤面を取り返せたのですから」
「......一度油断をしたのは見ておるぞ? おべっかを使う暇があったら、部下共をしっかりと引き締めておくことだ」
「......申し訳ありません。けれど、現世一の召喚魔法使いと謳われる貴方様さえいれば、この都市は安泰です」
「ワシが運良く悪魔のお眼鏡に叶っただけよ。悪魔殺しの魔力なくば、戦闘区域全域に指示を出すことなど不可能じゃからの」
そう言って、またも杖の振動を用いて、ワームに指示を出す老人。
浅黒い肌に、中東一帯でよく見られる民族衣装。目にはワームが描かれた布が巻かれ、完全に目隠しがされているが、特に不自由をしている様子は無い。恰好のせいで、片手に携えた無線機はミスマッチであった。
独白の通り、イルファーンと呼ばれた老人は、この都市に配属された悪魔殺しだった。それも翔やマルティナのような自身が戦闘を行うタイプではない。召喚魔法に特化した悪魔殺しだったのだ。
彼の登場によって、今も順調に人類陣営が森羅の使い魔の討伐を進めている。内部の使い魔は一般の魔法使いでも十分に討伐できる程度の強さ、外部もワーム達と外壁上からの援護で何も問題は無いレベルだ。
そう、問題が無いのだ。
一瞬だけヒヤリとさせられたが、それ以上の巻き返しが発生しないのだ。
「......おかしいのう」
内から生まれた違和感に、イルファーンはポツリと言葉を零す。
「イルファーン様? どうかいたしましたか?」
「......攻め手が甘すぎると思わんか? 落とされた都市には悪魔殺しはおらず、この都市以上に油断が漂っていたことじゃろう。それでもじゃ、それでもこの程度の差し手が、都市一つを消滅クラスまで侵略出来ると思うか?」
都市二つの同時攻略。魔法使いの殺戮による、都市間の扇動。
初手は耳を疑った。次手はやられたと思い知らされた。それほどまでに戦術と戦略を使いこなす悪魔が、悪魔殺し一人の力程度で、思考停止に陥る。そんなことがありえるのか。
「それだけイルファーン様の魔法が優れていると言うことでは?」
「たわけ! おべっかなんぞ必要ないと言ったであろうに! それに、忘れたか? 奴らは何人も魔法使いを屠っておるんじゃぞ? ワシの魔法など、とっくに割れているに決まっておろう!」
都市間で起こった魔法使いの殺戮。それらはいずれも、長距離狙撃や獣達の襲来によって引き起こされたものでは無い。
発見された死体はそのどれもが椅子に座らされ、氷のオブジェと化していた。透き通るような氷の向こう側から、絶望や怒りの表情を浮かべていた。五体満足で外傷の無い死体が、そんな表情を浮かべる理由など一つだ。
彼らは拷問の末に殺されたのだ。人類陣営の情報を散々に吐き出された後、殺されたのだ。知っている魔法のせいで、攻撃の手が止まる。その程度の悪魔が、都市を落とせるはずがない。
「で、では? 森羅の悪魔の攻勢は終わっていないと?」
無線越しの指揮官の声は、緊張で震えている。
それだけでイルファーンは溜息を吐きたくなる。命を賭すのが当たり前の、悪魔と戦いむごたらしく殺される事が前提の兵士がこの体たらく。
それだけ平和な時代が続いたということだろう。それだけ悪魔に取ってもこの土地は、不可侵の領域だったということだろう。だが、それでは駄目だ。それでは都市どころか現世が滅ぼされてしまうのだ。
「不安を抱えよとは言っておらん。楽観するなと言っておるのだ。こちらは第一の攻勢を防いだだけだ。これが森羅の使い魔の全軍では無いかもしれん。別動隊がいるかもしれん。あらゆる可能性に備えておけと言うとるのじゃ」
「はっ、ははっ! 言う通りでございます!」
一見すると森羅の使い魔による本格的な襲撃。しかし、視点を変えてみてみれば、使い魔に指示を出しているはずの森羅の悪魔の姿は見えず、零氷の悪魔に至っては攻撃すら始めていない。
二都市を落とした時のように、それぞれが別行動を取っているのか。それとも潜伏を続け、決定的な攻撃を繰り出すために待機しているのかは分からない。分からないからこそ、あらゆる可能性を想定しなければいけない。
「よいか? このままワシは外の使い魔を減らす。殲滅が終わるまでは、索敵を密にし、相手の策を看破することを最優先しろ」
「了解でございます!」
イルファーンに檄を飛ばされ、指揮官の男は出来る限り最高の防衛を実現させようと動き出す。
内部に残った使い魔を探し出す、魔力探知装置の出力増幅。崩れた防衛ラインの立て直し。そして、近隣都市への応援要請。
呆れるほどに平和ボケしていた都市だったが、防衛のマニュアルだけはしっかりしていた。先人の危機管理能力だけは、しっかりしてしまっていたのだ。
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「は~い! ベア隊はそのまま進軍を続けちゃって~! ボア隊は援護に徹して~! モンキー隊は~...... あれ~? モンキー隊~? ありゃま、こりゃすでにお腹の中かな~?」
ケラケラと笑いながら通話を行うミエリーシ。そんな彼女がいるのは、翔達が滞在する都市の外。トラックが作る長蛇の列の中間だ。
そして彼女の使い魔達は、もう一方の都市へと襲撃を行っている真っ最中。そう、ミエリーシはその場にいなかった。事前に用意してい置いた策を、通話越しに指示するだけだったのだ。
今の彼女に分かるのは、獣の鳴き声に乗せられた簡単な戦況のみ。これではいくら彼女の戦略と戦術が優れていようとも、都市の攻略は不可能だ。
「う~ん、予想外に芋虫達が優秀だな~。これならもう少し負荷をかけても良かったかもねぇ~」
現在の彼女はすっかり特等席と化した、トラックの助手席に座っている。そして、彼女がそこにいるということは、運び屋の男も運転席にいるということ。
楽し気な表情を男へ向けるミエリーシだが、あいにく運び屋には彼女がどうしてそんな表情を取るのか分からない。それどころか今日の通話は今までの通話よりも群を抜いて、何を言っているか理解が出来なかった。
「何か、マズったのか?」
こちらが会話に興味を持っていることは、とっくの昔にバレているはずだ。それなら小馬鹿にされないうちに、質問をする。それがここ数日間で男が会得した処世術であった。
「あれ~? どうせ内容は理解出来ないと思ってたけど、マズったことは分かるんだ~?」
「あれだけ通話越しに獣の声と破砕音が響いていれば、何かやらかしたのはバカでも分かる。前の運び屋か?」
男はミエリーシのことを、違法動物のブローカーだと考えている。そのため、通話から漏れるそれらの音から、密輸場所にガサ入れをされたのだと当たりを付けたのだ。
「そっちはまだ問題を起こしていないね~! 他の場所だよ、他の場所。それも潰れるのが前提の負け戦だよ~」
「いくら失う?」
「ざっと都市一つ分かな~?」
「......大丈夫なのか?」
ぶっきらぼうだが、心配の声をかける男。都市一つ分の損失など起きようものなら、命で償わされるのが常識だ。いくら取引相手という細いつながりと言えど、目の前の少女が犠牲になっては寝覚めが悪くなる。
「問題ないって~! 元々勘定に入れてなかった分の物損だからさ~! ......それにしても、ほ~んと、お人好しだね~? この界隈じゃさぞや生き辛いだろうに~」
「ほっとけ」
「まぁ、大丈夫さ~。それくらいすでに私は功績を残しているからね~」
にこやかなミエリーシの顔を見るに、本当に粛清の線は薄いのだろう。
「ならいいが。そちらが問題ないとしても、こちらはいささか問題だがな」
男が目線を向けるのは、目の前に並ぶトラックの長蛇。男とミエリーシが並び始めてからかれこれ半日は経っているというのに、未だに都市は遠く、門の姿はおぼろげな輪郭でしか捉えられない。
いくら期間を定められていないといっても、この待ち時間はいろいろな意味で精神を使う。
「ふっふっふ~。そっちももうすぐ解決するよ~」
「どうして分かる?」
「サイキックパワー」
「自分で言い出したんなら、真面目に答えろ」
「ふっふ~! これが真面目なんだな~! 見ててね~!」
そう言ってミエリーシは手の平を都市へと向け、グニャグニャと指を動かし始める。どう見ても悪ふざけをしているようにしか見えない。
「......遊びは済んだ_」
ミエリーシにツッコミを入れようとする男。しかし、その言葉は途中で途切れた。
彼女が始めた謎の動き。それに呼応するのかのように、目の前の列の進行スピードが大幅に上がったのだ。
「ね~? 真面目だったでしょ~? ちょっと無能な指揮官と有能な外部戦力って感じだったから、これくらいが妥当だと思っていたんだよね~」
動き出しが始まるのが当然だったと言うように、うんうんと頷くミエリーシ。そんな姿を見てしまえば、先ほどの悪ふざけはともかく、長蛇の解決を予期したことは信じざるを得ない。
「いったい......どうやって?」
「かんたんなことだよ、か~んたんなこと。それだけ私の目と手は、多くて大きいってことさ」
自慢げに話すミエリーシの顔は、やはりにこやかで自信に満ちていた。この程度のことなど朝飯前だと言うように。
次回更新は4/25の予定です。




