鋼束ねる悪魔の王
翔と大熊が男の約束をしていた横で、突如諸刃山の方向に一筋の光が降り注いだ。光は途切れることなく山の中腹に降り注ぎ続け、まるでそこになにかがあるといわんばかりだ。
「あれは!?」
何も知らない翔はカタナシが動き出したのかと思い、驚きの声を上げる。しかしその考えは、即座に大熊によって否定された。
「いや、あれが月読の力だ。あの光の先にカタナシがいる」
「待たせてしまってごめんなさい。それと天原君、麗子さんから聞いたわ、戦うって決めてくれてありがとう」
気付けば、この現象を起こした張本人である姫野が横に立っていた。
舞を踊っている間は、天女に見紛うほど幻想的な雰囲気を醸し出していた彼女だったが、今は幾分か人間味を感じた。
「また戦わなくていいって言われるかと思ったよ」
「うん、麗子さんにそれを言ったら怒られたから」
「ははっ、そんな気がした」
日中にあれだけのことがあったからだろうか。姫野と会話したのが随分久しぶりに感じられる。だが、そんな姫野との会話がなぜだか翔には嬉しかった。
「和んだ会話はそこまでにしとけ。相手の居場所も分かったからには、後は決戦まで一直線だ。最後にもう一度だけ聞かせてもらうぞ。覚悟は出来てるな?」
「はい!」
翔の迷いのない返事と共に、姫野も了承の頷きを返した。
「その返事なら大丈夫そうね」
「麗子さん!」
翔達の意思表明を待っていたかのように、麗子も事務所から出てきた。
「源から必要なことは聞いたでしょう? だから私はこれ以上何も言わないわ。ただ一つだけ約束して。勝って、そして生きて帰ってきなさい」
「「はい」」
翔達の返事を聞いた麗子は満足そうに頷いた。そして用事はそれだけだと言わんばかりに、踵を返して事務所の中へと戻っていく。
「それじゃあ......行きましょうか」
麗子が事務所の中へと姿を消した頃に姫野が声をかけた。
「あぁ、いつでもいいぜ。こっちの準備は出来てる」
翔も姫野へ頷きを返し、一筋の光差す諸刃山を見つめる。そして走り出そうとした時だった。
「それじゃあ天原君、裸足になって」
「はい?」
姫野の場違いな発言によって、走り出そうとした翔は思い切り前につんのめり、すっ転んだ。
見ると姫野のほうはすでに巫女衣装に合わせた草履と足袋を脱ぎ去り、すらりと細く伸びた生足姿になっていた。
「痛ったた......って神崎さん、なんでいきなり裸足になってるんだよ!」
「今から走ったり車で向かったりしたら、それだけ準備の時間を与えてしまう。そうしないためにも魔法を使うわ。この魔法の条件は裸足であること。だから裸足になってもらえないかしら?」
「そういうことか......早く言ってくれよ」
翔は出鼻をくじかれたような気持だったが、理由が理由のためケチを付けるわけにもいかなかった。言われた通り裸足になり、姫野に続いて片手に靴を抱える。
「それじゃあ大熊さん、行ってきます」
「あぁ、行ってこい」
たったそれきりの別れの言葉。けれど大熊と姫野にとってはそれで十分だったのだろう。
二人の間には、翔との関係には無い長年積み重ねられた信頼がうかがえた。
「よし、準備できたぞ神崎さん」
「わかったわ」
翔の声に振り返った姫野は、空いたほうの手で翔の手を握った。
柔らかく少しだけ冷たい手の感覚が伝わり、緊急時であるにも関わらず翔の心臓は思わず早鐘を打つ。そんな感覚に襲われながらも、彼はふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「ん? そういえば手を握るのはいいんだけど、この後どうやって移動を_」
翔は疑問を最後まで口にすることは出来なかった。
「それじゃあ天原君。私からも握っておくけど、離れたら大変だからあなたもしっかり握っていてね。韋駄天様、御力をお貸しください!」
姫野が何らかの神様の力を借りたことは、翔にも理解できた。だが、彼女が一歩前へと踏み出した時には、そんなことを考える余裕は無くなっていた。
ブンッと一陣の突風が吹き荒れたような音を残して、二人は猛スピードで走りだす。
「こ、これって、どうなっえいりゅ!? 痛づっ!!」
「喋らないほうがいいわ。舌を噛むから」
姫野の手に引っ張られるような形で走り出したせいで気付かなかったが、周囲を見渡してみるとあらゆる風景が高速で切り替わり、諸刃山の姿がどんどんと大きくなっていく。
自分達は超高速で移動している。翔にもようやく実感が沸くと共に、これなら確かに車で向かわないはずだと感心した。
近付く決戦を前に翔は大きく深呼吸をする。それと同時に、空気に触れたことで痛み出した舌に顔をしかめながら、走り出すより前に忠告が欲しかったと彼は思うのだった。
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「さぁ満たせ、ほれ満たせ、望みの言葉を引き出すために、黒への門に至らすために!」
およそ一般人が山へと繰り出す時間とはかけ離れた夜闇の中。暗闇に負けず劣らず黒一色姿の男。言葉の悪魔、音踏みのカタナシは歌うように奇妙な言葉を紡ぎだしていた。
カタナシの足元には幾何学模様が凝らされた大きな魔方陣が描かれ、片手に握る拡声器から魔力を吸い取るたび、魔方陣は夜闇よりなおどす黒い、真の黒色とも呼ぶべき色に輝いていた。
「さて、これだけ魔力を絞り出してもまだ足りませんか。せめて入り口だけでも開いてくれなければ、螺旋魔方陣の完成による魔力回収もままなりません」
呆れ声で呟くカタナシには、言葉ほどの余裕は残されていなかった。
カタナシが信頼する眷属の一体を犠牲にしてでも推し進めた、螺旋型魔方陣はまだ完成していない。
螺旋型魔方陣が完成するためにはこの諸刃山という舞台で、眷属一体を犠牲とした体育館の魔法以上の魔法を発動しなければならないからだ。
この魔法が発動しなければ、当然螺旋型魔方陣も完成せず、螺旋型魔方陣が完成しなければ、協力者を招くための門を維持することすらままならない。
このままうだうだと魔法の発動に時間をかけていては、満身創痍の状態で悪魔殺し達の襲撃を受けることになってしまう。
「いえ、ぎりぎりまで魔力を絞り出して足りないのでしたら、限界を超えて魔力を引き出すまでです。そうしなければ、私の勝利を信じて散っていった一一に顔向けできません」
本来眷属というものは、より低コストで大量に生み出すことが出来る使い魔ほどでは無いが、消耗品扱いが妥当だ。
仮に心血を注いで作り出し、長年連れ添った眷属だとしてもお気に入りの家具扱いがせいぜい。壊されれば怒りを覚え、破壊者に復讐を考えたりもしよう。しかし、それは間違っても自分の命を賭したものではない。
だが、カタナシにとって眷属とは同士であり友であった。
計画が成功し言葉の国に英雄として凱旋した暁には、悪魔の一体として成りあがるまで面倒を見ようと思っていたほどだった。
同じ国の悪魔達に出し抜かれ、国家代表として送り出された時点で信用できる相手は存在しない。今この時も、魔界では自分の魔法を知った他国民や外域の悪魔、果ては自国民すらカタナシを食い物にしてやろうと涎を垂らしていることだろう。
そんなカタナシにとって、数カ月の付き合いとはいえ眷属達は唯一信頼のおける、なくてはならない存在だったのだ。
だからこそカタナシは許せなかった。自分達を追い詰めた悪魔殺しが、弱者と見下し取引を持ち掛けた禿頭の魔法使いが、何より一一に死ねと命じた自分自身が。
ゆえにカタナシは命を賭ける。もとより失敗すればすべて失うのだ。ならば成功して手に入れる物に、眷属達の幸福を勘定して何が悪いと。
そうして現世に滞在するために必要な魔力すら消費し始めたカタナシの身体が、末端から塵のように消失を始める。
だがそれでも彼はより一層魔力を魔法陣に明け渡し、それに応えるように魔法陣は光を吸い込むかのような闇色の輝きを増していく。そして遂に時はきた。
魔法陣から天へと向かって闇が立ち昇ったのだ。
魔界と現世を繋ぐ門が開いた。言葉にすればそれだけだが、連鎖するように魔素の塊がただ一体の悪魔のためだけの魔力へと変化し、彼の元へと殺到する。
最後の魔法を完成させたことによって、螺旋型魔法陣も完成し、その効果が発揮されたのだ。
「はっ、ははっ。やった、やったぞ! 完成させた! あれほどの苦行をこなした甲斐があった......! 素晴らしい魔法だ。今この時も大量の魔力を魔法陣に流し込んでいるというのに、消費した傍からあふれんばかりに魔力が補充される感覚がある!」
二つの魔法陣の完成とそれに伴った結果は、カタナシにとって普段の丁寧な口調が崩れるほどの驚きと喜びを与えていた。
同時に塵のように崩れていた末端部位もみるみる修復され、一瞬のうちに元通りの姿を取り戻す。
「ここまでくれば、後は呼び寄せるのみ! さぁ王よ。現世の大地を赤く染め上げた暴力の結晶たる剣の王よ! この地には貴方を受け入れる下地があり、貴方の肉体を創り出すだけの魔力がある! 故に......我が呼び声に応えたまえぇぇぇぇ!!!」
カタナシの叫びに応えるかのように魔方陣は輝きをさらに増し、そして大きな音を立てて煙のように霧散した。
魔法陣も描いた地面そのものにヒビが入ったことで、もはや働きを求めることは不可能だろう。
カタナシの計画は最後の最後で失敗に終わったのだろうか。いや、そんなことは無かった。彼の望みが実現したことは、黒布越しの彼自身の笑みが証明していたのだから。
いつの間にか、崩れた魔方陣の中央に人影が見えていた。
見た目は二十代ほどの女性の姿で、ショートカットの桃色に近い赤毛に、合わせるような瞳の色。
肌は白人に近く、頭には所々に金属をあしらったハンチング帽。そして身体を包むのは軽装のゴシック式騎士鎧。鎧の腕部分に格好に似合わないティーカップをあしらった意匠が彫られている。
一見すると悪魔のようには見えない悪魔だ。むしろ仮装した白人女性といわれた方がしっくりと来ただろう。
しかし、その身から漏れ出す魔力とプレッシャーだけは、この者が只者ではないことを如実に表していた。
「ふむ、現世に顕現できるのはまだまだ先だと思っていたが、随分と早い段階でこちらへ来ることが出来たようだ。貴公の仕業か?」
鎧姿の女性は傍らの黒子に問いかけた。
「えぇ、えぇ。真に勝手ながら御身をこちらにお招きしました、言葉の悪魔、音踏みのカタナシと申します。此度に関しましては魂以外のいかなる罰も受け入れる次第でございます。ですが、一足早く現世に足を運べた益。それに免じて、どうか矮小な我が身の苦難を断ち切る助力をいただきたく!」
女性の問いにカタナシは緊張した面持ちで、土下座姿で答えていた。
カタナシにとってはこれが最後の正念場だ。
相手は自分程度簡単に滅ぼすことが出来る上位者。彼はその上位者に今から長期的な協力を取り付けなければいけない。
そうしなければ、螺旋型魔法陣の魔力で今だけはあらゆる相手を返り討ちに出来るかもしれないが、それが終われば彼を危険視した魔法使い共が徒党を組み、討伐に動くことだろう。
それでは意味がないのだ。その程度の功績では、魔界に帰った後に自分が生き残る術がない。
だから彼は、元から捨て去っていた恥や外聞をここでもかなぐり捨て、上位者のご機嫌取りに全力を尽くしているのだ。
「ははは! 若い悪魔がプライドを捨て去ってまで、他国の悪魔に頼み事とは中々新鮮だ! 貴公の言う苦難とは、ここに向かってくる二つの魔力を指しているのかな?」
「向かってくる?」
「あぁ、気付いていなかったか。おそらく悪魔殺しかな? 随分と早いスピードでこちらに向かってきているよ」
「わが主! 悪魔殺しがこちらへ強襲を! ......まさか貴方様は!?」
「ほらね。貴公の眷属も言っているだろう?」
山の麓で警戒を行っていた眷属二言は、女性に向かって土下座をする主の姿を目にしたことで、全てを察して土下座に加わった。
そして女性は自分の発言の正しさが証明されたことに、無邪気に喜んでいる。
だがカタナシは素直に笑うことは出来なかった。なにせ女性は自分の傍らにいたにも関わらず、山の麓で警戒を行っていた二言よりも早く、襲撃者の存在を感じ取っていたのだ。
ただ平然とその場にいるだけだというのに、敵を見つけ出した魔力感知の広さ。それだけで格の違いというものをカタナシは見せつけられていた。
「顕現したての御身を戦いに巻き込んでしまったことは、面目次第も_」
そして協力を取り付ける前に敵へとぶつけてしまったカタナシは、必死になって女性に謝罪を行うが、彼女は気にした様子もなくカタナシの言葉を遮るように話し出した。
「ははは。何を言ってるんだ。元々彼らにぶつけるために私を呼んだのだろう? それに協力云々がそもそもお門違いだ。君が呼び、私が応えた。それだけで十分ではないかい?」
「で、では!」
「あぁ。これでも私は義理堅い。召喚の礼と古巣の繋がりの縁だ。露払いくらいは引き受けるとも。ただし、私一人を戦わせて高みの見物などとは思わないことだ」
「も、勿論でございます!」
「では戦に赴くとしよう! 初めまして新兵諸君! 私の名はソロモン28位、剣の魔王、凡百のハプスベルタ! さぁ我らの戦いを持って、人魔大戦をより一層盛り上げようじゃないか!」
深夜の密会に辿り着いた翔と姫野を、剣の魔王は張り上げた大声で迎えるのだった。
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