生きてしまった裏切者
「うっ...... ここは?」
サァサァと風に飛ばされる砂の音で、男は目を覚ました。
目を開くと、そこは見覚えのない建造物の中。周囲は壁に囲われ、灯りは天井から伸びる裸電球の光のみ。冷房器具が見当たらないというのに、暑さはそこまで感じない。ここは地下室か何かだろうか。
「一体、何がどうなって...... 俺は仲間達と悪魔討伐の支援に来たはず...... あぁ、くそ。縛られていやがる......」
男はこの地に派遣された悪魔祓いの部隊の一員であった。
トルクメニスタンで封印されている地獄門開門の危機。人類滅亡の危機とも言い換えられるこの一大事を前にして、教会は実に数多くの悪魔祓いをこの地に派遣していた。
もちろんこの地域における信仰宗教の違いによって、せっかくの応援といえどその扱いは決して良くは無い。しかし、人類滅亡を前にしては信仰や信条を気にしている場合ではない。
男も男が属する部隊の人員達も、多少の嫌味や粗雑な扱いは受け流し、ただ悪魔の魔の手からカギの命を守ろうと意気込んでいた。
けれども今の自分はなぜか一人きりで、見知らぬ地下室で椅子に座らされている。おまけに身体にはきつく荒縄が巻かれ、持っていた聖遺物も何一つ残っていない。
頭によぎるのは拉致の言葉。今の状態を考えれば、否定の理由を探す方が難しい。
そうなると次に頭をよぎるのは、誰がこんなことをしたのかだ。現地で別の信仰を捧げる宗教組織であろうか、或いは教会に手柄を取られることを良しとしない魔法組織だろうか。
魔法の世界は闇の世界。心当たりを探せばキリがない。だが、男が何か一つに正解を絞る必要は無かった。
「目覚めたか」
何せシャリシャリと砂を踏む音を立てながら、男の背後から一つの声が聞こえてきたからだ。
「誰だ!? お前がこんなことをやったのか!? 一体何のために!?」
椅子に縛られた身では、碌に後ろを見ることもままならない。それでも現状に対する怯えや不安を気取らせないため、男は精いっぱいの声で、背後の誰かに怒鳴りつけた。
「一度に多くを問いかけるとは。戦場を駆ける部隊の一員としても、一般常識を学んだはずのニンゲンとしても考えが足りないように見えるな」
「うるせぇ! こんなことをやってタダで済むと思うなよ!」
「無論、許されようなどとは思っていない。むしろ怨嗟の叫びを貰った方がマシだ。犠牲を抑えるためとはいえ、今から俺は、お前に犠牲を強いるのだから」
「はぁっ!? 何を訳の分からないこ、と、を......」
そこでようやく背後にいた誰かが、男の視界内にまで移動してきたことが分かった。しかし、同時に男は言葉を失った。
目の前に現れたのは、これといった特徴の無い、白一色のコートに身を包んだ男だった。
フードを目深に被っているため、顔は口元までしか確認出来ない。だが、その部分に男が言葉を失ったわけがあった。
男の口元、正確には男の口から吐き出される吐息が、真っ白に色付いていたからである。
確かにこの場は砂漠にしては涼しく、身を焦がすような日差しも入ってこない場所だ。けれども、それは他の場所と比べればという話だ。縛られている体表にはじっとりと汗が滲んできているし、地下の室温を考えても、外が気温が一気に下がる夜だとは考えづらい。
そうなると白い息が出る理由など一つしかない。男の体温が周囲と比べて異常に低いという答えしかあり得ない。
そして、それを認めてしまうと、もう一つ認めざるを得ないことがある。それは、よっぽど特殊な魔法を除いて、目の前の男が人間の枠組みから外れた生態をしているということだ。
こんな場所で、いや、そもそも神が姿を隠した今の時代で、そんな生態をしている生命など一種類しか存在しない。悪魔だ。目の前の男は悪魔なのだ。自分は想定していた最悪の状況を、遥かに超える最悪に直面してしまったのだと。
「なっ、なっ、なっ!」
正体に気付いてしまっては、最早虚勢すらも張っていられなかった。
自分の目の前に立つのは悪魔だ。それもおそらく、都市一つを単騎で攻め落とした悪魔の片割れだ。そんな悪魔に虚勢を張って何になる。いや、今の状況で行動を起こすことが何の利益になる。
ガタガタと男が座らされている椅子が音を立てる。逃げ出そうともがいているわけでは無い。絶望で身体の震えを抑えきれなくなったのだ。
男は悪魔との戦いを覚悟してきた。命を落とす覚悟だってしていた。けれどもそういった覚悟は、あくまで戦場という華々しくも残酷な世界で散る覚悟に過ぎなかった。決してたった一人で悪魔と対面して、生殺与奪を握られた際の覚悟では無かったのだ。
自分を拉致した者の正体に気が付いてしまったこと。その優れた洞察力は、今や男に絶望をもたらす毒にしかならなかった。
「俺の正体に気が付いたか。中々察しは悪くない。けれどそれで臆してしまっては、せっかくの観察眼も宝の持ち腐れだ」
悪魔が男の肩に手を置いた。
冷たい。いや、冷たすぎて逆に熱さを感じる。そんな手が自分の肩を握りしめる。
パキリ。明らかに鳴るはずの無い音が肩から聞こえた。あまりの握力によって折られたのか。いいや、腕は問題なく動く。なら何の音が、そうして見やった自身の肩。そこはいつの間にか透明な氷に覆われ、まるでショーウィンドウの向こう側を眺めるかのようになっていた。
おまけにその光景は今も変化している。進行している。上腕が、首筋が、胸元がどんどんと氷に覆われていく。
「なっ、何をっ!? やっ、やめ、やめてっ!」
パニックを起こしてガタガタと暴れる男だが、悪魔は彼の肩をがっしりと掴んで離さない。そうこうする内に氷は首を覆い、顎を覆い、もうすぐ口すら覆ってやろうと迫ってくる。
「やめて、やめてくれ! お願いだ。命だけは! 頼む、頼む! なんでも、なんでもするからあぁぁ!」
すでにそこには、神に仕える白き戦士は存在しなかった。ただ自身の延命をみっともなく乞い願うだけの、浅ましきニンゲンがいるだけだった。
そして、もうすぐそんな言葉もしゃべれなくなる。氷が男の口元を完全に覆ってしまおうとしたその時に、不意にその進行はぴたりと止まった。
見ると、いつの間にか悪魔の手も肩から離れている。
「準備は出来たな」
「えっ? えっ、えっ?」
ギリギリで命を助けられた困惑で、男の頭は全く回っていない。
そうこうする内に、男の目の前にはテーブルが並べられた。その上には立てかけられたタブレットのみ。困惑する男をよそに、悪魔は電源ボタンを入れた。
「あっ......! あぁっ!?」
タブレットに表示された光景に、男は今日何度更新したかも分からない絶望を、さらにもう一度更新することになった。
タブレットの画面内。そこでは男の同僚である悪魔祓いの人員達が、自分と全く同じ格好で同じように氷漬け一歩手前で縛り上げられていたのだから。
「現状は理解したな? では手始めに残った二つの都市の防衛戦力、これを教えてもらおうか」
男はフードで隠れて見えないはずの悪魔の双眸、それが怪しく光り輝く様を幻視した。
まさに悪魔の所業だ。この悪魔は、この冷徹さを人型に整えたような悪魔は、男達を使って拷問を行うつもりなのだ。
「だ、誰がそんなこと!」
タブレットから勇ましい声が聞こえた。声質からして、男の部隊を率いていた隊長の声だろう。こんな絶体絶命の状況に陥りながらも、なおも悪魔に楯突く勇気、それ自体は見上げたものだ。
「そうか。なら、お前の口はもういらない」
「むぐっ!? _! _!」
だが、圧倒的な実力と絶望的な状況の前では、そんなものは滑稽でしかない。生殺与奪を握る相手に逆らったという大罪。それに対する罰が速やかに執行され、隊長の鼻と口を氷が覆う。
「_! _!」
必死にもがいて口元の氷を?がそうとする隊長だが、その程度で何とかなる物なら、今頃氷と縄を外して脱出している。それが出来なかったから自分達はここまで追い込まれているのだ。
「ひっ、ひいぃっ」
「俺達を中途半端に生かしたのは、このためかよ......」
きっと隊長が逆らわなくても、誰かがこの役割を押し付けられていたのだろう。そうすることで、死という逃れようのない恐怖を男達全員に抱かせることが出来るのだから。
そして、拷問とは問いかけ。何かしらの答えを得るために行うものだ。
氷による窒息という、これ以上ない鞭は見せた。ならば次に見せられるのは飴になる。
「そろそろ限界だろうな」
悪魔がそう呟くと同時に、隊長の顔を覆っていた氷が剥がれ落ちた。
「ぶはっ! ごはっ、ごほっ、ぜぇぜぇぜぇ...... 貴様......」
「さて、実は俺の魔法制御はそこまで高くなくてな。例えば、有用な情報を多く落とす相手の氷を、誤って剥がしてしまうかもしれないほどに」
ほら、予想した通りだ。あまりにも分かりやすい飴。毒入りであることが分かっていても、思わず舐らずにはいられない魅惑の飴。それを男達全員の足元に転がしてきたのだ。
「もう一度同じ質問をさせてもらおう。二つの都市の防衛戦力、これについて聞かせてもらおう。内容は何でも構わない。魔道具を用いた防衛機構、優先して守らなければいけない防衛拠点、悪魔殺しを始めとした特記戦力。どれでも構わない、どれでも評価してやるとも」
ごくり。誰かが生唾を飲みこむ音が聞こえた。
いや、いくらタブレット越しに通話が繋がっているとはいえ、そんな音まで届くはずがない。ならば音の発信源は誰か。そんなの自分しかありえない。
「信仰に殉じるのもまた、選択だろう。しかし、信仰を形とするのが現世に残されたニンゲンの役割ではないか? こんな狭苦しい小部屋で屍を晒すことが信仰と呼べるのか?」
無意識の内に口が開いていくのを感じる。やってはいけない。相手の思惑に乗ってはいけない。そんな気持ちとは裏腹に、身体は真逆の選択へ舵を切ろうと止まらない。
「言い忘れたが、いくら俺の魔法制御が稚拙といっても、二人も三人も無様に逃していては国に示しがつかないのでな。逃してしまった失態は、お前達の苦痛を持って贖うとしよう。ニンゲンは内側から凍らされたら、一体どれだけの苦痛を味わうのだろうな?」
その言葉が決定的だった。
そもそも恐怖に飲まれた男には、その提案を断る術が無かった。タブレットを通して、様々な雑音が響き渡るのを感じる。
けれど、男は口から紡ぎだす裏切りの旋律を止めるつもりは無かった。だってすでに、タブレットに映っているのは苦楽を共にした仲間では無くて、己の生存を邪魔するだけの敵でしかなかったのだから。
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「あっ、あははっ...... あっはは! あっはっはっはっは!」
フラフラとおぼつかない足取りで、一人の男が地上に足を運んでいく。
それを耳にスマホを当てたまま、黙って見やるのは白霊。その目には憐れみすら映っている。
「へ~。それじゃあ逃がしてあげたんだ。優しいね~、慈悲深いね~。悪魔としては甘すぎるような気もするけどね~」
ケラケラと笑う、間延びした少女の声がタブレットの一つから響く。
「いえ、あの男の様子を見れば、甘すぎるとはとてもとても。それに、記憶が正しければ、この作戦の立案者は繁茂さんでは?」
溜息を吐くように言葉を返したのは、先ほどまで地獄の空間を作り出していた悪魔白霊。今は手に入れた情報の共有と、作戦で発生したゴミの後片付けを始めたところだ。
「あれ~? そうだったかな~? まま、細かいところは気にしないでさ。断片に過ぎないけど、中々興味深い情報も入ったことだしね~」
「悪魔殺しの悪魔祓いでしたか。確かに、その二つが両立しうることは盲点でありました」
逃した男から手に入れた情報。それらの大半は悪魔祓いの人員配置やカギの名前など、大した価値の無い情報だった。けれども、一つだけ興味深い情報があった。
今代の教会が誇る特記戦力。その上位者の内に、悪魔と契約を果たして悪魔殺しに至ったまま、悪魔祓いとして活動する少女がいるという情報が。
「面白いよね~。正義のためにあらゆる力を肯定する。きっと契約者はとんでもない欲張りさんだ~。おまけに件の悪魔祓いは、ここを訪れているんでしょ~。戦うのが楽しみだね~」
「繁茂さん。我々の目標はあくまでもカギの破壊。優先順位を変更されては......」
「もちろん分かっているとも! 戦うって言ったって、正面切っての殴り合いなんてやらないさ~。ただ、そんな正義の塊みたいな女の子がさ~、何一つ守れずに絶望する顔を見るのはとっても楽しみじゃな~い~?」
「いえ、自分の始まりも正義の旗の下戦った故、あまりいい気分とは......」
「お堅いね~。まぁ、一度転生した程度じゃ、魂に刻まれた色も大して落ちないか~」
「申し訳ございません」
「はははっ、その程度で怒るわけないでしょ~? むしろ微笑ましさを感じるよ~。私にもこんな時代があった......わけないか~! 始まりの頃から、散々人の命を弄んできたんだから~!」
「忌々しき十字に改竄されようとも、生前より貴方様のご活躍は伺っておりました」
「才能があったってだけさ~。そういう意味なら、君の活躍の方が目覚ましいでしょ~? 何せ、ただの技術だけで悪魔までのし上がったんだから~。だから私は、君の考えも在り方も全て受け入れる。その代わり、ニンゲン共にきつい一発を期待しているよ~。零氷の悪魔、白霊のコッラー君」
「ご期待に沿えるよう、十全を尽くすつもりです。時に繁茂さん、次の目標は決定されたので?」
「うん。君の情報で決定したよ~。輸送も順調だから、後は予定通りに現地集合と行こうか~。それじゃあ後始末と続き、任せたよ~」
「了解しました」
それを最後に通話は切れた。
白霊のコッラーは自らの役割を果たすべく、地下に出来上がった氷像の運搬を始めるのだった。
次回更新は3/20の予定です。




