裏路地の人生
「すみません。わざわざ案内までしてもらって」
「いいのいいの。君達を騙してしまったんだから、これくらいの罪滅ぼしは当然さ」
話し合いの後、少ない荷物を案内された部屋に放り投げた翔は、その足で都市の中を散策していた。
悪魔に対する防衛会議が夜に決定したためであり、それまでの浮いた時間をせっかくなら観光に使いたいと思ったためだった。
前回フランスに移動した際はタイムリーな作戦だった上、決着後も療養に費やしてしまい碌な観光が出来なかった。そのため、今回こそは外国の空気を感じたかったのだ。
それを部屋まで案内してくれたステヴァンに話した所、笑顔で快諾。むしろ自分自身が案内人になろうと提案してくれた。そのお言葉に甘える形で、現在翔はステヴァンと共に大通りを散策しているのだ。
なおマルティナにも同じ提案はしたが、ゴミを見るような目で見つめられ、思い切りドアを閉められた。取りつく島も無かった。
「楽しんでくれる分には俺としても嬉しいんだけど、ぶっちゃけこの街を観光して楽しいかい? 国の一都市を名乗る程度の大きさはあるけど、後は住宅があって、店があって、御覧の通り見渡す限りの砂の海だけだ」
案内役を買って出てくれたステヴァンだったが、その顔には苦笑が入り混じっている。
確かに彼の言う通り、この都市には国の文化を集積した記念館のようなものや観光名所といったものは無い。せいぜいが砂漠か人々の生活そのものが、日本人である翔には異国情緒に溢れていると感じれる程度であろう。
「いえ、十分に楽しめてます。悪魔殺しになるまでは、自分の生まれた街を中心に、大きくても日本国内を移動する程度で人生が終わるもんだと思ってました。そんな俺が外国の大地を踏みしめて、外国の文化に直に触れている。それだけでわくわくするんです」
あの日、名も知らぬ悪魔と契約を交わすまで、翔は自分自身の人生は平凡に満ちたありきたりなもので終わると漠然と考えていた。
それが悪魔殺しとなり、時には悪魔と戦い、時には悪魔に助力され、またある時には同じ悪魔殺しと争った。たった一つを切り取ったとしても、自分の人生一生分に相当するほどの経験を、この短い期間の間で経験してきたのだ。
翔は確信した。自分の人生は平凡では終わらない。むしろ、これからの人生は波乱に満ちたものになると。喜びと楽しさを上回るほどの痛みと苦しみ、悲しみが降りかかる人生が待っていると。
そんな人生を想像し、だからこそ翔は開き直った。
他人よりも多くの苦しみを味わうのだ。ならば、他人よりも多くを楽しまなければ損ではないかと。
他人には経験できない波乱に満ちているからこそ、多くを楽しみたい。そう考えたのだ。
「なるほどな。その感覚、分かる気がするよ」
「本当ですか?」
「あぁ、いきなり自分の世界が急激に広がったような感覚、俺も味わったことがある。 ......翔君、せっかくだからちょっと寄り道していってもいいかい?」
「えっ? あっ、はい。もちろん大丈夫ですよ」
案内役のステヴァンが寄り道を提案したのだ。来たばかりで碌に帰り道も覚えていない翔は、頷くしかない。
そして、ステヴァンは急に大通りから脇道に逸れると、細くて薄暗いその道をずんずんと歩き出した。
「ちょ、ちょっとステヴァンさん!?」
海外の裏路地は危ない。そんな事実が入り混じった偏見が頭に残っていた翔は、思わず躊躇する。
「大丈夫。こう見えても、この都市じゃ俺はお偉いさんなんだ。変なことには巻き込まれない。それに、君は優秀な悪魔殺しなんだ。いざって時でも問題ないだろう」
そう言うと、彼は構わず進んでいってしまった。
「えっ、えぇ!? ......だぁ~! 分かりましたよ!」
擬翼を用いれば部屋には帰れるだろうが、それは本当の最終手段だ。実行してしまえば、都市は良くも悪くも大騒ぎになる。
悪魔に下手な隙を与えるわけにはいかない。翔は意を決して、ステヴァンを追いかけた。
__________________________________________________________
「ステヴァンさん......ここって......」
「あぁ。君の想像通りの場所だ」
ステヴァンを追いかけること十数分。彼が足を止めたことから、目的の場所に着いたことが分かる。
そこは大きな建物同士が影となり、ボロ切れで出来た簡素なテントが立ち並ぶ、貧民窟とでも呼べる場所だった。
多くの人間はテントの中にいるようで姿は見えないが、時折目に入る人々は誰もが緩慢な動きをしており、目からは輝きが失われていた。何らかの違法薬物を使用しているのかもしれない。
「ここはこの都市の貧民窟。夢破れ、捨てられ、落ちるところまで落ちた人間の最後の拠り所さ」
「それは......そうなんでしょうね。けど、どうしてここに?」
翔だって頭は悪くとも最低限の常識はある。世界にはこのような敗者の吹き溜まりのような場所が、複数存在することを。
それよりも気になったのは、どうしてステヴァンがこんな場所に連れてきたかだった。
「翔君、君には俺の故郷がこの都市だということは話していたね?」
「えぇ。はい」
「けど都市のどこまでは話していなかったはずだ」
「それって......」
突然の生まれについての言及。そして、少々強引とも言えた、この場所への誘導。そうなれば答えは一つしかないだろう。
「そう。この場所が俺の生まれ故郷なんだ。いつだって薄暗くて辛気臭い。そんな場所が俺の育った場所なんだよ」
「そう、なんですね......」
突然のステヴァンの告白に、翔は上手い言葉を返せなかった。
彼の場合は家庭の事情こそあれど一般的な家庭で生まれ、贅沢は出来なかったが必要なものは不自由無く手に入った。そんな持っている側の人間が、持たざる人間に意見するのは失礼だと思ったためだった。
「憐れんだりはしないのかい?」
「あいにくそういうのは止めようって、ちょっと昔に決めたんで」
「そうか。うん、その方がいい。......少し昔話を聞いてもらえるかい?」
「もちろんです」
「ありがとう。さっき言った通り、俺の生まれはちょうどこの辺でね。物心ついた時に身内はお袋だけだった」
ステヴァンが懐かしそうに路地の壁を撫でた。
「その、お父さんは......」
「さぁね。夜の商売で運悪く当たっちまったか、俺が出来た頃に捨てられたのかは分からない。語ってくれる人が墓の中じゃ、確かめようも無いさ」
「それじゃあお母さんも」
「......あぁ。それでも随分と世話になった。こんな吹き溜まりのような場所だってのに、希望を失わない人だった。......いつか親孝行出来たらって思ってたが、間に合わなかった」
「......」
別れとは辛い物だ。唯一の肉親ともあれば尚更だろう。
「それからは必死に生きた。質の悪い酔っ払いに絡まれないように、少しでも日銭を稼げる仕事を回してもらえるように。そうやって上手く生き抜いていたんだが、こんな場所の連中は、希望を失わない俺って存在が気に食わなかったんだろう。 ......ある日、襲われた」
「襲われた!?」
今でこそ二十代半ば程見えるステヴァンだが、五年前なら二十歳。十年も前なら十五歳、中学生だ。そんな彼が遠い昔の記憶のように語っている雰囲気からして、下手をすればもっと昔の話かもしれない。
十代前半の少年に、纏っている雰囲気が気に食わないと難癖を付ける。モラルが崩壊しているとしか言えなかった。
「木片だのレンガだのでしこたま殴られたよ。ただ相手も殺す気が無いのは分かっていたからね。ただ蹲ってじっと耐えていた」
「警察は? この都市の警察は守ってくれなかったんですか?」
「裏路地なんてこんなことが日常茶飯事だ。いちいち対応してたらキリが無い。むしろ弱者同士で争い合う方が、守るべき市民に矛先が向かずに済んで、警察も都合が良かっただろうさ」
「そんな......」
あまりの文化の違いに言葉が出てこなかった。
日本にもホームレスのような、社会的弱者というものは存在する。だが、そういった人々でさえ、襲われれば被害を訴えられるし、警察も積極的に問題解決に奔走してくれる。
しかし、この都市では警察の役割は違う。彼らの役割はあくまでも市民を守ること。市民とは大通りを歩く、まともな暮らしを行える人々だけなのだ。
「まぁ、そんな感じでボコボコにされていたんだけど、俺が幼かったこともあって力加減を間違えたんだろうな。ある一発が、俺の頭にクリーンヒットした。あの時は、あっ、まずいって他人事のように思ってたっけ」
「......でも、その場は切り抜けられた」
ステヴァンは死ななかった。そうでなければ今翔の隣に立っている彼は、別人か幽霊になってしまう。
「そうだ。ぼ~っとなった頭でも、ただ死にたくない、こんなところで終わりたくないって感情だけははっきりと考えられてさ。その時、急に胸が熱くなったかと思ったら、目の前に現れていたんだ」
ステヴァンが壁の隅で堆積していた砂に手をかざす。
「こいつらがさ」
すると大小様々な魚達が砂から飛び上がった。その光景はまるで、砂の海に芽生えた一種の生態系のようだった。
次回更新は3/4の予定です。




