驕らない悪魔
「私が今回の作戦を決行した理由。それはあの悪魔達がいずれも、召喚魔法に長けた人間狩りのスペシャリストだからだ」
「どういうこと?」
「分からんかね? 一方は伝播する恐怖をトリガーに、次々と防衛の穴を作っていた狙撃手。眷属を用いた索敵と支援射撃も見事な戦法だ。もう一方は大量の使い魔を操る前線指揮官。古の人魔大戦から数えても、防衛戦における生存者がゼロなどそうそうない」
「......数で優位に立てる人類が、その数で悪魔に負けているって言いたいのね」
「その通りだ。現場で指揮をする人間は、こぞって狙撃手に撃ち抜かれる。数の力で一体ずつ使い魔を討伐する人間側が、逆に一人ずつ、組織立った使い魔によって狩り取られる。そんな場所に、連携を乱すような協力者を組み込めるかね?」
「......そういうこと」
「......」
翔には音声情報というものは分からない。
しかし翔には彼らとは異なり、ダンタリアの知識という独自の情報がある。だからこそ、レオニードが話した内容によって、彼が言いたいことを断片的だが理解することが出来た。
悪魔は人間を見下す生き物だ。
これ自体は仕方がない。肉体的にも魔法という理外の力の有無を持っても、人間が悪魔に勝てる要素が無いからである。
しかし、この見下しというのは、裏を返せば侮りとなる。侮りは油断を生み、油断は穴を生む。強者が自ら生み出した小さな穴。その穴を突くことによって、人間は悪魔に対して多くの勝利を収めてきたのだ。
だが、此度のトルクメニスタンを巡る戦いでは全く機能しなかった。むしろ人間の習性を利用することで、悪魔は大きな戦果を手に入れてしまった。
此度の悪魔は人間を見下さない、人間を侮らない、それどころか人間の習性を理解して攻勢をかけてくる。そうなってくれば、最後に頼れるのは人間の数の力しか存在しない事になるが、それすらも使い魔の数で上回られてしまった。こうなってしまえば打つ手がない。
「君達が優秀な悪魔殺しと言うのは伝え聞いている。何も流れてくる噂は悪い噂ばかりでは無いからな。けれど、君達がどれだけ優秀でも、四方から攻め立ててくる大量の使い魔を討伐しきれないだろう? 狙撃手から自分の身は守れても、私の身は守れないだろう?」
この戦いは何も悪魔を討伐してしまえば勝利という戦いではない。
「私ともう一人のカギが命を落とし、それぞれの血筋が絶えた時、現世には略奪の国が顕現してしまう。そうなってしまえば、たった二体の悪魔の討伐など何の意味も持たん。地上には人魔大戦で戦う以上の悪魔が顕現しているだろうからな」
最初に大熊から聞かされていたように、今回翔に与えられた役目は護衛。地獄門の封印を守るレオニードを、悪魔の魔の手から守ることこそが役目だ。
攻め込んでくる悪魔達は共に、組織力に長けた召喚魔法使い。そんな悪魔達から悪魔殺しでもない初老の魔法使いを守るには、悪魔以上に完璧な連携が求められる。
命令を無視して猪突猛進する悪魔祓いや、命令を理解できない外様出身なぞ論外もいいところなのだ。
「だから私は君達を試した。最低限自衛出来る力はあるのか、負傷した人員を守りに動く心はあるのか、そして、因縁を持った相手と連携できるのかを」
「......何が私達のことは噂でしか知らないよ。決闘の件も含めて、事細かに調べているじゃない」
「あっ! そういえば!」
これまでの事務的な声とは打って変わって、恨めし気な声でぼそりとつぶやいたマルティナの言葉で、翔も気が付く。
レオニードの発した言葉は、翔とマルティナの決闘騒動を詳細に知りえていないと不可能であることを。
「これから協力関係を築く相手なんだ。多くを知りたいと思っても不思議じゃないだろう?」
「......白々しい。その結果、不安の種が芽吹いたのだとしたら、本末転倒もいいところじゃない」
「これは手痛い」
そう言ってウインクを見せるレオニードには、一欠片の悪意も感じられなかった。彼の訴えにも、ただ純粋に悪魔との戦いで自分が命を落とすわけにはいかなかったのだという、意思のみが感じられた。
今のマルティナがレオニードをどう思っているかは分からないが、少なくとも翔は、奇襲騒動の件は完全に許していた。
「ふん。 ......言いたいことはそれだけかしら?」
「あぁ。伝えるべき言葉は伝え終えた」
一瞬弛緩していた空気が、またも張り詰める。マルティナの声も、また事務的で無機質なものへと変化する。
「判決を言い渡すわ」
「マルティ、っ!?」
判決と聞き、ここまでの弁明にも関わらず、マルティナは何らかの罰則を施そうとしているのかと翔が止めに入ろうとする。
だが、そんな翔を眼力だけで制圧すると、彼女は気にした様子もなく言葉を続けた。
「今回の人魔大戦における、魔法協定違反行為。この行いに対する弁明には、悪魔の脅威を具体的な被害を用いて論じており、違反行為に至った推察にも一定の根拠が感じられた。しかし、行いそのものは協力すべき悪魔殺し達の関係性を壊しかねない行為であり、再発防止のための罰則を設ける必要があるわ」
ゴクリ。翔の喉が、本人の意思に関係なく音を立てる。
ここまでの判決を聞いた限りでは、言い訳は認めるがそれはそれとして危険行為は危険行為だろと言われた形だろうか。
マルティナの性格からして、ここまで言ったからには無罪はあり得ない。あとはどれだけ罪が軽くなってくれるか祈るしかない。
「よって、今回の件はそれぞれの悪魔殺しへと、魔法資産を除く財産から一割を罰金として払うこととするわ」
封印刑でも魔法の差し押さえでも無い、ただの罰金刑。彼の立場と一割という割合を考えれば、その額自体は想像以上のものになるだろう。しかし、あれだけ怒り狂っていたマルティナが、判決をだいぶ甘くしてくれたことだけはよく分かった
「......マルティナ!」
「うっさい! 元はと言えば、あんたがあんだけふざけたことをされたのに、大して気にしてなかったのが原因でしょうが!」
安心したように近付いてくる翔に、マルティナは反射的に噛みついた。
命を狙っていないと言っても、魔法世界では何かの拍子で致命傷を負うことなど多々ある。戦闘音を聞きつけた悪魔達が参戦する可能性だってゼロでは無かった。
だというのに、ちょっとした言い訳で言いくるめられた翔を見て、なんとなくマルティナはムカムカしたのだ。今回の行いは、こんな不義理な行為をした相手はどうなるかという見せしめでもあった。
だが、結果を見れば相手はしっかりと理論武装をしており、肩を持とうとしてやった翔には、逆に相手の肩を持たれてしまった。
それならば教育としてせめて罰金だけでもせしめ、翔に与えてやったというのに、金を喜ぶより先に相手の罪が軽くなったことを喜ぶ始末。マルティナはすっかり馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「マルティナ君」
「......何よ?」
レオニードに話しかけられたマルティナだが、とある男のせいで非常に機嫌が悪くなっている彼女は、ぶっきらぼうに返事をした。
「感謝を。君が一介の悪魔殺しではなく、教会所属の悪魔祓いとして罪を断罪しようとしたら、この程度では済まなかった」
「何よ。今更そんなことを語るの? そんなこと当たり前じゃない。大きい組織ほど、小さな腐敗を見逃さない。あんた程度、適当な女をあてがって新しいカギを作り出した後は、あいつ共々神敵認定よ」
くいと首だけでステヴァンを差し、本当につまらなさげにマルティナは語る。彼女の態度は、こちらの気分を害しているのだから、さっさとこのつまらない会話を止めろというのが言葉にせずとも透けていた。
「ここに入ってからの君の態度は見させてもらっていた。私達の行いに腹を立てていることがカメラ越しでも十二分に伝わっていた。なのにどうして?」
「馬鹿にしてるの? そんなことをしたら、私とあんたの関係に亀裂が入る程度じゃ済まないわ。あの男も、隣に立つあんたも、末端の魔法使いだって一気に関係が崩壊する。そんな冷え切った協力関係で、悪魔から生き残れると思うの? 連携が必要って言ったのはあなたじゃない」
マルティナは悪魔の討伐に一辺倒と思われがちだが、翔と違い地頭は悪くない。むしろ悪魔を討伐することに関して言えば、頭脳明晰と言えるほどだ。
そんな彼女であるからこそ、悪魔が討伐できなくなることは看過できない。自分の行いが原因であるならなおさらだ。だから彼女はステヴァンとレオニードの行いに怒り狂うことはあっても、最初から大罪として扱うつもりは無かったのだ。
「......なるほど、理解したよ。私達は覚悟を決めたつもりで実行したが、君にとっては不快なだけの茶番に過ぎなかったと」
「なら、もういいかしら? いい加減あなたの罪を重くしたい気持ちが強くなってきたのだけど」
「最後に一つだけ聞きたい。今までの君なら、悪魔と手を組む彼は断罪するべき悪だったはずだ。負けようと瀕死になろうと、必ず止めを刺すべき悪だったはずだ。今の君にとって、彼はどんな存在なんだい?」
「......別に。元敵で、現協力者。......ただ」
「ただ?」
「私が真っすぐだったように、あいつも馬鹿正直に真っすぐな奴だってことよ。これ以上あいつを巻き込むような茶番は止めることね。......今度は手加減なんてしないわよ?」
まるで獲物を狩る肉食獣のような瞳がレオニードを貫いた。
彼女の脅しにはまだまだ凄みが足りない。寒気を与えるような恐怖が足りない。だが、誓いを必ず形にしてやるといった熱さだけは溢れていた。
「......肝に銘じておこう」
「そ。じゃあ長旅の疲れもあるから部屋を用意してもらえる? まさか到着と同時に作戦会議を始めなきゃいけないほど、切羽詰まってるなんて言わないわよね?」
「もちろんだとも。ステヴァン、翔君とマルティナ君を部屋に案内してもらえるかい?」
ステヴァンに案内を頼み、二人を部屋から外に出す。
そうして静けさを取り戻した部屋の中。今この場にはレオニードと、ずっと沈黙を保ち続けていた彼の側近ボルコしかいない。
「......想像以上でしたな」
「あぁ。けれども、感情派でありながらも、理論を失わないことが知れただけでも収穫だった」
思い出すのは、苛烈を擬人化させたような態度を取るくせに、頭の奥底ではソロバンを弾き続けていた悪魔祓いの姿。
レオニードは自分で言っていたように、今回の行いで断罪される準備は出来ていた。ステヴァンに罪が及ばぬよう、全ての罪を被るだけの工作も用意できていた。
だが、蓋を開けてみれば、断罪者は一個人である悪魔殺しを名乗り、最後まで悪魔祓いを名乗らなかった。
おまけに断罪の際には差し押さえではなく罰金刑を選択し、あろうことか支払いの期限すら決定しなかった。これだとレオニードは、のらりくらりと支払いをいくらでも遅らせることが出来てしまう。
「......ずっと彼女は他人のために怒っていたのでしょう。理不尽な行いの被害に遭い、言葉一つで納得してしまったあの子のために怒っていたのでしょう」
「あぁ。喧嘩別れと聞いていたが、あの年代の若者達にとっては、それすら友好を深める一歩だったのだろうな」
そうしてレオニードは、ずっとマルティナを制止しようとしていた少年、翔のことも思い出した。
見るからに一般人の空気を纏った少年だった。魔法使い特有の暗い感情や力に対する傲りを一切感じさせない少年だった。まさしく、外様出身の悪魔殺しそのものだった。
魔法知識のない彼にとっては、今回のレオニード達の行いは質の悪いイタズラ程度に思っていたのかもしれない。むしろ半ば力がある分、気にすることですら無かったのかもしれない。
だから彼は許してくれた。そして、彼が許したからこそ彼女は激怒したのだろう。少年にレオニード達の罪深さを感じてもらうために。
「ずっと優しく、純粋な少年でした。悪魔との戦闘を繰り返しているとは信じられぬほどに」
「だから勝ち残ってきたのだろうさ。彼は純粋ゆえに迷わない。優しさゆえに許さない。マルティナ君も言っていただろう? 彼は真っすぐだと」
「......余計に私達の罪深さが際立ちますな」
「何をいまさら。ステヴァンに全てを背負わせることを決めた時点で、私達の手はとっくの昔に真っ黒だよ」
「まったくです」
「どうせ此度で失われる命と高を括っていたが、粗末な命を回収してくれるほど神は優しくないらしい。命尽きる最後まで、この命、利用しつくして見せるとも」
「最後までお供致します」
ステヴァンすらも知らない老人二人の密談。彼らの会話は、やがて当たり障りのない街の運営議論へと変化していくのだった。
次回更新は2/24の予定です。




