一面の砂と予想外の再会
「二回目にもなると、空港の移動にも慣れてきたな。出来ることならもう少し期間を置いて欲しいところだったけど......にしても、予想はしてたけど、あっついな」
愚痴を零しながらも空港から外に出た翔を迎えたのは、日本の初夏と大差無いほどの日差しが降り注ぐ、トルクメニスタンの大地であった。
「ただまぁ、蒸し暑さが無いだけまだましか。余計に暑く感じるのは、このうるささのせいだ」
この地を訪れてから何度目にした光景か。たった今も愚痴を零し続ける翔の前を、大荷物を担いだ魔法使いらしき集団が駆け抜けていった。
もめ事にならないよう、気付いた瞬間に半歩引いていた翔だったが、それが無ければ思い切りトランクケースをぶつけられていたかもしれない。
「事前に大熊さんに聞いていて良かった。今後、いつまたこんなパニックの中に突っ込まれるか、わかったもんじゃない」
ダンタリアからの情報提供が終わり次第飛行機に飛び乗った翔は、再度の連絡を取り損ねた大熊によって、機内の中で現状のレクチャーを受けていた。
ダンタリアから大まかな情報は貰っていた翔だったが、それでも彼女は悪魔。人間とは別の価値観でものを考える存在であり、伝えることも彼女が必要と考えたものに偏っている。そのため、あらためて大熊に情報を伝えてもらったのだ。
その結果わかったのは、翔の想像以上に現地は混乱しているということ。
ある意味当たり前だ。百体の悪魔ですら持て余している人類が、五百、あるいは千、場合によってはそれ以上の悪魔と戦う可能性が秘められた地。それこそが地獄門である。
そんな人類の潜在的な完敗が秘められた地の封印が、すでに半分解かれてしまっている。その事実に動揺しない魔法使いなど、翔のような物知らずか自分の実力を見誤った愚か者だけだ。
つまり現在のトルクメニスタンは、地獄門防衛のために派遣された各国の魔法使いと逆に地獄門の解放を恐れて逃げ出した隣国の魔法使い。そして、地獄門の様子見を行っている様々な派閥の使い魔によってごった返していたのである。
もちろんトルクメニスタン政府も対応に追われている途中なのだろう。先ほど翔にぶつかりかけた魔法使い集団は、スーツ姿のお偉いさんに連れられ車に乗り込んでいる。
だが、それにしたって人が多すぎた。まさに人類の窮地、まさに人類存続の大一番、ノアの箱舟が建造された当時もこんなものだったのだろうかと、翔は少ない神話知識の引き出しからそんなことを考えていた。
「はっ! いけねっ、何くだらないこと考えてんだ! あの人達みたいに俺も足を探さないと」
すでに大熊からの連絡で、翔を含めた悪魔殺し専用の移動車両が空港で待機していることは知っている。そのため、空港脱出までは楽が出来るだろうと考えていたが、これほどの大賑わいでは目当ての車を探すのも難儀しそうだった。
「え~と......確か、アメリカの車みたいにごっつい奴で、おまけにお偉いさんのリムジンみたいに、小さな国旗がボンネットに刺してあって......」
想像してみると随分馬鹿にされているような外観の車であるが、これほど大量の車の中では、その個性こそが何よりもありがたい。
見るからに身分の高い人用の車や、なぜかあった見覚えのある日本の軽トラックなどを除外していき、あまり時間をかけずに翔は目当ての車を見つけることが出来た。
「あっ、あった!」
見るとその車の近くには運転手らしき人物が待機しており、しきりに誰かを探しているように見える。ここまでくれば間違いない。翔は声をかけ、確認を取ろうと近付いた。
「すみませーっ! おわぁ!?」
突然生じた殺気。翔は思わず飛び上がり、転がるように車の傍に退避する。
咄嗟に先ほどまで自分が立っていた場所を見ると、道路に何か硬い物がぶつかったかのような小さな摩擦痕が生まれていた。
「な。なんだ? 一体なに、が......」
突然起こった事態にうろたえ、翔は今更ながらも殺気の生じた先に目を向けた。
すると、そこにはいつぞやの騒動のおかげであまりにも見慣れた法衣に身を包んだ、同年代の金髪少女の姿があった。
「なんで」
「はっ?」
「なんであんたがここにいるのよ! アマハラ!」
あまりにも物騒な出会い、そしてあまりにも物騒な再会。翔の前に現れたのは正義の体現者、悪魔祓いマルティナだった。
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「......つまり? あんたも招集に応じてトルクメニスタンに辿り着いたってわけ。気に入らない、気に入らないけど、その対応は認めてやるわ」
「いや、認める以前に攻撃したことを謝れ! 危うく悪魔との戦い前に病院送りにされるとこだっただろうが!」
「悪魔殺しなら常在戦場が当然でしょう!」
「んなわけあるか! そもそも俺が今まで戦ってきた相手で、不意打ちをしてきた相手なんてお前と悪魔の眷属くらいなんだよ! 戦いだけなら悪魔達の方がよっぽどお上品だっての!」
「あぁもう! うるさいわね! 躱したんだからいいじゃない! そもそも当たってたところで怪我なんてしないわよ!」
「はぁ? なんでだよ?」
「だって、今回投げたのは穂先じゃなくて石突の方だもの。当たった所で痛いだけよ」
「大差あるか! そもそも仲間に向かって武器を投げるなって言ってんだ!」
「うるさいうるさい! こちとらようやく負けを呑み込めた所だったのに、なんで負けた相手と手を組まなきゃいけなくなるのよ! むしろ私達の出会いを考えれば、石突で済ませて上げたのを感謝するべきよ!」
進めど進めど砂一色の風景が変わらぬ大地。そんな不毛の地を駆け抜ける車内の中では、再会を果たした翔とマルティナがギャーギャーと尽きる様子を見せない言い争いを続けていた。
翔が文句を付けるのは当たり前だ。初めて出会った際に行われた不意打ちの再現を、まさに本人によって行われたのだから。
いくらマルティナの攻撃が石突によるものと言った所で、不意打ちされたことには変わらない。一度謝罪を貰わなければ到底許せるようなものでは無かった。
一方のマルティナも本心から翔を憎み、攻撃したのではなかった。
目の前の翔は、一刻も早い全悪魔の討伐という己の理想を砕いた張本人。しかし、同時に悪魔の討伐を補助し、意識を失っていた自分を助けてくれた命の恩人でもある。
過去の自分であれば、悪魔に与して討伐を妨害した翔に復讐をしていただろう。同時に今の自分であれば、過去の行いを詫び、これからの戦いに備えて翔の考えに歩み寄ろうとしただろう。
だが、これらはいずれも理想に過ぎない。現実のマルティナは今まさに過去の思想という殻を破り捨て、飛び立とうとしているひな鳥なのだから。
過去の自分を再現しようにも、今の自分はその思想が非効率的なものだと理解している。反対に今の理想を演じようにも、翔への怒りや感謝がないまぜになって素直になれない自分がいる。
翔を目にした瞬間、それらが複雑に絡み合った結果によって、マルティナは不意打ちをしてしまったのだった。
そしてやってしまったことに素直に頭を下げられるなら、そもそも不意打ちなどしていない。そのため、マルティナは謝りたいにも謝れず、かといって売り言葉に買い言葉の気性を治せるわけもあらず、八方ふさがりになっていたのである。
いっそ翔の方から落としどころを見つけられれば良かったのだろうが、彼も立派な思春期。それも武道家の魂を持った、死ぬほど負けず嫌いの思春期だ。
喧嘩を売られたら買う。負けるまで戦い続ける。そんな闘争心が悪い方向に左右していたのである。
総括すると、この場の言い争いは出だしこそ物騒であったが、すでに本人達からしてみればキャットファイトにすぎないのだ。だからといって、喧嘩が終わらないのには変わらない。本人達が終わらせられないのなら、第三者が終わらせる必要がある。
幸運なことに、この場にはそんな第三者が存在していた。
「あっはっはっは! 二人共仲良しだねぇ!」
二人を止める鶴の一声は、二人が乗った車の運転席から響き渡った。
「「どこが!」」
喧嘩モードに入っていた二人は、横入りしてきた運転手にさえ噛みつく。
「そんな息ぴったりな所が、だよ。正直俺としては不安だったんだ。どれだけ悪魔殺しや魔法使いが派遣されたとしたって、そいつらは各国の思惑を抱えた烏合の衆。下手したら仲間同士で殺し合いになりかねない爆弾みたいな存在だって。でもそんなのに比べれば、君らの喧嘩なんて可愛いもんだ」
喧嘩腰の二人の言葉をするりと躱し、逆に安心したかのように言ってみせる。
そんな運転手の態度は、これまで言った分が全て返ってくる二人の喧嘩ではありえないパターンであり、言葉を透かされた二人は一気に毒気を抜かれてしまった。
「......悪かったわ」
「......謝ってくれたんならそれでいい。むしろ変にしおらしくすんなよ。調子が狂う」
お互いに勢いのままに謝罪し、それを受け入れたことは分かっているし、これだけでわだかまりが消え去ることが無いのは分かっている。それでも形だけでも行ったその行為によって、車内の空気は一気に落ち着いた。
「これで一件落着だな」
「えっと、ステヴァンさんでしたよね? 運転してもらった上に仲介までしてもらって......」
「いいってことよ。子供は主義主張をぶつけ合って、叩いて伸ばして飲み込んでいくもんだぜ。もちろん子供だから加減が分からずヒートアップしてしまう時もある。そんな時に止めてやるのが、俺達大人の役割よ」
「......申し訳ありませんでした」
「勝気な嬢ちゃんもこれ以上気にすんなって。それよりも、そろそろ悪魔達が潜伏している可能性がある地帯に入る。何かあってもいいように準備だけはしておけよ」
「「はい」」
運転手そっちのけで罵詈雑言の嵐を喚きたてる初対面の相手。字ずらだけ見ればぶん殴られてもおかしく無いほど迷惑な存在だったろうに、ステヴァンと名乗った運転手は子供のやることと笑って許してくれた。
こんなことが出来るのは、彼が大人であると同時に子供を導いていける器があるからこそなのだろう。
翔だって数年もすれば大人の仲間入りをする。そうなった場合、自分は自分が理想とする大人達に並び立てるだろうか。そうなれるように成長していきたい。今まさに起こった子供らしい失敗を恥じつつ、翔は目標を胸に刻むのだった。
そうして先ほどの騒乱から一転、静寂が車内を支配して数分した時だろうか、突然マルティナの目が見開かれ、焦ったように周囲を見回す。
「マルティナ、どうした?」
「......まずいまずいまずい。私の魔力感知の外から近付かれたせいで気付かなかった! この車を中心に、魔力反応に包囲されてる! ステヴァンさん、今すぐ車を停め_」
マルティナが言い終わる前に事態は動き出した。全方位に見えていた砂の海。その海からまるで本物の海であるかのように、一頭の砂で出来たイルカが飛び出したのだ。
「はっ? 砂漠のど真ん中でイルカ?」
そしてそれに気付くと同時に、追従するかのようにイルカが現れ、小魚が飛び出し、辺りを本物の海かのように泳ぎ始める。
ここでようやく翔も気が付いた。自分達は今まさに強襲を受けているということに。
「カギを開けた。早く外に!」
ステヴァンの声が響く。
だが、彼の忠告は間に合わなかった。
ゴゴゴゴゴと走行中の車内からでも感じる振動、それが車の下部から、それもどんどんと勢いを増す形で聞こえてくる。
そして刹那の間に振動は到達した。車を丸のみ出来そうなほどの巨大ザメの姿を取って。
車内に出現した咢が、車の前座席と後部座席を真っ二つに切り裂いた。
「うわあぁぁぁ!?」
「うっ! きゃぁぁぁ!」
下からかち上げられた勢いのままに、翔とマルティナは天高く放り出されるのだった。
次回更新は1/31の予定です。




