欠けた必死、習う邪道
「というわけなんです」
「というわけ、じゃないっすよ~っ!」
日魔連事務所の二階。狭いながらもそれぞれの私室が割り当てられたスペースで、猿飛は頭を抱えた。
場所は猿飛の部屋。頭を抱えた理由は、目の前に立つ少女、姫野の爆発発言が発端である。
「姫ちゃんが翔君の身を案じていたのは分かってたっすよ。今回の連戦が決定して、不満が溜まってたのも知ってたっす。けど、あのお方に貸しを作るのはマズいなんてもんじゃないっすよ......」
「......軽率だったと反省しています」
同じ日本の悪魔殺しであるにも関わらず、翔にばかり負担をかけてしまっているという罪悪感。そして、凛花によって提示された打開策を自分なりの解釈で実行した結果、姫野はダンタリアに助力を求めてしまった。
姫野が自分の意思で行動を起こした事自体は、猿飛としても嬉しく思う。だが、今まで行動を他人に任せ切りだった代償ゆえか、彼女は行動の結果に起こされるであろう問題にまでは、目を向けることが出来なかったのだ。
「反省していることは分かっているっす。けど、あのお方に姫ちゃんが目を付けられるのと、俺が目を付けられるのは天と地ほども差があるんすよ~! 何なんすか! 俺から一本取れってのは!」
助力に応じたダンタリアから指示された訓練内容、その第一段階が猿飛から一本を取るということだったのだ。
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「端的に言おう。縊り姫、今の君には戦う意思が足りていない」
冗談では済まないほどのプレッシャーから解放された姫野に、ダンタリアが訓練内容と共に話した言葉だ。
最初、姫野はダンタリアの言っていることが分からなかった。自分は悪魔殺しになる前から多くの修行を行い、なった後はカタナシを含めた悪魔、眷属、悪魔崇拝者と戦い続けてきた。
手に入れた力から目を背け、戦いの舞台に立つことすらしない悪魔殺しすらいる此度の人魔大戦。
そういう者達と比べれば、自分は戦う意思を持っている。つい先ほどプレッシャーだけで殺されかけた相手に、そう言って毅然と反論が述べられるのは、彼女の利点であり欠点であると言えた。
そして、そんな反論を受けたダンタリアも怒ることはせず、今度こそ正しく微笑みながら、幼子を諭すように姫野に話しかけた。
「もちろん戦う気が無い者達は論外さ。けれど、私が言っているのはそういう意味じゃない」
パチンとダンタリアが指を鳴らす。
ザザッという音と共に、まるでテレビの砂嵐のような光景が、ダンタリアの横に発生する。そして、その光景は次第にチューニングのあっていくラジオのように、鮮明な映像を写し始め、最後には完全な映像を何もない空間に映し出した。
彼女が映し出した映像、それは姫野が翔と出会う前の戦い。逃げ続けながら各地で被害を発生させていく眷属二言を、姫野が追いかけている光景だった。
何もない空間に映像を出力させる魔法も見事だが、姫野が悪魔殺しとしての活動を始めた頃からの情報すら有しているとは、さすがは知識の魔王と言えた。
各地で人々を襲い、着実に螺旋型魔法陣を組み上げていくカタナシ陣営。それに対し、相手の思惑を分かっていながらも、魔法陣の作成箇所を見極めてから攻勢に出ようと、後手後手の対応を迫られていた日魔連陣営。
あの対応が間違っていたとは思わない。
しかし、螺旋型魔法陣の弱点を把握していたのは、作成者のカタナシも同様だった。長い目で見た対応はカタナシに準備の時間を与え、結果として魔法陣を完成させてしまう大失態に繋がった。
「死者を出さずに螺旋型魔法陣の陣容を見極める選択は、確かに間違いではなかった。しかし、正解でも無かった。カタナシは自身の討伐と眷属の命を天秤にかけて、眷属を取る悪魔だった。どこかで眷属の討伐に成功していれば、魔法陣の完成は防げたのではないかい?」
確かに姫野とカタナシの最終決戦。その最終局面でカタナシは、影武者だった眷属三寸が討伐されるのを良しとせず、姫野に気付かれるリスクを承知した上で魔力を供給し、眷属の命を繋いで見せた。
カタナシ陣営の最悪手。それが無ければ、生き残った二言によってカタナシを逃していたのは事実だ。カタナシの討伐をしっかり確認しなかった点では、悪手を打ったのはお互い様であった。
そして、眷属にあれほどの執着を見せたカタナシだ。ダンタリアの言う通り、螺旋型魔法陣の作成段階で眷属を討伐出来ていれば、意気を失うか怒りで下手を打つことで、より容易にカタナシを討伐出来ていたかもしれない。
しかし、あの時は大熊から人命救助を優先するよう指示が出ていた。完成の時まで効力を発揮しない魔法陣にはこだわらず、被害に遭った人々の命を優先して守るようにと。
それを指摘した時、ダンタリアは少しだけ憐憫の表情を浮かべたように見えた。
「そこだよ縊り姫。君は魔法陣完成のダシに使われた人間を、誰よりも眺めてきたはずだ。螺旋型魔法陣の概要も、おそらく麗子あたりに吹き込まれていたはずだ。君が助けた命は、本当に君にしか救えなかった命だったのかい?」
一番近くにいた人間が自分だったのだから、自分が救うのが当然のはず。そう答えたかった姫野だったが、その言葉は口から出てこなかった。
「今の少しだけマシになった君なら分かるだろう? 螺旋型魔法陣は拠点ごとに使う魔力を増やしていき、中心部に自身の魔力を収束させていく魔法だ。少年が悪魔殺しになった終盤ならともかく、君が唯一の悪魔殺しだった頃は、使われた魔法もちゃちな催眠術程度だったはず」
否定の言葉を口に出したかった。そうしなければ自分に指示を出した大熊の失態になってしまうから。でも、口からはやはり否定の言葉は出てこなかった。
心が認めてしまっていた。ダンタリアの意見の方が正しいことを。
「君が対応した加害者は、酔っぱらった暴漢程度だったはずだ。君が対応した被害者は、重傷者だろうと救急隊員に任せられる被害者だったはずだ。だが、眷属の相手が務まるのは君一人。どうして眷属の相手に集中させるよう、大熊に進言しなかったんだい?」
姫野の目が見開かれた。
ダンタリアの言う通りだった。あの頃の自分は指示を完遂することだけを目的とし、それに何の違和感も持たなかった。
心優しい大熊が、人命を何よりも優先してしまうのは当然だった。確実な作戦を好む麗子が、螺旋型魔法陣の作成地点を割り出すまで、無理な攻撃を控えるように言うのは当然だった。
ダンタリアの指摘によって気付いてしまった。あの時、二人の意見に否を唱えられたのは自分だけだった。現場の状況と眷属の行動を分析し、攻撃に回すリソースがあると言い切れるのは自分だけだったのだ。
「今までの君は戦っているわけじゃない。戦わされているだけだった。意思が介在することの無い人形だった。不満を持って行動できるようになった分、成長はしたんだろう。だが、一度見せた貰った模擬戦でも、やっぱり君は後手後手の人形だった」
そう言われて姫野は思い出した。
お勤めを果たし、神界から帰還した日。あの日、目の前のダンタリアに挨拶に向かった際、自分と翔は模擬戦を行わされた。
あの時は自分はもちろん翔でさえも、ダンタリアが思い付きで行った悪ふざけだと思っていた。
だが、真実は違った。彼女は見極めていたのだ。姫野という人物を。
「一度忠告はさせてもらったが、この際はっきりと言っておこう。私はあらゆる先手に確実な後手を取れる。対して、君は一割有効手を打てれば上出来だろう。私は回るべくして、後手に回っている。質の低い後手しか取れない君とは違う」
忠告と聞いて姫野は身構えた。あの自分を殺せるだけのプレッシャーを再度浴びせられるのではと思って。
けれど、プレッシャーは来なかった。有言を実行するだけの力を持った、小さな語り手がいるのみであった。
自分よりもよっぽど幼い姿をした、小さな小さな魔女。だというのに、今の彼女は自分よりもよっぽど大人びて、よっぽど大きく見えた。格の違いをありありと見せつけられた。
「今の君では少年の代わりになるどころか、対等な存在として、少年に並び立つことすら敵わないだろう。きっと少年はこれからも成長を続けていく。残酷なほどに成長スピードの差を見せつけながらね。縊り姫、君はそれを良しとするかい?」
嫌です。
答えられたのはそれっきり。それでも口に出した決意だけは、嘘偽らざる言葉だった。
「その意気だよ。さて、随分と前置きが長くなってしまったが、一つ目の訓練だ。まずは何よりも、君には考えを持って戦いに臨んで欲しいと思っている。敵が強いから最強の魔法を使用するといった、後手後手の対応ではなくてね」
こくりと姫野は頷いた。
思考すること。それの大切さは、文字通り死ぬほど理解できたのだから。
「そこでこの訓練が活きてくる。君の仲間には後方支援担当のニンゲンがいただろう?」
少しだけ答えに時間を要したが、姫野の仲間で、名前呼びをダンタリアからされない人間は猿飛だけだろう。
「そう、そのニンゲンだ。彼から一本取ること、それが第一の訓練だ。どんな状況、どんな状態の彼からでもいい。自分は攻撃を止められていなければ死んでいたと思わせたのなら合格としよう」
あまりにも予想外の試験で、姫野はコテンと首を傾げた。
ダンタリアを疑いこそしなかったが、この訓練に何の意味があるのだろうと、疑問を抱きはした。だが、薄く微笑む彼女からして、姫野の反応は予想されていたことだっただろう。
「ふふっ、意味が分からないという顔だね。なぁに、やってみれば分かるさ。彼は君とは対極のニンゲン。全てに見捨てられながらも、必死に考え続けたおかげで生きられた存在なのだからね」
予想通りの反応を貰えたと、クスクスと満足そうに笑うダンタリア。
最後の問いに答えは無かった。自分の中で答えを見つけろということなのだろう。
それっきり姫野は歩き出した。指示を実行する。それだけは自分の得手としていることなのだから。
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「_というわけなんです」
「だ~か~ら~! というわけじゃないって......はぁ。言っても仕方ないっすね......」
納得できないといった雰囲気を出していた猿飛に、今度は懇切丁寧に説明を行った姫野。
すると、あれほど嫌々だった猿飛は、何かを覚悟したように姫野に顔を向けた。
「姫ちゃんに不足していることと、継承様が俺に任せたい事ってのは理解出来たっす。そんでこの件が大熊さん達にバレれば、俺まで巻き添えを食うってことも」
「それじゃあ」
「いいっすよ。その訓練、乗っかってやるっす」
「......ありがとうございます」
「いいっす、いいっす。俺だって姫ちゃんの望みは出来るだけ叶えてやりたいと思ってるっすから。じゃあ今から訓練を開始って言いたいとこっすけど、その前に一ついいっすか?」
「はい」
「標的に襲撃の予告をするなんて......舐めすぎっす」
「っ!」
自然に。あまりにも自然に。姫野の首にはボールペンが当てられていた。
ペン先は彼女の首に触れており、身じろぎ一つしようものなら、深々と突き刺さることが予想出来た。
一秒にも満たない時間。そのたった一瞬の内に、自分は生殺与奪を握られたのだ。
「始まったばっかりでアレっすけど、反省会に移るっす。まず、姫ちゃんが継承様から指示されたのは、俺に死んだと思わせることっす。間違っても俺に訓練の確認を取れって事じゃないはずっすよ」
はっ、はっと、姫野は浅い呼吸を繰り返しながら、小さく頷くしかない。そうしなければ、喉にぐっさりとボールペンが突き刺さるからだ。
「んで、了承が取れたんなら、すぐにでも俺の動きに集中するべきだったっす。窮鼠猫を噛む。殺し屋が標的の返り討ちに遭うなんて、けっこうありきたりな話っすよ?」
またも姫野は頷くしかない。そもそもこの場で姫野は、頷くことしか許されていない。
「んでんで、最後になるっすけど、元々姫ちゃんは無防備がすぎるっす。姫ちゃんの魔法は選択式な上に、呼びかけという一動作が挟まる魔法っす。そんな魔法で警戒心が薄いなんて、好きに殺してくれって言ってるようなもんっす」
猿飛の役割は悪魔事件の調査及び後方支援。言葉だけを見るなら、力が無い人間が回された役職のように思える。だが本質は違う。
彼は常に未知と対峙することを迫られていたのだ。力無き人間の身ながら、悪魔の影響範囲に残ることを義務付けられた人間だったのだ。
そんな人間が弱いわけがない。生存能力に欠けているわけがない。そんな人間に死を確信させるなんて、いったいどれほど詰みの状況を作り出せばいいというのか。
姫野は今ようやく、ダンタリアが与えた訓練の本質を理解した。
「姫ちゃん。俺はやるって言ったからにはやる人間だし、相手がどんな人間だろうと手を抜いたことは無いっすよ。だから姫ちゃんのことを思って、当分苦労してもらうことにするっす」
トッ。猿飛が姫野の肩を押す。突然の動きに反応が出来なかった姫野は、よろよろと後ろに下がり、終いには尻餅をついた。
その数歩の動きによって、姫野は猿飛の部屋から追い出され、扉は固く閉ざされていた。
翔が知らない姫野の戦いが、静かに幕を開くのだった。
次回更新は1/19の予定です。




