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姫野の願いと魔王の怒り

「お話があります」


「おや、(くび)り姫。自主的に私の下へ来るなんて、中々面白い展開だ」


 無数の本棚が所狭しと乱立する秘密の図書館。そんな隠された結界内で、結界の主であるダンタリアと姫野は対峙していた。


 ダンタリアはリラックス状態で何らかの書物を読みながら会話をするのに対して、姫野の方は一見無表情だが、付き合いの長い者から見れば一目で強張っていると分かる表情だった。


「天原君が、新しい戦いに(おもむ)いたと聞きました」


 遠く日本の地から、翔の勝利を願い続けて数日間。


 ついに届いた血の魔王討伐の報は、感情の起伏に乏しい姫野と言えど、胸の奥でほのかな暖かみを感じられるほどの吉報だった。


 討伐に向かった翔ともう一人の悪魔殺しも、多少の負傷はあれど命に別状は無し。そうなれば、傷が治り次第こちらに戻ってくるはず。そう信じて疑っていなかった。


 だが、その考えが全くの見当違いだったと姫野は気付くことになる。


 大熊に聞いても、麗子に聞いても、翔が戻ってくる正確な期日は返ってこない。いつもの無表情に若干のプレッシャーを織り交ぜながら猿飛に問いただしたことで、翔が新たな戦いの地へ赴いてしまったことを初めて知ったのだ。


 当然姫野は隠していた二人に不満をぶつけた。どうして前回も、そして今回も翔が悪魔と戦うことを自分に黙っていたのかと。自分も日魔連、人魔大戦対策課の仲間ではないのかと。


「なるほど。大熊と麗子は君の魔法の特徴から、君の意識が海外の悪魔へ向くことを避けたかったということかな?」


「......はい」


 そこから始まったのは正論という名の暴力だった。


 姫野はその出生と手に入れた魔法によって、日本国内では無類の強さを発揮する悪魔殺しだ。しかし、前述したようにその強さは日本国内限定の力。一歩国外に踏み出してしまうと、その力は半減どころの話ではない。


 その理由は姫野が狂愛と呼べるほどに愛されているのは、日本の神限定の話だということである。元々彼女は日本の神に生贄として捧げられ、その代わりに力を借り受けるために生まれた存在だった。


 極限まで日本の神に愛されるように容貌、魂、肉体、仕草をチューニングアップし、生贄としての価値を最大限高めたおかげで彼女は今こうして生きている。だが、先鋭化された好みは現世全ての神々を対象とした場合、逆効果を生むことになった。


 日本以外の神々にとって、姫野はストライクゾーンにぎりぎり入る程度の好みでしかないのだ。


 言い換えれば、少しくらい無理やり言い寄っても許されるだろうと思われる存在。少しくらい強引に手籠めにしても許されるだろうと思われる存在。手に入れようとして壊れてしまっても、仕方ないとあきらめられてしまう存在なのだ。


 日本から一歩外へ踏み出せば、彼女はあらゆる神々から今まで以上の強引さで干渉されるようになる。ましてや相手は姫野のことを大して必要とも思っていない。その干渉が悪魔との戦闘中に引き起こされたとしても不思議ではないのだ。


 そして日本の神々は、あくまでも日本の地の支配者。他の地への干渉力は著しく落ち、大事な大事な姫野という存在を守り切れるほどの力は発揮できない。


 そんな場所に姫野が向かえば現場の混乱は必須。むしろ、牢獄に閉じ込められた神々のやる気を、悪い形で出させかねないとはっきり言われてしまったのだ。


「この地にいる間であれば、あの阿呆(あほう)共同士が牽制しあうことで、君の平穏は綱渡りながらも保たれている。だが一歩この地を出れば何柱もの干渉に曝され、良くて廃人、悪ければ肉の一欠片すら残さず、この世から消滅してしまうだろうね」


「はい。本日のお話とは、単刀直入に言えばお願いです。私より遥かに多くの知識を持ち、私と同じように多くの魔法を扱える継承様であれば、何かご助力を願えるのではと思ったのです」


 かつて翔は目の前に倒すべき敵がいるとして、その敵に抗うだけの力があるなら、弱者のために力を振るうのは当然だと言っていた。素晴らしい考えだと思うし、共感できる内容でもある。


 だからこそ思うのだ。今の自分はその考えに基づいて行動できているのかと。


 世界では今この時も、悪魔によって誰かの涙が流れている。それなのに自分はその涙を拭ってあげることすら出来ず、対岸から結果を眺めているだけの傍観者だ。


 そんな事が許されていいのか。いいや、許されるはずがない。


 せめて翔も一緒にいてくれたら。願ったところで詮無きことだ。幼き頃から多くのお役目を務めてきた姫野にとって、今の何もせず只人(ただびと)としての生を享受する日々は、それはそれで苦痛だったのだ。


「そうやって責任感の重圧から逃れるために、大熊と麗子の目すら盗んで私に会いに来たというわけだ」


「一日二日でどうにかなる内容だとは思っていません。ですがせめて、何かを成しているという実感が欲しいのです。この一歩が、人魔大戦終戦のかけがえのない一歩に繋がっているという実感が」


「ふふっ」


 姫野の精いっぱいの願いを聞いたダンタリアは、薄く笑みを浮かべると考えを巡らすように無言で本のページをめくった。


 姫野は元々隠し事など出来ない性格だ。やれることはやったし、伝えられることは全て伝えた。後は向こうの考え次第に過ぎない。


 そうして真っすぐとダンタリアを見据えたまま、どれだけの時間が流れただろうか。不意にダンタリアが口を開いた。


「......いいだろう。元々終身刑の阿呆共が、君の身体を経由して力を振るっていることも不愉快の一つだったからね。道筋程度なら示してあげようじゃないか」


「あ、ありが_」


 ダンタリアの承諾に、姫野は感謝の言葉を伝えようと口を開いた。だが、口から出ようとした言葉は道半ばで強引にストップした。


 目の前の少女から発せられる圧倒的な殺気によって。


「けれど、いささか言葉のチョイスが気に入らないね。悪いがもう一度言ってくれないか。()()()()()()()()()()使()()()()()?」


 そう言って、ダンタリアはようやく読んでいた本から顔を上げた。


 笑っている。柔和な笑みと呼べるほどの、多くの人間に好印象を与えるだろう自然な笑み。


 だが、その目だけは一切笑っていない。それどころか、その瞳は何の感情すら映し出していなかった。姫野は彼女の瞳に、底の見えない大穴を幻視した。


「あ、あ......」


 今すぐに謝罪の言葉を口にしなくてはいけない。誠心誠意謝り続けなければいけない。


 そう思うのに身体は頑としてピクリとも動かず、反対に冷や汗だけは滝のように流れ落ちていく。


 逃げたい。今すぐこの場から逃げ出したい。感情の起伏に乏しいはずの自分が、ただただ胸の奥からせりあがってくる恐怖に身が竦み、身動き一つできなくなっている。


 それでも動かなくては。ダンタリアが次の行動を起こす前に先に動かなくてはいけない。そうしなければ自分は殺される。


 例え肺中の空気を吐き出し、無様に気絶したとしてもこの言葉だけは形にしなくては。そう姫野が決意した時だった。


「据えるお灸は、この程度で十分だね」


 不意に目の前から一切のプレッシャーが消え去ったのだ。


「はっ!? がはっ、げほっげほっげほっ! えほっ、げほっ!」


 大きくむせ込む姫野。そこで初めて彼女は気が付いた。自分が長い長い本当に長い時間、呼吸をするのを忘れていたことを。


 何が肺中の空気を吐き出してもだ。姫野はとっくの昔に呼吸困難に陥っており、ただのプレッシャー一つで窒息死するところだったのだ。


「神だろうと悪魔だろうと関係なく敬意を払う。君の在り方は美徳だよ。ただし奴らも私達も、お互いだけは同列視されたくは無いだろうさ。縊り姫、覚えておくといい。永きを生きた悪魔には、言葉一つで殺戮を決意するほどの譲れない一線があるということを」


「げほっ、えほっ、も、申し訳、ござ、ごほっごほっ!」


「謝るにしたって、まずは呼吸を整えることだ。ふふっ、まぁ私もいくら阿呆共の恣意行為と、魔界で生きた者達の生涯を同列に語られたからと言って、大人げがなかったよ」


「げほ、げほっ、本当に......申し訳ありませんでした」


「いいさいいさ。それよりもこの私にものを願ったんだ。せいぜい苦労の覚悟はしておくことだね」


「っ!」


 姫野がまたもぶるりと身体を震わせる。それは一つの確信があったからだ。許したなどと言っている目の前の魔王が、実際には怒りをこれっぽっちも収めていないということに。


 その証拠として、こちらを見て笑うダンタリアの目は、やはり笑っていなかった。


「ほら、早速レッスンを始めよう。返事は?」


「......はい」


 この日、姫野は初めて悪魔に恐怖した。

次回更新は1/11の予定です。

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