自らの意思で動き出すということ
(また余計な心配をかけてしまってる。二人共ごめんなさい)
自分の様子を覗き見している二人に、姫野は随分前から気が付いていた。けれど、気付いていてもどうすることも出来ず、心の中でそっと謝罪をした。
彼らがどうにか姫野を元気付けようと頭を悩ませている頃、彼女は彼女でとある情報に不満を溜めていたからだ。
(血の魔王討伐から間髪置かずに新しい悪魔の討伐作戦。いくら何でも天原君に負担がかかりすぎてる。このまま無理を続ければ天原君が壊れてしまう)
翔との約束を守り、二人との付き合いを大切にしていた姫野。そんな日々の中でも翔の無事を祈らない日は無かった。戦いに絶対は無い。むしろ悪魔という人間よりも格上の存在を相手取る分、不幸な出来事が起こる確率はより高い。
そんな戦いに身を投じた翔。自分を対等と呼んでくれた彼にもしものことがあったら思うと、言葉に出来ないわだかまりが心に生まれた。そんなわだかまりを解消するため、そして純粋に彼の勝利を祈るために、幼少期から何度も繰り返してきた祈りを続けてきたのだ。
だからこそ、翔が血の魔王に勝利した聞いた時は安堵が胸を駆け巡り、もうすぐ彼に会えると思うと表情にこそ出ないが不思議な高揚感が生まれた。
翔の話が聞きたかった。しっかりと約束を守ったことを伝えたかった。力になれなかったことを謝りたかったのだ。
けれど、そんな時間は訪れなかった。翔はすぐさま次の戦場に向かってしまったからだ。
その話を聞かされた時、姫野は抗議した。いくら何でも無茶が過ぎる。そんなことをするくらいなら、今度は自分を派遣してくれと。
だが、彼女の訴えは通らなかった。当然だ。姫野の魔法は日本の神と交渉し、対価を支払う代わりにその力を借り受けるというもの。その特性ゆえに日本から離れれば離れるほど、弱体化してしまう能力なのだ。
もちろん日本の神の中には、別の土地でも信仰される神もいる。しかし、そんな神は少数派であるし、そもそも戦いの舞台であるトルクメニスタンは、日本の神との繋がりが皆無と言える土地。
そのような土地では、姫野はただの魔法使いと変わらぬほど弱体化してしまう。むしろ交渉のテーブルに付いてすらもらえず、粗暴な神に襲われる危険性すら秘めている。そんな場所への派遣など認められるわけが無かった。
それでも姫野は抗議を止めなかった。
そんな彼女の態度に大熊は苦悩し、猿飛は困り顔を作り、そして麗子は今まで見たことが無いほどの剣幕で姫野を叱った。
(「いい加減にしなさい! 翔君を心配する気持ちは分かるわ。無理をしているのも分かる。けどね、悪魔殺しはそれでも戦わなくちゃいけない。逃げることは許されないの!」)
まさしく感情の爆発と言えた。麗子がここまで怒ったのは、大熊のためだった。
大熊と麗子は、前回の人魔大戦を生き残った悪魔殺しとその契約悪魔。それも、人類すべてを巻き込んだと言っても過言ではない大戦中に行われた人魔大戦の生存者だ。
ありとあらゆるものが不足し、人を殺すために悪魔殺しが活用される地獄を生き残った勝者達。その勝利を手にするためには、無茶があった。無謀があった。あるいは失敗が確定している作戦を、それでも実行しなければいけない時があったのだ。
そんな作戦を実行するというのは、死にに行けと言うのと同義。ゴーサインを出す者の苦悩はいかほどのものだっただろう。
今まさに同じ苦悩を、大熊が背負っていることに気付いた。抗議の言葉を正論とし、ただ一心に耐え続ける彼の表情に気付いた。愛しているからこそ姫野に言い返さない彼の優しさに気付いた。だから大熊の代わりに麗子は怒ったのだ。
(「そこまで言うのなら答えなさい。無能力者の悪魔殺しが、ただの魔法使い程度の力しかない悪魔殺しが、戦場に立てると思う? 翔君の代わりが務まると思う?」)
答えられなかった。
(「文字通り魔法使いが全滅、一都市に至っては住民すら全滅している場所で生き残れると思う?」)
また答えられなかった。
(「頭を冷やしなさい。あなたは交渉の場に立ててすらいないわ!」)
言い終わるが早いか、麗子は大熊と猿飛を引っ張り、さっさと出て行ってしまった。
彼女の背中が見えなくなる最後まで、姫野は答えを出せなかった。
(私の力は日本という土地の中でしか発揮されない。でも、そんな制限は悪魔に関係ない。これからも日本以外で悪魔は悪事を重ねる。そして、きっとその度に天原君は日本の悪魔殺しとして、派遣されることになる)
今までの日本であれば、他国から応援を求められても突っぱねることが出来ていた。それは姫野の特性はもちろん、国家の守護者たる悪魔殺しが一人しか存在しないためだった。
けれどそれも過去の話。今の日本には守護者が二人存在し、翔に至っては剣の魔王を撃退、教会肝いりの悪魔祓いとの決闘で勝利、その後も数々の悪魔討伐を補助してきた実力者。
そんな彼が派遣可能だと言うのであれば、人類のため、日本の国益のため、ありとあらゆるしがらみから考えても派遣されるのは当然と言えた。
(結局私が無力なせいで、天原君に負担がかかってしまっている。こんなものは対等と呼べない。けど、覆す手段が私には無い。どうすれば、どうすれば......)
解決策の見えない堂々巡りの思考。これが原因で、最近の姫野は二人に心配されるような状態となっていたのだ。
今のままでは、仮に翔が無事に帰ってきたとしても、姫野の態度は完全には回復しないだろう。そして、魔法が根本の問題であるのなら、二人に解決する術は存在していないはずだった。
「_ちゃん、姫野ちゃん! 聞こえてる?」
「......ごめんなさい。考え事をしていて」
姫野が声に気が付くと、いつまにか目の前には凛花が立っていた。表情はどこか不安げで、こちらを気遣うようなそぶりを見せている。
「ううん、気にしてないよ! え~と、そのぅ......最近の姫野ちゃんは悩み事を抱えていそうだなって思ってね」
「......そうね。少し解決しなければいけない問題があるの」
「や、やっぱり!? そ、そうだよね。ほら~......いくら留学中とはいえ、連絡の一つも寄越さないのはバッドマナーだよ......」
「?」
「あ、あぁ、こっちの話! こっちの話!」
今回凛花が話しかけたのは、大悟との話し合いの結果もあったが、そもそもこのままでは姫野の心が翔から離れてしまうのではないかと危惧していたからだった。
彼女としては友人同士の恋路を応援したい。そして、彼らがもし破局したら、その後の地獄な雰囲気を味わいたくないという感情があってこそだった。
そのため、翔を想って上の空が続いているだろう姫野に遠回しに悩みを聞くことで、彼らの恋路を応援できないか考えたのだった。
「姫野ちゃん。その、さ。悩み事って、案外言葉にするとすっきりするもんだし、自分一人では答えが見つからなくても、他人から見たら簡単に答えが見つかるもんなんだよ。だから、姫野ちゃんさえよければ悩み事、話してくれないかな?」
「えっ?」
「え、えっと、もちろん話し辛いなら話さなくて大丈夫! もし、姫野ちゃんが少しでも楽になるのならって思っただけだから!」
突然の凛花の提案に、姫野は目を白黒させる。
姫野からしたら、一般人である凛花に魔法関連の話を振るのはタブーだ。だが、彼女の言葉で姫野は一つの記憶を思い出すに至った。
それは、自分がいなかった悪魔祓いとの決闘と続く国外代表との戦い。後に翔によって聞かされたその戦いを勝利に導いてくれたのは、凛花の助言だったと。
初めて聞かされた時は、凛花相手に魔法関係の話を振ってしまったのかと思った姫野。けれど、よくよく聞いてみれば、彼は巧妙に魔法関係の事実のみを隠して悩みを打ち明け、彼女は思いもよらない効果的な解決法をもたらしてくれたという。
頭によぎった話と目の前の光景。自分も今まさに、凛花へと悩みを打ち明けるべきなのではないだろうか。
(天原君のように、上手く話が出来るかしら?)
一般人に魔法関連の悩みを打ち明ける。翔がそのような突飛な行動に出れたのは、偏に凛花とは相互の信頼があったからだろう。付き合いの短い自分にはそれが無い。それどころかいつも以上に常識外れの発言をして彼女を困らせるかもしれない。
(でも、これ以上悩んでいても、私だけじゃ答えは見つからない)
堂々巡りで悩み続けていたからこそ、心配した彼女が声をかけてきたのだ。ここで無下にしてしまえば、きっと今後この悩みをそん団することは出来なくなる。
姫野は決断した。
「......私と、天原君は、お互いに助け合うことで、対等であろうって、約束したの」
「えっ? あっ! 悩みだよね!? うんうん、続けて!」
「けど、天原君は、とある分野で、突出してしまった。私の助けなんか、いらないほどに」
「翔が......? あっ、ごめんね。続けて、続けて!」
ぽつりぽつりと言葉を確かめながら、いつも以上に発言に気を付けて姫野は話す。
恋愛事だと勘違いしている凛花の方は、口に出すのも大変な内容だと勘違いしており、特に指摘はしてこない。
「対等で無くなってるせいで、天原君にばかり負担がかかってる。追いつきたいのだけど、方法が分からない。これが、私の悩み」
「......そっかそっか。う~ん、ちょっと考えさせて」
「えぇ」
隠さなければいけない内容を隠しきり、どうにか姫野は話しきった。優し気な表情でその話を聞いていた凛花は、とても真剣な表情で悩み始める。
話してしまった当初こそ、本当に良かったのかといった不安や後悔が胸をよぎっていたが、自分のために頭を悩ませてくれている凛花を見ると、マイナスの感情などどこかに吹き飛んでしまった。
そうして彼女の顔を見つめてどれほどの時間が経っただろうか。不意に彼女が頭を上げた。
「ねぇ、姫野ちゃん。翔に追いつきたい内容って教えてもらえる?」
「ごめんなさい、言えないの」
「そっかぁ......ううん、いいのいいの! それじゃあさ、その内容って麗子さんとかには相談できない? ほら、麗子さんって私達よりもずっとたくさんのことを知っていそうじゃない?」
「ごめんなさい。それもちょっと......」
「そっかぁ......」
そう言ってもう一度悩み始めた凛花に、姫野はとても申し訳ない気持ちになる。
元はと言えば、麗子に受けた説教によってずっと頭を悩ませているのだ。いくら常識外れの言動が多い姫野といっても、ここで麗子に助けを求めるのは流石に出来なかった。
だとしても、凛花はそんな内輪もめの話など知るはずもない。悩みを打ち明けたのにあれもダメこれもダメでは、きっと凛花も愛想を尽かしてしまうに違いない。
全てを打ち明けてもいないのに、悩みを解決してもらおうというのが間違いだったのだ。これ以上悩まぬよう凛花を止めようとした時だった。
「それじゃあさ、姫野ちゃんの知り合いに、ほとんど話したことは無いけど頼りになるなぁって思う人はいる?」
「えっ?」
凛花から告げられた思わぬ提案に、姫野は目が点になった。
「ほら、身近な人や仲良しの人であるほど話し辛い悩みってあるなぁって。姫野ちゃんの悩みももしかしてそれなのかなって思ったの。だからいっそのこと、親身になって貰えなくてもいい。けど悩みを解決できる力がある人に打ち明ければどうかなって思ったの」
「身近な人ではなく......力がある人に頼む......」
凛花はカウンセリングのプロでは無い。姫野の相談に乗ろうとしたのも、彼女の悩みが翔との恋の悩みだと山勘を張ったに過ぎない。
そのため聞かされた内容の奥深さには頭を抱え、彼女なりに解決方法を考えてみたが、出てきた答えは自身の解決できる範疇を超えているというあきらめの回答だった。
結果、行ったことは結局のところたらい回し。せっかく姫野は大人のお偉いさんに知り合いが多いんだから、その人達に解決してもらおうという他力本願だった。
けれど、そんな回答は思いがけず姫野に刺さった。姫野のような自分で抱え込む性格の人間にとって、他人を頼っても良いと断言されることはそれだけでも答えを提示されたの同義だったのだ。
「困ったときは助けてーって言っていいんだよ。そうすればたいていの人は助けてくれるし、その人が無理でも他の人に共有してくれる。だから姫野ちゃんはもっと人を頼ってみて」
「助けを求める。結城さんや麗子さん以外に......」
「あっ、でもでも、今回の悩みは私の力では無理だったけど、簡単な悩みだったら全然相談していいんだからね。義を持って手伝わぬは友無くなりだよ!」
「......ありがとう結城さん。答えが見つかった気がするわ」
「ほんと!? 良かった~」
「えぇ、本当にありがとう。それと結城さん。さっきのことわざの正解は、義を見てせざるは勇無きなりだと思うわ」
「へっ? あはは......お恥ずかしい」
恥ずかし気に頭をかく凛花。そんな彼女に心からの礼を込めて頭を下げる。
(本当にありがとう結城さん。確かに助けを求めなければ、悩んでいることすら伝わらない......あの方の興味はほとんど天原君に向いている。それでもやる価値はある)
一人で悩む無意味さを知った。悩みを打ち明ける大切さを知った。
早々に解決できる問題ではない。だからこそ動き出さなくてはならない。翔に何かあっては遅いのだから。
この日姫野はとある決心をしたのだった。
次回更新は1/7の予定です。




