止まらない悪魔の計画
「はぁ、はぁ、なぁ凛花......もうやめねーか?」
「はぁ、はぁ、そう、だね。もうやめよう。こんな悲しいこと」
ヒートアップと共に声量も騒音レベルで罵倒しあっていた両者だったが、遂に受け続けた心の傷が許容量を超えたのか、翔の停戦提案に凛花が合意する形で罵倒合戦の決着は着いた。
「それで? 今日の結果が聞けて満足か? それなら心を癒すために風呂に入りなおしてーんだけど」
戦争で受けた傷は戦争が終わった瞬間に癒えるわけも無く、回復には長い時間が必要だ。その第一歩として、沈没した気分を少しでも浮上させるため、翔は風呂に入りなおすことを決めていた。
「ううん、それ以外の用事もあって電話した。だからそれ話したら私もお風呂入る。てか翔にしてはお風呂早くない? まさか指切りしただけで緊張で汗だくに...」
「だー! そのくだりは止めようって言ったばっかじゃねーか! いいからさっさと話せ。そうしねーと明日になっても引きずって、補修で凹むことになるぞ」
またもや脱線しそうになった話題を軌道修正し、さっさと話を終わらせようと続きを促す。
どうせ明日の補習でも珍回答を連発するのは目に見えてるのだ。だからこそ明日削れる気力回復のため、早急な入浴が翔には必要だった。
「うっ、それもそうだね。まぁ、こっちは翔が電話に出てくれたおかげで、もう解決した用事なんだけど」
「どういうこったよ?」
凛花の言葉の意味が分からず翔は聞き返す。
「もう! そんな態度ってことはどうせデートに夢中でニュース見てなかったでしょ? 突然の爆発炎上騒ぎに市民会館で起こった唐辛子粉末ばらまきテロ。被害者合計百人規模の大変な日だったんだから!」
「へ、へー......そんな大事件があったのかー知らんかったわー」
「だから何その棒読み。ハマってるの?」
あまりに聞き覚えのある事件内容に、翔は思わず棒読み気味になりながら返答してしまった。
同時に凛花の話し方から察するに、悪魔達との戦いは隠蔽できる範疇を超えていたため、事実を歪ませる形で世間一般に発信を行ったのだろうと翔は考えた。
「いや、割と近く通った時間もあったからさ。危なって思って」
「あー、そういうこと。なんにせよ無事でよかったよ。今日の事件もお母さん世代は怖いわねー程度で慣れちゃってるけど、お婆ちゃん世代は改革派の復活だーなんて大騒ぎしちゃって大変だったんだから」
「そういうことそういうこと。ん? ちょっと待て、改革派って何の話だ?」
今回も何とか誤魔化すことに成功して胸を撫でおろした翔だったが、続けて凛花の放った改革派という聞き馴染みの無い単語に疑問を覚え、聞き返す。
「え? 私もよくは知らないんだけど、お婆ちゃんが現役の頃はこの辺でも学生運動?ってのが活発化してて、諸刃山を拠点にして自分達の要求を通すために危ないことをしてたみたい」
「悪ぃ、もっと詳しいことは分かるか?」
「えっ、えーっと、その中でも改革派って人達は、常に刃物を手に持って歩いていた特に危険な人達で、反対する人達とか別の派閥の人達とかに平気で襲い掛かってたみたい。それでお婆ちゃんもそいつらの意見に同意させられたり、実際に切り付けられる人を見たりしたせいで、今回みたいな犯人が分からない事件を知ってすっかり怯えちゃって......あれ? 翔? おーい」
凛花の話を聞いた翔は黙り込み、悪魔カタナシの螺旋魔法陣計画と今聞いた学生運動の奇妙な共通点について考えを巡らせた。
(学生運動の拠点と螺旋型魔法陣が完成する場所が一致したのは偶然か? いや、それよりも一連の傷害事件に市民会館でばらまかれた包丁。あいつはどうして刃物にこだわる?)
凛花の話によって生まれた疑問は、翔しか知りえない魔法世界からの視点によって数珠繋ぎのように、次々と新たな疑問へと繋がっていく。
(あいつの魔法はおそらく、落語を話すことで筋書き通りの現象を起こすことが出来る魔法。なら絞殺、撲殺、放火みたいに事件を多様化させれば、日魔連が気付くのももっと遅れていたはず。刃物の催眠しか出来ないって可能性もあったが、いくら何でも無理がある理論だ。なら、あいつはわざと全ての事件を刃物で起こした?)
考えれば考えるほど新たな事実に気が付き、そのたびに翔の予測する最悪はどんどんと更新されていく。
(思考を止めるな! 最悪を考え続けろ。ここまで刃物刃物と来たら、関連性が無い方がおかしいんだ)
刃物を使った襲撃にこだわる悪魔と過去の学生運動、そしてそれらに共通点を生み出し怯える老人達。
必死で隠された何かにたどり着こうとする翔の思考は、不意にカタナシと対峙した市民会館での出来事を拾い上げた。
(そうだ! そもそもスマホを見落とすくらい人間に疎い奴が、なんで学生団体の一派閥の話なんて知ってるんだ! あんな目立つ格好じゃ聞き込みなんて出来るはずがない。最初から知っていなきゃ行動出来ない! そこまで綿密に計画を立てた奴が、魔法発動拠点を確保されるのを黙って見ているだけなんて......ありえない!)
そして翔は今までの思考をまとめ上げて結論にたどり着いた。
(あいつは日魔連の結界を突破する用意がある! そして最悪の場合、悪魔カタナシには日魔連の事情に詳しい協力者がいる!)
「凛花!」
「おーい、おー、っうわ!? びっくりした! もうずっとミュートになってたからどうしたのかと」
「ありがとう凛花! おかげで大切ことに気付けた! 悪ぃけど用事が出来たからまた明日な!」
「えっ、そりゃどうも......ってちょっと! まっ」
凛花の返答を待つことなく、翔はスマホの通話終了ボタンを押した。
急がなくてはならない。麗子の口ぶりからして彼女達はこの事実について知らないはずなのだから。
教えてもらった大熊の連絡先に電話をかける。何かが起こる前に間に合ってほしい。むしろこの考えそのものが的外れの推測であってほしい。そう願いながら。
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翔が大熊へと電話を繋ごうとしていた時と同時刻。
日が沈み切った体育館内は、今日に限ってはコート内どころか館内全体を見回しても人の姿は無かった。
それもそのはず、麗子の手腕によって魔法の発動拠点と判明したこの場所は、日魔連の手によって偽の爆破予告が届けられ、臨時休業していたのだ。
人除けの済んだ体育館の周囲には、結界を発動するための大型の魔道具が設置され、館内中央にも結界構成の要となるひと際大きな魔道具が設置されている。
そして魔道具を守るように派遣された魔法使いの数は、日魔連仏閣派を中心になんと20名以上。
これまでの消極的な対応から打って変わった対応に、責任者である大熊も事の重大性をやっと日魔連も理解してくれたかと胸を撫でおろした。
予想される悪魔の強さとその消耗具合を考えるによっぽどの奇策が無い限り突破は不可能。仮に突破されたとしても、さらに消耗した悪魔など魔法使い20名と悪魔殺し2名がいれば討伐できる。人類側は誰もがそう考えていた。
「ふー。まったく狭っ苦しい魔道具の中に箱詰めなんぞ二度とご免じゃわい」
体育館内部に設置された、この結界の中心たる魔道具の内部。そこからもぞもぞと虫のように這い出してきたのは、翁面に安っぽく色あせた麻の服を身に着けた、言葉の悪魔の眷属一一だった。
「例えどれだけ強固な結界でも、あらかじめ中に入ってしまっていれば何の防護にもなりはしないのう。そういえば箱に閉じ込もって内部に潜入する、そんな話があったはずじゃが、たしかすっとろい木馬じゃったかな? 確かにあの輸送の段取りの悪さを思えば、的を射てると思えるわい。かっかっかっ!」
いつものように人を小馬鹿にしたような態度を取る一一だったが、その声音はどこか達観としていてまるで死地へと赴く兵士のようだった。
「ワシの死は仕方あるまい。それがこの状態へと陥った際の計画じゃったからな。しかし全てあのニンゲンの手の平の上というのが気に食わん。まぁ、主殿がワシの無念を晴らしてくれることを祈るしかないがの。愚痴ばかり重ねてもどうしようもあるまいて。二言、三寸、後は任せたぞい」
それだけ言うと、一一は魔法を発動するために魔力を込め始める。
常時に使う魔法とは比べ物にならないほどの魔力を込めて、込めて、自分という存在を構成するために必要な魔力さえも全て使い、たった一発の魔法のために準備を整える。
そして膨大な魔力の流出にようやく気が付いたのか、完成する直前に勢いよく扉が開かれ、焦った顔のニンゲン達がこちらに走り寄ってくるのが見えた。遅すぎるわい、一一は心の中で嘲笑した。
「決まったルートを通る竜巻!」
完璧な回文。その一言によって体育館館内に台風と見紛うほどの猛烈な突風が吹き荒れた。
突然現れた突風は周囲の物体を凶悪な礫へと変じさせ、圧力に耐えかねた柱を曲げ、天井を飛ばし、支えの無くなった体育館を見るも無残に押しつぶす。
そして偶然風に吹き上げられたのか、崩壊する体育館の上空高くに舞上がった翁の面はさらさらと砂のように崩れ消え去った。
悲哀の表情を湛えるはずのその面は、輪郭を失い崩れ去る最後の偶然か、満面の笑みを浮かべたように見えた。
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