ネクストステージ
「悪魔祓いとの折衝、汚染された土地の浄化、おまけに浄化後は土地を巡った利権争い。は~......どうしてどいつもこいつも悪魔討伐を素直に喜べないのかしらね?」
「いやいや、それは違うよラウラ。人より多く利益を得たい、出し抜きたい、甘い汁を吸いたい、これらは生物としては当然の欲求さ。ニンゲンだから欲に忠実なんじゃない。ニンゲンですら未だに欲の楔からは抜け出せていないんだよ」
「それでもよ。私の家族が必死で勝利を掴み取ったって言うのに、祝いの言葉一つ送ってこない。殺意の一つ持ってもおかしくはないでしょう?」
「情報が錯綜してるんだろうさ。もし情報が間違っていて、あの血族の葬式中に戦勝祝いが届いたりしてごらん。それこそ君は土地一つ滅ぼしてしまう。慎重になるのも仕方ないさ」
「ふん、わかったわよ。ディーに免じて日和見連中は許してやるとするわ」
「そうしてくれると助かるよ。それこそ、愛弟子が無事に帰ってきたんだ。会いに行かなくていいのかい?」
「いいのよ。私はいつでもニナと話せる。なら、せっかく広がったあの子の世界を尊重してあげるのが、年長者の役目じゃない」
とある駅のホーム。少しばかり疲労が見え隠れする表情で、ラウラはダンタリアと通話を行っていた。
内容はもちろん血の魔王に勝利した戦勝報告。けれどもラウラは、この報告が会話の始まり程度にしかならない無意味なものであることを理解していた。
「そうかい?なら私としてもこれ以上言うのは止めておこう。それに、あんな劇的な戦いを経験したら、恋の一つでもしようものさ」
クスクスと笑う親友の声を聞いて、内心ラウラはため息を吐いた。
ラウラがニナの変化を感じ取ったのは、彼女から届いた戦勝報告の電話から。そこで自分がどれだけ翔の世話になったか、彼がどんなに自分のことを信じてくれたのかを嫌というほど聞かされれば、どんな思いを抱いたのかは手に取るように分かった。
そして一方で、やはりダンタリアは今回の戦いもどうやったのか覗き見を行っていたらしい。他国の魔王が張った結界内に目を送り込むなど、よほど特殊な魔法か魔力制御に長けていなければ不可能だ。
だからこそ、その両方を有している彼女にとって、この程度の行いは些事に過ぎないのだろう。
「料金は?」
そして、本来当事者の頭の中にしか存在しない情報は、それだけで大きな価値を持つ。
これまで顕現を全く行ってこなかった血脈の情報ともなればなおさらだ。ラウラはすぐさま買い上げのための価格交渉に入る。
「三百冊」
「親友の頼みよ。もう少しまけてちょうだい」
「ふふっ、今回でちょうど百回目の頼みだよ。他の悪魔なら、溜まりに溜まった借りを魂か何かで取り立てているレベルの負債だ。けど、そんなことをしたら空の魔王の恨みを買う。ラウラ以上に家族想いな彼の報復は恐ろしいからね」
「ありがとうディー。それと未来の主様に伝えておいて。こちらで滞在先の工面は致しますって」
「わかったよ。空の魔王の恩と恨みを天秤にかけるのなら、それだけで十分値下げの価値がある。三十冊にまけてあげるよ。今後、取引の機会はいくらでも増えるし、まきあげる相手は大熊やジェームズでもいいのだからね」
「了解。それじゃあリリアンが書いた血族のレポートを中心に送るわ。あと、あまり阿漕な商売は止めておいた方がいいわよ。大熊って我慢強そうに見えて、案外簡単に爆発するんだから」
どうやら価格交渉は他のスケープゴートを用意することで無事にまとまったらしい。
「分かってるさ。それに今の大熊には麗子というブレーンがいる。前回と同じことをしようものなら、頭の上に隕石が落ちてくる」
「それもそうね。あら? 血の魔王の被害算出が終わったみたい。興味ある?」
「おや、思ったよりも早かったね。それじゃあ送ってもらえるかい。ちなみに、これを一冊とカウントするのは止めておくれよ」
「十分の一に値下げして貰った上でそんなことしたら、私なら親友を止めるわね。アフリカの悪魔殺しにこういうことが得意な人材が生まれたそうよ。そのおかげで犠牲者や生存者の割り出しが早まったみたい」
「ほう、それは盲点だった。なら、そちらにも目を送っておこう。戦局の変わり目だ。有能なニンゲンの情報はどれだけあってもいいのだから」
「戦局の変わり目?」
ラウラが疑問の声をあげる。今回彼女がダンタリアと通話を行った目的は、彼女が手にしているだろう血の魔王戦の情報を買い取ることだった。
買取も無事に終わり、後は親友との雑談に興じようとしていたところで突然出てきた謎の言葉。これが無意味な言葉であるはずがない。
そもそも中位国家の代表も顕現していない現状では、戦局の変わり目など起こりようはずがない。
人類側の出来事で、戦局が変わるような情報はラウラの下に入ってきていない。ならば戦局が変わるような出来事は、悪魔の側に原因があるということ。
「ディー。あなたさっき、まきあげる相手は大熊やジェームズでもいいって言ったわよね?」
「言ったね」
「日本やイギリスで悪魔の報告が上がっていない状況で、彼らが買わなければいけない情報をあなたは手にしているってことね?」
「単刀直入に言おうか。六位の同盟、騎士団が動き出した」
「嘘でしょ!? まだ碌にメンバーも揃っていないのよ!?」
ダンタリアの一言によって、ラウラは珍しく驚愕の表情を作った。
それほどまでに、ダンタリアのもたらした情報はありえるはずのない状況報告だったのだ。
「目標はトルクメニスタンの地獄門。別名、略奪の魔王、歴代最強と謳われる侵略が残した人類史一の負の遺産だ。すでに攻撃も始まっていて、封印結界の四つのカギの内二つが破られた」
「......まずいわね」
略奪の魔王侵略は、その真名のごとく多くの国土を奪い取った悪魔として、人類、悪魔問わずに忌み嫌われる伝説の悪魔の一体だ。
彼が奪い取った国土は、その名の通り略奪の国になる。そう、魔界に存在するはずの略奪の国そのものになってしまう。
これは血の魔王、血脈のカバタが作り出した結界とは似ているようで全く異なる。
血脈の生み出した結界は、あくまでも現世の土地を血の国の環境に寄せるだけの能力しかなかった。厳密にいえば、何を行おうともそこは現世の土地にすぎなかったのだ。
しかし、侵略が奪い取った土地は違う。略奪の国に成り代わってしまう。するとどうなるか。国とは国民がいて初めて成り立つものだ。言い換えれば、国民が国内を移動することに制約などかかるはずがない。かけれるはずがない。
侵略は長く続く人魔大戦の歴史で初めて、国家総出で人魔大戦に参加した恐るべき魔王なのだ。
「六位の国家間同盟、勇滅騎士団は、今代の略奪の魔王も参加するいわば侵略の正当な系譜をたどる同盟だ。盟主と大義こそ変われど、侵略の伝説を敬う気持ちは変わらない」
「騎士団の解説はどうでもいいわ。悪魔の顕現が終わっていないように、人類側も悪魔殺しの契約すら完了していない。こちらの迎撃準備が整っていない時を狙われた。六位の同盟は電撃戦を仕掛けてきたってことね」
国家間同盟は魔界最強国家である一位から十位の魔王、十君主導で締結される魔界の国家同士の同盟だ。
その目的は大義の達成。それぞれの同盟が大義を掲げ、そこに集った国家総出で達成のために尽力する。
通常であれば、十君の顕現かメンバーの大多数の顕現によって動き始めていたはず。だというのに、こんな序盤で同盟が動き出した理由など一つ。それこそ今ラウラが語ったような、人類側の準備不足の隙を突いた電撃作戦だ。
悪魔の数が少ないということは、それだけ悪魔の被害に遭う人間が少ないということ。つまり、今の現世では翔のような外様の悪魔殺しが生まれる機会が限りなく低いのだ。
そして現代の魔法の衰退は激しく、魔法使いが悪魔のお眼鏡に適う確率も低い。悪魔殺しの数が少ないということは、それだけ悪魔の脅威に対抗する人員が少ないということ。
その隙を騎士団に突かれ、地獄門への強襲を許してしまったのだ。
「その通り。そしてラウラも知っているだろう? 国家や魔法組織に縛られずに動ける人員なんて、現代の現世に数えるほどしかいないことを」
「まさか!」
「次から次へ、たらい回しにご苦労様だよ。少年は新たな戦場に向かったよ」
「そういう、こと。ディーが話してくれた意味が理解できたわ」
ラウラとニナを助けてくれた日本の悪魔殺し、天原翔はすでに次の戦いの舞台へ赴いていたのだ。
血の魔王討伐からたった数日というインターバル。そして詳細は不明だが、相手は人類側の最重要防衛施設を強襲し、地獄門に施された封印の半分を破壊してみせた実力者。
ダンタリアはラウラにこう問いているのだ。翔だけを向かわせてしまっていいのかい、と。
「それで、どうするんだい?」
にこやかなダンタリアの声が響く。
彼女が暗に言っているようにニナを翔の下に向かわせれば、確かに戦況はより良いものになるだろう。
しかし、全ての戦いを魔力一つで乗り切れる翔と違って、ニナは武装一つ取っても周りの力や彼女自身の血液に大きく依存してしまう。
今回の戦いでニナは多くの武装を消費した。特に血液由来の物は、彼女の体調が万全に戻るまで補充すらままならない。
他の人員を派遣するという手もあるが、ラウラの派遣できる戦力の内二人は砂漠という環境と決定的に相性が悪く、二人はそもそも生産側の人間。送り込める者がいない。
もし、この戦いで翔が命を落としてしまったりしたら、ニナは心に深い傷を負うだろう。どうして教えてくれなかったのだとラウラを責め立てるだろう。ラウラは一瞬だけ選択を迷う。
「......駄目よ。ニナに無茶はさせられない」
そして、ラウラはニナを派遣しないことを決めた。
「私は別に構わないよ。けれどいいのかい?」
「えぇ。もし天原翔がこの戦いで命を落としてしまったとしても、全て私の責任としてニナには伝えるわ」
「大切な家族に恨まれようともかい?」
「もちろんよ。家族と友人の友人、どちらの命が大事かなんて比べるまでも無いもの。それに仮に万全の状態だったとしても、ニナに砂漠は厳しいわ」
ニナの血液を介した魔法は確かに強力だが、砂漠という熱と乾燥に苛まれる環境ではその力を万全に発揮するのは難しい。そして彼女そのものも病み上がりの状態とあれば、とてもでないが応援に向かわせることは出来なかった。
「ふふっ、分かったよ。ラウラにも情報を買い取ってもらえたらと思っていたが、そう上手くはいかないらしい」
ラウラの選択を聞いた後のダンタリアの声はいたって平坦。元々彼女がどちらの選択をしたとしても構わなかったのだろう。
「残念だけど、今回は力になれないわ。もちろん必要のない商品の押し売りはお断りよ。......ちょっと待ってディー、今私にもって言ったかしら?」
「ふふっ、実はもう大熊とジェームズには売却済みだったのさ」
「なっ! ディー! また嵌めようとしたわね!」
大戦勝者達は別に仲は悪くないし、定期的に情報交換も行っている。つまり、黙っていても大熊かジェームズ経由で情報は手に入っていたのだ。
「ジェームズがくれる本はともかく、大熊が寄越す漫画はとにかく文量が少なくてね。せっかく数を貰ってもすぐに読み終えてしまって困っていたんだ。だからラウラからも拝借出来たらと思っていたけど、失敗失敗」
「もうっ! もうっ! ディー! 今はそんなお遊びが許される雰囲気じゃなかったでしょ!」
「ふふっ、ごめんごめん。だからお詫びに一つ情報を落とすから許しておくれ」
「......なによ?」
「私は大熊とジェームズに情報を売ったといっただろう?」
「......そうね」
「よく考えてみるといい。どちらかから経由して情報が流れたのではなく、二人に情報を売ったんだ。どういうことだと思う?」
「二人に情報を売った......つまり、天原翔の他にジェームズからも応援の人員が出た?」
「その通り。ジェームズの所からは、ラウラの大好きな悪魔祓いが応援で出てくれるそうだ」
その話を聞くや否や嫌そうな顔を浮かべるラウラ。
ダンタリアがラウラに対してこんな表現を用いる相手は一人しかいない。そう。マルティナだけだ。
ラウラから見たマルティナという悪魔祓いは、強情な上に全てが中途半端な未熟者というイメージが強く、応援に現れても素直に喜べない相手だ。
「はぁ~......それでもいないよりはましね」
なんといっても彼女も悪魔殺しの一人。人類側の最大戦力の中の一人なのだ。未知数の相手と戦う際に、戦力はどれだけあっても困ることはない。
「それに、私達が参戦できるのはどれだけ早くても十君の顕現後。なら今の世代の若手達が育つことは喜ぶべきこと。ニナは成長できた。次は彼女の番ってことかしらね?」
「ふふっ、なんのことだい?」
とぼけた態度を取っているが、だからこそ付き合いの長いラウラにはわかる。ダンタリアは天原翔を中心に、なぜか同年代の悪魔殺しの育成に力を注いでいる。
残念ながらその真意までは彼女には分からないし、問いた所で適当にはぐらかされるのが落ちだろう。
(あなたが誘導する先が破滅という奈落の底では無いと、もちろん信じるわよ。だってあなたは私の親友なのだから)
だからこそラウラはダンタリアを妄信することにした。人によっては身内びいきと捉えかねない思考停止。
しかし、過去に真意を問いかけた際に聞かされた世界平和という言葉。その言葉を発した際の一見お茶らけていながらも、どこまでも真剣な声音こそ彼女を信じるに値する証拠だとラウラは判断したのだった。
「残念だけど、今回私は蚊帳の外よ。作戦が成功すること、そしてあなたの望みが叶うことを親友として祈っているわ」
「......ありがとうラウラ。一番若く、一番真っすぐな我が親友よ。大丈夫さ、全てを丸く収めて、全てを救ってみせるから」
それを最後に通話は切れた。
「......ふぅ。本当にディーは唆すのが上手いわね。親心としては、あと一カ月くらいは休息に費やしてもいいくらいなのに」
天原翔は次の戦いへと旅立った。結果がどうなるかは分からない。しかし、生き残ることが出来たのなら、彼はより強く成長することだろう。
そうなれば、実力不足を理由に想いを告げられなかったニナの告白はさらに遠のくことになる。成功するにしても失敗するにしても、想いを胸に秘めたまま終わることだけはしてほしくなかった。
「まずは基礎能力の全体的な向上。それに良くも悪くも相性抜群な悪魔を討伐できたのだもの、新しい魔法を習得出来ていてもおかしくはないわ」
せっかく生まれた貴重な時間、使わないのは勿体ない。ラウラは今まで以上にニナを成長させることを心に決めるのだった。
「行くわよリグ。まずはあの子に自信を付けさせる。それでもあの子の告白を断るようなら、十分の九殺しにしてあげましょ」
そんな物騒なことを考えながら外へと出たラウラは、突然振り出した雨に紛れるように、どこかへと姿を消すのだった。
今回で第三章は完結となります。想像以上に長くなってしまった回でしたが、楽しんでいただけたのなら幸いです。
次回からはいつも通り閑話回となりますのでご了承ください。
次回更新は10/18の予定です。




