滑ったお口は止まれない
「ふー......」
話し合いの後、翔は真っすぐ自宅へ戻ると唐辛子まみれになったワイシャツを洗濯機に放り込み、普段より随分早い時間に湯船に浸かっていた。
「心配は信頼をしてない証か......勉強になったな」
翔は湯船に肩まで浸かり、なんとなく天井を見上げながら今日麗子に言われた言葉を反芻する。
お互いを思うせいで、ちょっとしたすれ違いが起こってしまったあの時。その場に麗子がいてくれたから良かったものの、下手をすれば今後の戦いもすれ違いが続いていたかもしれないのだ。
認識の齟齬は行動のズレを呼ぶ。もしかしたら致命的な行動のズレに繋がっていたかもしれない。そうなる前に気付かせてくれた彼女には、感謝しかなかった。
「それに市民会館じゃ、カタナシに心を見透かされてまんまと逃げられたってのに、大熊さんは怒るどころかお手柄だったって褒めてくれた」
姫野が貴重な時間を作り出し、カタナシと対峙することが出来たあの時。翔が奴を討伐することが出来れば、それだけで全てが解決していたのだ。
それを考えれば、翔は失敗を叱責されて当然のはず。なのに大熊は悪魔の討伐よりも人命を優先した翔を責めることもせず、選択を尊重し、認めてみせた。
そのおかげで翔は、今も多少前向きな気持ちを保つことが出来ていた。もしあの時、大熊の態度が真逆であったなら、翔は目の前の命と今後失われるかもしれない多くの命のどちらを救えばよいかで迷い、まともな精神状態ではいられなかったかもしれない。
「大人ってすげぇな......」
翔の口から脚色の一切無い素直な本音としてそんな言葉が漏れた。
「それに比べて、俺はダメだな」
同時に自分がどれだけ未熟であるかが、浮き彫りとなってくる。
今まではそれでも良かった。世界の裏事情など何も知らず、巻き込まれたが最後、なす術無く悪魔に蹂躙される一般人にすぎなかったのだから。
しかしひょんなことからそんな理不尽に対抗する力を手に入れてしまった。力を振るう人間が駄々をこねる子供では、目も当てられないどころか人類にとって害悪の存在になってしまいかねない。
だからこそ自分は子供のままではいられない。自分という子供を教え導いてくれた二人のように成長していきたい。翔はそう強く願った。
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「あちち、夏だってのに長風呂しすぎたな。ん? 着信?」
日ももうすぐ沈み切るといった時間、翔は若干のぼせ気味になりながらエアコンの風で涼んでいた。
そんな時、凛花から電話がかかってきたようだったので、翔は迷わず通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「もっしもーし。愛しのお姫様との愛の逃避行はいかがでしたか旦那様? 私含め、使用人一同は結果が気になり夜しか寝れない事態に......あれ? 補習中に昼寝したっけ? まぁいいや、だいたい夜しか寝れない事態に陥っているのです。オヨヨ」
「演技すんなら最後までやり切れ、あと誰と誰が愛の逃避行だって? この野郎!」
電話越しから聞こえてきた凛花の声はとても弾んだものであり、デートについての事情聴取を行うことが楽しみで仕方ないといった感情が、ありありと伝わってきていた。
「え~、逃避行じゃなかったの~? じゃあ具体的に何があったか説明してもらおっかな~?」
「ぐぬ、最初からそれが狙いかゴシップモンスター!」
「女の子なんてみんな噂に飢えてるんだよ! ましてやミステリアスリアル巫女さんの動向を気にならない子なんていないよ。さぁ、さっさと吐くヨロシ!」
「お前の望むようなことは何もなかったよ! ただ神崎さんと町を散策したくらいだっつの!」
勿論、実際は悪魔の眷属との命を懸けた戦いやその主である悪魔カタナシとの小競り合い。その後の姫野との指切り等、凛花が狂喜しそうな話題は腐るほどあったが、間違っても言えるわけがない。
そのため彼女が飽きるまで何もなかったで貫き通そうと翔は心に誓っていた。
「ぶー、それじゃあ何にも面白くないじゃん。ほら何か無かったの? 例えば今後のデートはどこに行きたいか話し合ったりとか、二人だけの愛称を決めたりとか、お洋服を買うために寄ったお店で誤って着替えの最中を覗いちゃうとか、そんなイベントは無かったわけ?」
「ぶっ!?」
あまりにも具体的な凛花の指摘によって、翔の心の壁は容易く陥落した。
思い出すのは上半身下着姿の姫野。記憶の彼方に追いやっていたその光景がフラッシュバックし、思わず翔は吹き出してしまった。
「はえ? えっ......まさか着替え、覗いたの?」
天真爛漫そのものとも呼ぶべき凛花にしては非常に珍しく、ドン引きしたような声音が電話越しから響く。
「ちっ、違うわ! あ、あまりにもお前の思考がぶっ飛びすぎてて笑っちまっただけだ!」
「いーや、翔が笑って噴き出す時の声と全然違うから! それに笑っちゃったのが原因なら、笑い声が続くはずだよねぇ?」
「ち、ちが...」
こういう時に古くからの付き合いというのは非常にマイナスに働く。まるで詰み寸前の将棋盤のように逃げ道を着実に潰しながら、凛花は真実を求めて歩を進めてくるのだから。
(まずいまずいまずい! 事故とはいえ神崎さんの下着姿を覗いたなんてばれたら、大悟に折檻された挙句、数年は凛花に弱みとして握られる......何かあったのはばれてるんだ。そっち方面で言い逃れが出来ないのであれば、せめて傷が少ない方の真実を話すしかない!)
「......分かった! 話す、話すから少しは落ち着け」
実際に落ち着きたいのは翔の方であるのをひた隠しにしつつ、時間稼ぎを彼は始めた。
「ふーん? 観念したみたいだけど、何を話してくれるのかな?」
「お前が違うって判断したように、さっきのは動揺で吹き出しちまったんだ」
「だよねぇ。それで?」
「町の中で話すうちに、神崎さんの会話に違和感を感じることが多くてな」
そこで翔は、姫野が修行として各地を転々としながら特殊な知識ばかりを学んでいたことを知った。その上で彼女はズレを少しずつ減らしていくために、違和感を感じたら修正してほしいと頼んできたと語った。
「それで神崎さんの話を詳しく聞くと、武道に有用な情報がたくさんあるのに気付いてな。神崎さんに常識を教える代わりに俺が修行の話を聞くってことで......ゆ、指切りをしたんだ......」
セクハラ事実を明るみに出さないために、最後まで話を誤魔化そうとしていた翔。
だが、よくよく考えてみたらまともに話したことが無い女子と意気投合して二日目で指切りって、それはそれでものすごく恥ずかしいことなのではと気付いてしまい最後の最後で声が震えてしまった。
「ふーん、なるほどねぇ。声の震え方からして、指切りしたことを思い出したのが恥ずかしくて吹き出してしまったと」
だが凛花は声の震え方を運良く、羞恥の結果と捉えたらしい。
「そ、そうだ」
翔もこのチャンスを逃すかとばかりに凛花の意見に同意した。
「小学生かああああぁぁぁぁ!」
だが、次の瞬間凛花の魂が籠ったツッコミが、翔の鼓膜に大ダメージを与えた。
「うるせぇ! 鼓膜が破れるわ!」
「知らないよ! ならもう一回言ってあげるよ、小学生か! 今まで浮いた話の一つもない親友がデートに出かけて、手を繋げれば百点だと思ってたのにもしやハグまで!? まさかその先まで!? と期待したのに指切りしました宣言をされた私の気持ちを考えろ! 返せ、私の期待を返せ! 恋愛レベル小学生!」
「なああぁぁ!? こっちが観念して白状したってのになんで罵倒されなきゃなんねーんだ! この脳みそ万年小春日和!」
「あー! 言ったな!? クラスメイトに言われて傷ついたそのニックネームを言ったな!?もう許さない! この全自動棒振り機! バーカバーカ!」
「てめーこの野郎! お前のは同年代に冗談で言われただけじゃねぇか! 数学の教師に体育の成績だけ良いことを馬鹿にされた時の俺のダメージを知らねぇとは言わせねぇぞ! ホップ、スキップ、ジャンプ!」
「あー! その言い間違いまでー! 今日は絶対に許さないんだから!」
唐突に始まった二人のデートへの事情聴取は、唐突な罵倒大会へと変わったことでうやむやとなっていった。
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