強き絆は血か縁か その十九
「すごいわ!ニナ!あなたの才能なら悪魔殺しになれるとは思っていたけど、国外代表すら碌に顕現していないこの時期に契約出来るなんて前代未聞よ!」
「えっ、えっと......ありがとうございます。お師匠様」
無邪気な笑顔で自分を褒めたたえる師匠の顔を見て、ニナは顔に浮かび上がろうとしていた表情を必死に隠し、笑顔を作る。
本来戦う力を何よりも欲していた彼女にとって、悪魔殺しの契約の成功は喜びこそすれ、悲しむ要素などどこにも無いはずだ。
けれど師匠からの言葉が無ければ、ニナはすぐさま自室に戻り、悔し涙を流していただろう。
その理由はただ一つ。彼女が契約したのだが魔獣、しかも魔法も使えずコミュニケーションすらろくに取れない低級の魔獣と契約してしまったためだった。
悪魔殺しの契約は、人間の魂を調整できる技術を有していることと双方の同意、そして百名という定員さえ越えなければ魔界のどんな存在にも契約を行える権利がある。
どんな存在にも。それは裏を返せば、どんな弱小の魔獣でも契約をすることが可能ということだ。
翔が契約と同時に魔法を使えるようになったように、契約者が悪魔であればすぐさま魔法を扱えるようになることもある。だが、契約相手が魔獣であれば話は別だ。
魔獣の魔力制御能力では魔法を習得する事はもちろん、魂の融合によって得ることが出来る魔力もせいぜい悪魔の十分の一程度である。
契約以前の彼女はずっとずっと力を欲していた。何物にも侵害されぬ力を。大切な人達を守り抜くだけの力を。その感情が無意識化に現れていたのだろう。ある日、目が覚めると彼女は悪魔殺しになっていた。
多少魔力の最大値が増えただけの、何の取り柄もない悪魔殺しに。夢にまで見た悪魔殺しの契約は、ニナからあらゆる夢を奪い去っていったのだ。
「_ニナ......ニナッ!」
「えっ、あっ!お師匠様、一体なに、を......」
自身の不幸さ加減を呪っていたことで会話をしていたことすら忘れていたニナは、ラウラからの呼び声で我に返り、そしてぎょっとした。
目の前の師匠の顔から喜びの表情が消え失せていたのだから。
「ごめんなさい......まさかあなたが涙を流すほど思い詰めているとは思わなかった。それなのに私は契約が成功したことを、あろうことか無邪気に喜んでしまった......師匠失格よ」
ラウラの言葉にはっとしたニナは、己の頬に手をやった。すると、瞳から涙の洪水が零れ落ちていた。
いつものように心に押し込めていたと思った感情が、今回ばかりは隠しきれていなかったのだ。表情によって流れる涙が決して歓喜の涙ではないことを察せられてしまったのだ。
それだけ今回の不幸は応えた。それだけ今回の不幸はニナの心を深く抉った。家族の死すら必死に堪えてきた彼女といえど、永遠の弱者の烙印には耐えられなかった。
「うっ、う゛うっ、お師匠様あぁぁぁ!」
自分を家族と呼んでくれた。今の今まで自分を育て上げてくれた、自分より遥かに小さな少女の体躯を、まるでぬいぐるみを抱きしめるかの如く、無我夢中で抱きしめる。
ラウラは文句の一つも零さなかった。むしろニナの態度を見て、彼女の瞳からも涙がこぼれ出した。
「ごめんなさい、ニナ。訓練は続けるし、あなただからこそ出来る戦い方も教えていくつもり。けど、いざという時は、私があなたを守るから」
「うぅっ、うぅぅぅ!!!」
その言葉を聞いてニナもさらに涙が止まらなくなった。嬉しかったのではない。悲しかったのだ。
自身が守られる側の存在としてラウラに確立されてしまったことと、ラウラに並び立つことが出来なくなった絶望に打ちひしがれたのだった。
この件はニナとラウラ両方にトラウマとして影を落としたが、そんな彼女も元来の我慢強さのおかげでどうにか立ち直り、魔力量や魔法の種類で対抗できないのなら生来の体質と多くの魔道具で敵に抗う戦法を身に着けた。
けれども自信は失ったままであり、弱者の自覚と幼少期のトラウマのせいで戦い自体に苦手意識を持つことは避けられなかった。
このままでは取り返しのつかないことになる。そう考えたラウラは、ニナの心を癒してくれる存在を探すため、世界中を飛び回るようになる。
ニナと翔が出会う、ちょうど一年前の出来事だった。
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「期せずして一度目の戦いと同じ構図になったな血族よ」
せいせいしたという表情でニナに笑みを浮かべるのは血の魔王、血脈のカバタ。
彼の浮かべる笑みには親近感といったものは欠片も存在せず、あるのは一度は取り逃がしたニナの尻尾を再び掴んだという達成感だけ。
先ほどの言葉からして、計画の達成目前に邪魔が入ったことをよほど腹に据えかねていたのだろう。
「ボクの動きを血の枝で阻害しておいてよく言うよ。そこまで翔が邪魔だったかい?」
対するニナも、一戦目とは異なり魔王を前にしてもどこか余裕が感じられる。
カバタのこれまでにない邪悪な所業を前にした時こそ悲し気に目を逸らしていたが、今はむしろ結界突入時以上に調子が良さそうに見えた。
「くくっ、まさか。どうして悪魔殺し一匹程度で、吾輩が心乱されるのだ?単にあの悪魔殺しが目障りだったから現世から退場を願っただけよ。
貴様とて周囲を汚らしい羽虫が飛んでおれば、潰して外にでも捨てるだろう?」
「へ~。ボクのことは現世に支配を広げるための道具扱いで眼中にすら無かったのに、翔のことはそこまでしないと心配なんだ」
翔と同じようになおも挑発を続けるニナ。その間にもカバタからプレッシャーを受け続けていたが、やはり気にした様子は見られない。驚くほどに彼女の精神状態は改善されていた。
「......全く、吾輩の話を聞いてなかったのか?奴は羽虫と言ったはず。だからこそ吾輩自身が手を下さず、眷属に相手を任せているのだよ。奴など吾輩の血肉になる資格すらない。枝葉の養分程度で十分よ」
なおも余裕の表情でニナの挑発を受け流すカバタ。けれどニナは、狙っていた単語を相手から引き出すことに成功していた。
「そこだよ。お前は枝葉の養分程度と言ったけど、血の悪魔の特性からして翔の魔力量と濃密な魔力を含んだ血液は喉から手が出るほど欲しい代物のはずだ。それをお前は自分の血肉になる資格すらないと言った!
翔が羽虫?嘘だね。お前は翔が怖いんだ!魔力量から考えて支配は碌に通らない、枝の防御も本気を出されたら突破されかねない。生死が確認できない状態が心配でたまらなくてこの状況を作り出したんだ!」
ニナが余裕を持ってカバタに立ち向かえる理由、それこそが今口にした理論故だった。
彼女はカバタとの戦いで失った意識を取り戻した時、自分達にはすぐに追手が向けられると考えていた。
当然だ。自身はカバタの魔法に抗った時の消耗で魔力切れ寸前。翔も知らない相手が見れば大規模魔法と思ってもおかしくは無いほどの魔法を使用しながら、カバタの前から逃走したのだから。
傍から見ればどう考えても満身創痍、使い魔と眷属を総動員して捜索するのがカバタ視点から見た最善の行動だったはずだ。
けれどもカバタは逃げ道を塞ぐのみで最後まで追手を向けることはせず、あまつさえニナの魔力回復まで許してしまっている。
何よりも索敵と情報収集を得意とする悪魔が、真実を何重にも隠蔽した偽の計画によってニナをまんまとおびき寄せた悪魔が、チェックメイト一歩手前の二人を見逃すはずがないとニナは考えた。
そしてカバタが自身で作り出した眷属についてご丁寧にべらべらと話し出したことで、ニナは一つの可能性に辿り着いた。
カバタは翔を恐れていたのではないかと。
ニナ達の視点から考えれば、翔は眷属との戦いで刃を鈍らせ、合流する際に奥義の一つを使用してしまうなど言ってしまえば悪手の連続だった。
けれど、カバタの視点から考えたらどうか。
眷属で足止めが可能なほどの弱者と思っていた相手が包囲を容易く突破し、急ごしらえとはいえ根源魔法の防御すら突破し、血族を回収していった。
最悪を考えるのであれば、根源魔法が通じず、頭数を揃えるだけではどうしようもない相手が結界内に存在しているということになる。
さらに最悪の想定を続けると、翔が行ったニナの救出も全てが計算の内だったのではと考えるだろう。
自分を討伐しかねない相手を野放しにするわけにはいかない。ましてやどうしても油断が生まれる血族の支配中に奇襲でもされたらたまったものではない。
だから結界は入念に補強した。血族と共に逃げられず、血族と離れ離れにもならずに挑んできてほしかったから。だから眷属を混ぜ合わせた。広範囲の情報アドバンテージを失ってもなお、自身だけで二人の相手をすることにリスクを感じたから。
これこそが一度カバタと相対したからこそ、そして長年血の悪魔と戦い続けてきた一族だからこそ見抜くことが出来た計画の綻びだった。
「くっくく、言うに事欠いて吾輩があの悪魔殺しを恐れているだと?馬鹿馬鹿しい。論ずるにも値せん。
こんな思考力の愚者が最後の血族とはあきれ果てる。粛清時も大方愚かすぎて、処分する気にもならなかったのだろうな」
「何とでも言え!もうボクはお前の言葉で乱されない。お前の言葉に絶望もしない!
だって今度は翔がいてくれる。ボクを信じてくれた相棒がいる。もうボクはお前を恐れない!」
分断こそされてしまったが、今度はすぐ近くに彼がいる。自分のために戦ってくれる相棒がいる。そう思うと溢れんばかりに勇気が湧いた。
目の前に立っているのは恐ろしい魔王ではなく、翔の力を恐れる子悪党。そう考えるだけで支配される恐怖は消え去った。後は自分の力で未来を切り拓くだけだった。
「妄想もそこまでくると不快であるな」
「だったら二人がかりで翔に挑んでくるといいよ。寄ってたかって端役をなぶるなんて、お前の言う物語の登場人物。それも悪役にぴったりだろう?」
「もうよい。貴様の減らず口は聞き飽きた。さっさと貴様を傀儡に仕上げ、あの悪魔殺しの前に晒してやろう」
「やってみろ!今度こそボクが、お前との因縁を断ち切って見せる!」
ニナの周囲四方八方から枝が伸びだした。一度目の戦いの彼女では食らってはいけなかった攻撃、カバタの支配を象徴する邪悪で非道な赤い糸。
けれど、それを見てもニナは怯まなかった。逆に笑みすら浮かべていた。だって、そんな恐るべき魔法にも相棒のおかげで答えが手に入っていたのだから。
鳥喰銀蛇に血を吸わせ、慣れた手つきで片手の銃に弾丸を装填する。
白い絆と黒き絆、二つの繋がりを巡る戦いが幕を上げた。
次回更新は9/4の予定です。




