強き絆は血か縁か その十一
カバタとの戦い以降、突然切り替わってしまったニナの態度。けれど翔はそれを受けても、自分で思っていた以上に、心乱すことなく冷静でいられた。
なぜなら例えニナから自身を見捨てるように言われても、翔には了承する理由が無かったし、最初からこの戦いは二人で生き残るか、二人共死ぬかのどちらかしか存在しないと思っていたからだ。
だからこそ彼女の真意を問いただすことが先決だ。翔は迷いなく口を開いた。
「......話してくれ。そうじゃなきゃ、俺は納得なんてしねーし、一人で逃げ出すつもりもねぇ」
意識の違いから離れ離れになってしまった時間、その時間だけでニナは心身ともに衰弱してしまった。
原因は血の魔王、血脈のカバタであるに違いない。
太古の昔に人と悪魔の混血種族を作り出し、吸血鬼という恐怖の存在を人々の魂に深く刻み込んだ冷徹な魔王。翔が駆けつけた時、カバタは倒れ伏したニナを見つめ、止めを刺すわけでも無くただその様子を面白そうに眺めているように見えた。
傲慢でありながらも、その計算高さは本物。ならば、わざわざ血族の中でも血の悪魔狩りに特化したニナという天敵を前にして、様子を眺めているだけというのはあり得ない。カバタにはニナを殺さない理由が、いや、生かしておいた方が良い理由があったはずだ。
「......この結界は、ボクをおびき寄せるためだけの罠だったんだ」
「罠?そんなことは最初から分かっていただろ?
だって、俺とニナが討伐に向かわなきゃ、あの野郎はたくさんの街や人を飲み込みながら侵略を行ったはずだ」
カバタの目的。それはデュモン家を訪れる以前に聞かされた通り、単純な現世の侵略という意味の他に、長年煮え湯を飲まされてきたデュモン家に対する挑発の意味も込められていたはずである。
そのことは翔以上にニナが十分理解していたはずだ。そんな事実だけでニナがここまで衰弱する理由が翔には分からなかった。
「違う!カバタの狙いは、現世の侵略なんかじゃなかった。あいつの狙いはボクだ。カバタの魔力を血に受け継いだボクの身体こそがあいつの狙いだったんだ!
血の魔王に対する特攻能力も、大昔に裏切った血族達をその次の人魔大戦で始末しなかったのも、全部が全部、あいつが仕組んだ罠だったんだ!!!」
「どういう、ことだよ......?」
そこからニナは話した。カバタの魔法のこと、カバタの目的のこと、そして彼女が生きている限りカバタの野望が生き続けるということを。
「カバタはずっと待ちわびていたんだ。血族の血が世界中の人間に混ざることを。自分の出自すら詳しく把握していない人間の魂すら、たった一手間で己の配下に加えられる瞬間を。
けど結果は違った。血族は年月を経るほどに排斥され、遂にはボク一人になってしまった。
......後はボクが死ねば。ボクが魔力の限りあいつの邪魔をして命を落とせば、カバタの計画は完全に破綻するんだ!」
ニナの目に宿るのは暗い決意。自身の命を持って、自身の運命を捻じ曲げた存在に一矢報いようとするマイナスの覚悟だった。
「そんな!だからってニナ一人が犠牲になる必要は無いだろ!
今カバタを討伐できれば、次にあいつが顕現するのはラウラさん達の人魔大戦の時期を考えて百年は先なはずだろ?
それにあいつの国は四体がそれぞれ魔王を名乗ってる、滅茶苦茶不安定な国なんだろう?もし、他の三体に討伐されちまえば、もうニナやニナの子供達があの野郎に悩まされることは_」
「違うんだ......翔。もちろん血族が未だにカバタに支配されていることも十分に悲しい。
けどね、ボクが本当に悲しいのは、あいつらが......お父さんと兄さんを殺し、ボクの命も奪おうとしたあいつらの方が正しかったことに気付いたからなんだ......」
「あいつら?......っ!な、なんでだよ!どうしてテロリストみたいな魔法使い達の考えが正しいことになるんだよ!」
一瞬思い悩んだ翔だったが、ニナの指すあいつらとは幼少期の彼女を襲った過激派魔法使いのことだと思い至った。
「ごめんね、翔。実はボクは一つだけ隠し事をしてた。あいつらの正体について、君には血族の存在を恐れた魔法使い達としか言わなかったよね?」
「......あぁ」
「実はね、......あいつらはフランスから派遣された国家公認の魔法使いだったんだ」
ニナの口から聞かされた事実。それは忠誠を捧げた国からの最大級の裏切りであった。
「はっ......?
ど、どういうことだよ!だって、元はと言えば、ニナのご先祖様が恐れられた理由は国を守るためだろ!?
どうして守った国側から命を狙われなきゃいけないんだ!」
「ボクも最初お師匠様に聞かされた時は意味が分からなかった。どうして命がけで戦ったボク達を襲うのか、どうして国のために戦ったボク達を見捨てたのか。けど考えてみれば簡単だったよ」
「簡、単......?」
「あの人達も怖かったんだ。手も足も出なかった相手を、たった数人の魔法使いが食い止める姿が。そしてその刃が自分達に向いた時に為す術がないことに気が付いたから」
「そんな......ことで......」
苦笑を浮かべながらもただ淡々と真実を語る少女。
きっとニナも認めたくなかったのだ。そこまでしても一族が人々に受け入れられなかったことが。だから彼女は真実に蓋をし、ほんの少しだけ話を捻じ曲げた。
他の誰に差別の視線を向けられようとも、目の前の少年にまで化け物を見るような目で見つめられるのには耐えられなかったから。
そして、わざわざ隠蔽していた話をここで打ち明けた理由とは何か。
あの夜のように翔に受け入れてもらいたかったからか。違う。
騙していたことへの純粋な贖罪。これも違う。正解は、失望させるためだ。
分かり合うための話し合いですら隠し事をし、血の魔王への対抗一族としての役割すら満足にこなせない自分に失望してもらい見捨ててもらうためだ。
そうして捨て身の覚悟でカバタにぶつかれば、さしもの魔王とてこの枝の壁に用いた魔力を戦闘に割かざるを得なくなるだろう。
そうすれば少なくとも翔だけは生き残れる。そうすれば血族の歴史は悪魔の下僕としてではなく、血が途絶えてしまった悲劇の一族として終わることが出来る。
ずっとずっと偉大で小さな魔法使いの背中を見て育ってきた。
彼女から学んだことは星の数ほどあるが、一番は大切な存在は命に変えても守れということ。それを実行出来るのなら、ニナにはもう悔いは無かった。
(ごめんね、翔。きっとお師匠様は翔のことをボロボロになるまで痛めつけると思う。けど、命までは取らない筈だ。
お師匠様だって、ボクが翔のことを大切に思っていたことは理解しているはずだから。だから_)
「行って、翔。いくらあいつに抗うために魔力を消耗したボクでも、全力を振り絞ればカバタの気を引くことくらいは出来るから」
翔の返事は待たなかった。もし、彼に優しい言葉をかけられたら決意が鈍ってしまいそうだったから。よろよろと立ち上がったニナは逃げてきた廃村へ一歩、また一歩と踏み出した。己と血族の歴史に終止符を打つために。
「待てよ」
だが物語は終わらなかった。
「えっ?えっ!?翔!?何で!?」
歩き出したニナを見て、翔が肩を貸したのだ。
そうして翔も歩き出した。ニナが目指す先、カバタが君臨する廃村に向けて。
「国が関わってた?だったらその国がクソだったってだけだ。
カバタの狙いがニナだった?上等じゃねぇか、ならお前の目の前であいつをぶっ飛ばせば、さぞ気持ちいい吠え面を拝めるってこったろ?」
「えっ、えっ!?」
訳が分からなかった。自分が存在することの危険性、そして腹を割って話すべき場ですら隠し事をした己の浅ましさは十分に伝えたはずだ。
ここで自分達の関係は解消されるはずだった。
「何惚けてんだよニナ。ほら、まだ身体は辛いだろ?もっと体重をかけろって」
「そんなことどうでもいい!......どうして......どうしてそこまでボクの味方をしてくれるの?」
袂を分かったと思っていた。軽蔑されたと思っていた。けれど翔はなぜか今でも傍にいて、優しく肩を貸してくれている。
何もかもがニナにはわからなかった。
「簡単だろ。俺とお前は相棒だ。一緒の道を進んで当然じゃねぇか。それ以上の理由なんて一つもねぇよ」
「あっ......」
そう言うと、隣の彼は笑いかける。自分は戦力外どころか敵になるかもしれないのに。逃げ出すことすら出来ない絶望の状況なのに。
それなのに心が弱った自分へ向けて、温かな言葉を吐いてくれた。
胸がたまらなく苦しくて、だけどそれ以上に温かかった。
次回更新は8/3の予定です。




