強き絆は血か縁か その九
「さて、軽傷にも数えらぬ打撲程度ではいささか支配は緩いらしい。
されどせっかく生き残ったたった一人の血族、商品価値を落とすわけにもいかぬ。仕方ない。時間はかかるが、何度か枝を刺し、その都度治療をしてやるとするか」
「う゛あっ......ああっ......」
カバタにとっての血族の価値、そして予想される自分の末路にニナは必死に抵抗しようと身体に力を込める。
けれど、身体からは何の反応も返ってこず、まるで赤の他人を一人称視点で眺めているだけのように、何一つ出来ることが無い。
(ボクが間違ってたんだ.....あの時翔の苦しみに寄り添ってあげられたら。ボクを受け入れてくれた時のように、翔の考えをもっと聞いてあげていればこんなことにはならなかった......)
ニナは血の魔王の討伐をたった一人で達成しようと、長い時間をかけて準備を行ってきた。一方師匠であるラウラは苦しい戦いになると考え、彼女のために翔という信頼できる戦力を用意した。
その戦力をニナは自らの手で、みすみす手放してしまったのだ。そして、手放した存在の重さで自分が縛り付けられ、新たに出来上がった心の傷は彼女の平静をかき乱した。その結果がこのざまだ。
ラウラの予想通りだったのだ。他の三公と違い、カバタは長年に渡って積み上げた計画という達成すべき悲願があったのだ。魔力の限りに暴れるような愚か者では無かったのだ。
(いつもだ。ボクはいつも選択を間違える)
翔に慰めてこそ貰ったが、心に抱えてきた闇はそう簡単に晴れるものではない。
呼び出された父と一緒に葬式に向かったのが自分だったら、兄と翔は協力してもっとスムーズにカバタを討伐できていたかもしれない。屋敷が襲撃された時に素直に投降していれば、今頃母は哀しみこそすれ新たな人生を歩めていたかもしれない。
そして、あの時ラウラの手を取らなければ、自分は籠の鳥として少なくともカバタの計画を破綻させることが出来ていたかもしれない。どれも幼少のニナでは実際には選択のしようが無かった結果。身から出た錆と言うにはあまりに酷な内容。
しかし元から自分を追い込み、思い詰めるニナからしてみれば、どれもこれもが自分のせいであり、自分は今からそれらに対する罰を受けるのだという姿勢だった。
(ごめんね、ごめんね翔。もうボクにはどうしようもない......お願いだから、君だけでもどうか無事に脱出して!)
侵入の時こそ魔力の消耗を抑えるために二人で結界を突破したが、翔の奥義、擬翼一擲 鳳仙花と擬井制圧 曼殊沙華を使えば結界を破壊することは容易だろう。
もう自分は助からない。身体の方が無事でも、心の方はカバタに忠実な人形として作り替えられることだろう。もう自分に出来ることは、翔の無事を祈ることと、自分で無くなった自分が仲間達に被害をかけないように願うことのみ。
戦いへの恐怖を訴えていた少女は、ある意味潔く自分の終わりを受け入れていた。
「さて、残っているのは意識だけであろうが、貴様の血は少量だろうと猛毒だ。最後まで処理は丁寧に行うとしよう」
そう言ってカバタは枝を手折り、丁寧に組み合わせることでボウガンのような遠距離武器を制作した。向かう照準の先はもちろんニナ。狙う先は間違っても致命傷にはならないであろう足先だ。
すでに絶体絶命を通り越し、処刑台の階段を昇り切った気持ちでいたニナ。けれど、そんな気持ちはカバタが彼女へと向けた武器のせいで霧散することとなる。
「あっ......」
それは何の変哲もないボウガン、遠距離武器だ。彼女の魔法の特性を考えれば一番安全で確実な武器。だからこそ多くの者が血族対策にそれを選択した。殺意を持って彼女へと向けた。
「あぁっ......!」
思い起こされるのは幼少期の最悪の記憶。燃え盛る炎に追われる恐怖、真っ暗な森を逃げ続ける恐怖、そして四方八方から自分を狙う銃口達への恐怖。
すでに限界寸前であり、ダウン状態となることで無理やり落ちつけていた心は、幼少期最大のトラウマを掘り起こされたことによって、意図も容易く臨界点を突破した。
「いや、いや......いやあぁぁぁぁぁ!!!!!」
あらん限りの声で叫び声を上げるニナ。突然彼女が声を取り戻したことによって、不審な目を向けるカバタだったが、あまりに無軌道なニナの様子に、心が壊れたのだろう判断し、処理の続行を判断する。
実際にその声に意味は無かった、その声に意図は無かった、しかし、その声を発することに価値はあった。
彼女が声を上げたことによって起こったカバタの一瞬の隙、それがニナの運命を決定付けた。
「むっ、何だ......枝が折れ、いや、千切れ飛んで......」
カバタの頭に多量の情報が流れ込んでくる。
それは、もう一人の悪魔殺しと終わりに連なる者達の戦場から、この場への直線上に存在する枝のことごとくが、一気に破壊されているという情報だった。
あちらの戦場には、普段使い魔達に魔力を提供している目に見えないほどの細い枝も存在している。こちらであればただの人間が踏みつけるだけで折ってしまうことも可能だが、先ほどカバタが終わりに連なる者達の支援に送り込んだ太い枝であれば話は別だ。
先端こそ細さは変わらないものの、枝分かれ前の部分であればその太さは人間の胴体程にもなる。それを破壊しながらこちらに急接近する存在を無視するというのはあまりにリスクが高すぎる。
「面倒な」
そのためカバタは急ごしらえの防御として、ニナが逃げ出さぬように廃村を覆っていた枝を一方向に集め、急接近する存在への防壁としたのだ。
枝の寄せ集めと言ってもその密度は凄まじく、勢いよく何かがぶつかれば、その衝撃で自分自身が木っ端微塵になってしまってもおかしくはない。
この防壁に突っ込み謎の存在がはじけ飛んでくれるならよし、そうでなくとも一瞬立ち止まってしまえさえすれば、処理の方が先に終わる。
「この血族さえ手に入れてしまえば、この結界ももはや不要。後は使い魔共を暴れさせ、その混乱に乗じて潜伏してしまえば追いつかれることは無い。
そうして今度こそ現世を吾輩の練兵場へと作り上げようではないか」
未来を夢想し悦に浸るカバタであったが、彼は終わりに連なる者達ごときで足止めが可能な悪魔殺しということで見落としていた。その悪魔殺しに、この防壁を突破するだけの魔法があるという単純な可能性を。
「擬翼一擲 鳳仙花ァァァァァ!!!!!」
響き渡るは叫び声、迸りたるは魔力の奔流。
カバタの用意した防壁は、膨大な魔力を消費した一撃によって、まるで紙屑のようにぐしゃりと抉れ、千切れ飛びながら、いとも容易く侵入を許す羽目になった。
そして、その音に目を向けたるはニナ。暗い暗い絶望の色を移すのみだったその瞳に入り込むのは、青き流星。
彼女の想像を容易く越えた活躍を見せ、彼女の存在を笑って受け入れ、彼女の師匠の予測すら凌駕してみせた大切な大切な自分の相棒。そんな存在が自分の下に現れてくれた。
「か、け......る......」
歓喜と安堵によって一気に途切れた緊張は、彼女の意識を奪わんと瞼の重量を加重させる。
彼女が最後に感じたのは、あの夜、涙を流す自分を抱きしめてくれた、優しい腕の感覚だった。
後に残るのは、血の魔王、血脈のカバタただ一人。
「......くっ、くくっ。してやられたか」
あまりに一瞬の出来事で、取り残されたカバタは思わず笑いを零してしまった。
「なるほど、吾輩が駒共を囮にしたように、あの血族は情報収集のための囮。
本命はあちらの悪魔殺しだったわけだ。そして、ぎりぎりまで血族を追い詰め、吾輩の魔法を引き出した後に速やかな撤退。
冷静に考えれば、未提供の終わりに連なる者達如きに、悪魔殺しの足止めが務まるはずもない。吾輩自身の目も計画達成を目前に控え、いささか曇っておったようだ」
最低限の魔力提供しか行っていない終わりに連なる者達など、多少肉体の損壊に耐性を得ただけで、ただの人間と変わらない。頭数はそれなりとはいえ、悪魔殺しの足止めが成り立つと考えた自分の判断が誤りだったとカバタは反省した。
実際には終わりに連なる者達が翔の足止めに成功していたのは事実であり、彼が余計な支援を行わなければ、ニナの支配は完了していただろう。
しかし、カバタもまさか、魔王の結界内乗り込んできた悪魔殺しが、元人間に配慮をしたせいで止めを刺せなかった等とは考えもしなかったため、ある意味この勘違いは仕方ないと言えた。
人間を有効活用し、血族という存在を生み出し、それらに反旗を翻されてもなおカバタにとって人間とは、家畜に過ぎなかったのだ。
飼い主が家畜の思いに応えてやる意味などない。だから理解などする必要はない。人間という存在の解像度の低さ、それが此度の、そして今までのカバタの計画失敗の大きな要因であった。
けれど、事ここに至っても、彼はその考えを改めるつもりは全くと言っていいほど無かった。人類は家畜であり、駒である。この傲慢さこそがカバタの根源であり、それを否定することは自身の存在を否定することに他ならないのだから。
「退かれてしまっては仕方がない。だが、逃しはしない。
こちらの手札も見せることにはなったが、そちらも貴重な札を失ったぞ。
吾輩と貴様、お互いにあとどれだけ切れる手札が残っておろうな」
悪魔殺しが飛び去った方へと向け、カバタは楽し気に言葉を吐く。
そうして結界の変形を始めた。狭く、そして低く、壁面全てに枝を巻き付けたネズミ一匹逃さぬ形へと。
次回更新は7/26の予定です。




