強き絆は血か縁か その八
「死ねぇ!!!」
「お前らは周りこめ!囲め!囲んじまえば、どんな達人だろうと防ぎきることは出来やしねぇんだ!」
「くっ!はっ、はっ、はっ......不味いか......」
鉈が、包丁が、牧草を手繰り寄せるためのフォークさえもが、翔の命を奪い取らんと飛来する。彼はそれらを時には躱し、時には弾きながら、その身で受け止めることが無いように対応する。
同時に包囲が完成せぬように下がり続けることも忘れない。いくら悪魔との契約によって力を手に入れた悪魔殺しと言えどベースは人間。翔の後ろに目はついていないし、出血を続ければ当然死ぬ。
それを防ぐにはこれまでの悪魔との戦いと同じように、自分が倒れる前に相手を打ち倒すしか方法は無い。
(ダメだ!あの人達は人だ。それも、血の魔王に無残に殺され、死後も魂を奴に縛られてしまった、特大の不幸を味わった人間なんだ!
そんな人達をもう一度殺すなんて、俺には出来ない......)
しかし、今の翔には今までの方法を実行することが出来なかった。それは、目の前の相手が命を奪われ、カバタの魔法によって、疑似的に生かされている元人間の眷属だったからだ。
翔はこの戦いで悪魔を討伐する覚悟をしていた。悪魔の魔力によって生み出された使い魔達を討伐する覚悟も持ち合わせていた。けれども、生前の知識を有した元人間に引導を渡す覚悟は全くと言っていいほど出来ていなかった。
強制的に魔王に隷属を誓わされた人間達。魔王の望みに応えねば、自分の偽りの命だけでなく、村に残された肉親達の命すら奪うと脅された人間達。例え命を狙われたとしても、そんな人間達の命を奪うことは翔には出来なかった。
(ニナ、ゴメン......本当にゴメン!けど俺にはどうしてもこの人達を殺すことだけは出来ないんだ......)
命の危機の真っただ中にありつつも、翔の頭を占めるのは見解の相違によって別行動となってしまった相棒の顔。彼女は今たった一人で血の魔王に挑もうとしている。
広大な結界を作り出し、多くの使い魔達を率い、そして翔が今まで出会ってきたどんな悪魔よりも残酷な魔王。そんな魔王の相手をニナに押し付けてしまったのだ。
翔の下に集まってくる眷属の数から考え、ニナの戦いに参戦する眷属はおそらくいないだろう。しかし、翔は知っている。眷属と悪魔には実力に大きな隔たりがあることを。
どう見積もっても、厳しい戦いになるのはニナの方だ。そんな戦いを強いてしまった己の心の弱さ、そしてこの状況を想定できなかった自らの見積もりの甘さを、戦いが始まってから翔はずっと後悔していたのだ。
「はっ、はっ、はっ、がっ!?痛ってぇ......っ!?はっ、はっ、はっ!」
「当たった!遂に攻撃が当たったぞ!」
「見ろ!一発がでかい刃物より、数合わせの小石の方が当たるぞ!投石だ!石ころを集めてぶつけるんだ!」
「よし、武器失った奴らは石集めだ!一発だ!一発でも腕か頭にぶつけちまえば、それだけで終わる!」
「クッソ......大当たりだっつの......」
そんな後悔を続ける翔の身体に、遂に攻撃が命中する。当たったのは小石、命中部分は脛と言えど、今は当たったという事実の方が重要だった。
これまで翔は、最悪の心理状態でありながらも上手く敵の攻撃に対応し、それによって間接的に敵の士気を下げることに成功していたのだ。しかし、今の攻撃の成功によって、確実に流れが変わった。
終わりに連なる者達は、翔に攻撃が当たることを理解した。攻撃で苦しむことを理解した。そして、翔がそうであったように、少なからず終わりに連なる者達も抱いていた殺人の忌避、それを投石という飛び道具によって軽減できる術を得た。
それによって、始まるのは苛烈さを増した攻撃の嵐だった。
「チッ!くっ、この、がぁ!?」
「見ろ!今度は頭だ!いける、いけるぞ!」
どれだけ攻撃を華麗に躱し、華麗に受け流したとしても、木刀を当てることすら困難なほどの小さな小さな石ころによる面攻撃相手では、全てを防ぐのは不可能だ。
次第に翔は傷つき、追い詰め始められた。
(足の鈍痛、走るのに問題ない。頭から流れ出た血、目にかかって邪魔くさい。けどまだ問題は無い、問題は......いや、嘘を吐くな!
足も、頭も、全部が全部、俺の不甲斐なさで生まれた傷じゃねぇか!何が問題はねぇだ!大アリだろうが!!!)
余裕が無くなってきたことで、機械的に自分の状態を把握しようとしていた自分の脳を自分自身で否定する。
足のケガも、頭のケガも、そもそもの状況すらも、元はと言えば翔のせいだ。翔の心が弱かったせいなのだ。それをさも敵との戦いによる名誉の負傷だとでもいうように処理しようとした自分が情けなかった。不甲斐なかった。
本当の自分はこんな窮地に立たされてもなお、最適な選択から逃避を続けている愚か者だというのに。
「今だ!全員で囲んで止めを刺すぞ!
ここだ、ここさえ耐えれば、あいつの支配領域は増えて、俺らに回される命令は軽減されるはずだ!」
「そっ、そうだ!今も残りの連中が周りの村の攻略に行ってる。それさえ成功すれば、こんな苦しみから救われる!」
「ここだけだ!苦しむのはここだけで最後なんだ!」
「っ!?」
ずっと前線に立って、翔に刃物を向けていた一番の若者の声がわざとらしく響き渡った。それによってはっとしたような表情を同時に作ったのは翔と村人達。
一方は自分達の苦しみに終止符があるという希望に気付いて。一方は自分の選択がどれほどの被害を現在進行形で生み出しているのかに気が付いて。
(そうだ......俺は何をやってたんだ......俺は、俺達は、今ここで味わった悲劇を、これ以上の悲劇を止めるために結界の中に侵入したんだぞ!
俺達を信じて、命をかけて結界を押しとどめてくれる悪魔祓いの人達が、すぐ近くにいるんだぞ!なにくだらない理由で迷ってやがんだ!相手を殺せないんなら、殺さずに済む方法を選ぶだけだろうが!)
外部から遮断された状況、それによって翔は苦しみを味わっているのが自分と、迷惑をかけているニナだけだと勝手に思い込んでいた。
しかし、現実は今もなお続く結界の進行によって、多くの悪魔祓い達が苦しみ、この結界から外へと侵攻を始めた終わりに連なる者達によって、苦しみは連鎖しようとしていたのだ。
殺人という禁忌によって翔の頭にかかっていたモヤ、それによって頭から無意識の内に排除していた可能性、それが先ほどの若者の発言ですっかりと晴れた。
己がやるべきこと、そして今出来ることを翔は思い出せたのだ。
「はあぁぁぁぁ......だあぁぁぁぁ!!!!!」
これまで己に強いてきた枷、それを解き放った翔は弾かれたように飛び出した。
「なっ、なんだこいつ!急に、ごっはぁ!?」
「あっ、足が、このっ、た、立てねぇ!?」
攻撃を解禁した翔が狙ったのは連なる者達達の肩、それに膝などの関節部。そこに向けて的確に木刀を打ち込んでいく。
(すいません......けど俺は止まるわけには行かないんだ!)
翔がこれまで攻撃に移れなかった理由、それは相手が人そのものであり、彼らを殺めることは生身の一般人を殺めることと一緒だと考えていたからだった。
けれど彼は、自分が動かなければ目の前の悲劇が連鎖することを認識し、それを止めるための覚悟を決めた。そうなってくると相手が人型だという点がメリットへと変わってくる。
(人の身体は精密機械。たった一つの故障で武器は持てなくなるし、一歩も歩けなくなる!)
翔は長い長い大悟との真剣勝負顔負けの立ち合いによって、人の弱点というものをよく理解していた。どの部分を痛めれば武器を握れなくなるのか、どの部分が折れれば立ち上がれなくなるのか、そういった身体の知識を友人と自分自身の負傷によって知っていたのだ。
「くそっ、立てねぇ、立てねぇぞ!何でだ!」
「痛くねぇのに身体が動かねぇ!」
どれだけ痛みに強い終わりに連なる者達でも、身体そのものが壊れてしまっては身動きのしようがない。
殺しはしない。されど守るだけでは終わらない。翔は意地を貫き通したまま、相手を次々と戦闘不能へと追い込んでいたのだ。
「らあぁぁぁ!!!」
「ごあっ!?ちっ、ちくしょう!武器がっ!武器が持てねぇ!」
そうして戦闘不能者の山を積み上げることで、遂に包囲に穴が見え始めた。
(行ける!もうすぐだ。もうすぐニナの応援に向かえる。俺の心の弱さをニナに謝れる!)
翔が勝ちを確信した瞬間だった。
ビキッ、ミチミチミチ、バキバキバキ。突然の異音が頭上から響き渡った。
「なっ、なんだ!?」
翔が急いで上を見上げると、そこからは節くれだった枝のような、あるいは動脈硬化を起こした血管のような物が、次々と空中から飛来してきたのである。
「がっ!?」
「ヒイッ!ごっ!?」
「逃げろ、逃げっ!?」
「仲間割れ?制裁?いったい何なんだ......」
最初、血の魔王による魔法の援護かと警戒を高めていた翔だったが、それらの枝達はなぜか翔には一本も飛来せず、むしろ終わりに連なる者達を狙って的確に突き刺していく。
終わりに連なる者達の反応からしても、彼らの見知った魔法ではないことが窺える。だとすれば、いつまでたっても翔を仕留められない事への制裁をカバタが始めたのかと彼は予想した。
しかし、次の瞬間、その予想が的外れの物だったことに気が付くことになる。
「アァ......アァァァ......力、力だぁぁぁぁ!!!」
「ヒッハハハハ!!!すごい!こいつが、目の前の小僧が使っていた力!ハハハハッ!同じ力を持ってんなら負けはしねぇ!」
あちこちで枝を突きさされた者達の狂ったような声が響く。けれどもそれらの声は決して悲鳴などではない。歓喜の声だ。
ある者は砕かれた肩の骨を肥大化した肩の肉で代用して、ある者は折られた膝を吹き出した血液を圧し固めることでギプスにして、戦闘不能状態から復帰したのである。
この枝は決して制裁などでは無かった。むしろ逆だ。善戦を続ける終わりに連なる者達へ向けた血の魔王からの支援だったのだ。
「まさか......まさか!?」
突然の支援、そして眷属である終わりに連なる者達ですら見たことの無い大規模魔法の発動、それらに共通する事柄など一つしかない。
戦いが始まったのだ。ニナと血の魔王、血脈のカバタ。一人と一体の世界の命運をかけた戦いが。本来傍にいて戦いを支えなければいけない翔抜きでニナの戦いが始まってしまったのだ。
血の魔王はさぞ歓喜したに違いない。自分の喉元に刃を突き付けかねない戦力の一人が、眷属ごときで足止めできているのだから。小さな支援だけで、今後も足止めが続いてくれるのだから。
「ギヒッ!第二ラウンドってやつかぁ?」
「今度こそてめぇを殺して、みんなを.....みんな?みんなって誰だぁ?」
「クソっ!こんなところで止まっている暇はないってのに!」
部分的に異形と化した終わりに連なる者達が、再度翔へと向けて歩を進める。彼らに先ほどのような悲壮感、罪悪感などはほとんど存在しない。
むしろ多量の魔力を注ぎ込まれたことによって、自我を喪い、他の眷属達と同じように主への絶対的な服従心を持ち始めているように感じる。
完全な眷属となってしまって魔法まで使用され始めれば、もはや翔も手加減等と言っている場合ではなくなる。そして何よりも、今まさにニナとカバタの戦闘が開始されている。
いくら一人で決着をつけるとニナが言っていたとしても、早く決戦の舞台へと向かわなければ何が起こるか想像がつかなかった。
「やるしかない.....そうしないとニナを失うことになる!」
自分の心の弱さが招いた不測の事態。迷っている間にもニナは孤独な戦いを強いられる。踏み出さなければいけない。乗り越えなければいけない。例え自分の心に暗い闇が入り混じることになろうとも。翔がこれまで以上の魔力を木刀に込めた時だった。
「ガアァァァ!!!」
「ゴホオォォォ!?」
突然一体の終わりに連なる者達が、仲間を肥大化した腕で殴り飛ばしたのだ。そして、その一体は留まることなく、一体、また一体と殴り飛ばし、周囲の目を自分へと向けていく。
「行ゲ......」
「えっ?」
突然こちらに向けられた一言、次々に移り変わる事態に困惑を隠せない翔の尻を蹴飛ばすかのように、誰よりも若々しい、その終わりに連なる者達は大きく腕を一点へと向けた。
「行ゲエェェェェ!!!」
「!!!」
理由はわからない。しかし、目の前の眷属は明確にこちらに味方をしてくれている。自分がこの場から離脱するための時間稼ぎをしてくれている。それだけははっきりと理解できた。
「ありがとう!」
今こそが切り札の切り時だ。翔は迷わず擬翼を展開した。
目指す先はニナと血の魔王カバタの戦闘舞台。空中から眺める風景が、真紅の枝に支配されている光景に気付き、顔を歪めながらも翔は魔力の限りを尽くし、廃村へと空を走るのだった。
次回更新は7/23の予定です。




