強き絆は血か縁か その六
「ハア、ハア、ハア、ゴメン、ゴメンね、翔......!
待ってて、ボクがすぐに血の魔王を倒してみせるから!」
半ば喧嘩別れのような形で翔と分かれたニナは、脇目も振らずただ必死に、血の魔王、血脈のカバタの潜伏先と思われる廃村を目指して走り続けていた。
彼女が今、一番胸に抱く心境は翔と同様の後悔。彼との話し合いを怠ったこと、そして彼の意見を遮り血の魔王の眷属を手にかけようとしたことのへの後悔だった。
(ボク等は血の魔王への対策はしてきた。けど、それだけじゃ足りなかったんだ。
ボクは決めたら迷わない。お師匠様が何よりも迷わない人だったから。けど、翔が迷わないかを知らなかった。豊富な悪魔との戦闘経験のおかげで、迷わない人と決めつけていた。
ボクは自分の事を話すばかりで、翔の事を全然理解できていなかった!)
空港で聞かされた経歴。そしてラウラとの戦いで見せた圧倒的な戦闘能力によって、ニナは翔という人間を過大評価してしまっていたのだ。
それだけの戦闘経験なら、何があろうと戦いを継続できる人間に違いないと。戦闘経験に見合うほどの精神を兼ね備えた人間に違いないと。
小さな勘違いによって生まれてしまった不和は、敵の拠点内での分断という愚行、大きな亀裂へと発展しようとしている。
そしてニナという人間にとって、心許せる人間が自分の周りから再び消えていなくなってしまうことへの恐怖。それが、後悔と同時に身体の外からじわじわと中心に向かって蠢き、心を侵食していたのだ。
もう自分の周りで親しい人間の死を見たくない。
親しい人間に見捨てられたくないと思う感情によって、彼女はパニック寸前となり、無茶な特攻を魔王相手に仕掛けようとしていた。その様子は悪い意味で、まさしく師匠であるラウラそのものだった。
「ハア、ハア、着いた......これは、枝?」
目に見えるほどに息も絶え絶えといった様子のニナ。けれどその様子を見て叱ってくれる師匠も相棒も残念ながらこの場には存在しない。むしろ今の彼女にとっては、それすらどうでもいいと思えるほど余裕が無くなっていた。
それでもどうにか廃村に到着した彼女が目にしたのは空、壁面、地面と、四方八方に伸びる真紅の枝。見方によっては人の毛細血管のようにも見える様々な太さのそれが、村の中央から伸びていることに気が付いたのだ。
「血の魔王の魔法?それとも、ボクを村の中心に誘い出すためのただの演出?
ううん、どっちにしたって前に進むしかない。そうしないといくら翔でも、あの数の眷属達に囲まれたら何時まで耐えられるかわからないんだ」
一瞬立ち止まったニナだったが、翔の現状を思い、そのまま突き進むことを選択した。
別れ際の様子からして、彼は眷属達を抑え込むことは出来ても、止めを刺すことは出来ないだろう。その高潔さは平時であれば見習うべき素晴らしい精神だが、有事の場合は眷属達が残された人間性からの躊躇いを見せるまで、終わらない戦いに身を捧げることを意味する。
そんな戦いを本当の意味で無限にするかはどうかはニナにかかっている。もはや彼女に止まるという選択肢は残されていなかった。
飛び込むことを決めたニナは村内に向けて歩き出す。しかし、地図でも遠目でも確認していた通り、大した規模でもない小さな村だ。数分もしないうちに中心部に辿り着いた。
そして目にすることとなった。枝々の中心、骨の玉座に腰かけ頬杖をつく諸悪の根源を。
「ふむ。眷属の消耗ぶりからしてもう少しかかると思ったが。なるほど、分断を選択したか。
吾輩に対する魔法の優位性への慢心か?それとも若気の至りか?」
「君が......いや、お前が血の魔王、血脈のカバタか?」
「ほう、ここの荒廃ぶりからして、すでに吾輩の名など現世から喪われて久しいと思っていたが。
血脈の手元から離れたことで、ある意味血脈だけは受け継がれていたか?」
皮肉を話し、ニヤリと笑いを浮かべるカバタの様子は余裕の一言。目の前に立つニナは現世における悪魔の唯一の天敵、悪魔殺しであるにも関わらずだ。
元々カバタは傲慢さを隠しもしない性格ではある。しかし今の彼の余裕ぶりには、帰来の性格以外の何かが存在しているに感じられた。
けれど初対面であるニナにそれを感じ取るのは不可能だ。伝え聞いた、人間をどこまでも見下す典型的な悪魔という程度の感想しか浮かんでこない。
「別に家族だけが情報を得られる場所じゃない」
最初から少しでも早くカバタを討伐するつもりでいた彼女は、早々に話しを切り上げ、愛用のハンマーを片手に、小振りの短銃を片手に持ち、臨戦態勢へと入った。
「ほう!ほうほう!それはそれは。吾輩の伝え聞いていた話では、十と数年前に貴様等血族は大粛清に遭ったと聞いていたが?」
「っ!?」
けれどカバタの方は、もう少し談笑を愉しむつもりらしい。
本来悪魔から聞かされることが無いはずだった、自分の一族の不幸。それを聞かされたニナは目に見えて動揺した。その様子を見て、カバタは再度面白そうに血に濡れる口角を吊り上げる。
「どうした?筋の繊維に無駄に力が入っているぞ?それでは、吾輩の手を払ってまで手に入れた力が台無しであろうに」
「うるさいっ!」
カバタの言葉を拒絶するように発射された弾丸は、彼の眉間めがけて寸分狂わず飛翔する。けれども、その弾丸はカバタに直撃することは無かった。まるで彼を守るかのように、家屋の一部が剥がれ、彼の盾になったのだ。
「ハハハッ!若い、若いな、最も新しき我が血族よ。貴様のような者が悪魔殺しとは。大粛清の爪痕は吾輩の予想以上に深く刻み込まれたらしい!」
「うるさい......うるさい!うるさいっ!」
ニナの声に合わせて、一発、二発三発と弾丸が放たれる。普段の彼女ではありえない、感情に任せた粗雑な攻撃。もちろんそんなものが魔王に届くはずもない。先ほどのように家屋や盛り上がった地面が壁となり、カバタまで攻撃が届かない。
自分のこと。翔のこと。そして愛すべき家族のこと。焦りでパンクしてしまった今の彼女の頭では、自分の行動の稚拙さすら上手く認識できていなかった。
「吾輩の懸念は正解であったか。時を経てどれだけ魔法が研ぎ澄まされようと、使い手が未熟では宝の持ち腐れよ。
......やはり血族は我が手中にて管理するのが一番のようだ」
「っ!?」
そう言ってカバタは玉座から立ち上がった。そう立ち上がっただけなのだ。
だというのに、周囲にはより濃密な血の香りが漂いだし、彼の背部から生える枝の一本一本がまるで使い魔であるかのようなプレッシャーを放ってくる。
「よぉく見ていたぞ。貴様の身体を流れる血が、流れる魔力を強制制止させることを。その効力を活かして、貴様の武器にはありとあらゆる形で血液が仕込まれてることを」
彼の根源魔法、邪儡の血樹は自身の影響下にある環境であればあるほど、無類の強さを発揮する魔法だ。しかし、所詮は見た目通りの枝。彼が今言ったような眷属を通した視覚や、聴覚の情報を得ることは敵わない。
けれどもだからといって、それらが手に入らないわけでも無い。末端の枝葉である眷属達や使い魔達の動きや消耗具合は把握することが可能なのだ。それらを総合すれば、ある程度相手の情報を抜くことなど、永くを生き続けた彼にとっては造作もない。
「っ!そこまで......!」
カバタの言葉にニナは、タイムリミットという意味以外の、命の危機という意味での焦りを感じ始めた。
けれどもその感情はすでに手遅れの感情だった。
戦いの火蓋はとっくの昔に自分自身で落としており、ざわざわと蠢く無数の枝は、まるで自分を取り囲むかのように、廃村をドーム状に包囲していたのだから。
「終わりに連なる者達共の評価もあらためてやらねばならんな。始末こそ済んでいないが、吾輩と血族だけの舞台を整えてくれたのだから。
どれ、今までの気付かぬほどの細枝だけではなく、太い枝を接いでやるとしよう。さすれば万が一、億が一、悪魔殺しを始末するという金星を上げるやもしれんからな」
ミキミキとカバタの背部が大きく音を立てる。すでに枝のドームに遮られて外の様子を確認できないニナにも、その言葉だけで翔側にさらなる負担がかかることだけは予想できた。
「翔......!ボクは頑張るよ。だから君も頑張って、お願いだから絶対に死なないでっ!」
祈りを捧げること一瞬。ニナは武器を構えてカバタへと駆け出した。
自分の方が強大な敵を相手にしているにも関わらず、彼女の願いはこんな時でも、信頼する相棒の無事だった。
次回更新は7/15の予定です。




