例えこの場は負けようとも
「あー、あー。はぁ......やっと声が出るようになった。大熊さん、説明をお願いしてもいいですか」
大熊の手によって文字通りホールから担ぎ出された翔は、手渡された水や目薬を使いようやく本調子に戻ることが出来ていた。
「そうだな。回復したみたいだから話すとするか。まずは、さっきも話したが翔、お前のおかげで観客達を助けることが出来たんだ。お手柄だったぞ」
「......いえ、最後の方は突破されてたし、大熊さんが言うほどの活躍は出来ませんでしたよ」
大熊の称賛の言葉を聞いて、翔はむしろ自分のふがいなさを感じていた。
なにせ言葉の悪魔には逃走されてしまったし、悪魔を逃がしてまで行った肝心の観客達の押しとどめも、最後には突破されてしまっていたのだ。
ぎりぎり日魔連の構成員達が間に合ったから良いものを、自分は何一つ役目を満足にこなせなかった。そう思っていた翔だったが、大熊からは意外な言葉が返ってきた。
「ん? あぁ、そっちに関しちゃ確かに悪魔の手玉に取られちまったみたいだが、俺が褒めてるのはその話じゃねぇよ」
「え? じゃあ何の心当たりも無いんですけど」
「何言ってんだ。お前が言葉の悪魔から情報を引き出してくれたから、到着と同時に正しい処置を観客達に施せたんだ。あれが無きゃ俺達が対処する前に痛みで発狂しちまう人間が何十人と出てたはずだ」
「えっ、情報を引き出したとしたって、大熊さんに伝える方法が......あっ!」
翔はその時思い出した。市民会館突入前に大熊に言われてスマートフォンの通話を繋ぎっぱなしにしていたことを。
「やっと思い出したか。その電話のおかげで、相手の魔法について大まかに知ることが出来たんだ。後は突入前に準備を整え、ぱっと対処が出来たってわけだ。なんせあいつらは逃げ回るばかりで、眷属の魔法すら判明したのはついさっきだったからな」
大熊は通話を繋ぎっぱなしにしていたことを忘れていた翔に若干呆れつつも、翔が知らない翔自身の活躍を語ってくれた。
「俺の活躍は分かりました。でも、俺の声だけで相手の魔法が理解できたってことはどういうことなんですか? 俺にはカタナシの野郎が、観客達に催眠を掛けてたってくらいしか分からなかったんですけど」
「眷属達の魔法の傾向も推理の足しにはなったが、何よりも疝気の虫。あれでどういう魔法を使うかが理解できたんだよ。まぁそれを考えると、皮肉にもこの会場は実におあつらえ向きな会場だったってことになっちまうがな」
「それって!」
会話をしているようでほとんどが自己完結していたカタナシだったが、唯一翔に対して明確に疑問を投げつけたタイミングがあった。
それこそが疝気の虫についてだった。
そういえば知らないと答えた際に、カタナシはやけにうれしそうにしていたことを思い出す。
あれが自分の魔法を知っているかという質問だったのなら、カタナシの態度も当然だ。翔はこの時ようやく理解した。
「疝気の虫ってのは落語の噺の一つだ。ものすごく簡単に説明すると、苦手としてる唐辛子を使って腹に巣食う虫を退治するって感じの噺だな」
「......だからあの時、大量の唐辛子の粉末をホールにぶちまけてたんですね」
「まぁ、そういうことだ。悪かったな。英雄殿を調味料まみれにしちまってよ」
「いや、地獄かと思いましたけど人命がかかってるなら仕方ないですよ。いたずら半分でやられてたら許しませんでしたけど」
「がっはっは! あの状況でそんなことする奴がいたら、半殺しを通り越して全殺しされても文句は言えねぇよ!」
「ふふっ、ですね」
豪快に笑い声をあげる大熊に釣られて、翔も小さく笑い声をあげて笑顔になった。
「んで話を戻すが、落語をわざわざ魔法に使うってことは、それを使わなきゃいけない理由があるってことだ。おそらく言葉の悪魔は、落語の噺を基にして相手に魔法をかける。そして、噺を基にした解決方法を用いれば、魔法を解くことが出来る。これがわかったんだ。大収穫だぜ!」
「そうか。それなら俺達悪魔殺しがいなくても、言葉の悪魔に対抗できる!」
「あぁ。それに、今回は相手の目的も分かってる。螺旋型魔法陣は完成に近付くほど、次の場所を特定しやすいって話したよな?」
「はい。覚えてます」
「実は市民会館襲撃の間に、麗子の方で次の魔法使用地点の目星を付けてもらっていたんだ」
大熊はスマホを開き、一帯の地図を画面上に表示した。
その地図を見て翔は気付く。螺旋を描くように点在していた点と線が、以前見た時には存在していなかった中心まで作成されて、完全に完成していることに。
「大熊さん、これって......!」
「あぁ。今回の大規模襲撃で予測が成った。今までの襲撃に把握漏れがあったとしても、魔法陣を完成させるには市民体育館と中心点になる諸刃山で絶対に魔法を使う必要がある。追い詰めたぜ」
大熊が地図上の二か所を指で指し示し、にやりと笑う。
「なら体育館で言葉の悪魔達を待ち構えれば、あいつらは罠があると分かっていても飛び込まなきゃいけない!」
「そういうことだ。若い悪魔に多いんだが、文明の利器ってのを軽んじる傾向がある。作戦成功の達成感で、自分の魔法をべらべら話しちまったのが運の尽きだ。次で勝負を決めるぞ翔!」
「はい!」
翔はこれ以上ないと言えるほど強くうなずいた。
「いい返事だ。それじゃあ、ここは日魔連に任せて拠点に戻るぞ。姫野のほうもかなりしてやられたみたいで、負傷と魔力の回復もしなくちゃいけないからな」
「あっ!?」
大熊の言葉で、姫野がたった一人で眷属2体を相手に足止めを買ってくれていたことを思い出した。
そして、それ以前のパトロール中の会話で、彼女は一つの魔法を使用しているときには他の魔法を使用できなくなると言っていたことも思い出した。
翔に追撃が及ばぬよう、眷属2体をその場に留めるための魔法を使用したのなら、カタナシが逃げ出す瞬間までずっと一人で防戦を続けていたことになる。
「く、熊さん! 俺、神崎さんが心配なんで急いで帰ります!」
そう言って翔は、昨日姫野が案内してくれた事務所まで全力で走り出した。
「あっ! おい、車で行った方が! ......聞こえちゃいねぇ。そもそもクマさんって、追いかけて白い貝殻製のイヤリングでも届けろってか。......ったく」
そう言って頭を掻きながら呆れる大熊だったが、その瞳は眩しい物でも見るかのように細められ、彼の胸には郷愁の思いがよぎっていた。
「姫野や翔。俺達の次の世代。死なせたくねぇなぁ......」
大熊は空を見上げてフゥーと息を吐き出した。まるで胸に籠ったわだかまりを吐き出すかのように。
「ジジイやラウラのチビが世話を焼くわけだ。俺達が動けるのはずっと後になる。だからこそその間、生き残らせるために全力を尽くさねぇとな」
そう言うと、大熊は停めている自分の車に向かって歩き出した。
不思議なことに、大熊の歩き出した一歩目はアスファルトをぬかるんだ地面のように凹ませ、くっきりと足跡を残していた。
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