飴と鞭と駒並べ
空も大地も、流れ出る水さえも赤一色に染められた結界内部。その中心部とも呼ぶべきかつて村であった廃墟にて、一人の男とその男に跪く複数の影の姿があった。
「さて、お前達にも伝えておこうか。吾輩の領土を散発的に荒らしまわっていた下郎共。その急先鋒たる悪魔殺しが、遂に結界内に侵入した」
口を開いたのは、一人の男。伝えると言ってもその目線は相手に向くことは無い。まるで独り言のように、それでいて実に事務的に事実のみを報告するのは、この真紅の領土を作り上げた結界内の支配者、血の魔王血脈のカバタ。
そして内容を伝えられるのは、カバタの手にかかった犠牲者であり、同時に親衛隊でもある終わりに連なる者達。
多くの場合、彼らは伝えられた内容に対して自主的な意見を求められることは無いし、自立した行動などもっとあり得ない。許される行為は、この後に続くであろう命令に対して、イエスと答えることだけである。
けれども今回に限っては、そんなその場しのぎの行動のみでは許されないらしい。
「それでどうする?」
「はっ?......どう、とは?」
いきなりカバタから投げかけられた抽象的すぎる質問に、終わりに連なる者達も言葉を詰まらせる。
そんな彼らをよそに、あるいは彼らの反応を大方予想していたのだろう。カバタは出来の悪い眷属だとでも言うように、蔑んだ目を向けながら続きを口にした。
「察することすら出来んか......お前達は自ら口にした約束すら忘れてしまったというのか?」
「一体、何のことか_」
「お前達はこう言ったではないか。回収率が落ちている分の埋め合わせはすると。
現世の飛び地たるこの領土は今、未曽有の危機に見舞われている。昨晩の宴すら、計画の段階で中止せざるを得なかったほどのな」
昨晩の段階で行われようとしていた、領土外の狩りに向かわんとする者達への決起の宴。
生き残った村人を生贄とし、命令を遂行できなければ、そして逆らえばどうなるのかの見せしめの場となろうとしていた宴は、悪魔祓い達の結界進行を遅らせる作戦の実行によって、期せずして中止となった。
例えいくら一人一人が雑兵に過ぎないと言っても、彼らの力は終わりに連なる者達程度では聞かされることの無いカバタの計画に、失敗というの名の影を落とすには十分な戦力だ。
そのため、いくらカバタと言えど一度相手の能力を分析し、脅威となり得るか否かを判断しなければならない状況であったため、自らの下僕の教育に時間を割いている場合等では無くなっていたのだ。
宴の予定が潰れ、一時的に流れていた話が再び持ち上がったことに気付いた終わりに連なる者達は、ビクリと身体を震わせる。
「どうした?予定が予定の通りに実行されるだけであるのに、どうして身体を強張らせる必要がある?」
「い、いえ、滅相もございません。しかし、狩りを実行しようにも、悪魔祓い、でしたか?
あの者達は結界の内と外、至る場所に部隊を配置し万全の包囲を敷いております。あの包囲を抜けるのは......」
宴が中止になったことに加え、その後に結界の壁付近で使い魔の率いて悪魔祓い達との戦闘を行った者達がいたことで、終わりに連なる者達も、主であるカバタに弓引く存在が結界外に集結していることに気が付いていた。
元村人の視点からしてみれば、それはまさに僥倖。いつ終わるかも知れぬ、地獄の日々に終止符を打ってくれるかもしれない福音だ。けれども、終わりに連なる者達の視点からしてみれば、その存在の意味は大きく変わってくる。
自分達はカバタによって殺され、どういうわけか蘇り、カバタに忠誠を誓わせられた存在だ。そんな自分達が、悪魔祓い達と相対したらどうなるか。
そんなことは考えるまでもない。カバタの部下の一体、化け物の一体として問答無用で討伐されることになるだろう。
他者からしてみればそれは救いだ。生き残った人間達を人質に、無理やりカバタの命令を聞かされていた哀れな死者が、ようやく眠りにつけるのだから。
けれども自分達は生前と同様の記憶を有し、感情を持ち、そして何より死の瞬間の恐怖が身体に刻み込まれている。このままではあの苦痛をもう一度味わうことになる。そんなものは救いではない。絞首台に吊るされる罪人と変わらないではないか。
「ほう。吾輩はニンゲンを刈り取ってこいと言ったのだがな。真に命令に忠実であるのならば、結界の目と鼻の先にニンゲンがいる状況を喜ぶべきであろうに」
「そ、それは......」
「クッ、クククッ。クワァッハッハッハ!!!」
なおも言いよどむ終わりに連なる者達の態度に、カバタは怒り出したりもせず、されど罰則とばかりに生き残りの檻に向かうわけでも無く、ただただ愉快とばかりに笑い出した。
「な、なにを......」
「クククッ、これが笑わずにいられようか!死体が死に恐怖しているなど、喜劇と呼ぶにも滑稽すぎる内容ではないか!」
「っ!?」
バレていた。自分達の思惑が完全に見透かされていた。
思えば、今回のカバタの命令はいつにも増して回りくどかった。彼の目的は最初から自分達の反応を楽しむことだけだったのだ。
自分達がうやむやになっていた人間狩りの話を持ち出されたらどう反応するか。カバタの力に最低限抗う力を持っている相手に戦ってこいと命じられたらどう反応するか。そんな絶望の表情を眺めるためだけの問答に過ぎなかったのだ。
「ハハハハッ!だからニンゲンを飼うというのは面白い!知恵足らずで無力なくせに、抑圧されるとどういうわけか、いつかは自分の立場が改善されると根拠の無い自信を頭に抱く。これほど愉快な生物などおらん!」
「あっ......あっ......」
真紅の魔王は笑い続ける。人間が愚かであり続けてくれたことに感謝をしながら。次に発する言葉によって、さらに愉快な踊りを見せてくれることを確信しながら。
「お前達は吾輩に忠誠を誓いながら、裏ではどうやって怠惰な毎日を過ごすか模索していた。これにはどんな罪が似合うだろうなぁ?」
「どうか!どうかお許しを!」
魔王は笑う。目の前の死体の言葉には、必死さ以外に真実など欠片も含まれていないことを知っていたから。そして、多くの鞭を振るった後の飴は、相手の脳髄まで蕩けさせるほどの絶品の甘露に変わることを知っていたから。
「そうだな......ならチャンスをやろう......」
「お許し......へあっ?」
「死体であろうと、意志あらば死に恐怖するのは当然。ならば、お前達には別の命令を下そうではないか」
突然の心変わりは相手を困惑させる。揺れる心は、正常な判断能力を失わせる。
「部隊を二つに分けようではないか。一方が結界外へ。もう一方が、吾輩と共に侵入者の迎撃へ。
おっと、もちろんこれでは結界外の班が割に合わんだろう。何せ多数の悪魔祓いに袋叩きにされる可能性があるのだからな。
そこでだ。お前達が結界外に赴く際に、吾輩が使い魔を操り悪魔祓い共を撹乱する。その後、包囲から脱出した者共が、付近の村々を襲いニンゲンを狩る。こうすれば命の危険は無い。成功すれば、全ての咎も帳消しにしてやろう。これ以上の譲歩は無いぞ?」
ごくり。誰かの喉が鳴った音がした。それほどの内容だった。それほどに魅力的な提案だった。このチャンスを不意にすれば、二度と甘い裁定など望めぬほどの。
「やっ、やります!やらせてください!」
一人の終わりに連なる者達の手が上がる。流れは生まれた。カバタのやるべきことは、この流れを大いなる濁流へと変えること。
「そうか。やってくれるか。さて、それならば他の配置分けをどうしようか。あまり人数を偏らせるわけにはいかんからな」
カバタが一言口にした。それだけで、趨勢は決定した。
「お、俺も!」
「儂もだ!」
「俺も混ぜてくれ!」
我も我もと、流されるままに遠征班に組み込まれていく終わりに連なる者達。
己を殺した憎き相手であるはずなのに。忌避していたのは人殺しそのものであったはずなのに。魔王の見せた慈悲によって、終わりに連なる者達のタガは外れていく。心まで化け物に成り下がっていく。
「ここまでにしようか。それではお前達は、今すぐ結界外へと向かえ。残りの者共は吾輩と待機だ」
その言葉と共に、遠征班は意気揚々と駆け出した。少しでもカバタの支配から逃れられる時間を得るために。何かの間違いで自分の行いが評価され、自分だけでも待遇が改善されるように願うために。
そんな彼らを見つめる待機班が、カバタに対する忠誠度が高いのかと言うとそうではない。彼らは彼らで自分が命を失うリスクがこちらの方が低いと考えただけだ。
敵はカバタの使い魔を討伐する程度の能力は有しているが、それも一体一体を囲みながら、最新の注意を払ってだ。そんな相手がたった二人であれば、数で勝る自分達の命が脅かされる可能性は低い。そんな浅ましい考えから、彼らは結界外に残ったのだ。
「ククク、さぁ来い悪魔殺し。最高のもてなしをしてやろう」
カバタは全てに気付いていた。その上で見逃した。外に向かった者共も、内に残った者共も所詮は捨て駒。彼が目的を達成するまでの時間稼ぎに使えればそれでいいのだから。
彼の真の目的。いつの時代も血の魔王の討伐に顔を出す、遠い遠い自らの子孫に接触することさえ出来れば、こんな結界も必要ないのだから。
己の計画の成功を信じて疑わないカバタの背後。こちら側に残ることを決めた終わりに連なる者達の中に、第一犠牲者たるあの青年の姿があった。カバタの命令に絶望もせず。カバタの甘言に耳を貸さず。青年は決意を示すかの如く、ただ永遠と拳を握りしめていた。
次回更新は6/21の予定です。




