受け入れられる温もり
あの後落ち着いたニナと連携を確かめ合い、用事が済んだラウラも合流して、血の魔王との対策で夜が更けていった。
そして翌日、屋敷の前に立つは翔とニナ。出来る限りの準備と作戦を叩き込み、これ以上ないほどの士気によって、いつでも血の魔王との戦いに赴く用意は出来ていた。
「私が出来うる限りの支援は全部やったわ。それにあなたには、ディーのお墨付きを貰えたあの魔法もある」
「擬井制圧 曼殊沙華、でしたっけ?」
「知らないわよ。ディーがあなたにそう呼ぶように勧めた。あなたがそう呼ぶように決めた。伝書鳩に意見を求める方がおかしいわ」
「あ~......そうっすね。すみません」
あの夜、戻ってきたラウラに開口一番に伝えられたことは、翔が生み出した新しい魔法、それに対するダンタリアの命名提案だった。
自身がダンタリアと面と向かって話していたのであれば、これから決戦の舞台に向かう相手に対して緊張感が無さ過ぎるだの、他にかける言葉は無いのかだのと小言の一つでも言ってやったものだが、当の彼女はラウラと話したのみ。
送り出してくれた時のように、こちらの敗北を微塵も疑っていないことは嬉しいことだが、緊張感が無さ過ぎて、翔は必要以上に脱力してしまわないかが心配になった。
「まぁ、何でもいいわ。あなたのその魔法は、空間内のあらゆる魔力を自分の魔力で押し出し、自身の魔力のみで構成された空間を作り出せる魔法よ。
血の悪魔の多くは、血液に自身の魔力を込めて魔法を発動する。あなたの魔法なら血液の侵入は許しても、魔力の侵入は完璧に遮断することが出来るはずよ」
「はいっ」
ラウラとの戦闘で新たに生み出された翔の奥義、擬井制圧 曼殊沙華の能力は、制圧と遮断だ。
噴出される高濃度の魔力は、制圧段階として空間内に存在する他の魔力を押し出し、内部で他の魔法の発動を封じることが出来る。そして遮断段階として外部から侵入しようとする魔力も完全に遮断するという、防御に特化した魔法である。
これから相対するであろう血の魔王は、自身や他者を問わずに血液を操り、多様な魔法を発動することが予想される相手だ。そんな相手に対して、疑似的に魔力の侵入を完全に拒む結界を張れるようになったのは、大きな収穫といえよう。
「けれどその魔法は、あなたの翼以上に魔力を多量に消費すること、有効範囲が著しく狭いこと、そして発動するとあなたにメリットを与えていた魔道具や魔法の効果も吹き飛ばしてしまうこと。昨日考えただけで、これだけの欠点があるわ。使い時を間違えないことね」
しかし今ラウラが言ったように、この魔法自体は翔の意思が半分、偶然が半分といった形で生み出された奇跡の産物に近い。そのため、擬翼一擲 鳳仙花を生み出した前段階のような先鋭化の途中であり、まだまだ弱点も多いのだ。
「分かっています。間違っても自分やニナの首を絞めることが無いように。使うときはしっかりと周囲に気を配れるようにするつもりです」
「口だけならどれだけ達者なことも言えるわ。......私の家族の命、任せたわよ」
「っ!はいっ!」
それは本来であれば絶対に聞かされることの無い言葉。何よりも身内を大切にし、自分の力で身内に降りかかる不幸を消し飛ばしてきた大戦勝者の口から語られた、小さな小さな信頼の言葉だった。
これまで翔に対するラウラの評価は、昨日の戦闘が行われるまでは呆れ、落胆、怒りといったマイナス感情が吹き荒れ、大暴落の一途をたどっていた。
けれども、魔力の制限がありながらも本気で戦い、その後のニナとの戦闘でも間接的にプラスの面が多かったことが評価されたのだ。苦難に立ち向かう身内の命を任せてもいいと、判断されたのだ。
それは身内にはカウントされていない翔にかける言葉の中では、最大限の言葉であったと言えるだろう。
「ニナ、覚悟はいい?」
「はい。お師匠様のおかげで、ボクは十分すぎるほどの支援と時間を貰えましたから」
ラウラも今更ニナを心配するような言葉はかけない。ニナもラウラという最大限の庇護者の傘に隠れて、甘えるようなことはしない。
それだけの時間が二人にはあったのだから。もはや二人に言葉は不要、別れ際にお互いの身体を抱きしめるのみだった。
「準備が出来ました。どうぞ中へ」
モルガンが屋敷の入り口に車を回してきた。ここからは目的地である血の魔王の結界まで一直線だ。戦いから逃げることは許されない。
「昨日言っていた通り私は最悪の事態に備えて、悪魔殺しの派遣をジェームズと話し合わないといけないから一緒にはいけないわ。
......この準備が全部徒労に終わることを信じているわよ」
「「はい!」」
「行ってきなさい」
「それじゃあ翔、行こっか」
そう言って翔を呼ぶニナの声には、昨日空港で出会った時のような、目に見えるような溌溂さは感じられない。けれども、その柔らかな自然体の表情は、より彼女を魅力的で女性的に映し出していた。
「そうだな。それにしても、ラウラさんといい、ニナといい日本語が分かる人間ばかりで助かったよ。
おかげで人生初の海外旅行だってのに、快適に過ごすことができた。後は血の魔王を討伐するだけだな!」
これから自分達は戦いの舞台に赴くこととなる。悪魔との戦いは三度目となる翔でも、万全の状態の魔王と戦うのは初めてであり、小さな緊張が自分の身体を強張らせていることがわかる。
自分でもそうなのだ。ニナの緊張はそれ以上だろう。そのため彼女が必要以上に肩を張らないよう、魔王の討伐は隅に置き、初の外国旅行がいかに快適な物であったかを話すことにした。
ニナが笑ってくれれば成功。緊張感が無いと苦笑いで窘められたとしても、作戦としては成功だろう。翔としてはどちらに転ぼうと問題ない発言のはずだった。
けれども、事態は第三の展開に移行することとなる。シンと、完全な沈黙という展開に。
翔は即座にとんでもない失敗をしたと悟った。
「......ちょっと待ちなさい」
ニナとのしばしの別れを惜しんでいたラウラの首が、錆びついた歯車のようにぎこちなくこちらへと向く。
「......どっ、どうしたんですか?」
「......翔、冗談で言ったわけじゃないよね?」
「あなた、そんなことも聞いてなかったの......?」
驚きに目を見開くニナ。呆れを通り越して、真顔で翔の正気を疑うような視線を向けるラウラ。
「え、えーっと、俺、もしかしなくても、やばいことを言いました?」
場を和ませようと頭を掻いて半笑いする翔だが、無言で頷く二人の視線が、その努力が無駄であることを如実に語っていた。
「翔......ボクはフランス語しか話せないし、もちろん翔が話しているだろう日本語も分からないよ?」
「へっ......?でも俺にはニナが日本語を話しているようにしか聞こえないんだけど......」
翔の耳に入ってくるニナの言葉は、どれも流暢な日本語に聞こえる。そもそも本当にフランス語で話されていたとしたら、英語の時点で壊滅的な翔に聞きとれるはずがない。
「......全く、大熊もそういう説明こそが一番必要なものでしょうに。あなたも少し考えてみなさい。これまで話せなかった言語を突然理解できるようになった。なら、そこには相応の理由があるはずよ。」
「え、えっと......理由って言っても、悪魔殺しになったくらいしか思いつかないんですが......」
「分かっているじゃない。そもそもの話、私達は人間という種族で、あっちは悪魔という種族。言葉が通じること自体おかしいと思わない?」
「あっ!確かに!」
自分と契約してくれた悪魔と言葉が通じていたせいで、翔はすっかりその可能性について除外していた。
ラウラの言うように、人間と悪魔は別種族。いくらお互いに言語を交わし合い、コミュニケーションを取る能力を持っていたとしても、言語そのものが完全に似通うことなどありえない。
むしろ、人間という種族だけでも数えきれないほどの言語が存在するのだ。その全てについて悪魔が精通している可能性など、それこそ天文学的確率だろう。
「悪魔は漏れ出る魔力の波長を使って、人間と会話をするの。
魔力とは全ての生物に宿る物。魔力を使えば、星の数ほどある人間の言語全てを理解しておく必要もなくなる。そうすることで、悪魔殺しの契約を含めた、あらゆる取引をあらゆる生命体と行うことができる。
そんな悪魔という種族と魂を共有している悪魔殺しは、語学に不自由しなくなるのよ」
「全然気が付きませんでした......あっ!そういえば、それなら何で文章とかは理化出来ないままなんですか?」
ラウラの説明を受けて、翔は一つの事実を思い出した。
それは、自分の英語の成績が壊滅的なままだったということだ。
何とか崖っぷち寸前で留まっているが、悪魔殺しの契約を行った後も英語の補習では教師に迷惑をかけ続け、文章自体もちっとも内容が浮かんでこない。
言葉は話せるのに、言葉を読めないのはどういうことなのか。そのことが疑問として浮かんできたのだ。
「簡単な事じゃない」
「簡単な事?」
「契約を交わす時に、契約書が読める必要はない。むしろ読めない方が、余計な粗探しをされなくて万々歳よ」
「あっ!あ~......そういうことかよ......」
言葉さえ通じれば契約は確認できる。なら成立のサインを書く時に、余計なことに気が付かれるリスクを自分から背負いに行く馬鹿はいない。
ラウラはそう言っているのだろう。
「......ふっ、ふふっ」
翔が今まで知らなかった事実に打ちひしがれているときに、不意に小さな笑い声が聞こえた。
「何だよニナ。またまた俺の物知らずが発覚したんだ。むしろ大笑いしてくれた方が、まだ納得がいくんだが?」
忍び笑いを漏らすニナに、翔がぶすっとした表情で文句を言う。
「ごめんごめん!別にこの笑いは翔を馬鹿にしたわけじゃないんだ!」
慌てたように、ニナがぶんぶんと手を振り釈明する。
「じゃあ何の笑いなんだよ?」
「あのね。翔が本当に外様の魔法使いなんだなぁって、あらためて思ったんだ。
翔にはボクとは違う常識があって、ボクとは違う考えがあるんだって今実感できたんだ。そしてだからこそ、デュモンであるボクと一緒に戦ってくれるんだって。
今更でしょ?気付くのが遅すぎるって、自分で自分のことを笑っていたんだよ」
ニナにとって自分の血とは忌避されるもので、自分は社会の中ではいらない存在であるという実感が常に心の中にあった。
けれども先ほどの翔の的外れな発言のおかげで、一つの事実に気が付くことが出来たのだ。自分の考えは魔法社会の中での狭い範囲の考えでしかないと。
翔のような外様の魔法使いにとって、自分の血は忌避されるものではない。ひるがせば一般人にとって、自分は他の魔法使いとほとんど変わらない存在だと思われるのだということに。
「どういうことだよ?ニナはニナだし、同じ悪魔殺し同士、協力するのは当たり前だろ?
デュモンだからだの、悪魔の血を引いてるだのなんて、魔王との戦いに関係無ぇじゃねぇか」
今一つ合点がいってない様子の翔は、それでもさも当然のことのように、自分のことを受け入れてくれる。そんな無意識の存在の肯定がたまらなく嬉しかったけれども、同時に気付いてくれない彼の察しの悪さに少しだけ心がモヤモヤとする。
けれどもそれで良かった。彼が自分の存在を肯定してくれるのだから。
「そうだね。なんでもない!......翔」
「どうした?」
「勝とうね」
「......おう!」
今はこのままでいい。信頼できる相棒のままで。
「緊張感を台無しにした時はどうしてやろうかと思ったけど、その様子なら大丈夫そうね。
ほら!いつまでモルガンを待たせるつもり?さっさと血の魔王を討伐してらっしゃい!」
「「はい!」」
それは二度目となる宣誓の言葉。されどもその意思は一度目とは比べ物にならないほど固く。肩にのしかかるプレッシャーは羽のように軽くなっていた。
次回更新は6/13の予定です。




