見守る上位者達
二人が抱きしめ合う姿を眺め、納得と少しばかりの安堵の表情を浮かべる少女が一人。
「ほら、私の言った通りじゃない。最初から荒療治で誰かに本音を話させればよかったのよ」
その正体は、翔をここまで呼びつけた大戦勝者の少女、ラウラだった。
彼女は屋敷から遠く遠く離れた雲の一つにあろうことか腰掛け、建物すら米粒に見える距離から二人の様子を窺っていたのだ。
「しかし、万が一お嬢様がこれ以上の無理をなさるようになっては......」
そう言って隣に同じように腰かけるモルガンがラウラに苦言を吐く。夕食時に無理やり連れ出されてから一切の手助けが出来ない状況で、間接的にニナの告白を眺めていたのだ。心配にならないはずがない。
「当たり前でしょ。これでも人選はそれなりに気を付けていたんだから。
それに、もしニナを傷つけるような真似をしていたら、私が確実に始末してたわよ。嘘だと思う?」
「いいえ、貴方様ともずいぶんと長い付き合いになりましたから。お嬢様のことに関してだけは信用しています」
「言うわね。けど、だからこそあなたは信用できるのよ、モルガン。
これで少しはニナも、私達に遠慮することを止めてくれたらいいのだけれどね」
「そうですな。お嬢様が自分を偽るようになってしまったのは、偏に私の力不足が原因ですゆえ」
愛想のよさに隠されたニナの本性。そのことをラウラとモルガンはよく理解していた。
他人とは分からない存在。分からないということは、次の瞬間、相手がこちらに襲い掛かってきてもおかしくない。そんな恐怖に常に曝され続けるということだ。
実際にそのような事態に遭遇することは滅多に無い。だからこそ多くの人間は、初対面の人間に緊張することこそあれど、恐怖を感じることは無い。
だが、彼女は幼少期に見ず知らずの人間達に包囲され、追いかけられ、剝き出しの殺気を浴びせられた経験がある。そのため、彼女にとっては無害な他人と、自分を殺そうとする異常者の違いが判断できなくなっていたのだ。
それでも、彼女は命を救われたラウラへの恩返しのため、魔法を極める道を選んだ。人付き合いが自分とは別方向の問題で苦手な師匠のために、見栄えの良い仮面を被ることを決めた。
ニナという少女の外面が嘘と隠蔽で組み上げられた瞬間であった。
「あの子の人格を歪めてしまったのは私も原因よ。老人が余計な心労を抱え込むものじゃないわ。それだけで寿命が縮むことになる」
「......説得力がある言葉と受け取っておきます」
「そうしときなさい」
今まではそれでもよかった。師匠であるラウラと、命を賭けて自分を救ってくれたモルガン、それとラウラの信用する悪魔殺し達との付き合いだけで彼女の生活は成り立っていたのだから。
けれど、血の魔王討伐の諸問題によって、彼女にも変化が求められるようになった。
デュモン家にとって、血の悪魔討伐は魔法使い達に自分達の存在を認めさせる一番の手段だ。その討伐から逃げ出すということは、立場を危うくし、悪魔側の人間であるというレッテルを張られかねない。
もちろん彼女は最初から血の魔王を討伐するつもりではあった。けれどもここで一つの問題が発生する。それが魔法の相性の問題で、ラウラの陣営から討伐の協力者を募ることが出来ないという事態だった。
彼女自身はたった一人で血の魔王へと挑む準備を着々と進めていたようだが、そんな分の悪い賭けをラウラが家族にさせるわけがない。
このためニナはラウラによって、急激な変化を求められた。自分の本質をさらけ出し、安心して背中を預けられる相手を新たに見つけ出すという変化を。
ラウラによって行われた荒療治は、一応の成功を見せた。しかし、元々上辺だけのコミュニケーションで自身の本性を偽り続けていたニナだ。モルガンの言う通り、今後ニナは心許せるその相手を何に変えても守ろうとし、逆に彼女の首を絞める結果に繋がるかもしれない。
「結局どうであろうと、最終的にはあの子を信じてあげることしか出来ないのよ。あの子の人生全てにレールを引いてあげることも出来るけど、その結果出来上がるのは、ヒトではなくロボットよ。いえ、この場合はブリキの列車と言った方が正しいかしら?」
「自主性が失われると?」
「そういうこと。人が玩具に向けるのは、愛ではなく愛着。愛着で人間は満たされない。
私、あの子には幸せになってもらいたいの」
「だから此度はわざとお嬢様に無理をさせたのですか」
ラウラの庇護下にいれば、最低限の幸せは手に入れられる。しかし、力を求めず庇護に入るということは全てを諦めるということ。デュモン家の名誉の回復やニナ自身の行動の自由を捨てるということだ。
ニナと初めて出会った頃のラウラであれば、その選択を彼女が選んでも仕方ないと思っていた。
けれどもニナは、そんな甘く怠惰な方法を選ばなかった。弟子入りという茨の道を自ら選んだ。そんな彼女だからこそ、ラウラは幸せになって欲しいと願うのだ。
「肉体的、精神的な問題はクリアしたんだし、後は知識面の問題を片付けてあげれば、えっ?」
秘密の会話を続ける二人だったが、不意にラウラの胸ポケットから振動が起こる。振動の主は彼女のスマートフォン。画面の通話相手にはダンタリアと書かれていた。
「モルガン、先に下に送るわ。二人が落ち着いたらお茶でも出してあげなさい」
「承知しました」
ラウラの態度の急変に、何かを察したモルガンは何も言わずに命令を受け入れた。
そして彼を地上へと転移させた後、ラウラは迷わず通話ボタンを押す。
「やぁ、一通りの問題は片付いたようだね」
「やぁ、じゃないわよ!ちょっとディー!いつの間にスマートフォンなんて手に入れてっ......いや、それより!
その発言をするってことは、今までの内容を見ていたわけ!?」
通話の相手は見知った存在、知識の魔王、継承のダンタリア本人だった。
魔王が前回の大戦で存在しなかった文明の利器を巧みに利用していることにもツッコミを入れたかったラウラだったが、それ以上に彼女がこちらの事態を把握しているような物言いをしたことが気になった。
「ふふっ、瞳だけちょっとお邪魔させてもらったよ。
大戦勝者の力を目の当たりにさせることは悪くないけど、最初から勝ちを譲るつもりだったのだからそこは譲ってあげるべきだったね。成功体験というのは思った以上に効果があるものだよ?」
「そっ、それは!だって、二回も負けるの嫌だったし......」
先ほどまでの大人びた雰囲気はどこへやら。最も古き親友と会話をする時のラウラは、年齢相応か、それ以上に幼い少女へと逆戻りしていた。
「それよりもよ!あなたが盗み見していたことはもういいわ!どうして今更になって電話をかけてきたのよ!」
長年の付き合いによって、ダンタリアがこういった小さな悪戯を好むことは分かり切っていた。そして、彼女がこのような悪戯を実行する場合、多くは隠された本質がある。それを理解していたラウラは、ダンタリアを問い詰めた。
「大したことじゃないさ。ただ、これから血脈への対策を詰めるつもりなんだろう?その時に、とある内容だけはぼかしておいて欲しいと思ってね」
「どういうこと?それだとニナ達は余計なリスクを一方的に背負うことになるのよ?」
今しがたのダンタリアの提案は、簡潔に言ってしまえば魔王の情報の一部をあえて二人には秘密にしておけというものだ。魔法使い通しの戦いにおいて、既知とはそれだけで立派な武器となる。
その有利をみすみす捨てるというのは、いくらダンタリアの提案と言えども、はいそうですかと黙って受け入れることは出来なかった。
「そうだね。ラウラが私からの提案を受け取り、素直に実行したら、二人は窮地に立たされることになるだろう」
「だったら」
「けれど、その問題を乗り越えた先には大きな成長が待っている。君が一番弟子をあえて突き放した時のようにね」
「......それを引き合いに出すのはずるいじゃない」
自分はニナの成長のために、あえて彼女に過去を語らせ傷つける真似をした。どうせ自分を説得するだけの言葉を用意しているだろうダンタリアを強く否定するつもりは無かったが、自分の行いを引き合いに出されてはラウラも言葉に詰まってしまう。
「ダメかい?」
「......まだダメよ。ディーの提案は私の場合と違って、最悪の場合、あの子達二人の命だけじゃ済まなくなる可能性が高い。しっかりと理由を言ってくれなきゃ、いくら親友のお願いでも聞けないわ」
ラウラがニナに行った行為のリスクは、言葉は悪いが彼女が新たなトラウマを背負うことになる程度だ。
しかし、ダンタリアの行為のリスクはその遥か上を行く。悪魔殺し二人の命はもちろん、力を付けた血の魔王を止めるために出るであろう魔法使いの損失、そしてその余波に巻き込まれるだろう一般人の被害など、失敗のリスクは計り知れないものだ。
ラウラが納得できるだけの理由が無ければ、とてもじゃないが頷ける内容ではない。
「ふむ。そう言うのはごもっともだ。けれど、私としても理由を今話すことが出来ないんだ」
「それじゃ_」
この話は終わりだ。そう言おうとしたラウラの言葉をダンタリアが遮った。
「なら時間が空いた時にでも、少年と同じように、ラウラが執心の少女にも私が稽古を付けてあげるというのはどうだい?」
「えっ?」
ダンタリアの提案に、言葉を遮られたことも忘れてラウラは思わず聞き返す。
そもそもダンタリアという魔王は、非常に古典的な悪魔として知られている。この場合の古典的とは、対価さえ払えばどんな契約も確実に守るという意味だ。
その魔王がたかがお願い一つで、視界に入れてすらいなかっただろう悪魔殺しの面倒を見ると言ったのだ。全ての始まりから知識の蒐集を続けてきた存在に稽古を付けてもらえる。それがどれほどの意味を持つか分からない魔法使いはいない。
通常であればあり得ないほどの破格の条件であった。
「あの子に無償で知識を授けた時から思っていたけど、ディー、貴方何かやろうとしているわね?」
ラウラが頭に浮かべるのは、外様でありながらもたった一週間で画期的な魔法を開発し、教会秘蔵の突起戦力であるマルティナを下してみせた少年の姿。
あの時もダンタリアは、気に入ったという理由だけで少年の助力を行っていた。これも本来の彼女であればあり得ない行いだ。
続く不可思議な行動、彼女の性格を考え、ラウラは今回の件すら一片に過ぎないもっと壮大な計画をダンタリアが練り上げているのだと予想した。そしてラウラの予想は、スマフォ越しから聞こえるダンタリアの苦笑を持って、真実だと判明する。
「ふふっ、付き合いの長さゆえ、というやつかな」
「その言葉は嬉しいけど、さっさと白状しなさい。一体何をしようとしているの?」
「そうだね。世界平和なんてどうだい?」
「......」
ラウラの問いに答えたダンタリアは言葉こそお茶らけたままだったが、その声は酷く平坦で、それゆえに嘘や冗談の類でないことがよく分かった。
「これでもダメかい?」
「......はぁ~。分かったわよ。言うとおりにしてあげるわ。ディーの言葉のおかげで、今回の作戦の勝算が高いことが分かったものね」
彼女は契約を重んじる悪魔。その彼女がニナに稽古をつけると言ったのだ。ならば、どんな形になろうとも、自分の弟子がこの戦いで命を落とす可能性だけは低い。ラウラがダンタリアの願いを汲んだ理由には、そんな打算的な考えも含まれていた。
「ふふっ、ありがとう、種族の垣根を越えた我が親友よ」
「......その代わり、これで貴方の予測が外れてあの子の命が失われでもしたら、私、大分荒れるわよ?」
「......多くの運命が歪みそうだね。覚悟しておくよ」
「それで?結局、何をぼかして伝えればいいの?」
「そうだね。___を。あぁ、そういえば少年が新たな魔法を開発していたんだったね。ついでに私からの命名を伝えておいてくれないかい?」
「それくらい自分でしなさい!私のスマフォに無理やり通話を繋いだ魔法があるでしょうが!」
「そう言わずに。二人の可愛い愛弟子と親友に良いところを見せ続けておくれよ」
「もうっ!」
時に茶番を含み、それでも本筋を違えることはなく、超越者達の会話は続くのであった。
次回更新は6/9の予定です。




