天変のち荒天
「ラウラさんの髪の色が......って、冷たっ!な、なんだ!?雨!?」
彼女の変化に戸惑う翔の鼻先に、ポツリと一つの雫が落ちる。
そこから連鎖するように、最初はポツリポツリと、次第にパラパラと雨が降り出したのだ。
ベッドに半強制的に拘束された翔では、このままでは雨でずぶぬれだ。けれども事態を予測してくれていたのだろう有能な執事であるモルガンが、かなり大型の傘を、さっと翔の上に掲げてくれた。
「ラウラ様は天候によって使用できる魔法が完全に切り替わる魔法使いです。
物理攻撃主体の天原様との戦いでは、変化魔法である雪模様が刺さりましたが、相手の魔法を強制的に停止させてしまう契約魔法使いのお嬢様とは相性がよろしくない。そのため、天候を切り替えたのです」
「あっ、ありがとうございます。ん?天気によって、使える魔法が変わる?......それにあの髪色、見たことがある」
太陽のような赤い髪色、そして先ほど戦った吹雪を思わせるような白い髪色の他に、翔はもう一色だけラウラの変化した髪色を見たことがあった。
「確かあの髪色のラウラさんは、水をかけた相手をワープさせる能力があるはず」
青髪のラウラに、翔は何度も制裁を喰らってきた。そのため、大雑把ではあるが彼女の魔法についての知識があったのだ。
「厳密に言うと、あの魔法雨模様は、降りしきる雨の一粒一粒に、対象をラウラ様の好きなように転移させる魔法が仕込まれています」
「雨の一粒一粒!?そ、そんな!だって、そんなものどうやったって回避できないじゃないですか!」
すでに雨はパラパラからサーサーとさらに勢いを増している。どれだけ反射神経の良い人間であろうと、全ての雨を回避するのは物理的に不可能な量だった。
そして、全ての雨粒に強制転移の魔法が仕込まれているのであればラウラの下まで近付くのも難しく、場合によってはいつぞやの頭から地面に叩き落された翔の動きを、永遠に再現されてしまう可能性だってある。
「いえ、魔法自体は、自身の魔力を消費して相殺することが可能です。一粒に込められた魔力も大したものでもありません」
「そっ、そうなんですか?それならニナにもまだ勝機が_」
「ですが、あの魔法の恐ろしさは、別の部分にあるのです」
「えっ?」
「天原様、考えてみてください。仮に一つの雨粒に込められた魔力がどれだけ矮小だろうと、ここまで強くなった雨では、ただその場にいるだけでも大きく魔力を消耗することになります」
雨粒の転移魔法は、自身の魔力で相殺ができる。しかし、その相殺が適応されるのは雨粒一つの魔法のみだ。
次に自分に触れた雨粒の魔法は。その次は、またその次は。そうして雨粒の魔法に抗っているだけで、自身の魔力は大きく消費させられてしまうのだ。
「あっ......け、けど、短期決戦なら!」
「天原様は、あの魔法を使用しているラウラ様が、自身を転移させるのを見たことはありませんか?」
「えっ......ああっ!」
モルガンの言葉で翔は思い出した。青髪のラウラが、自在に転移をしていたことを。それも自身に水をぶつけたりすることもなく、よっぽど自由に転移していたことを。
「ラウラさんは防御に回っていればいいんだ。相手が魔力切れを起こす、その時まで......」
そう、雨粒に触れるだけで相手が消耗するのであれば、ラウラから相手を攻めなければいけない理由など存在しないのだ。
彼女はただ眺めていればいいだけ。自分に追いすがろうとする相手から遠ざかり、逃げ出そうとする相手には近付き、そうやって相手が破綻する瞬間を待ちわびるだけでいいのだ。
「その通りでございます。そのため、今までお嬢様も雨模様のラウラ様には、碌に抵抗すら出来ず敗北を重ねてきたのです。
その事実は、対面していたラウラ様が一番ご存じのはず。それなのに、雨模様へと切り替えた。
ラウラ様は、お嬢様を試そうとしているのでしょう。天原様を試した時のように」
モルガンの言葉が正しいのであれば、ラウラは翔の可能性を見出すため、彼が一番苦手としている変化魔法で戦いを挑んだ。
そして、今はニナが一番苦手としている契約魔法で戦いを挑んでいる。考えられる理由はただ一つ、彼女の可能性を見出すため。
これから待ち受ける戦いのため、そして何よりも彼女の成長のため、ラウラはあえてニナを千尋の谷に突き落としたのだ。
これらは全てニナを思っての行動だ。ラウラの性格から、ニナが命の危機に陥ったりすることが絶対にありえない中での戦いでは、翔がラウラに文句を付けられることは何もない。
だが、それでもニナのために、翔は何かをしたかった。面識も無い自分のために自らの師匠へ声を張り上げてくれた彼女のために。ラウラの魔法攻略のため、リスクを承知で助言をくれた彼女のために。
翔の心は決まった。
「ニナァァァ!頑張れえぇぇぇ!!!」
ただの応援、されど応援。混じりけの無い純粋な思いをこめて、翔は未来の相棒に声を届けるのだった。
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「ニナァァァ!頑張れえぇぇぇ!!!」
さほど離れていない戦場。そしてラウラの魔法の切り替えによって、一時的に静寂が場を支配していた戦場に、翔の声が響き渡る。
その言葉には助言は見当たらず。その声量は場合によっては集中を乱す雑音だったかもしれず。けれども、偶然生まれた膠着によって、その言葉と意味は、思い人に正しく届けられることとなった。
「あはっ、あはは!嬉しいなぁ。純粋な応援の言葉を貰うなんて、何年ぶりだろう?」
「......全く、スポーツ観戦か何かと勘違いしてるんじゃないかしら?意味の無い大声を張り上げて。戦場だったら、敵に位置はばれる、物音を聞き逃す、耳がマヒする。良いことなんて一つも無いわ。
純粋な直情型が過ぎるでしょうに......」
口元を綻ばせるニナと、不機嫌そうにぶつぶつと文句を付けるラウラ。二人の反応は両極端だった。
「意味はありましたよ」
「例えば?」
「その姿のお師匠様に、今日だけは本気で勝ちたいと思えましたから」
「......」
思わず額に手を置き、天を仰ぐラウラ。
その表情は、非合理的な考えを諫めるべきか、高いモチベーションを持ってくれたことを喜ぶべきか迷っているように見えた。
「まぁ良いわ。あなたがこの場で頑張ってくれること、そして血の魔王との戦いに生き残ってくれさえすれば文句はないもの」
ラウラの身体がぶれる様に消失する。そして次の瞬間には遥か高空へと転移していた。開いた傘の何らかの能力か、彼女は空中に留まったまま、落ちてくる様子は全く無い。
「はい。だからボクもいつかの時のために用意した物を、使い切るつもりです」
そう言ってニナは、ツギハギだらけでボロボロのローブを取り出し、迷わず着こむ。
そして、距離の離れてしまったラウラへ、猛追を開始する。
「そう。なら優しく敗北を教えてあげるわ」
空中の自分への対処。一体どんな解決法を用意してきたのかは知らないが、わざわざラウラが攻撃をもらう必要もない。
理由は知らないが、雨粒への魔力抵抗もニナは放棄している。ならば彼女の身体を後方に飛ばしてしまおうと、ラウラが魔法を発動した。
けれど、ニナの身体は変化を見せなかった。
そしてそれは、自分への追撃も止んでいないことを意味している。
「はぁ!」
ニナが銀色の刀剣をラウラへと振るう。空中と地上、普通であればもちろん届くはずがない。
だが、彼女の刀剣は形状を変化させた。まるで小さくまとめていた鞭が、本来の長さを発揮するように、しなる刃は銀の鱗を持つ蛇の如くどこまでも伸びていく。
そうして小さな驚きを見せたラウラに、銀の剣閃が迫りくるのだった。
次回更新は5/8の予定です。




