凍てつく白、静止の赤
衝撃によってめくれ上がった地面、破砕された氷のスパイク群。それらを見るだけで、先ほどの翔とラウラの戦いがいかに実戦形式であったかがうかがえる。
そして今まさに、もう一度戦いの舞台に立つ影が二つある。
一人は先ほど翔と激闘を繰り広げたラウラだ。身に着ける帽子や服だけに留まらず、自らの身体さえも氷に変化させる魔法を使っていたおかげで、パッと見る限り負傷の類は見られない。意気込む姿も一戦交えてきた人間とは思えないほど、ヤル気に満ち溢れている。
一方、対面するのは彼女の弟子であるニナ。武器の姿は見当たらず、身に宿す魔力も、感知能力に長けた人間ですら感知するのが困難なほどに小さい。とてもこれから戦おうとする魔法使いの姿とは言えない様子だ。しかし彼女も師匠に負けず劣らず、心は戦いの炎で燃え上がっている。
炎の燃料は先程の激闘。大戦勝者に果敢に挑み、あまつさえ一撃を加えて見せた少年に、自分も続かんとしていた。
「お師匠様、よろしいのですか?
翔には言いませんでしたが、いくらお師匠様とて、肉体凍結からの再生はかなりの負担であるはずです。そこからボクと戦ったりしたら、魔力の回復には多大な時間を要するはず」
口火を切ったのはニナだった。彼女の師匠であるラウラは、文句なしに人類最高レベルの魔法使いだ。しかし、そんな彼女ですら肉体の完全変換、そこから続く再生には膨大な魔力が消費されるのだ。
裏を返せば、ニナの命を守るため、翔の教育にそこまでの無理を重ねたということになる。
彼女には敵が多い。万全の状態であれば一蹴、多少の消耗程度なら無差別破壊でチリすら残さず、けれどそれ以上であれば万が一、億が一にでも襲撃者の切っ先が、彼女の喉元に届きうることがあるかもしれない。
そんなもしもを考えた忠告だった。けれど、ラウラはその言葉を一笑に付す。
彼女にとって家族とは、それほどまでにかけがえのないものだったから。そしてそもそも自分を心配する言葉をかけるニナの瞳が、ギラギラと輝いていたことに気が付いたから。
「言うじゃない。けど心配は無用よ。私はいつだって私の幸せのために行動してきた。その末路がどうだろうと受け入れる覚悟は出来ている。
それに、やる気を出した弟子を放っておいたら師匠失格じゃない。普段の私から多くを学び取ろうとする貪欲な目も好きだけど、今の私相手に本気で勝利をもぎ取ろうとしている目はもっと好きよ」
「あはは!やっぱりばれちゃいましたか。その通りです。あの日憧れた背中を追いかけるのを、止めるつもりはありません。けど、今日だけは自分の欲を抑えきれませんでした」
脳裏に映るは蒼穹の如き一閃。ある意味おとぎ話よりもずっと想像の産物としか思えない翼を翻し、全ての障害を突き破って見せた少年の姿は、新たな憧れとなってニナを突き動かしていた。
彼に追いつきたい。望むのであれば本当の意味で相棒として隣に立ちたい。そんな欲望を彼女に抱かせたのだ。
「ふふっ、あなたとあの悪魔殺しを会わせたのは、予想以上の収穫だったみたい。
いいわ。胸を貸してあげる。かかってらっしゃい」
「いきます!」
ラウラが愛用しているビニール傘を主軸に凍結させ、彼女の身の丈ほどのランスを作り出す。ニナが武骨なソードオフショットガンをどこかから取り出す。
師弟対決の火蓋が切って落とされた。
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「えっ?ニナは今どこから銃を取り出したんだ?」
所変わって、彼女達の戦いをベッドの上で見物させられているのは翔。ごてごてと様々な機器等を取り付けられているせいで、見た目は末期症状の重症患者といった体だが、本人としてはまだまだ元気は有り余っていた。
けれども肉体、魔力両方の回復を考えて動くことは許されぬ身である彼にとって、出来ることは今後の魔王との戦いに備えて、ニナの動きを少しでも学んでおくことだけだった。
さしあたって彼の目を引いたのが、ニナが虚空から取り出した得物だ。
遠目から見ただけでも、彼女の手にする銃はしっかりとした作りをしており、ラウラのように変化魔法によって生み出した物とは思えない。
ならばどうやって。その疑問の答えは、翔の傍らからやってきた。
「もし、天原様。よろしければ私がお嬢様の魔法について解説をいたしますが」
声の主はモルガン。これまで出会ってから何度も、かゆいところに手が届く細かなサポートを行ってくれた執事の鑑のような人物だ。
今回も翔の様子を見て、声をかけてくれたのだろう。
「あっ、えっと。いいんですか?」
「えぇ。天原様はお嬢様の大切な協力者。ならば私が協力することを拒まれることこそあれど、求められて拒むようなことは断じてありません」
「すいません。それじゃあお願いします」
「承知しました。まず、お嬢様が取り出した銃。あれは魔道具内に保管されていたものです。
名前は天蓋の空。眷属を生み出す時のように、魔力の最大値を代償に捧げる必要がありますが、銃のような危険物等も持ち運ぶことが可能です」
ニナが取り出したショットガンのトリガーを迷わず引いた。ガァン!!という轟音と共に発射されるは何百発もの弾丸。何の防御も無く直撃しようものなら、人の原型すら留めないであろう破壊の嵐がラウラに飛来する。
しかし彼女も、ニナの動きにある程度予想がついていたのだろう。氷壁を発生させ、これを防ぎきる。
「ニナの戦法は、俺みたいに武器が主体なのか。それだとラウラさんの相手は厳しいだろうな......」
木刀という物理攻撃しか持ちえなかった己は、ラウラの操る氷に苦戦を強いられた。
そして今まさに、ニナの攻撃もラウラの魔法の前に完全に無力化されてしまっている。今後の戦況が不利に働くことが予想できた。
「それはどうでしょうか。あちらをご覧ください」
しかし、翔の意見はモルガンによって、やんわりと否定された。そして、彼が自分の言葉を即座に否定した理由、その根拠が翔の目に飛び込んできていた。
「何だ......?氷が、真っ赤に染まってる?」
先ほど弾丸を受け止めた氷壁、その分厚い壁と弾丸の接触面から、深紅が氷全体に広がったのだ。
さらに赤色の浸食はそれだけに留まらず、分厚かった氷の壁を、まるで乾いた血の塊のような材質へと変化させた。
「やぁっ!」
いつの間にか得物を、ショットガンから両手持ちのハンマーへと切り替えていたニナは、ピック状になっている面を氷に向かって叩きつけた。
メシャりと奇妙な音を立てて大きく捻じくれた氷壁は、もはや壁としての役割を保ててはいなかった。
「あれがお嬢様の魔法、そしてデュモンの一族がその身に宿す魔法にございます。
お嬢様の血に触れた魔力は、それがどんなものであろうと、その働きを停止します。例え、大戦勝者の振るう魔法であろうと」
勢いを落とさずラウラに駆け寄ったニナは、今度は逆側のハンマーヘッドを大きく振り下ろす。
対するラウラも、圧倒的な技量によって槍の先端をヘッドの中央にぶつけ、勢いを相殺したかに見えた。
だが、ニナの攻撃はハンマーによる打撃だけではなかったのだ。
「なっ、なんだ!?真っ赤な、粉?」
ハンマーと槍がぶつかり合った瞬間、ハンマーの側面部分から真っ赤な粉塵が飛び散ったのだ。
「お嬢様の魔法は、自身の血液の状態を問いません。流れ出たばかりの液体だろうと、粘性を帯びた固着寸前の個体だろうと、風に流される粉末であろうと、等しく魔法を停止させるのです」
「そっ、それじゃあ、あの場にいたラウラさんは!」
「いえ、流石はラウラ様。一筋縄では転びませんね」
「あっ!」
粉塵に飲み込まれたのかのように見えたラウラ。だが、彼女もまた、血液の粉塵が飛び散る瞬間に動き出していた。
バサリと音を立てて放射状に開いたのは彼女の槍。元々ビニール傘を基点として生み出していたその槍は、雨から持ち主を守る本来の役割を思い出したかのように、粉塵からラウラを守ったのだ。
続けて彼女は、侵食された氷を傘から剥がし、開いた傘を団扇の如く大きく振るう。そうすることで発生した一陣の風は、粉塵を残らずニナの後方へ吹き飛ばしてしまった。
ニナの魔法は、相手の魔力に反応し、その働きを強制停止させる魔法だ。つまり自然由来の現象には全く効力を持たないのだ。
「さすがお師匠様。ボクの魔法への対策は万全ですね」
「まさか!銃はともかく、そのハンマーを見たのは初めてよ。基礎はリリアン、作成はビラルってところかしら?」
「正解です。ボクは、ボクの力が弱いことをよく分かっています......
だから皆に力を貸してもらうんです。まだまだお師匠様を退屈はさせませんよ!」
そう言ってニナが取り出したのは銀色の刀剣。これまたラウラが見るのは初めての武器だった。
ニナの言葉から察するに、それだけ多くの武器と、それを使いこなす修練を積んできたのだろう。己が家族を守ろうと奔走する中、家族もまた、守られるだけの存在になり果てぬよう動いていたのだ。
ラウラに子はいない。けれども、親の目の届かない場所で子供は成長しているという言葉を思い出し、思わず笑みがこぼれてしまった。
「それなら私に出来ることは、応援することだけね」
ニナは翔という存在がいなかったとしても、自分一人で血の魔王に勝利しようとしていた。
ラウラが知る、ニナ自身のコンプレックスという殻を、自分で破ろうとしていたのだ。ならば己のするべきことは、乗り越えるべき壁として立ちはだかることだけだ。
そう決めたラウラは、自身の髪と瞳の色を変化させた。吹雪のような白色から、豪雨のような青色に。
次回更新は5/4の予定です。




