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93話 5月3日 ライルの真意

「えっ…」

 突然態度が変わったクライヴについて行けず、ディアナは目を見開く。けれども、クライヴはさきほどと変わらない、静かな笑みを浮かべて言うだけだった。

「別に、君の気持ちを疑っているわけじゃないんだ。君の心は君だけのものだし、それを誰かにどうこうする権利もない。だから、君は君の、やりたいようにやったらいいよ」

「………」

 静かな、まるで、誰の声も息遣いすら聞こえないと錯覚してしまいそうなほほえみ。それを正面から受けたディアナは、クライヴに自分を拒絶されたような気になって、たまらなく悲しくなった。

「―――――」

 ディアナの手から力が抜け、ぱたりと下に落ちる。つい今の今まで握っていたクライヴの腕の裾は、すこしだけくしゃりとゆがんでいた。……もしかしたら、今の自分の顔も、こんななのかもしれない。不自然についたしわをながめながら、ディアナは思った。

 そんなディアナに気づいていないのか、クライヴはライルに視線を向けると、感情のこもらない声で問いかける。

「殿下もお茶を飲まれますか? 必要だったらお持ちしますが」

「………いや、今はいい」

 クライヴの言葉にライルは首を振り、それよりも、と付け加えた。

「仕事、ひと段落ついたなら、町まで行って、サルーイン嬢に渡す魔伝鳥買って来てよ」

「…っ!」

 クライヴは、ぎり、と唇をかみしめてライルをにらみつけた。

 手は跡がつきそうなほど強く握られていて、まるで、殴りつけたいのを我慢しているかのよう。

 そんなクライヴの表情を、今まで一度も見ていなかったディアナは、びくりと肩を震わせた。

 ……クライヴさま、怒ってる…?

 自分が本当のことを言わないから。それにクライヴも気づいているのではないだろうか。

 ……でも、全部正直に話したとしても、クライヴさまにわかっていただけるとは限らないし……。

 ここは、前世でよく遊んだ恋愛シュミレーションゲームに似た世界なんですー。…なんてことを、あ、そうなんだー。とあっさり信じて受け入れてくれる人なんて、はたしているのだろうか? ライルはお仲間なので例外として。

 けれども、クライヴを怒らせたままでいいはずはない。ここはいっそ、ぜんぶばらしてしまった方がいいのではないか。もしも信じてもらえなかったとしても、その時はその時また考えればいい。

 そう決意したディアナは、きつい目をライルに向けるクライヴに話しかけようとした。けれど、先にライルが声をあげてしまったせいで、しかもその言葉があまりにも予想の範疇を越えていたので、ディアナはあっけに取られてしまった。

「………は?」

 言葉を向けられた当時者のクライヴにとっても、かなりの想定外だったようで、大きく開いた目と口がそのままになっている。

 ……呆然とするクライヴさま…。はじめて見た。新鮮…。

 いつも大人びた表情をしているクライヴが、初めて年相応の少年に見えて、ディアナの胸がときめいた。

 ディアナが両手を胸のところで握りこみ、クライヴがまだはにわ状態でいると、なかなか事態が動かないことを察したライルが、さきほどクライヴに向けたのと同じ意味の言葉をもう一度口にした。

「だからさ、早く魔伝鳥買って来て、お前とサルーイン嬢の魔力を込めて文通すれば? って言ってんの。わかった?」

 ……みのるライル、ナイス!

 ディアナは、心の中でライルにぐっと親指を立てた。

 ……そう言えばサムズアップって、わたしが前世で暮らしてた国では、賛成とか満足とか、いい意味で使われてたけど、批判的な意味合いだった国もあったよね。……フロンド王国はどうなんだろ? 今のところ、誰かがやってるところは見たことないけど…。

 今度、みのるライルに聞いてみよう、とディアナが思考を完結させたところで、ようやくクライヴが口を開いた。

「……それは…、あの…」

 クライヴが口ごもる。それもまた、ディアナにとってはめずらしい現象だ。

 ……わあ、わあ~っ。クライヴさまがかわいい~っ。

 必死な様子で、口を開き何かを言おうとしているけれど、言葉が見つからなくて口を閉じ、また何か言おうとする。を繰り返すクライヴに、ディアナはほっこりした気分になった。

 けれども、ライルの方は、そんなクライヴに呆れた声で言う。

「ああ、何ならサルーイン嬢と二人で選んで来たらどうだ? 今日の仕事はひと段落ついたんだろう?」

 まるで、厄介者を追い出すかのように、手で払うしぐさをするライル。

 だがしかし、みのりディアナは知っていた。そっぽを向いてぴらりと手を払う時のみのるは、ようするに照れているのだ、と。

「いえっ…、ですが、今日の仕事がすべて終わったと言うわけでは……」

 ……わっ、しどろもどろのクライヴさまもめずらしい…っ!

 クライヴが、所在なさげな手を頭に置いて話すのを見るディアナの視線は、もはや関心を通り越して感動の域だ。

 ……わたし、まだ全然クライヴさまのこと知らないんだなあ~。

 クライヴは、いつもディアナにやさしく笑ってくれるから、甘えてばかりいた気がするけれども。彼だって人間なのだ。当然怒りもすれば焦りもするし、困ったりもするだろう。

「………ふふ」

 ディアナの中にいたクライヴは、カンペキな人間だったのだけれど、その認識がいい意味で崩れた気がした。

 そんなディアナの気持ちを知っているのかいないのか、ライルは常日頃見せる飄々とした様子で、話を進めて行く。

「ふーん。じゃあ、ここに商人を呼ぶか」

「えっ、でも…」

「いいからいいから。いつもクライヴには無理させてるからね。お礼」

「ですが…」

「と今後もこき使う予定なので、先払い?」

「……出来ればお手柔らかにお願いします」

「うーん。善処はしよう」

 軽く言い合いながらも、ライルは、自分の席に戻って紙とペンを取り、さらりと手紙をしたためると、机の上に並べてある数羽の魔伝鳥のうち、水色のものを手に取った。

 手のひらサイズのそれのくちばしに、手紙を入れて閉じ、金で縁取りされた生徒会室の窓を開け、鳥を空へと放つ。

「ま、二時間もすれば来るよ。クライヴ、やっぱりお茶淹れて来て。お前の分も」

「かしこまりました」

 どうやら気の変わったらしいライルに乞われ、クライヴは一礼して去って行く。

 それから、「みのり」と小さな声でライルにうながされ、ディアナはもといた席に、ちょこんと座った。

「ありがとね、みのる」

「何が?」

「クライヴさまの機嫌、直ったみたいだから。ていうか、怒ったりあせったりするクライヴさま、初めて見た」

 ディアナの言葉に、ライルはああ、とうなずく。

「あいつ、いつもお前の前ではかっこつけてるからな」

 ライルの声に、ディアナは目をぱちくりさせる。

「そうなの?」

「ああ。まあ、基本多才なヤツだから、焦った姿はおれもあんまり見ないけど、いつもはほとんど仏頂面だし」

「え…!」

 信じられない…! とディアナは目を見張った。

「だって、クライヴさまって、ゲームの設定だと、いつもにこにこして、継母にいじめられたりしてる問題はあっても、明るく前向きだったじゃない? 今のクライヴさまも、それに近いと思うし……」

「いや? おれはクライヴと去年も同じクラスだったけど、あいつ、けっこうじめっとしてるぞ?」

「ええ~? わたしの前では明るいよ? いつも笑ってるし」

「お前の前ではな」

「え、なにそれ」

「あいつ、お前とほかの奴らに対する態度、かなり違うぞ。今度気をつけて見てみろ」

「え、それ、クライヴさまにとって、わたしだけ特別ってこと?」

「まあ、そういう事かな」

「ほんとう? うれしい~っ」

 ディアナが、赤くなったほおを両手ではさんで、きゃあと喜んでいると、ライルがまた話し出す。

「それを前提に聞いて欲しいんだけど」

「うん? 何?」

 はずんだ声で無邪気に聞いてくるディアナに、口を開きかけたライルだったけれど。

「――――お待たせいたしました」

 お茶の準備を整えたクライヴが戻って来たことで、沈黙せざるを得なくなった。

「どうぞ、殿下」

「……ああ」

「?」

 ティーカップを差し出されたライルの声に、すこしの落胆が含まれている。何をそんなに話したかったのかとディアナは考えるけれど、思いつく話題は特にない。

 その間にもクライヴは、まるで流れるようなしぐさで、ディアナのカップも取り替えた。

「え? わたしの分も淹れてくださったんですか? ありがとうございます、クライヴさま」

 ディアナが言うと、クライヴは、まるで執事のように右腕をお腹に当てて、頭を下げた。

「お嬢様のお口に合うといいのですが」

 顔をあげたクライヴは、やさしくほほえんでいた。ディアナがよく見る彼の顔だ。

「はい。いただきます」

 ディアナがカップに意識を向けると、ふんわりと甘く、そしてまろやかな香りが鼻をくすぐった。

「……いいにおい…」

 素直に感想を述べながら、カップを持ち上げ、少量を口に含む。

「おいしい…」

 口の中にフルーティな香りが一気に広がり、ディアナは思わずため息をつく。

 ライルも、自分の目の前にあるお茶とは明らかに違うそのにおいをかぎ、目を眇めた。

「これ…桃か?」

「ええ」

 ライルの問いに、クライヴは能面並みの無表情で答えた。

「殿下もこちらの茶葉がよろしかったですか?」

「……いや。おれはこっちでいい」

 言いながらクライヴを見るライルの瞳は、まるで彼を洞察するかのようだった。けれどクライヴはそれに気づいていないかのように、ふいと視線を逸らして、自分の分のお茶をテーブルに置くと、ディアナのとなりに座る。

「わたし、桃が大好きなんです。ありがとうございます、クライヴさま」

「どういたしまして。婚約者殿に喜んでいただけて何よりです」

「ク、クライヴさま、その執事みたいな言葉づかい、やめていただけませんか? はずかしいです」

「こういうの、嫌?」

「いやというか…、照れるというか…」

「照れたところなら、もっと見たいな」

「ええ~、それ、いじわるですよぅ…」

「そうかな? ごめんね」

 決して本気で謝っていないクライヴと、ほおを染めっぱなしのディアナ。

 楽しそうに話す二人を見据えながら、ライルは真剣な表情で口を引き結ぶ。

「………」

 そんなライルを横目に、クライヴはディアナとの会話を楽しむのだった。

次回のタイトルは『悪役令嬢ず、襲来。』です…!


ベアトリス「お~っほっほっほっほっ! 久々の出番ですわ!!」

イルマ「わたし達の存在感を見せつけてやりましょう!!」

シーラ「……………」

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