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86話 5月2日 ヨハンネスイベント発動中

 その場所は、正門から見ると、イリュージア学園の一番奥にあった。

 女子寮と男子寮の間にある鍛錬所のちょうどうしろに、休憩用のベンチがいくつかある。

 ディアナは、終礼を終えるとすみやかに教室から立ち去り、この場へと駆けつけた。

 ベンチの周囲には花壇があり、今は色とりどりの花が咲きみだれている。

 けれども、これは決して観賞用ではなく、学園の植物マニアによって育てられた、研究材料なのだ。

 事実、ばらやガーベラやカーネーションなど、視界に入るだけで癒されるたぐいの美しい花はここには一輪もない。

 あるのは、たとえ薬になるとしても、ぜったい口に入れたくなさそうな色の花や、見た目はゆりのようで可憐だけれども、小さな昆虫が近くに飛んできた時には、めしべの真ん中がぱかっと開き、中から飛び出してきた釣り糸のような触手が、コロコロのテープよろしく昆虫をぺたんと貼りつけ、昆虫ともどもめしべの中に戻って行く花など、一風変わったものが多い。

 そんな場所にあるベンチは、もっぱら植物マニアの休憩所と化していて、残念ながら恋人同士のデートなどという、甘やかなイベントに使われることはあまりないはずだった。

 けれども、広い広いこの世の中には、常に例外というものが発生するのだ。

 その一角を担うのが、ヨハンネス・メリカント。ゲーム『イリュージアの光』の攻略対象者で、ディアナのクラスメイトでもある人物だ。

 五月の最初の魔法授業のあとは、動物好きのヨハンネスとヒロインが一緒になって動物を愛でるイベントがあるのを、ディアナはしっかりと思い出していた。

 そんなわけで、ディアナも、一部の例外を観察するために、教室で一緒に寮に戻ろうとするファルシナに、これから用事があると言っていったん別れ、この場所に来ている。………はずだった。

「ううう…! かわいい~っ!」

 ベンチからそこそこ離れた場所に生えている大きな木に体をかくし、顔半分だけのぞかせながら、ディアナは、まるでイソギンチャクの触手のように、両手をわきわきさせていた。

 ディアナの視線の先には、ストロベリーブロンドの髪を持つ美少女、ヒロインファルシナと、その足元で気持ちよさそうに目を細めている小さなうさぎがいる。

 うさぎは今、ヒロインのきれいな手によって、頭やら首やら背中やらをなでられている。

 そうしてヒロインが手を離すと、今度はうさぎの方からヒロインに寄って行って、まるで「もっと」とせがむように、くりくりの黒い瞳でヒロインをじっと見上げるのだ。

 子うさぎのおねだりに根負けして、ヒロインがまたなで始めると、やがてうさぎが「おかえし」とばかりにヒロインの指をぺろぺろなめる。

 世紀の美少女と、くりくりおめめのキュートな子うさぎのたわむれ。

 はたして、これを見てときめかない女の子などいるのだろうか。いやいない。

 まあ、本当にいないかはさておき、すくなくともディアナは夢中になって、目の前の光景をながめている。

「いいな~。わたしもさわりたいぃ~!」

 のぞき見がばれるのはもちろんまずいので、ディアナは興奮しながらも小声でつぶやくという最低限の自分ルールは守っていた。おかげで、今、ディアナの存在に気づいているものは誰も……いや、ひとりいた。

「あんまり身を乗り出すな。見つかるぞ」

「あれ? みのるだ」

 いつの間にかうしろにいた前世みのること現世ライル殿下は、あきれた様子で言った。

「あれ、じゃないよ。何してんの?」

「何って…、ほら、イベントの観察っ。見てっ、今、ヒロインとメリカントさまが動物と遊んでるのっ」

「ああー、そうだなー」

 棒読み口調で答えるライル。

「これって、イベント通りだよね? ね?」

「まあ、そうだな」

「ちょっとみのる、落ち着いてる場合? イベント進んでるんだよ? もし逆ハーレムルートに突入しちゃったら、わたし、巨大ぶたにばりぼり食べられちゃうんだよ? まるで、おせんべいを食べるみたいにあっさりと!」

 淡泊な様子のライルに文句があるディアナだったけれど、いくら怒ったところでライルの様子は変わらない。どころか。

「さっきまで、うさぎに夢中だったくせに」

「うぐっ」

 痛いところをつかれ、ディアナは思わず胸を押さえる。あくまでノリで。

 今、ディアナとライルの視線の先で、まさしくゲームのイベントが進行していた。

 今回のヒロインのお相手は、ディアナたちのクラスメイトでもある、黒髪の魔法使い、ヨハンネス・メリカントだ。

「確か、ゲームだと、メリカントさまが入学式のあとで散歩がてらこの辺を歩いてたら、小鳥やら小動物やらが寄って来たもんだから、以後、ちょくちょく通うようになったんだよね。うらやましい」

「論点ずれてる。動物たちも、メリカントが餌付けをしたせいで、どんどん増えてるんだよね」

「それ、ゲームでも公式設定だったよね?」

「まあね。でも本来は、学生の餌付けは禁止だからやるなよ」

「えっ、じゃあ、いっそ乗り込んで注意しちゃう? そしたらもう、ここでのメリカントさまイベントは起こらなくなるんだから、いい案じゃない? ちゃんと切り札もあることだし」

「切り札って…おれの事じゃないよね?」

「えー、おれのことに決まってるでしょ。王国の第二王子で、しかも生徒会副会長。こんなにわかりやすい印籠、なかなかないと思う」

 ディアナが、マウス程度のサイズの四角いものを持った風の手を前に突き出し、「ひかえおろう!」と言っている横で、ライルが目を細くする。

「お前、本気で注意したいの? メリカントに餌やるなって」

「え~、そりゃあ、注意なんかしたくないけど。むしろ小動物ふれあいイベントに仲間入りして、一緒にもふもふしたいけど……」

「じゃあ、さわってくれば?」

「へ?」

 ライルの意外な提案に、ディアナは目を丸くする。

「えっ、だって……、今イベント中だよ? ヒロインとメリカントさま、デート中だよ?」

「………お前、イベントの邪魔したいの? したくないの? どっち?」

「本音を言うと、したくないような、したらもったいないような?」

「もったいないって何だよ。っていうか、どっちみち邪魔したくないのかよ」

「え~。だって子うさぎかわいいし~。ずっと見てたいし~」

 もういっそ、見てるだけでもいい! なんて言い出したディアナに、ライルは呆れた顔で選択を迫る。

「お前は、イベントが見たいのか? 阻止したいのか? それともうさぎにさわりたいのか?」

「さわりたい!」

「即答かよ。しかも食い気味。ま、なら話は早いか。行って来い」

「えっ、わっ…!」

 ライルは、ディアナを促すと同時に強い力で肩を押す。

 ディアナが思わず声をあげてしまった時には、すでにディアナの体、はそれまでかくれていた木から大きく離れていたのだった。

次回のタイトルは『もふもふイベント、開催。……していいの?』


ディアナ「いい! もふもふは正義っ!」

ライル「お前…本当にイベント回避する気あるの?」

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