79話 4月29日 あふれる感情
「………」
ディアナは、血に染まった手を前に、呆然としていた。
……何で、血? 机の中に手を入れただけなのに? …………まさか。
察したディアナは、体を横に折って、机の中を見てみる。と。
「――――!」
……うそ…。
何も入っていないはずの机の奥の方に、ずんぐりとまるく小さな物体が、ころんと転がっていた。
黄色い羽とくちばし。おそらく、学園の敷地でよく見かける小鳥だと思われる。
「………」
血まみれの机。その中に、無残に命を奪われた小鳥のご遺体。
……うわあ…。手が震えて来たよ。がくぶると。と、とりあえず体を起こさねば。横にしたまんまだと、きっと変に思う人が出てくる。それに、小鳥の死骸が机の中にあるなんて知られたら、大騒ぎになっちゃうし。
「………え…と……」
……まずやることは、……手を洗うのと、誰にも気づかれないように小鳥さんを弔うのと………、あとは、机を洗うこと…。
今、自分がするべきことが、三つほど頭に思い浮かぶ。
……と、とりあえず手を洗いに行く? でも、手はきれいにできたとしても、机はいつ外に運び出す? 今はだめ。これから授業が始まるって時間に、いきなり机を動かしたりしたら目立っちゃう。一時間目の授業は…薬草採取。先生が来たら外にみんな外に出るから、その時に居残れば………。………でも、教室に残ったりしたら、ファルシナ様かアルテア様が気にするかもしれない。あ、リューも何だかんだで目ざといんだ。
「………………、……どう…しよ…」
ため息と一緒に、涙がこぼれ落ちそうになるのを、ディアナは必死でこらえた。
今は泣いちゃいけない。泣いてる場合じゃない。
唇をかみしめて、必死にあがなう。
教室では、それぞれがグループを作って、授業前の息抜きとばかりに思い思いに会話を楽しんでいる。
そんな中、一人肩を震わせるディアナは、自分がひどく孤独だと思った。けれどその時。
「―――――え…っ…」
ぱさり。
突然、後ろから落ちて来た黒いタオルが、ディアナの血で汚れた手を覆った。
「それで手を押さえてください」
「え…」
うしろから声がして振り返ると、至近距離に長髪の少年がいた。
少年は、長身の細い体を折り曲げ、感情の見えない静かな声でディアナに語りかける。
「手…、怪我してますよね?」
「……っ…、」
何か言わないといけないのはわかっているけれど、手のふるえはもはや体中に伝染していて、もう思うように口も動かせない。
「………とりあえず、医務室に行きましょう。立てますか?」
「…………、…」
少年の言葉に、ディアナはどう返していいかわからなかった。
小鳥の血が手についているのであって、ディアナはけがをしていない。けれども、それを目の前の彼に伝えるのは、ひどく残酷なことに思えた。
なぜなら、黄色に黒を混ぜ合わせて深みを帯びたかのような、不思議な色の瞳を持つ彼は、学園内を自由に飛び回る小鳥をとてもかわいがっていた。
ときおり、昼食を食べる時に森のそばにあるベンチに座り、小鳥たちにパンをあげていたことも知っている。
実際に見たのは一度だけれけれど、前世では何度も目にした光景だ。
そう、彼は、ゲーム「イリュージアの光」に出て来る攻略対象者の一人、ヨハンネス・メリカント。
自分にとって大切なものは、たとえその手を汚してでも守ろうとする、情の深い少年だ。
……もし、メリカントさまが、小鳥を殺されたと知ったら………。たぶん、とても悲しむ。
彼に気づかれずに、小鳥を弔う方法はあるだろうか。でも、ディアナの手についている血が、けがのせいではないと知ったら、だったらどうして、教室にいながら手が血まみれになったのか、疑問に思うのは当然のこと。
「………」
でも、気づかれてしまった以上。手の血をこのままにしておくわけにはいかない。そう思ったディアナは、ヨハンネスにうながされるまま立ち上がろうとした。
けれども、足にうまく力が入らなくて、ひざががくりと折れてしまう。
「っ…」
「! ディー!?」
そのまま床に崩れ落ちそうになるディアナをとっさに支えたのは、ちょうどディアナの近くで学友と会話をしていたリュークだった。リュークはディアナの体を持ち上げると、腰に手を回して体を支える。
「さっきから見てたけど…顔色悪いぞ、どうかしたのか? ……って、お前どうしたその手…!」
ディアナは、倒れそうになった拍子に、握っていたタオルを落としてしまっていた。リュークの目に、血がべっとりとついたディアナの手が映る。
「……だいじょ…ぶ…、わたしは……けがしてない………」
心配そうに気づかうリュークに、ディアナはようやく答える。
今、自分に起きていることを把握すれば把握するほど、体の震えは大きくなっていく。
だって、血まみれの鳥が、ある日突然、勝手にディアナの机の中に入るわけがない。
おそらく、ディアナの知っている人間のうちの誰かが、悪意を持って行ったことなのだ。
……罪のないはずの小鳥が殺されたのは、……わたしの…せい…?
「……ブルス子息、まずは彼女の手の汚れを落としに行きましょう」
そう言ったのは、最初にディアナの異変に気付き、タオルを渡したヨハンネスだった。
「メリカント子息…。わかった。話は移動しながら聞く」
リュークは、長髪の少年…ヨハンネス・メリカントの意見を受け入れ、ディアナを支えながら移動をし始める。
「…え? なに?」
「どうかした?」
「何かあったの?」
その頃には、周囲にいた学生たちも、異変に気づき始めていた。ディアナの血に染まった手と、真剣な表情で両隣りによりそうリュークとヨハンネスに、ただならぬ雰囲気を感じ取り、教室がざわめく。
「――――ディアナ様…?!」
その中で、真っ先にディアナのもとに駆けつけたのは、ファルシナだった。
「ディアナ様、どうかなさいましたか?」
「………あ……」
気遣うように、やさしく声をかけてくれたファルシナに、ディアナは何かを話さなくてはと思うけれど、口を動かそうとするたびに、歯がかたかた鳴ってしまい、うまくいかない。
ファルシナは、そんなディアナに、今、彼女から話を聞くのは無理だと察したようで、質問する対象をディアナの体を支えている少年たちに変えた。
「ブルス様、メリカント様、ディアナ様に、一体何があったんですか?」
「申し訳ありません。おれにもよく………サルーイン嬢が、手から血を流していたので、タオルをお貸ししたのですが……」
ヨハンネスは、細い目をさらに細めながら、とまどった口調で答えた。
「とにかく、ディアナ様を医務室へお連れしましょう」
そう声をあげたのは、公爵令嬢アルテアだった。
「そ、そうですね」
「わたしも、その方がいいと思います」
騒動に気づいてはいても、何をしたらいいのかわからずに、ディアナの周りを取り囲むだけだった生徒たちが、未来の王妃の発言に同意する。
アルテアは、そんな生徒たちと目線を合わせてうなずくと、さらに提案した。
「では、ディアナ様の付き添いをお願いできますか? ―――――フィクトル様」
「もちろんです」
アルテアの口から、予想外の人物の名前があがり、その返答が即座にあった。
「―――え…」
ディアナは驚きつつ、声のした方に顔を向ける。と、そこにはディアナの婚約者、クライヴ・フィクトルが立っていた。
「失礼」
クライヴは、ディアナを囲む生徒たちの間をすり抜けて、ディアナのそばへとたどり着くと、彼女の体を支えているリュークに声をかける。
「ディアナを助けてくれてありがとう。あとはおれが引き受ける」
「……わかりました」
リュークは小さな声で返答し、ディアナの体をクライヴの方へと寄せる。
するとクライヴは、ディアナのひざに腕を入れて、あっという間に抱きかかえた。
「………ク…ライヴ…さ…」
「手は痛む?」
体をかたかたと震わせつつ、名を呼ぶディアナに、クライヴは歩きながらそっと問いかける。
「………っ……」
ディアナは、ふるふると首を振った。
「けが……してな……っ…」
返事をした直後に、ディアナの瞳から、ほろほろと涙がこぼれおちる。
「…!」
涙を見て驚くクライヴだったけれど、そのままうつむいてしまったディアナに顔を寄せ、頭の上にそっとキスを落とした。
「…!」
今度はディアナが驚く番だった。ディアナは、一瞬自分が泣いていることすら忘れて、クライヴの顔を見上げる。
そこには、ディアナを包みいつくしむ、クライヴの笑顔があった。
「………っ…!」
言葉はなかったけれど、大丈夫だと、そばにいるからと、そう言ってくれている気がして。
ディアナは、クライヴの腕の中で、安心して泣きじゃくったのだった。
ディアナとクライヴが出て行った教室には、一年の特化生たちと、そしてライルが残っていた。
「……ライル殿下…!?」
自国の第二王子の存在に気づいた生徒たちに、並々ならぬ緊張感がただよう。中には、まるで氷像のようにかちんと固まる生徒もいる。
けれどもライルは、そんな下級生の衝撃を気に留めることもなく、いつもの飄々とした様子で、先刻、クライヴがディアナの元へ行くために切り開いたすきまを通る。
そして、ディアナが座っていた椅子をちらりと見て、異常がないことを確認すると、今度は机の側面を持って傾け、棚の部分を上に向ける。
すると、机の中に光が差し込んで、奥の方まで見えると同時に、ごろん、と音を立てて小さな骸が転がっていくのが見えた。
「―――――うわ。これはけっこう酷いねえ」
表情も声の調子も変わらない。けれどもどこか怒りを含んだ様子で、ライルは小さくつぶやいたのだった。
次回タイトルは、『犯人考察』で~す。
ライル「……とりあえず、いちゃいちゃするな。バカップル」
ディアナ「えへ」




