62話 4月24日 攻略対象者は、やっぱりモテる?
ディアナはクライブに呼びかけつもりだったけれど、音にはなっていなかった。
声を出す前に、不安そうにゆれるクライヴの瞳に驚いて、息を飲んでしまったから。
視線をそらすこともできず、けれど話すこともできずに、ただクライヴを見つめるディアナ。
そんなディアナの手を、クライヴはすこし持ち上げて、自分の方に引き寄せた。
「行くの?」
「えっ」
「鍛錬室」
「え、あ…」
ここではじめてディアナは、クライヴが自分を心配しているのだと気づいた。
無理もないのかもしれない、なにせつい昨日、自分は鍛錬室で倒れて、クライヴに医務室まで運んでもらったのだから。
朝もけっこうすんなり起きれたし、そんなにだるさも残っていなかったので、大丈夫かと思っていたのだけれど………。
軽い鍛錬……土に穴をぽこぽこ開けるくらいなら、問題ないんじゃないかとは思う。それでもやっぱり昨日の今日だ。今日ばかりは、魔力を封印した方がいいのかもしれない。
………と、クライヴの顔を見ると思う。
その上、まるで祈るかのように、クライヴに手を握られてしまっては、自分の意思をつき通すのも難しい。
今日くらい休んでもいいかな、と考えていると、前方からいらついたような声が聞こえて来た。
「おはようございます、フィクトル様」
「ああ、おはよう。オルヘルス嬢」
クライヴは、パメラにあいさつを返しつつ、そっとディアナを体を自分に引き寄せる。まるで、パメラとディアナの距離をすこしでも開けるかのように。
パメラは、そんなクライヴの様子に気づくことなく、やわらかい笑顔を向けた。
「朝早くから気の多い婚約者のお世話、ご苦労様です」
「………」
笑顔の奥に悪意が見える。どなられていた時よりもパメラが怖くなり、ディアナはちょっと身を引いた。
そうすると、必然的にクライヴと密着することになる。今度は恥ずかしくなってまた前に出ようとしたけれど、笑顔で人に牙を向ける虎のような存在がいて、やっぱり後ずさりしたくなる。
前方に虎、後方に狼とはこのことか。この場合、「狼」の意味合いが、本来とは違っている気がするけれども。
いやでも、クライヴが狼になる相手は、ディアナではなくヒロインのファルシナ・シャブリエだ、と思い至り、内心がっくり落ち込む。そんなディアナの耳に、クライヴの声が聞こえて来た。
「オルヘルス嬢は、貴族の結婚を、どのようなものとお考えですか?」
「えっ…、……………それは………」
突然問われて言い淀むパメラに、クライヴは、淡々とした口調で答えを告げる。
「貴族の結婚とは、家と家のつながり、または国力強化のために行われるものです。そこに、恋愛感情は存在しない。オルヘルス嬢もご承知の筈ですよね?」
「………っ」
クライヴの言葉を聞くにつれて、パメラの顔がどんどんみにくくゆがんで行く。
「わたしとディアナの場合は、家同士のつながりもさることながら、他国や魔物の侵略から国を守るという、国力強化のための意味合いが大きい。そういった、本人同士の意思がまったく反映されない婚姻の場合、夫婦となっても別にパートナーを持つケースは、決してめずらしくない。ですから、たとえ本当に、ディアナがあなたの言うように気の多い女性だったとしても、別段ディアナが責められる理由にはなりません」
「……くっ」
パメラが悔しそうに唇を噛む。そんな彼女にクライヴは、やはり淡々と告げた。
「まあ、あなたに、たとえあなたの結婚相手がどんな人間で、どんなに自分が望まない婚姻を結んだとしても、その相手から目をそらすことなく、外にパートナーも持つ事も考えず、添い遂げる覚悟があるのはわかりました」
「………、……えっ…?」
クライヴの思わぬ言葉に、パメラの瞳が大きく見開かれる。どうやらパメラは、クライヴの様子から、非難されることはあっても、まさか自分の決意を理解されるとは思っていなかったのだろう。
「………っ」
パメラのほおが、みるみるうちに染まって行く。自覚があるのか、パメラは、自分の想いを顕著にあらわしているほおを、恥ずかしそうに両手で押さえながら、クライブを見つめていた。
そんなパメラの変化に、ディアナは首をかしげる。
………あれ。この人、たしかさっきまで、リューのことが好きだったんじゃあ? まさか、この一瞬で心変わり? え? オルヘルスさまは、気の多い女が嫌いなんじゃあ…?
ディアナはいぶかしげにパメラを見るが、パメラはディアナの視線にまったく気づいていない様子で、ただただクライヴに見とれている。さっきまでほおをかくしていた両手は、胸の前で祈るように組まれている。
………これは……………落ちましたね、オルヘルスさま。でも、残念です。あなたの恋がかなうことは絶対にないでしょう。同時にわたしの恋もですが。
ふと、ゲームの画面で見た、クライヴとヒロインのハッピーエンドスチルを思い出して、ディアナは肩を落とす。
結婚式で、白いタキシードを着たクライヴと、ウェディングドレス姿のヒロインがキスを交わすシーン。
ディアナとして経験することは決してないだろう、幸せの時だ。
「………」
落ち込むあまりに、つい、空いている方の手で、目の前にあったクライヴのブレザーのすそをきゅっとつかむ。
けれどもすぐにその手を離した。だって、ディアナにとってクライヴは、甘えていい相手では決してない。
「~~っっっ」
とっさに取ってしまった行動が恥ずかしくて、けれどクライヴに手を握られているので、離れることもできなくて、ディアナは肩をまるめて縮こまる。クライヴがうしろにいなかったら、まるでだんご虫のように小さくなって、地面をころころと転がりたい気分だ。
そんな状況から脱出するために、とディアナはとっさに思いついた言葉を口に出す。
「あ、あのっ、えっと、わたし鍛錬に―――――」
「行くの?」
「…うっ」
ディアナの手を握るクライヴの力が強まり、ディアナは喉をつまらせる。クライヴの無言の圧力にあっさりと屈したディアナは、ふるふると首を振った。
「いえ、今日は鍛錬を休むので、鍵を返して来ようと思います」
「………そう」
ディアナの言葉に、クライヴは安堵の息をついた。
「じゃあ、鍵を返しに行こうか」
そう言って、鍵を持つディアナの手を引き、教員室へと向かうクライヴ。
「えっ」
クライヴの言葉に驚きつつも、手を引かれるままついて行くディアナ。
歩くことで、クライヴとの体の距離は開いたけれど、あいかわらず手はつながったままだ。
「…ところで、鍵を借りる時、クレディリック先生に何も言われなかった?」
となりを歩くクライブに問われ、ディアナは首をかしげる。
「何も、とは?」
何も知らなさそうなディアナを見て、クライヴはため息をつきつつ答える。
「……もしディアナが、今日、鍛錬室の鍵を借りに来たら、よほど体調がよさそうでない限り、鍛錬を中止するように言ってもらうはずだったんだけど………」
「……………」
クライヴは、それでもディアナに鍵を渡したクレディリックに不満があるようだった。
けれど、鍵を渡したこと自体は、しかたなかったと思う。
だって、鍵を取りに来た時のディアナは、多少体調が悪くても、鍛錬を敢行するつもりだったのだ。クレディリックに調子はどうだと問われたところで、リュークにしたように「元気です!」と答えていたことだろう。
あえて問題を挙げるとすれば、……ディアナに体調を問うこと自体を、クレディリックが忘れていたことだろう。
………今後もし、クレディリック先生になにかお願いする機会があった時は、要件を紙に書いて渡すことにしよう。うん。
クレデリック先生の言動に異論がありそうな表情のクライヴに手を引かれながら、ディアナはこっそりとそんなことを考えるのだった。
次回タイトルは『イベントは、忘れたころにやってくる?』で~す。
みのり「あああ~っ。宿題やってない~っ!」
みのる「騒ぐ前に、寝ぐせ治したら?」




