6話 4月9日 学園に着いちゃいましたー……。
いらっしゃいませ。
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ディアナがやさぐれている間にも、馬車はぱかんぱかんと軽快に進み、ついに壁の前に到着した。
物々しい雰囲気の検問所をさくっと越え、さらにぱかんぱかんと進んで行くと、道の両脇に商店が立ち並ぶ大通りに出る。
お客を呼ぶおじさんのダミ声や、商品を値切るおばさんの必死な声。楽しそうに話しながら、屋台で買い食いをする少年少女たちを横目に、ディアナを乗せて馬車は進む。
さらに商店街を抜け、坂をちょいっとのぼると、再び大きくそびえたつ白い壁が見えて来た。
高さや幅こそ、街の入口で見たものと同じだったけれど、ひとつ違うのは、壁に取り付けられた金属の扉全体に、紋章が刻まれているところ。
光をまとう剣身を中心に置いて、その上下左右に、風、土、水、炎のモチーフが描かれている。
紋章が盾の形をしているのは、戦うだけじゃなく、自分の身もちゃんと守りなさいよ、という学園創設者の願いが込められていると聞かされていた。
ディアナが今着ている制服も、学園の周辺に出没するような下級レベルの魔物には、そう簡単に穴を開けることができない布で出来ている。
原料の糸が何なのか…知ってはいるが、ディアナはあえて口に出さない。その方が、日々安らかに過ごせるから。
……い、いいんだもん。たとえ原料が、大型バスなみの、大きな蛾の魔物が吐き出す糸だったとしても。だってほら、きれいに加工されて制服になっちゃえば、蛾の糸で織られた布で作られてるとか、そんなのわからないし。布にする前に煮沸消毒してるはずだから、清潔だもんっ。……で、でも知らなかったらもっと幸せな気持ちで制服が着れたかも…。お母さまのばかぁ…。くすん。
ディアナは、今もサルーイン領にて仕事をしているのだろう母に悪態をつく。
それは、ディアナが前世の記憶を思い出す数日前のこと。
制服が城に届いたので、喜んで試着したディアナの姿を見て、母は笑顔でこう言ったのだ。
「とてもよく似合っているわよディアナ。制服のデザインもとてもかわいいわね。まさかヘビーモスの糸で作られているなんて思えないわ」
……まったく、あの時の衝撃と言ったら…。うちのお母さまは、天然でいじわるだ………。
まあ、ヘビーモスの布は、サルーイン領でも製作しているので、自分のとこの産業を自慢したかっただけなのかもしれないけれど。
ともあれ、制服のデザイン自体は気に入っている。
肌ざわりのいい白のブラウス。襟にはピンクのリボン。紺のノースリーブワンピースは、フレアースカートになっていて、ふくらはぎを半分ほど隠してくれている。足元は、学校指定の黒い編みあげブーツで、スカートから出ている部分は絶対に見えないようになっていた。
ブラウスの上に着るブレザーは、ワンピースよりも少し濃いめの紺。衿と裾の部分に、金の縁取りがされていて、左ポケットには、学園の紋章が刺繍してある。
ちなみに、この国の紋章は、初代国王が強力な光魔法を使えたところから、剣にやどる光が描かれている。
つまり、学園の紋章は、国のものに似せて作られたのだ。
それは、学園が国の援助をおおいに受けて活動している証拠になるとともに、学園で学ぶものは、将来、国のために貢献するように、との、暗黙の訴えでもあるようだ。
確かに、学園が誕生したのは、今からわずか十五年前ではあるものの、それまでは教育が難しいと言われていた魔力保持者たちを一か所に集め、炎、風、土、水、それぞれの専門分野で秀でた力を持つ魔導師を教師に据えることにより、安定した教育を行えるようになった。
その結果、現在のフロンド国は、過去にないほどの国防力を備えていると言われている。
ちなみに、ディアナの住むサルーイン領は、海を越えてたびたび攻めてくる隣国と戦うことがあるので、国内ではかなり重要な軍事拠点となっている。
そして、領内で組織される軍隊も、年功より武力を重んじる傾向が強いサルーイン領では、領主を継ぐ者も、当然より力の強い者が選ばれてきた。
実際、ディアナには姉がいるのだけれども、彼女の瞳はあざやかな青色だった。生活魔法は使えるだろうけれど、魔物と戦えるレベルではない。姉、セシリアは早々に跡取りの座から遠ざけられた。
それから6年。両親ががんばってがんばって(何を、というツッコミは不要)ようやく授かったのが、ディアナだった。
生後まもなく、両親をビターチョコレートの目で見上げた時、普段は沈着な母シャンタルも、思わずほろりと涙をこぼしたと言う。
それからディアナは、サルーイン領の後継ぎとして、丁重に、過保護に育てられた。多少のわがままはするっと通るし、苦手な勉強からはとことん逃避、欲しいと思うものはほとんど手に入れることができた。
それでも、魔力の伸びは順調だったので、両親も、しっかりとした婿を迎えれば、この子は多少お馬鹿でもいいか、と考えたらしく半ば放置。
客観的に考えると、そんな環境で育ったとしたら、悪役令嬢Dが、事あるごとに婚約者のクライヴを呼びつけ、自分の都合や無理難題を押し付ける、傲慢な女の子になってしまったのも、すこしわかる気がするディアナだった。
クライヴの義母と結託して、隣国と手を結び、国家転覆を謀るところまで行ってしまうのは、さすがにやりすぎだけれども。
そこで、ちょっと待ってと、ディアナは考える。
自分は? 自分はどうなのだろうか?
魔力の伸び具合に関しては、そこそこ順調だったらしい。サルーイン領どころか、国中の子供と比べても、上の方に入るだろうと言われていた。
勉強は……、算術や農水産業、薬学や刺繍やダンスが特に苦手で、よく逃亡していた。それで、こっそりキッチンに入り込んで、コックさんにお茶とお菓子をもらったり、東京ドーム一個分はあるかもしれない庭園に行って遊んだり、図書室にこもってもくもくと本を読んだり、部屋で昼寝をしていたような。
あまりサボり過ぎると、領主である母に窘められることはあったけれど、それもけっこうあっさりとしたものだった。
その辺りは、もしかすると……、ゲームのディアナと似たような環境……だったかもしれない。
「……ひっ!」
ディアナは、馬車の中で、盛大に引きつった。
切羽詰まった声が、車輪の音にかき消されたのは、ディアナにとって幸いだったろう。
いや、むしろ、護衛に聞かれて、どうしたのかと問われ、具合が悪いと訴えれば……。急いで魔法学園に向かわれることだろう。やはり聞かれなくてよかった。うん。
ディアナは、ひとり納得してうなずいた。
しかしまずい。このままでは、ゲームの展開まっしぐら……になるかもしれない。
ただ、今のディアナに、国家転覆を謀ろうだなんて思考は砂ひとつぶほども存在しない。
一緒に計画を進めるはずのクライヴの義母と会ったのも、婚約式をした時の一度きりだし、その後、手紙ですら接触はない。
そもそも、自分に国家を転覆させるほどの力があるとは、とうてい思えない。
けれど、傲慢な性格の方はどうだろうか?
そういえば、婚約をした年、十四歳の誕生日に、クライヴから、プレゼントは何がいいかと手紙で聞かれて、会いたいとか返事をしてしまった。
クライヴは、もちろん来た。十四本の、ピンクのバラの花束を手に。
その時は、クライブに会えてただただうれしかった。だがしかし。
クライヴの事情を踏まえて考えると、迷惑千万なお誘いだったのではないだろうか。
ゲームの設定では、クライヴは鬼義母によって、長子としての後継ぎの資格を奪われている。
鬼義母とクライヴ父の間に生まれたひとり息子にフィクトル侯爵家を継がせるため、鬼義母は、クライヴよりも自分の子供の方が頭がよい、とか、剣術も秀でている、とか、ないことないことを周囲に吹き込み、挙句の果てに、クライヴは侯爵家の後継ぎという重圧のせいで、精神を病んでしまっただとか大ウソこいて、クライヴを後継ぎから外してしまったのだ。
それで、行き場をなくしたクライヴに白羽の矢を立てたのが、サルーイン家だった。
……領地を治める重圧という意味では、フィクトル侯爵家が治めるレイグラノ領でもサルーイン家でも、たいして変わらないと思うんだけれども………。というか、内陸にあるレイグラノ領よりも、むしろ、常に隣国が攻めて来るかもって警戒してないといけないサルーイン領の方が、どっちかというと、重圧がある気がするんだけれども……。
確かに、クライヴは領主になるわけではない。けれども、実際の領地経営の大半を担うのは、おそらくクライヴだ。同じく婿養子のディアナの父も、そうしているし。
……レイグラノ領じゃダメで、サルーイン領なら大丈夫と思う理屈がわからない……。
しかも、クライヴの鬼義母は、この婚約にたいそう乗り気だったと聞いている。
……まあ、うちと血縁を結びたがっているお貴族さまはけっこういらっしゃいますしねー。………自慢ではなく。
サルーイン家は、フロンド王国五代目国王、エドガーの弟が婿養子に入ってから、いくどか王女が嫁いできたり、逆に娘が王族に嫁いだりと、なかなかどうして王家と濃いお付き合いをしてきたのだ。
それは、王家がサルーイン家を信頼している証拠でもあるだろう。
そういう意味では、フィクトル侯爵家よりも王家との距離は近い。だからこそ、権力志向のあるクライヴ鬼義母は、サルーイン家と縁続きになれるこの話に飛び乗ったのだろう。
それに、サルーイン家は常に隣国の動向を探ってるから、ある意味、隣国と一番近いとも言える。そして、もし、隣国を押さえているはずのサルーイン家が、隣国と手を結んだら……。
クライヴ鬼義母のフロンド王国滅亡計画も、夢物語ではなくなるだろう。
………わたしは協力なんてしませんけどもねーっ。今の生活に何の不満もございませんしっ。
ディアナが心の中でストーリーにあっかんべをしたところで、馬車が止まった。
「……っ!」
ディアナは、またしても引きつったような叫び声をあげそうになって、慌てて口を両手で塞ぐ。
ゲームだと、馬車が止まるのは、女子寮の近く。
普段なら門の入口までしか入ることはできないけれど、新入生や卒業生は、家から持ち込む荷物もあるだろうと言うことで、特例的に、寮の近くまで馬車を入れることが許されている。
「ディアナお嬢さま、到着いたしました」
護衛の、おもむろな声が聞こえてくると、がちゃりと馬車のドアが開いた。
……ひいっ…!
ある意味、ディアナを処刑台に送るに等しいその音に、心は過剰に反応しつつ、身体はかちんと固まってしまう。
……つ、着いちゃったようっ…! え、えっと、確か、悪役令嬢ディアナが到着したところで、イベントが始まるはず。あれ、でも……えっと、何だっけ? どんなんだったっけ?
ディアナは、心臓をばくばくさせながらも、思わず開いたドアの方に視線を向けた。すると。
まず、視界に入って来たのは、さらふわストロベリーブロンドの髪を持つ、女の子の後姿。
そして。
地面に倒れそうになった女の子を、抱き止めるようにして支える、クライヴ・フィクトルの姿だった。