57話 4月23日 医務室へ。
クライヴは走った。
まるで飛ぶような速さで校舎と校舎を結ぶ長い渡り廊下を抜け、階段があれば、一段飛ばしどころか踊り場から踊り場へと一気に移動する。
その速さには、もともと学者肌のマリスはともかく、イリュージア学園卒業後、教師兼超一級の冒険者としても名を馳せているアレクでさえ追いつけない。
「……すごい…速さですね…」
マリスが、息を切らしながらそう言えば、となりのアレクから舌打ちが聞こえて来た。
「………あいつ、やっぱり普段の授業では手ぇ抜いてやがった」
「……本気を出せる…相手が…いないんじゃ……ないですか…?」
「まあなー。あれだと多分、おれでも勝てねえなあ。でも、いるだろうがよ、もう一人ダークホースが」
「………いや…、でもあの方…も、あまり本気は……、出したくない…、ようですし…」
「確かにな。本気でやったらいい勝負だと思うんだがな。あいつら」
「いいライバル……と…、言った…ところ…で…しょうか…」
「お互い本気でやればな。ああ、もうしゃべらなくていいぞ。お前まで倒れちまいそうだ」
「……お心づかい…、…助かり…」
「ああ~っ! いいからもうしゃべんな!」
「………」
強い口調だけれど、まちがいなく思いやりに満ちた言葉に、マリスはただ、こくりとうなずいた。
そんな様子の教師陣が、行程の半分あたりに差し掛かったころ、クライヴは、ディアナがいるはずの鍛錬室のドアの前にすでに立っていた。
試しにドアノブを回してみるけれど、回しきる途中でガチッと固い何かに阻まれた。
「……っ!」
クライヴはすかさず制服のポケットから借りて来た鍵を取り出して、鍵穴に差し込み、ノブを回す。
すると今度こそ、抵抗なくドアが開いた。
部屋に飛び込んだクライヴは、土の棒のそばに横たわっているディアナのもとへと駆け寄る。
「ディアナ…?」
声をかけながら、ディアナの胸が上下しているのをまず確認すると、風の魔力を使ってディアナの体を宙に浮かせる。
それから、風の膜でディアナの体が動かないように固定すると、その膜に手を添え、また走り出す。
「! クライヴ、もう鍛錬室まで行って来たのかっ? って、おい待てっ! …いや、待たなくてもいいのか」
前方から駆けて来るクライヴを見つけたアレクが声を掛けるけれど、クライヴはそのままスルー。さらに、すでに息絶え絶え状態のマリスをあっさりと横切って、クライヴは駆けて行く。
「はあ…っ、ゲホゲホッ」
マリスは、膝に手をつき肩で大きく息をしようとして、途中でむせた。そこへ、アレクが駆け寄って来る。
「大丈夫か? ったく、体力ねぇなあ」
「す、すみません…」
「まあいいさ。運動はお前の専門じゃねえしな。少し休んどけ。おれは先に医務室に行ってるぞ?」
「お願い…します…」
マリスの返事を聞くなり、アレクは、クライヴを追いかけて医務室へと走り出す。
マリスは、後輩想いの先輩の背中を見送りながら、壁に手をつき、ふうと息を吐いた。
ふわ、ふわ……。
………やわらかい……。
ディアナは、おぼろげな意識の中で、自分の体が、何かあたたかいものに包まれているのを感じていた。
それは、ディアナを傷つけないようにやさしさを持つ一方で、何があってもディアナを守るという決意を秘めているように思えた。
こんなことが、前にもあった気が……。
……………どこで……?
………夢……だっけ…? それとも………?
思い出そうとしても、意識がぼんやりとしていて、頭の中で思考としてまとまってくれない。
それでも、ディアナはかまわないと思った。
ディアナは今、とても幸せだからだ。
だから、体が鉛のように重くて動かせなくても、思考が働かなくても、まったく気にならない。
ずっとこのままでいたいとすら、思えてしまう。
けれど。
そんなディアナの意識の中に、流れ込んで来るものがあった。
……? 何だろう…?
ぽやぽやした意識をそちらに向けてみると、それは、心を引き裂かれたような痛みであったり、絶望にも似た底知れない不安だったり、やりきれないほどの悔恨の念だったりした。
………どうしたの…?
ディアナのものではないそれらの想いは、きっと、自分の身近な誰かが持っているもの。
けれども、誰の想いかまではわからないし、何より、今のディアナは声を出すことはおろか、指一本すら動かすことができない。
だから、ディアナはただ祈る。
心の中で、ひたすら、想いを込めて。
……だいじょうぶ、……だいじょうぶだから………―――――……なかないで。
ディアナのそばで苦しむ誰かに伝わるよう、祈り続ける。
クライヴが医務室に飛び込むと、看護師がすでに待機していて、「サルーイン嬢をこちらへ寝かせて」と、クライヴを空いているベッドへ誘導した。そこにはすでに、医師の姿もある。
クライヴは、ディアナをベッドに横たわらせ、ベッドの脇へと移動する。
歯がゆいけれど、今、自分にできるのは、せいぜい診察をする医師の邪魔にならないことくらいだと、クライヴは知っていた。
クライヴの様子を見守っていた中年の女性看護師が、準備はできたとばかりに、ベッドと医務室を隔てるためのカーテンを引こうとして、その手を止める。
「ライル様、もう起き上がっても大丈夫なのですか?」
見知った名前を聞いて、クライヴが看護師の方へと視線を動かすと、そこにはだるそうに息をついているライルがいた。
「知り合いが運び込まれたみたいだったから、気になってね」
そう言って、看護師が握るカーテンの内側に入り、そばにあった椅子に座る。
「先程まで、椅子にも座っていられない状態だったのでしょう? もうすこしお休みになってはいかがですか?」
「座っていれば、大丈夫」
看護師がたしなめるように言われても、ライルに引く気はないようだ。
「ご無理はなさらないでくださいね」
「それはもちろん」
看護師は、ライルを気遣いつつも、彼をカーテンの外に追いやることはあきらめたらしく、そのままカーテンを閉めた。
その間にもすでに診察ははじまっていたようで、医師は、手のひらに光の魔力を集め、ディアナの体をなでるように上から下まで通過させてゆく動作を繰り返している。
「光魔法か……」
「ええ。今は、体の不調な部分を調べていらっしゃるところです」
ライルの小さなつぶやきに、看護師が答える。その間も、医師は真剣な様子で、ディアナの体を診ていた。
「……………」
クライヴは、両手に握り拳を作り、医師の動作を見守る。
やがて、ディアナの体を診終えた医師は、手に集まる光を消し、ふう、と息をついた。
「ソーラテス先生、どうなんですか?」
身を乗り出してクライヴが尋ねると、ソーラテスと呼ばれた医師は、何かを考え込むように目を細めた。
「……………んー……。……………魔力切れもあるが、おそらくこれはー………」
「何なんですか? 先生っ」
疲れたとばかりに、肩をとんとんとたたくソーラテスに、クライヴが詰め寄る。
すると、ソーラテスは、目を眇めながらクライヴに問いかけた。
「えっと、そう言えば君は?」
「彼は、クライヴ・フィクトル侯爵子息。そこで寝ているサルーイン嬢の婚約者だよ、ソーラテス先生」
答えたのは、ライルだった。ソーラテスは、おお、と小さく声を上げる。
「そうかそうか、婚約者。それは心配でしたね。でも大丈夫。彼女は病気じゃありませんよ」
「そう…ですか。ではどうして?」
ディアナの体が健康なことに安堵しつつも、突然倒れた原因を知るまでは気を抜けない。
そんな思いを抱きつつ、診察の結果を待つクライヴに、医師は言った。
「それは――――――」
次回のタイトルは『主張の落としどころ。』でーす。
ディアナ「目玉焼きにはやっぱりケチャップ!」
クライヴ「え………」
ディアナ「さすがのクライヴも、そこには落とせないってさ」
ディアナ「えー…。おいしいのにぃー………」




