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55話 4月23日 昏倒

 半円形の窓から、差し込む陽光が完全に消え去ったところで、ディアナは壁に埋め込まれている光の魔石にふれた。

 すると、ディアナの手の平ほどある石が白く光り、室内を明かるく照らし出す。

「ふう…」

 ディアナは軽くひと息つき、むんと口を引き結んで気合を入れると、両足に力を入れてしっかり立つ。体内にある土の魔力を両手に集め、地面へとかざす。

 すると、むくむくと土が盛り上がって行き、やがてそれはディアナの胸あたりにまで達した。

「やった…!」

 この間は腰の下あたりまでしか作れなかった土の壁が、胸の高さまである。この数日で、十センチ以上も伸びたということだ。

「ふう~っ」

 安心したと同時に、体からするんと力が抜け、ぺたんと地面に座り込んだ。

「つ…つかれた…」

 無理もない。今日は昼食を取ってからずっと、鍛錬室にこもって体を動かしたり、魔法を使ったりしていたのだ。

 しかも、ふらふらになるまで魔力を使ったのは、生まれてはじめてだった。

 ある程度体が成長していないと、魔力を使った時に、体に大きな負担がかかる。なので、十五歳になるまでは、いくら優秀な魔法の使い手が教師としてついていようと、一日何時間にもわたる魔力の行使は禁止されているのだ。

「ん~……」

 立ち上がろうとしてみたけれど、どうも力が入らない。土に手をついて勢いをつけてみてもだめだ。

 というか、手をついてもひじががくりと折れてしまうのだ。

「え、あれ…?」

 あせりながらも、今度は足に思いきり力を入れてみる。

「お、おお、立て…た? うわっ」

 いったん立ち上がれはしたものの、すぐにひざが笑ってしまい、ぱたんと地面に逆戻り。

 しかも今度は正面から倒れ込んでしまった。

「………んん?」

 おかしい。体がぐでんぐでんだ。酔っ払いのおじさんの千鳥足だって、ここまでひどくはないと思う。

 立てない。どころか指一本動かすことすらむずかしい。

 ようやくその事実に気づいたディアナは、どうしようと首をかしげる。

 サリーバン先生の魔法授業によると、魔法を使ったあとに体に変調をきたす理由はふたつ。

 ひとつは、体内の魔力を使い切ったことから起こる、魔力切れ。

 もうひとつは、幼い体で魔法を使ったせいで起こる、体の変調。

 でも、後者はないかと思い直す。

 だって、ディアナはすでに、魔法学園に入学できる年なのだ。

 入学年齢が十五歳なのだって、そのくらいの年齢になると、大人の体へときあがりつつあって、魔法を使ってもさほど影響が出ないからだし。

 だから、たぶん、今回のケースは前者なのだろう。そうだろう。

「………困った」

 原因が判明したと言え、動けないのはやっかいだ。一応、鍛錬中に具合が悪くなった時用に、呼び出しベルが設置されているけれど、それは壁際にぶらさがっていて、手を伸ばしても届かない。

 まあ、たとえ届いたとしても、今のディアナでは、ひもを引っ張ることすらできないだろうけれども。

「…………となれば…、しかたないかー…」

 普段着の簡素なチュニックとはいえ、汚れるのはいやだけれど、起きあがれないのだからしかたない。

 魔力切れの対処法としては、とりあえずゆっくり休む。寝る。それしかないという話だ。

 両親もそう言っていたし、魔法の講義でサリーバン先生からも習ったので、まちがいないだろう。

「……んー…」

 現に今、まるで引くことのない津波のような眠気が、激しくディアナに襲い掛かっている。眠い。まちがいなく眠い。もう、上のまぶたと下のまぶたがくっつきたがってしょうがない。

「………ちょっと……だけ……――――――」

 ディアナは、おのれの体から発される睡眠欲求に素直に従い、瞳を閉じる。

 と同時に、まるで眠りの神様が、ディアナの意識を深淵に引きずり込んだかのように、あっという間に意識を手放した。



 そろそろ食堂で夕食の時間が始まる頃。

 生徒会の仕事を終えたクライヴは、書類の束を抱えて教員室へと足を踏み入れた。

 書類の束に視界をさえぎられているにもかかわらず、クライヴの足取りには迷いがない。

 クライヴは、まっすぐに生徒会顧問の机へと向かうと、熱心に羽ペンを動かしているマリスに声をかける。

「先生、今日の分の書類が終わりました」

 クライヴの声に、マリスははっと顔を上げる。

「! ああ、ご苦労様」

「いえ。ここに置いていいですか?」

「ああ、よろしく」

 クライヴは軽く首を振ると、マリスの机の上に書類の束を置いた。

「……今日は特に多いねえ」

 座っている自分の頭よりも高い書類の束を、マリスは感心した目で見る。

「内容は、新しい同好会の届け出に、既存同好会の予算の申請、学園への要望書…あたりでいいのかな?」

「はい」

 クライヴがうなずくと、マリスは一番上の書類を手に取った。

「えーっと? ……寮の朝食のメニューに、ローストビーフを追加して欲しい? ……これはまた、ピンポイントを突いた要求だねえ……。あ、許可したんだ」

 書類の下の方に、丸印とライルのサインを見つけて、マリスが笑った。

「ライル様らしいね。まあ、食事ひとつでやる気を出してくれるなら、安いものだし」

「そうですね」

 クライヴがうなずく。

「あ、安心していいよ。こんなに要望の書類が多いのは、せいぜい四月の間だけだから。五月になれば落ち着いて、鍛錬ができるよ」

「はい」

「……一年のころから必死に鍛錬してたもんね、君。毎日時間ぎりぎりまで鍛錬場を借りて、その後は、外で剣や槍を振っていた」

「………」

「ライル様の推薦があったとは言え、そんな君に生徒会役員の仕事は大きな負担だろう」

「……………いえ」

 クライヴは小さく首を振ったけれど、本心は違っていた。生徒会副会長、しかも国の第二王子からの推薦だ。将来、サルーイン領の婿養子に入る立場にいるクライヴが、断れるはずもない。

 本当は、書類と格闘している時間が惜しかった。そんな時間があるのなら、剣を持ち弓を放ち、魔法を磨いて、そして。

「………」

 クライヴが、静かに拳を握る。そんな彼の心情に気づいていたのかはわからないけれど、マリスがあっさり話を替えた。

「そう言えば、君の婚約者のサルーイン嬢もがんばってるね。ほとんど毎日鍛錬所に通ってるみたいだし。今日も、夕方ごろからいるみたいだしね」

「…そうですか」

「ん? 夕方?」

 マリスの言葉にうなずくクライヴの背後から、突如疑問の声が上がる。

 クライヴが振り返ると、学園の教師、アレク・サンドロスが立っていた。

 アレクは、肩に掛けたタオルでこめかみからしたたる汗を拭きながら、マリスの真裏にある自分の席に座る。

「サルーインの嬢ちゃんなら、俺が剣の素振りに行く時には鍛錬場にいたぞ?」

 アレクの言葉に、驚いたのはマリスだ。

「って、アレク先生、たしか昼過ぎには出掛けましたよね、剣持って」

「ああ」

「じゃあ、少なくとも、昼過ぎから夕方までずっと鍛錬室にいるんですね」

「そうなるな。そういやあ、今年の新入生は、平日も閉館時間ぎりぎりまで鍛錬してるみたいだな。鍛えがいがありそうだ」

「………ほどほどにしてあげてくださいね。あなたが本気になったら、生徒たち誰も着いて来れませんよ?」

 にわかに張りきり出しだ筋肉質の男に、マリスは苦笑いで応じる。

「はあ~? んなこたあねぇよなあ? フィクトルの坊主」

 同志を得ようと、アレクはクライヴに問いかける。けれど。

「ええ……」

 何かを思案している様子のクライヴは、うわの空で答えると、教員室を移動し出した。そして、三十センチ四方のガラスで出来た画面が、いくつも並んでいる壁の前に立つ。

 百ほどはあるだろうガラスは、数か所が真っ黒になっている他は、アイボリー色の部屋が映し出されていて、中で学生たちが魔法や武術など、おのおのが望む鍛錬をしている。

「………」

 クライヴは、数ある画面にすばやく目を移して行く。

「…!!」

 やがて、ひとつので目を止めると、クライヴの顔から血の気が引いた。

 クライヴは、走ってマリスの元へと戻ると、叫ぶように言う。

「鍛錬室の、五十六番室の鍵を出してください!」

「え? 五十六…?」

「ディアナが倒れています!」

「…!」

 クライヴの言葉に、マリスは顔を硬くした。

「わかった」

 そして素早い動作で、鍛錬室のスペアキーが入っている棚を開ける。

 クライヴは、棚が開くと五十六番の鍵を取り、また走り出した。

「! フィクトル君っ」

 スペアキーの管理をまかされているマリスが声をあげるのもかまわずに、クライヴは、まるで風のような速さで教員室を後にしたのだった。



 静けさに包まれた生徒会室で、突然ガタン! と何かが床に落ちるような音が聞こえて、レダンは赤みがかった金髪を揺らしながら顔を上げた。

「…! えっ…!?」

 視線の先には第二王子のライルがいて、大理石の床の上に倒れ込んでいる。

「ラ、ライル様…!」

 レダンは、うろたえるあまり大きく手を振ってしまい、その拍子にインクの入った壺が倒れてしまう。

「あ、あっ…!」

 一瞬、壺と流れ出る液体に意識が行ったものの、すぐに気を持ちなおしたレダンは、急いでライルの元へと向かった。

「ライル様っ」

「ああ…、平気平気」

 レダンがライルのそばで膝をつくと同時に、ライルは床に肘をつき、上半身を起こした。そして、机の脚によりかかり、はぁ…、と息をつく。

「………またか…、ったく……」

「? 何かおっしゃいましたかっ?」

 ライルが小さくつぶやいたのはわかったけれど、内容までは聞き取れず、レダンは真剣な表情で尋ねる。

「………悪いけど、肩を貸してもらえる? ソファで少し休みたいんだ」

「は、はいっ!」

「声、大きいよ…」

「す、すみませんっ!」

「ははは…」

 耳もとで大きな返事をされたのが頭に響き、注意をしたら、今度は床に頭をすりつけんばかりに謝られてしまった。

 レダンとは、幼少の頃から付き合いがあり、彼が突発的な出来事に弱い事も知っているライルは、苦笑いした。

 けれど今のレダンには、ライルの表情を見る余裕すらなく、ライルの腕を自分の肩の上に置いて、ソファへと向かって歩き出す。

 そう言えば、レダンは、ひとつの事に集中すると、他が見えなくなるタイプでもあった。

 ライルは、浅い息を吐きながら、休憩用のソファに向かってひたすらに進むレダンの顔を横目で眺めて、やっぱり苦笑いをするのだった。

次回タイトルは『前世夢話・購買屋さんは弱肉強食』


ディアナ「お昼の購買…! 目指すはチーズ&クリームエビグラタンコロッケパンっ!!」

ライル「………………何それ?」


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