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53話 4月20日 夜更けの交渉


 時計の針が、あと十度ほど傾くと二十一時を差そうという頃。

 生徒会室は、静かな静寂に包まれていた。

 今日居残っているのは、副会長のライル、文化委員長のクライヴ、そして体育委員長のロナンドの三人。

 けれどロナンドは、学生が魔法や武術の演習に使う鍛錬場を閉めに行っていて、今は不在だ。

 本来は教師がする仕事なのだけれど、今日は人手が足ないらしく、その役割が生徒会にまわって来たのだった。

 光の魔石を埋め込んだ天井が、煌々と室内を照らす中、クライヴは静かに羽ペンを動かしながら、自分の役割を果たしていた。

「――――終わりそう?」

 軽い調子で声をかけられ、クライヴはいったん字を書く手を止めた。そして、手元にある書類の枚数を確かめる。

「処理中のものを含めて、あと二枚です」

「そ」

 自分が聞いたにもかかわらずそっけいない返事をし、ライルは持っていた羽ペンを机に落とす。

 ペンは机にぶつかり、カツン、と大きな音を立てて、クライヴのペンが出す、カリカリという音を遮った。

「………」

 クライヴは、その音に敏感に反応し、一瞬だけ手を止めたけれど、すぐさま何ごともなかったかのようにペンを動かし字を記す。

 ライルは、そんなクライヴを見据えつつ、ゆっくりと椅子の背に寄りかかった。どうやら、彼の今日のノルマは終わったらしい。

 いつもなら、自分の仕事――――第一王子カーサの仕事も含めだが――――が終わると、さっさと自分の研究室に行くライルなのだが、今日はまだ動く気配がない。

 確かにいつもよりも会議や書類作業に時間を食ってしまったし、二十一時は学園内での活動を終了しなければならない時間なので、さすがのライルも今日は自分の研究をすることはないだろう。

 それに、今日はクライヴの仕事を手伝う気もないようだ。

 まあ、書類があと四、五枚あれば、ライルもぱっと書類を持って行くのだろうが、あと二枚となれば手を貸すまでもない。

「――――」

 クライヴは、書類に書かれた内容を確認しサインをすると、次の書類に取り掛かる。

 内容は、新しい同好会の新設願い。会名は、河川源流調査同好会。在学中に、フロンド王国に流れる河川を、できる限り調べたいらしい。

「………」

 確かに、川の源流を押さえるというのは、国にとって大切なことだ。水は、人にとってなくてはならないもの。災害や戦争など、緊急時には、その必要性が顕著化する。

 特に、戦争が長期化した時には、水場を確保した側が間違いなく有利になる。

「………」

 そういう意味であれば、つい八年前に統合された西南領を調べれば、国のためにはなる。

 ただ問題なのは、ここから西南領まで行くには片道で五日以上かかること。

 まあ、その辺りを調べる事になったら国が動くだろうし、これまでも人が住んでいたわけだから、まったく未調査ではないだろう。

 そう言えば、今年の入学者に西南領の出身者がいたはずだ。イルマ・ダントン伯爵令嬢。彼女に訊ねれば、西南領の暮らしぶりくらいはわかる……かもしれない。

「………」

 さらに申込書を読み進めて行くと、はじめは、学園のまわりの土地から調べたいと記されていた。

 この周辺は、フロンド王国設立時からの国土だし、何より管理しているのが、聡明の知恵者と言われた、五代目国王の弟アルス王子、のちのアルス・ノルデン公爵が治めていた領地だ。

 鉄拳の知恵者、エドガー王と共に、さまざまな道具を発明した頭脳を持つ男が、自分の領地の調査を怠ったとは到底思えない。

「……」

 それを踏まえつつ、クライヴは書類にサインをする。同好会の発足を認めるしるしだ。

 イリュージア学園の基本方針は、自由に学べ、だ。

 たとえ調べ尽くされた場所と言っても、学生がもう一度調査したいと言うなら止める理由はない。

 それに、優秀なイリュージア学園の生徒が、新たな発見をする可能性だってある。

 もしかしたら、カイル・ノルデン理事長も、そのあたりを期待しているのかもしれない。

 自分の親と同じ年くらいの美丈夫を思い出し、クライヴは軽く息をついた。

 窓の外はすでに、深い闇に包み込まれている。昼間とさほど変わらなく明るい室内とは対照的だ。

 この魔光灯を発明したのは、エドガー王と弟のアルスだ。さらに二人は、暖房壁や暖炉、馬や牛の代わりに畑を耕す魔耕機など、今の世には欠かせないものを次々と発明して行った。他にも、農地の収穫量を従来の二倍にする肥料を開発するなど、彼らが残していった遺産の功績は計り知れない。

 そして今、歴史に名をはっきりと刻み込んだエドガー兄弟の再来とも言われている人物が、クライヴのすぐ近くにいる。

「………」

 ライルは、生徒会室の白い壁をぼんやりとした様子で見つめていた。

 けれど、この男のぼんやりは当てにならないことをクライヴは知っている。ライルは、一見何も考えていないように見えていても、実は思いがけない速度で頭を回転させているのだ。

 一緒に座学の授業を受けているとはっきりわかる。彼は先日、教師ですら答えを出せていない計算式も、ものの数分で解いて見せた。あの時の負けたとばかりに呆然と立ちすくむ教師の顔を、今でも覚えている。ちなみにその教師は、プライドをへし折られたと感じたのか、数日後に学園を去っている。

「………」

 クライヴは思った。

 今、いったい彼は、何を考えているのだろう。

 試作を繰り返している魔動車の事だろうか。あるいは、二十四日に試験飛行をする予定の、魔動飛行機の事か。それとも……?

「……っ」

 ふっと、頭の中に、ダンスパーティでディアナとライルが踊っている姿が浮かび、クライヴは息を飲む。

 話しながら踊る二人は、とても親しそうに見えた。会話はほとんど聞こえなかったけれど、二人見つめ合う表情が、互いに心を許し合っているように思えたのだ。

 焦りのあまりに落としそうになったペンを握り直し、最後の書類をかたずけようと下を向きかけた時。

「―――――」

 それまで白い壁を見つめていたライルの瞳がゆっくりと動き出し、やがて、クライヴをとらえた。

 そして、いつもと同じ、飄々とした表情で。

「ねえ、クライヴ」

 爆弾をひとつ。――――落とす。

「サルーイン嬢、おれにくれない?」

「――――――――え…?」

 一瞬、何を言われたかわからなかったクライヴは、けれど、何か言われたのは確かだと思い、ライルに小さく問いかけた。

 と同時に、自分の頭の中でライルの言葉を反芻し、彼の放った言葉の意味を理解する。

 カツン…、と手元で音が鳴った。今度こそ、クライブはペンを机の上に落としていた。スプーンよりもはるかに軽い羽ペンが落ちた音など、たいして響くはずもないのに、やけに耳に残ってしまうのは、室内にただよう張りつめた空気のせいか。

 クライヴは、唇を噛みしめ、ごくりと唾を飲み込む。

 ライルは、そんなクライヴの様子をただじっと見つめていた。

 そうして、クライヴの瞳に浮かぶ驚きの色が消え、まるで敵と対峙するかのような警戒のそれに変わった頃、軽い口調で言った。

「いいじゃないか。お前はいつだって、サルーイン嬢と会うのを嫌がっていたみたいだし。この年になって婚約者が決まっていない第二王子が、彼女を気に入ったから譲ったとなれば、お前にもサルーイン嬢にも傷はつかないよ。――――ああ、安心していいよ。お前の相手は、おれが別に探すから。どんな子が好きなんだ? 体型

重視? それとも性格? 長い事顔を合わせる事になるんだから、性格重視の方がいいと思うけど」

「――――殿下」

 めずらしく饒舌なライルの会話を、クライヴは声を張り上げてさえぎる。

「何?」

 ライルは、口もとに笑みを浮かべながら、ゆっくりと首をかしげた。

 場合によっては、不敬とも取られるクライヴの態度を気にした様子はない。

 クライヴは、飄々とした様子で自分の言葉を待っているライルを、じっと見据えた。

 そして、気持ちを落ち着けるように、長く息を吐く。

「―――――何度でも言いますが、おれは、ディアナと婚約破棄するつもりはありません」

「………どうしても?」

「どうしても」

「何があっても?」

「何があっても、です」

「……………」

「―――――」

 クライヴは、言葉と目線で、明確な意思を発しながらも、内心困惑していた。

 ライルがディアナを気に入ったのは確かだろう。けれど、二人の間に漂う雰囲気は、正直恋愛のそれではないように思う。とは言っても、クライヴ自身、そんなに恋愛に聡いわけでもないので、違うと全否定する事はできない。

 少なくとも、現状では確実に自分が不利だ。

 ライルの言う通り、王子が見初めたとなれば、臣下が黙って身を引くのはある意味当然。

 特にライルに関しては、今までどんな女性と会わせても、首を縦に振らなかった彼が気に入った相手となれば、宰相たちも躍起になって婚約にこぎつけようとするに違いない。

 考えれば考えるほど、クライヴに勝ち目はない。けれど。

「―――――」

 クライヴが、ライルから目をそらす事はなかった。

 黒に限りなく近く、それでいてわずかにつややかな青みを帯びた彼の瞳から、静かな闘志が垣間見える。

「……………んー」

 先に視線を外したのは、ライルだった。

 ライルは、ぎゅっと目をつぶり、両手をあげて大きく伸びあがると、そのまま席を立つ。

「まあいいや。この話はまた今度」

 去り際、あっさりした声で言い、背を向けるライル。

 クライヴは思わず立ち上がり、ライルの背中に訴えた。

「何度言われようと、おれの答えは変わりません…!」

「………」

 クライヴの声が震えている。それは、王族という絶対的な権力者に逆らう事への畏怖なのか、それとも。

「――――」

 ライルは、クライヴの叫びには答えず、ドアノブをくるりと回す。

 それから、ふと思い出したようにクライヴに向き直り、にこりと笑って言った。

「お疲れ」

「…っ」

 いつもの飄々とした調子のライルに、クライヴは自分の声は届かなかったと認識する。

 あっさり閉じた扉にやるせなさを感じながら、クライヴはしばらくの間、ひとり唇を噛みしめていたのだった。

次回タイトルは『ヒロインの秘密。……すみません、知ってました。』でっす!


ディアナ「知らないふりって…胸が痛い……。でも実は、ヒロインのあ~んなことも、こ~んなことも知っているのです、ごめんなさい…!」

ファルシナ「ええっ! じゃあ実はわたしが〇△〇△なこともご存知なんですか?!」

ディアナ「い、いえ、それは知りませんでした……」

ファルシナ「……」

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