3話 4月1日 手紙の返事。
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サルーイン家のお抱え医師、サンタ・クロースの診断によると、ディアナの体に特に異常は見られなかった。
「でも…、何をお伺いしてもうわの空なんて…。本当に大丈夫なんでしょうか? クロース先生」
サルーイン家の美しい使用人、メイサが心配そうに訊ねてくるので、クロースは安心させるように穏やかな口調で答える。
「お嬢様の体に光の魔力を流して確認したところ、体の異常は特に見られないし、脳の方にもよどみはない。うわの空なのはおそらく…、雷を受けたショックが大きいのだろう」
………おしい。おしいよクロース先生。ショックを受けたのは確かだけど、雷のせいじゃないんだよ…。
「明日は、お嬢さまが待ち望んでいらした、イリュージア学園への出発日だ。おそらく元気になられるだろう」
………それはあくまでさっきまでの、何も知らなかったわたし…。今のわたしにとって、イリュージア学園という言葉は、地雷ワードでしかないよ………。
「では、わたしはこれで。あとは頼むよ、メイサ」
「……はい、かしこまりました」
安心させるためか、メイサの肩に、ぽん、と手を置いてから去るクロース先生。
……ううん…、肩はセクハラ? ギリセーフ? ………人によるか…。
クロース先生は、サルーイン領だけではなく、国内でも名医として名を馳せていて、人望もある。
……光の魔力持ちなら、王都でだって働けるのに……なぜにこんな辺境に身を置かれるのか、ちょっと不思議。
くるりとうつぶせになり、枕を抱えた状態で、こてんと首をかしげるディアナ。
を、先生はああおっしゃったけれど……本当に大丈夫かしら? と心配そうに見つめるメイサ。
けれどディアナは、メイサの美しい憂い顔には気づかないまま、むっくりと起き上がる。
「お嬢さま、起きて大丈夫ですか?」
「………、……んー……」
本当は、大丈夫くない。もうこのまま何も考えず、ベッドへダイブして眠ってしまいたい。
でも、それではダメなのだ。悪役令嬢Dとして生まれ変わってしまった以上、運命を回避するために、今、やっておくべきことがある。
ディアナは、ソファから腰を上げると、本や小物などが置かれている棚に向かって歩き出す。
その様は、まるで、柳の木の枝が、風もないのにゆらゆらと揺れるかのようだった。けれど、柳が存在しないここフロンド王国では、それが意味する真の恐ろしさは、いまひとつ理解されないだろう。
「お嬢さま?」
メイサの心配そうな声を耳の端で聞きながら、ディアナは棚に置かれている携帯書き物机を手に取った。
木製で出来た板のようなそれには蓋があり、中に紙やペンが入れられるようになっている。
ディアナは、細い腕で机を持つと、やはり、ゆら~りゆらりとゆれながら、ソファへと戻って行った。
「まあお嬢さま、言ってくださればお取りしますのに」
「………あ。」
メイサに慌てた様子で言われ、ディアナは自分が辺境伯令嬢だったことを思い出した。
……そういえば、今のわたしって、けっこういいとこのおうちの子供だった。
ディアナが暮らすここサルーインは、東は海、西は山に囲まれている。
そして、その東の海から、今でもたびたび隣の大陸の民が、武装した船でやってきて、フロンド王国を落とそうとするのだ。
フロンド王国建国以来、二百年ほど前から続くこの攻防戦で、常に前線に立ち勝利を収めてきたのは、サルーイン一族。ようはディアナのご先祖さまたちだ。
そしてディアナはサルーイン家の次期当主になることが、すでに決まっている。
それは、この世界に生を受け、初めて目をぱっちり開けた時にさだめられた、ディアナの運命だ。
なぜなら、ディアナの瞳の色が、魔力を多く有するものの証、黒色に限りなく近かったから。
……たとえるとしたら、カカオが70%くらいのチョコレート…ほろにが風味だね。……ゲームに出て来た悪役令嬢Dは、もすこし薄い色だったような気がするんだけれども、とりあえずそんなことどうでもいいかー……。
ディアナは、背もたれに寄りかかれるように深くソファに座ると、背中を書き物机の蓋を開けて、便箋とペンを手に取った。
ペンはいわゆる万年筆のようなもので、ときたま中にインクを補充することで、長い間字が書けるようになっている。
ディアナは、ふう、とため息をひとつつくと、憂鬱な表情で、かわいらしいピンク色の便箋に、文字を書き始める。
行商人が数日前にこの便箋を見せてくれた時は、やわらかいイメージの色がとても気に入り、即購入した。
……買った時は、次に手紙を書くのが待ち遠しかったのになー……。
まさか、死刑宣告を受けた重罪人のような絶望的な気持ちで、この便箋に向かうことになろうとは思いもしなかった。
ディアナは、半泣きの顔で、クライヴへの手紙をしたためる。
クライヴの手紙には、ディアナを学園の門の前で出迎えたいと書いてあった。
……だめ。入学式の前日に、クライヴさまを門に近づかせたら絶対だめ。だって、そここそが、クライヴさまとヒロインの、出会いイベントが発生する場所なんだから…!
……ゲームだと、悪役令嬢Dは、学園までの移動に、クライヴさまが運転する魔動車を使うつもりだったのに、生徒会の仕事が忙しいからと断られてしまう。腹を立てた悪役Dは、だったら、ディアナが学園に到着する日は、必ず正門まで迎えに来てエスコートしろ、婚約者で、いずれは入り婿となってサルーイン姓を名乗るつもりならば、それくらいして当然だ、と脅しをかける。クライヴさまも、この時はまだ、悪役令嬢Dに対して情があるので、そこはOKを出す。んだけれども…!
……寮のそばで、足をひねったヒロインを見ると、医務室に連れて行ってあげようとするのだ。困っている人に手を差し伸べる。これってごくごく日常的に起こる出来事だと思うのだけれども、相手が悪役の場合、そんな道理は通らない。わたしがいると言うのにそんな女にかまっているヒマがあるの!? とやさしい婚約者に向かって、がなりたてる令嬢D…。
……そーゆーちっさい心持ちな部分が、悪役令嬢のボスにはなれない所以なのかもしれない、と思ったものだよ。ええほんと。
その後も、小悪な令嬢Dは、クライヴに対して無茶ぶりやわがままを繰り返す。
クライヴは長男なのに、自分の家…フィクトル侯爵家を継ぐことが許されず、サルーイン家の次期当主、悪役令嬢Dとの婚約が決められてしまった。すこし不憫な立場だ。
悪役令嬢Dは、そんなクライヴの負い目を利用して、自分に絶対服従を誓わせようとする。
実際クライヴも、ゲーム序盤では、かわいそうなほどにわがままDに従っていた。たとえどんな理不尽な態度を取られようと、真摯にDと向き合おうとしていた。
次男に爵位を奪われた腰抜けなクライヴを情けで拾ってやった、なんて豪語するDの長所を捜そうとし、Dにやさしく接してくれるのだ。
けれども、クライヴはどうしても、Dに恋愛感情を抱くことはできずにいた。
そんな中、ゲームのヒロインであるファルシナ・オランジュに出会い、接して行くうちに、だんだんDとの婚約を決めた生家への義務感や、爵位へのこだわりを無くして行く。
クライヴの個別ルートに入って、クライヴの婚約者が悪役令嬢Aことアルテアになったとしても、それは変わらない。そしてその場合のディアナは、名前もないただの取り巻きとなって、アルテアのうしろで、そうよそうよとあいづちを打つだけ。
だとしたら、すくなくともディアナの身柄は安全だっただろう。
けれども、現実には、ディアナがクライヴの婚約者だ。
だから、きっとここは、「イリュージアの光」の逆ハーレムバージョンの世界。クライヴが義務感からひたすら尽くそうとする相手は、ディアナ…自分なのだ。
と言うことは、手紙に書かれたクライヴの気持ちも、すべてが正しいわけではないのかもしれない。この春休暇中はサルーイン家に滞在したかったとか、一緒に授業を受けようなどのさそいの言葉も、恋や愛から来るものではないだろう。
そう思うと、出会った時からクライヴに恋をして、クライヴと婚約できた時には、両親の前でホールを小躍りして、全身で喜びを表現した自分が、まるであほの子のようだ。
ディアナの父も入り婿で、その父から、クライヴもディアナとの婚約を望んでいた、と聞いて本当にうれしかったのだけれども、それは結局、クライヴがディアナに恋をしてくれたからではなかった。クライヴの鬼義母に強引に話を進められて、しぶしぶ了承しただけだったのだ。きっと。
「……………」
手紙を書きながら、ディアナはすこしずつ開き直っていた。
別に、クライヴとの婚約が解消されてもかまわない。確かに現世では城に住む令嬢かもしれないけれど、前世の記憶が色濃くディアナの人格に現れてしまった今となっては、愛のない結婚なんて、まったくもってのーせんきゅーなのだ。
ただ、ゲームのストーリーのままに事が運んで、悪魔の豚さんにぶひぶひ言われながら、たいして良くもない頭をがりぼりがちんと食べられてはかなわない。
だから、ディアナは手紙を書く。形ばかりの婚約者、クライヴ・フィクトルに向けて想いをつづる。
生徒会の仕事が忙しいのなら、無理をして出迎えてくれなくていい。忙しいのであれば、休日はゆっくり体を休めて下さい。学年混合で行う授業は、お好きなものをお受け下さい。わたしのことは、心配無用です、と。
……あれ。そういえばわたし、学園に行くのに、クライヴさまにサルーイン家まで迎えに来て欲しいなんて、ひとっことも頼んでない…よね? ゲームでは、強引に来させようとしてたみたいだけれども。クライヴさまが魔動車を運転できることは知ってたし、馬車で五日の距離を、一日で到着できちゃう速さだってことも、わかっていたけれども。……さすがに、絶対に来いはないなー。必死にお仕事してる人に対して、それはない。うん。………まあ、ゲームと現実はやっぱり違うってことかねー。人が生きて、実際に生活してるんだから、頭の中で考えられた物語に、多少の齟齬があっても当然…だよね…?
あれこれと考えながらも、ディアナは手紙を書き終えた。便箋を三つ折りにすると、便箋とおそろいの封筒に入れ、封をして、心配そうに自分を見ているメイサに渡すのだった。
「これを、クライヴさまに送って。特急便で」
普通便にすると、クライヴに手紙が届くのは、それこそ自分がイリュージア学園に着く日か、ヘタすれば、着いた後になってしまう。
でも、特急便…早馬をリレーさせて手紙を届ける方式…日本で言う速達みたいなもの? に乗せれば、3日もあれば学園に届くだろう。
「……かしこまりました」
何か言いたそうにしつつも、余計なことは口にせず、手紙を持って部屋を立ち去るメイサ。
その姿勢のよい背中を見送りながら、ディアナは再びソファに横になり、ぐりぐりと座面に青白い顔をこすりつけるのだった。