154話 5月27日 公爵さまとディアナ
なんか黒いのが、湖のおさかなたくさん食べたよ? 好き嫌いもするようになって、成長したよ?
「ふわ~。いいお天気だねえ~」
ぬけるような青空に、ディアナがはずんだ、けれどもどこかのほほんとした声をあげる。
「そうだね~」
そののほほんさは、ディアナのとなりにしゃがむファルシナにも伝わったようだ。
ディアナは、てへ~とばかりにファルシナに笑いかけ、再び意識を手のひらに、そして土に向ける。
「お、こっちいい感じ。そっちは?」
「うん、こっちもなかなかいいよ」
確認し合っているのは、土に蓄えられた栄養具合。
4月の中旬から始めたエルカ村の開墾作業も、ついに大詰めを迎えていた。
ファルシナのとなりで、土の属性を持つマリスが二人が魔力をそそいだ地面に手を当て、笑顔を浮かべる。
「……うん。これなら今年は豊作間違いないね」
「ですよね! 土の中が、わっさわっさしてますよねっ!」
「……いや、それはおれにはわからないな」
ごめんね、と苦笑いで答えるマリス。
「でも…サルーイン嬢の力は不思議だね」
「? 不思議?」
マリスの穏やかな声にのせた疑問に、ディアナは首をかしげた。
「土の属性だけで、土の栄養分を回復させられるなんて」
「? そうなんですか?」
「うん。少なくともおれにはできないし、土の属性を持つ人の中でも、おれが知る限りではいないね」
「えー」
マリスの言葉に、ディアナは困惑する。
……ええー。じゃあ、わたしの力は特殊ってこと? でもでもさ、できちゃうものはしかたないよね? 使わない手もないよね? おいしい大根づくりのために。
「でも、同じ土の属性と言っても、個人でできることはちょっとずつ違いますから……」
「そうだね。まあとにかく、君の力はとても希少だ。これからも、大切に育てるといいよ。おれにできることがあれば、協力するから」
「はいっ」
頼もしいマリスの言葉に、ディアナは元気にうなずいた。
「おいしい大根のためにがんばります!」
すると、ファルシナがぶっと吹き出す。
「? ファルシナさま?」
「いやだからディー、大根から離れようよ」
「え~なんで? ファルちゃん大根きらい?」
「好きだけどさあ~」
「じゃあいいでしょう~?」
ほおをふくらませてぷんすこするディアナ。
マリスは優秀な生徒たちのやりとりをほんわかとながめつつ、ぽん、と手をたたく。
「よし、じゃあ、エルカ村の農地回復作業は、今日で終了にしようか」
「そうですね」
「……そうですねえ…」
納得顔でうなずいたファルシナの横で、ディアナは煮え切らない様子だ。
「? 何ディー、まだ足りないところがあるの?」
言って、ファルシナは周囲を見回す。
「土の状態はいいし、近くの川からここまで水が流れてくるようにもした。これ以上することが見当たらないんだけど」
すると、ディアナは胸のあたりでぱたぱた手を振る。
「ううん、畑はもう十分にケアしたと思うんだよ?」
「じゃあ何?」
ファルシナが尋ねると、ディアナがしょんと肩を落とした。
「それはね…」
「ディーちゃ~」
ディアナがぽつりと言うと同時に、後ろからかわいらしい声がした。
「! カレンちゃん!」
ディアナはぱっと表情を明るくし、くるりと振り返った。
ディアナの視線の先には、三歳ほどのおさなごが、よちよちと歩いて来る姿。
うす紫色のまるい目をぱっちり開けて、もみじのような小さな手をディアナに向けて広げている。
「いや~んカレンちゃんっ! 今日もめちゃめちゃかわいい~っ!」
「きゃ~んっ」
ディアナはたたたっと駆け寄ると、きゅううう~っとカレンを抱きしめ、まるでつきたてのおもちのようなカレンのぷにぷにほっぺに、自分のほおをすりよせる。
「きゃぅ~っ、ディーちゃ、ほっぺたくすぐった~」
「うう~んっ、カレンちゃんがかわいいのが悪いのよう~っ」
カレンも大きな声をあげているものの、表情はすこぶる楽しそうなので、嫌がっていないのは一目瞭然。
なので周囲も、ほほえましい目で二人を見ている。
「安定のなごむ光景ですねえ~」
「そうだねえ~」
ファルシナがのほほんと言うのに、やはりのほほんと答えるマリス。
これがアニメに出てくる映像なら、おそらくディアナとカレンの周囲には小さなお花が舞っていることだろう。
けれど。そんな二人に近づく、無粋な影がひとつあった。
「あっ…!」
その影―――人物に気づいたファルシナとマリスは、慌てた様子で頭を下げた。
ちなみにディアナがその人物に気づいたのは、カレンごとふんわりと抱きしめられたあとだった。
「……ん?」
不思議に思ったディアナが首だけ後ろに向けると、そこには比較的見慣れた顔があった。
「あれ、どうしてこんなところにいらっしゃるんですか? 学園長? …ノルデン公爵?」
そう。幸せそうな顔をして、ディアナの細い体を抱きしめているその人は。
イリュージア学園を創設した学園長であり、この地を領地に持つ現ノルデン公爵の、カイル・ノルデンだった。
カイルは、濃紺の瞳をきらりと光らせながら、ディアナにウインクをする。
「こんにちは。ディアナ」
「……ごきげんよう。ノルデン公」
端正な顔を崩して笑うカイルに対し、ディアナはいくぶんか冷めた口調で答えた。
「あれ? 今日はずいぶん他人行儀だね~。ご機嫌が悪いのかな?」
「そうですねえ…ちょっと悪いかもしれません」
「ついさっきまで楽しそうだったけど?」
「はい。かわいいかわいいカレンちゃんが、遊びに来てくれましたから」
「ああ~、この子、カレンちゃんって言うのか。確かにかわいいねえ~。でも…」
カイルは、もったいつけた感で一呼吸置くと、ぱっちんとディアナにウインクをした。
「ディアナもすごくかわいいよ?」
「……」
言われたディアナは、ほおを赤らめつつも、むすうと口をとがらせる。
「だからって、いきなりぎゅうはやめてください。わたしもう子供じゃないので」
「ん? でも、十五歳の誕生日はまだだよね? 確か八月だったか」
「もうすぐですし、わたしには婚約者もいるんです」
「ああ、フィクトル候の長男ね。あの表情筋が死にかけてるやつ」
「かけてません」
「だから、ウチにお嫁に来いって何度も言っただろう?」
「…だからの意味がぜんっぜんわかりませんが、そちらのご子息のマーカスくんは、まだ五歳だったかと思いますけれども」
「愛があれば、年の差なんて関係ないさ」
「愛があればそうですねー」
「だったら問題ないな。マーカスは、君の事をすごく気に入ってるし。会うと二人でいつもぴったりくっついてるもんな?」
「そうですねえ。マーカスくんは、とってもわたしになついてくれていると思います。…あ!」
それまで真夏なら夏バテした子猫が涼めそうなほどの冷めた口調だったディアナが、突然かわいらしい声をあげた。
それを見てカイルは、やっとディアナが話に乗って来てくれたと思ってますます相好をくずす。
「だろう? じゃあ今すぐフィクトル君との婚約を取りやめて―――っ!」
けれど次の瞬間、カイルは会話をやめてごくっと息を飲んだ。何故なら。
背後から、ただならぬ殺気のようなものを感じたからだ。
カイルが驚いている間に、ディアナはぐいっとカイルの身体を押して、カレンの小さな体を抱き上げるとたたたっと走り出す。そして、目的の場所にたどり着くと、満面の笑みを浮かべた。
「こんにちは、クライヴさま!」
次回タイトルは、『ディアナの力』です。
ディアナ「ねえみのライル、腕相撲しよう!」
ライル「は? やだよ」
ディアナ「なぬ? おぬし、やる前から負けを認めるのかね?」
ライル「……負けるわけないだろ? それ以前の問題」
ディアナ「えー? 何それ」
ライル「クライブに聞け」
ディアナ「ん? なぜにクライブさま?」
ライル「さあね」




