152話 5月25日 討伐イベントだけど、討伐しない人がいるようです。
水色の空に、ぼんやりとした白い雲がかかっている。
ディアナは目を細くして、むーんと空を仰いだ。
……討伐授業だと言うのに、こんなにものんびりした気分でいいのかいな。
魔物が出る森の中にいるにもかかわらず、空を見上げる余裕のあるディアナ。
視線をまっすぐに戻すと、目の前には青いチュニック。
そこからほんのすこし視線を上げると、青みの入った金髪がさらさらと風になびいているのが見える。
……きれいだなー。
ぽやんと見とれていると、前方からすこしだけ緊張した声があがった。
「魔物です。ゴブリンの群れ五体」
そう言ったのは護衛兵のシンドだ。魔物討伐の授業において、生徒たちの戦闘をフォローし、けがをさせないようにするため同行している彼だったけれど、魔物が出たと知らせると同時に、さっと後方に下がる。
「わかった」
代わりに前に出たのは三年生のロナンド・エンノルデン。そして。
「ディアナ、後ろにいてね」
前を見据えたまま婚約者に声をかける、クライヴ・フィクトルだ。
「援護します」
「わたしも」
物語のヒロイン、ファルシナ・オランジュが言うと、パメラ・オルヘルスもそれに続いた。
「よろしく」
言うやいなや、ロナンドは剣を抜いて駆け出し、あっという間にゴブリンを一体屠った。
クライヴは、剣に風の魔力を宿らせ、それを飛ばして二体。
とほぼ同時にファルシナの放った白い光が、ゴブリンの胸を貫く。
「あと一体!」
ロナンドは、パメラが飴粒ほどの大きさの水の弾丸を放ち、足止めをしていたゴブリンの首を落とした。
「ふわ~。ほぼ瞬殺ですねえ。あいかわらずお強い」
シンドがしきりに感心している。どうやら彼は、今回も道案内の任務のみを遂行するつもりのようだ。
……まあ、今回もアレク先生に言われたしねー。護衛、必要か? って。
ロナンドがお願いします、と言うと、アレク先生はまたしても新人護衛のシンドくんをつけてきた。
……それでも、今日はみのライルとアルテアさまがいらっしゃらないから、そこまで戦力過多じゃないと思ったんだけれども………。
ゴブリン相手では、どうやらこのメンバーでも余裕綽々になってしまうらしい。
……それに。
今回もディアナはほとんど戦っていないのだけれど、さらに上手がいた。
「あ…、ブーツが汚れちゃった…」
そう言って苦虫をかみしめたような顔をしているのは、シーラ・バンニング。
ロナンド・エンノルデンの婚約者で、物語上では、悪役令嬢Cの役割を担っている少女だ。
ぴかぴか光っている様子から、おそらく新品なのだろう革のブーツについた土を、憎らしげに見ている。
シーラは、自分の鞄から白いハンカチを取り出すと、ぱたぱたと土を払う。木の切り株に座っている姿は、まるでピクニックにでも来ているかのようだ。
「―――――いい加減にしてよ!」
その様子を見て、たまりかねたように声をあげたのは、パメラだった。
「バンニング様! あなた、森に入ってから一時間は経つのに、まったく戦闘に参加しないわね! どういうこと!?」
「…?」
問われたシーラは首をかしげた。
「だって、戦ったりしたら、せっかくのブーツが汚れるでしょ?」
シーラの顔は、当然だ、と言わんばかりだった。
……まあ、そもそも戦力過多メンバーだもんね。ゴブリン戦ならひとりくらい戦わなくても影響ないか。あ、ふたりだ。
自分もほとんど戦ってないことを思い出し、うすく笑う。
……だってー、クライヴさまの目の前で魔力を使うと、めちゃめちゃ心配するんだもんー。
そんなことを思っているディアナに、耳がはち切れんばかりの大きな声が聞こえてくる。
「はあ?!? 汚れて困る靴なんか、討伐授業に履いて来るのが間違いでしょう?!!」
……うん。それも一理ある。
森に入る以上、たとえ戦わずに済んだとしても、多少靴は汚れるだろうから、いやなら履いて来なければいいのだ。
……ただ…、ゲームの悪役令嬢Cも、めんどうくさいとか言って、戦闘にはまったく参加しようとしなかったんだよね。
そんな彼女を常にフォローをしていたのが、婚約者のロナンド・エンノルデンだった。
彼は、身だしなみに気を取られて、戦う術を身につけようとしない婚約者に失望しつつ、仲間に迷惑をかけるのは本意ではない、と、討伐授業の時は二人分の魔物を狩る。
……そう、今のあの方のように。
そして、仲間内からシーラが戦っていないことを指摘されると、自分が言っても聞いてくれないと嘆くのだ。
「わたしがどの靴を履いてこようが、わたしの勝手でしょう? あなたにどうこう言われる筋合いはないわ」
「靴のことを言ってるんじゃないわよ! 討伐授業中に、戦闘に参加しようとしないあなたの姿勢はどうなの!?」
「? どうしてわたしが戦わないといけないの?」
「あなた話聞いてた!? 今は討伐の授業中だっての!!」
……わー。ますますヒートアップぅ……。
ディアナが、耳をふさぎたい思いでその場に立っていると、血走った目のパメラがぎろんとディアナをにらんだ。
「あなたもよ! サルーイン様!」
……わあ! こっちにも来た!
「何かあるとフィクトル様の後ろに隠れて! あなた、サルーイン領の当主になるんでしょう!? フィクトル様におんぶにだっこでどうするのっ!!」
「あ、いや…」
……だってクライヴさまが……。
「古参貴族のフィクトル様にとっては、サルーイン領なんてド田舎の婿になるだけでも屈辱なのよ?! それなのに、その上当主はお飾りで、領地の運営すべてをフィクトル様にさせようだなんて……。優秀でいらっしゃるフィクトル様ならできてしまうかもしれないけれど、そういう問題じゃないのよ! すこしは時期当主としての責任を持ったらどうなの!?」
……わー。何だかずいぶんな言われよう……。でもわたし、領地の運営をクライヴさまに押し付けるなんて、誰にも言ってないけど。そこはあくまでもオルヘルスさまの想像だよね? でもきっと、ちゃんと領地運営するつもりです~、って言っても信じてもらえないんだろうなー。まあ、オルヘルスさまにどう思われてももういいので、あとでクライヴさまに二人でがんばりましょうって言っておこ。………あ。
パメラにぎゃんぎゃん言われている途中だったけれど、ディアナは、突然しゃがみ込んだ。
「?! ディアナ?」
気づいたクライヴがディアナの顔をのぞき込もうとするけれど、ディアナは声でそれを止めた。
「敵ですっ」
同時にディアナは地面に手をつき、魔力を発動させる。
「敵…?」
「あっ! あそこです!」
ロナンドが視線を巡らせ、シンドが敵を見つけた時にはすでにクライヴが動いていた。
風のような速さで敵に近づき、剣を振るう。
「ソーサリーゴブリン…!」
ファルシナが声をあげるのと、ソーサリーゴブリンがディアナの作った盛り土につまづいて転んだのはほぼ同時だった。ソーサリーゴブリンはゴブリンの変異種で、魔法を得意としている。転んでいる三体のソーサリーゴブリンの位置は、彼らの放つ魔法が届くと言われている範囲の外だった。
ディアナが、盛り土を利用してソーサリーゴブリンたちの足先を固定している間に、クライヴが彼らの首を落とす。
「サルーイン嬢、他には?」
「もう大丈夫……だと思います」
ロナンドの問いに答えながら、ちらっと護衛のシンドを見ると、彼もこくりとうなずいた。
「恐らく大丈夫かと」
「そうですね。――――この近辺にはいなさそうです」
ディアナとシンドの予測にクライヴが太鼓判を押す。
そこでようやくメンバーたちはほっと息をついた。
「……しかしサルーイン嬢、よく敵がわかったな」
「はい、なんとなく空気がもやっとしたので」
「もやっと…?」
「はい」
ディアナの答えを不思議そうに繰り返すロナンド。
「魔物が近づくと、空気が変化するってことか? どんな風に?」
「ですから。こうもやっと」
「…………」
ロナンドは、眉を寄せて考え込んでしまった。
……魔物が近づいてきた時の、もやっ、が分からない人もいるのかー。
と、ディアナが物珍し気にロナンドを見ていると。
「もやっとって…?」
「もや…?」
「もやっと…?」
パメラとシンド、そして前世からの友人、ファルシナまでもがディアナを物珍し気に見て来る。
……あれ? めずらしいの、わたしの方?
ディアナがようやく事実に気づいたころ、ロナンドが笑顔を浮かべた。
「いや、しかし助かったよ。ソーサリーゴブリンは、魔法の射程距離が広い。威力自体はそう強くはないが、攻撃されていたら怪我は避けられなかっただろう」
「そうですね。ありがとうディー」
「まあ、よくやったと思うわよ、サルーイン様」
「お手柄だね。ディアナ」
ファルシナ、シーラ、クライヴに礼や称賛を受け、ディアナはえへへ、と照れ笑いを浮かべた。
その傍らで、パメラが悔しげにぎりりと歯を噛んでいたことに気づいたのは、ファルシナとシーラ、ロナンド、クライヴ…。
ようするに、当人のディアナと護衛のシンド以外全員だった。
次回のタイトルは『湖の狩人』です…!
ディアナ「狩人と言えば、頭にりんご!」
ライル「あ、やってみる? ディアナの頭にりんご乗っけて、誰が射る?」
クライヴ「させませんけど?」
ディアナ「クライヴさま…!」




