149話 5月24日 傷痕
「だ、大丈夫です、クライヴさま」
ディアナを医務室まで運んで医師に診せると、微熱があると言われた。
大事を取り、医務室でしばらく横にように勧められたのだけれど、ディアナが首を縦に振らない。
「だってほら、ほんのちょこ~っとの熱ですし、これなら外で遊んだ方が発散できていいですよ、きっと、……きっと」
だんだん声が小さくなって行くのは、おそらくクライヴの反応が思わしくないと気づいているのだろう。
ディアナの言うことにも一理あるのかもしれない。実際、クライヴ自身なら、すこしの熱があっても遠乗りくらい出かけると思う。けれど、ディアナの身体はクライヴと違ってまだ未成熟だ。あまり無理はさせたくない。
「でも…顔色も悪いですから、すこし休んだ方がいいですよ?」
医務室まで付き添ってくれたファルシナが言う。
ディアナの顔色は、いつもよりもかなり白い。それこそ、漉きたての紙のような透明さだ。
それでも大丈夫と言い張り、ベッドに横になりたがらないディアナを、どうしたら説得できるのか。
……こんな状態のディアナを連れ出す気はない。でも、はっきりとそれを伝えたら、ディアナは残念がるだろう。
だからクライヴはこう言った。
「出かけるのは次の休日にしよう。三十日は空いてる?」
次の約束をすれば、ディアナも納得してくれる。そう思ったのだ。けれど。
「………でも…」
笑顔ではいと答えてくれると思っていたディアナは、しゅんと肩を落としてしまった。
ほろ苦いチョコレートを思わせるディアナの瞳が、潤んで見える。
そんなにディアナは、自分と出かけるのを喜んでくれていたのか。
……いや…、少し違うような気がする。
もちろん、それもあるのだろうけれど、まだ何か、他の理由があるような気がするのだ。
……どうしたらディアナの不安を取り除く事ができるのか。おれじゃあ、力不足か………。
いっそストレートに心配事があるのか訊ねてみようかと、クライヴが口を開いた時、医務室の扉ががちゃりと開いた。
入って来た人物を認めると、フラメンス看護師が声をあげる。
「まあライル殿下、どうなさいました?」
速足でライルのもとへ行くフラメンスに、ライルが答えた。
「すこし気分が悪くてね」
そう言いつつ、医務室の中を見回したライルが、ある一点で視線を止める。
「うっ……」
視線の先にいるディアナは、バツが悪そうに縮こまった。
小さくため息をついたライルは、ディアナに問う。
「それで? サルーイン嬢はどうしたの?」
「微熱があるそうです」
答えたのはクライヴだった。
「ふーん……症状はそれだけ?」
クライヴの答えに満足できなかったのか、ライルがさらに問う。
……ソーラテス医師は、特に何も言っていなかったが……。
クライヴが思っている横で、ディアナが観念したように答えた。
「ちょっと……くらくらしてます………」
「なら少しここのベッドで休めば? おれも隣りで寝てるから」
「ぐ………うん……」
ディアナは力なくうなずくと、ソーラテス医師に「お世話になります…」と頭を下げた。
「では、ライル殿下、サルーイン嬢、こちらへ」
「はい………」
フラメンス看護師にうながされ。ディアナはためらいながらも立ち上がった。
けれど、その足取りが、まるで生まれたての雛のようにおぼつかない。
体を支えようと手を伸ばしかけたクライヴの肩に、ライルの手がぽん、と乗った。
「クライヴ、今日一日ディアナに付き添ってくれ」
「……!」
瞬間、クライヴの胸に怒りが込み上げた。
なぜ、ディアナとは無関係なはずのこの男に、ディアナの事を頼まれなくてはいけないのか。
なぜ、ディアナと出会ってまもない筈のこの男が、自分よりもディアナの容態が分かるのか。
なぜ自分よりも、ディアナの危機をいち早く察知できるのか。
けれど、これらを口にすればきっと、婚約者という立ち位置にありながら、ディアナの変化に気づけない自分に気づかされるだけだ。
だからクライヴは、こう返した。
「……そのつもりです」
言いながらクライヴは、自分はディアナの婚約者だ。貴族間で一度決めた婚約を覆すのは、たとえ王族であっても容易ではないのだ、と自分に言い聞かせていた。
「……………」
ベッドに横になったはいいものの、ディアナは眠る気になれなかった。
……だって、だって。なんかね、今目を閉じたら、来~る~♪ きっと来る~♪ ……と遭遇しちゃう気がするんだもん!
前世で見て恐ろしい思いをした映画を思い出し、ディアナはひい~っと心の中で叫ぶ。
……井戸の中からはいずり出てきたとこなんか、本当に怖かったんだってばぁ…!
それは、ホラー好きだったファルシナ…前世の小谷野芽久の家で見せてもらった映画だ。
問題の怨霊が、まるでこの世のすべての怨みをその背に負ったかのようにテレビ画面に向かって這いつくばって来たのに衝撃を受け、悲鳴を上げたことを思い出す。
……で、うっかりとなりに座ってた人に抱きついちゃったんだけれども、それが波瀬くんだったから、またびっくりしちゃったんだよなあ………。
好きでもない女の子に抱きつかれて波瀬もさぞかし迷惑だったろうと、過去を振り返りつつ、ディアナはベッドのそばで椅子に座っているクライヴを見る。
……クライヴさまなら、抱きついちゃってもいいの、かな…?
そう思って、なんとなくクライヴに手を伸ばしかける。けれど。
――――あんたなんか邪魔なのよ…!
「……!」
例の声が頭の中で響き、ディアナはひゅっと息を詰まらせる。
……じゃま………。
「わたし……誰かのじゃまを、した…?」
「…ディアナ?」
ディアナは、誰に話しかけるでもなく、ただつぶやいた。けれどクライヴはその言葉を拾う。
「……邪魔なんて、してないよ」
「うそ…でも…」
「君は誰の邪魔もしてない。本当だ」
クライヴは、いつになく力をこめて言った。この言葉が、ディアナの心に深く刻まれればいいと。
けれど、ディアナは首をはげしく振った。
「でも、だって、あの時あの子が…!」
「ディアナ!」
「あの子が言ってた! じゃまするなって!」
「ディアナ、しっかりしろ…!」
ディアナは、叫ぶと同時に身を丸めて頭を抱える。ディアナの目はとてもうつろで、おそらくクライヴのことも見えていないだろう。そんな気がした。
「ディアナ…!」
それでもクライヴはディアナを呼ぶ。今にも消えてしまいそうなほど儚く見えるディアナを、毛布の上からぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫、君じゃない、君じゃないんだ…! 悪いのは――――おれだ…っ」
まるで、胸の奥から絞り出すように、クライヴは言った。
「ごめんディアナ、ごめん、…………」
「―――――」
その時クライヴがつぶやいた名前は、ディアナのそれではないように思えた。
けれど。
今のディアナには、それを追求するほどの余力はない。
意識が途切れ途切れになる中、ディアナは感じていた。
……わあ…、ふわふわだぁ……。
今わかるのは、自分の身体がやさしいもので包まれていること。
そして、とても大切にされていること。
……なんだろぉ…。こんなこと、前にもあった…ような………?
考えても思い出せないまま、やがてディアナの意識が混濁してゆく。
ディアナは、さまざまな疑問を心の奥底に抱えたまま、おだやかな眠りに身をゆだねたのだった。
次回のタイトルは『ライルの告白。』でーす。
ディアナ「えっ?! みのライル告白するの? 誰に? まさかのダントン嬢?」
ライル「……へー。お前はよっぽどオークサタンに喰われたいらしいな?」
ディアナ「はう! うそですごめんなさい」




