144話 5月22日 サリーバン先生の炯眼。
すずやかな風がふんわりと吹いて来て、ディアナの小ぶりな耳を軽くなでた。
ディアナは、学園の入り口にある白い門を背に、石の形をした鳥をぎゅっと握りしめる。
「本日の授業では、みなさんに魔伝鳥を飛ばしていただきます」
ディアナたち特化生の前で、てきぱきと指示を出すのは、イリュージア学園きっての魔法の使い手、サリーバン先生だ。
「範囲はこの正門前から裏門まで。みなさん一斉に魔伝鳥を放っていただきます。魔伝鳥を飛ばしている間は触れる位置を保って走って追いかけ、魔力に限界が来たところで魔伝鳥を回収、その場にとどまってください」
「はい!」
特化生たちの張りのある声が響く。
やる気みなぎる面々をちら見しながら、ディアナはますます魔伝鳥を握りしめた。
……ううう……。うまく飛ばせるかなあ………。
ライルに魔伝鳥を買ってもらってから、何度か飛ばしてはいるディアナだったのでわかるのだけれど、どうやら自分の現在の魔力では、西の端にある女子寮から東の端にある男子寮に飛ばすだけで精一杯なのだ。
それもどうやら、ディアナからの魔伝鳥が来るのを察したクライヴが、自分の方へと引き寄せてくれているようなので、ディアナの実力だけでは恐らくない。
……でもまあしかたないよね。どんなにがんばったって無理なものは無理なんだから。ここは無理せずに限界手前で無理なく止まるように………って、何言ってんだわたし。
日頃から無理はするなと言われている影響だろうか。ディアナの頭の中には無理禁止令が定着しているようだ。
これもおそらく、おもにクライヴ…たまにライルの教育のたまものだろう。
……よし、わたしなりにがんばればいいんだ。そうそう。
心の中で反芻しながら、先生の号令とともに魔伝鳥を放ち、走り出す。
今日は学園内を走ると前もって言われていたので、みんなおのおのの戦闘服を着ている。
ディアナも、オレンジ色のチュニックの裾をひるがえしながら、たたたたと自ら放った魔伝鳥を追いかけた。
……うわあ~。意外とコントロールがたいへーん。
いつもは空に放つので、せいぜい鳥に気をつければいいのだけれど、今回は自分のすぐそばを飛ばしているので、木や噴水をよけたり、花壇や畑にふみいらないようにしたりと、細かいコントロールが必要になる。
「あだっ!」
すこし後ろで、声が上がった。
ちらりと後ろを見てみると、ダミアンが木の前でひたいを押さえているのが見えた。
……ありゃあ~…。魔伝鳥を追いかけるのに夢中になって、障害物を避けられなかったのかー。
ダミアンが木にぶつかった時に魔伝鳥も地面に落ちてしまったので、彼の競争はそこで終わりだ。
ダミアンの取り巻きであるボニファスとコルネリスも、ダミアンに気を取られているうちに噴水に魔伝鳥を突っ込ませたり、いきなり急降下させたりしてゲームオーバーとなった。
……あれは、うっかりなのかわざとなのか………。
主人とも言える人物に遠慮したのかそうでないのか、ディアナにはわからない。
けれど、へたを打ったら自分も、たとえ国のお金をお偉いさんが横領しようが、書類を偽造してでもかばわないといけないどっかの官僚さんのように、悪役令嬢Aに忖度しなければいけなかったかもしれない運命を思うと、すこしだけ彼らに同情した。
……アルテアさまがいい方で、本当に良かったよ。
そのアルテアは、ゲームの攻略対象者ヨハンネスとレダン、そしてリュークとともに、最前列を走っている。
……うぉう、さすが主要人物はチートだねえ。…って、なにげにリューが先頭集団に混ざってるよ。リューってかっこいいし性格もいいし、アビリティも高いから、もう攻略対象者の一人でもいいと思うんだけども。悪役令嬢Dのおさななじみって肩書だけじゃ、もったいないよね? ね?
何に対して問いかけてるのか、自分でもわからないままに首をかしげつつ、ディアナはきょろりと周囲を見回す。
……あれ。いつのまにか、ほとんどみんな止まってる?
気がつけば、走っているのはディアナをふくめ、ほんの数人だけだった。
……おや、ファルシナめぐちゃんがいない…?
少なくとも、ディアナの前にその姿はない。不思議に思って振り返ると、ディアナの数メートル後ろを走っているファルシナの姿が目に入った。
……なんと…! ファルめぐちゃんたらまさかの後方…!
ディアナがどんぐりまなこを向けると、ファルシナは、得意げな表情でウインクしてきた。
……あ、なるほど。ファルめぐちゃんはきっと、女王ルートをさけるためにわざと手を抜いてくれてるんだ。
ファルシナの作戦に気づき、ディアナの心はふっと軽くなる。
……よしっ、あとは自分のペースでがんばるだけだっ。
心配事が払拭されたディアナは、魔伝鳥を飛ばすことに集中しようと決めて、きりりと前を向いた。
「みなさん、お疲れさまでした。今日の授業では、魔伝鳥を裏門まで飛ばした方が数人もいらして、わたくしは大変驚きました」
魔伝鳥を飛ばす実技が終わり、噴水の前でサリーバン先生が口を開く。
「入学してまもない一年生が、まさか四名もクリアできるとは。とても素晴らしい結果です」
結局、ディアナの前を走っていた集団が、そのままゴールできたのだ。
ディアナは予想通り、裏門の十メートルほど手前で立ち止まることになった。
それよりもおどろいたのは、ファルシナがディアナのさらに手前で止まってしまったこと。
……手を抜くのはわかるしわたしも大賛成なんだけれども、わたしよりも実力ないを装わなくてもいいんでないかい?
まあ、ファルシナにとっても生き死にが関わっているわけだから、成績なんて二の次なのかもしれないけれど。
……でも、ファルめぐちゃん、毎日鍛錬がんばってるし、部屋で勉強もちゃんとやってるみたいだしー…。
決められた運命のせいで、当人の実力がいかんなく発揮できない状態というのは、とても残念だ。
……でも大丈夫。わたしだけは、ファルめぐちゃんが、ここにいる誰よりもチートだってことを知っているから。
ファルシナの想いを想像し、一人で勝手に答えていると、ちょうどカランコロンと鐘が鳴った。授業終了の合図だ。
……よし、終わった。ファルめぐちゃんと一緒に寮に戻ろっと。
そう思って、ディアナがファルシナに視線を向けた時。
……ん?
ファルシナは、ピンと背筋を伸ばしたサリーバン先生に捕まっていた。
……ありゃあ? サリーバン先生ったらどうしたのかしらん? ちょっと怖いお顔をなさってらっしゃるけれども。わたしだったら逃げちゃうかもしれない。………。
ディアナは、すこし考えたあと、こそこそとそっとファルシナたちに近づいた。
「……前から思っていたんだけれど………。あなた、魔法実技の授業では、常に手を抜いているわね?」
……げ、バレてるぅ。
ディアナはなるべく自然な風をよそおって二人に近づき、顔は明後日をむいたままで、耳だけダンボで話を聞く。
「なぜそんなことをするのか、説明してくださるかしら?」
……丁寧な言葉づかいがなおさらこわい。
サリーバン先生の口調は、生半可な言い訳を許さない雰囲気があった。
……でもでもさ、結局ファルめぐちゃんが手を抜いてるのは事実なんだから、言い訳しかできないよねー。
自分だったら脱兎のごとく逃走するかもしれない。そんなことを思いながら聞いていると、ファルシナが言った。
「……先生、わたしはいつだって真剣に授業を受けています」
! うをうファルめぐちゃん…! なんて素敵な切り返し…!
たとえ手を抜いていようが、真剣に授業に向き合っているのだと、ファルシナはそう言ったのだ。
……で、でも、生真面目なサリーバン先生に、ファルめぐちゃんの気持ちが届くかどうか……。
はらはらしつつ聞いていると、サリーバン先生の大きなため息が聞こえていた。
「……まあいいでしょう。あなたにはあなたの考えがあるようですから」
どうやら根負けしたらしいサリーバン先生。あきらめたように言うと、やっぱり背筋を、ぴん、と伸ばしてその場を立ち去った。
「ファルめぐちゃん」
サリーバン先生の姿が小さくなったのを見計らって、ディアナがファルシナに駆け寄る。
「バレちゃったね」
「うん。さすが学園一の魔法使いってとこかな」
ファルシナは、ちょっと困った顔をディアナに向けた。
「でも、おとがめなしでよかったよ」
ファルシナが力を隠すのは、もちろんファルシナ自身のためでもあるけれど、被害が及ぶ悪役令嬢たちのためでもあり、さらにはフロンド王国の平和のためでもある。
ディアナにとって、ファルシナの行動は本当にありがたい。けれども。
……ファルめぐちゃんだって、本当はきっと……。
ディアナは、ファルシナの貝殻のようなかわいい耳に口を寄せ、こそっと言ってみる。
「ファルめぐちゃん、ゲームの時期が終わったら、本気の魔法、わたしに見せてね」
「……!」
ファルシナは、驚きの表情を見せたあと、にっかりと笑って片眉をあげた。
「もちろん! さいっこーにでっかいやつをぶっ放してあげる!」
そう言ったファルシナは、とても生き生きした表情を見せていた。
次回タイトルは『朝のお誘い。…いらん方の。』です。
ディアナ「いらん朝のお誘いって、なんだろう…?」
ファルシナ「朝から揚げ物大食い選手権とか?」
リューク「あ、それおれ出たい」
ディアナ「………想像しただけで気持ち悪……」




