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14話 4月10日 悪役令嬢E

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 アルテアは、魅惑的な唇に、すこしだけいたずらっぽさを含んだ笑みを浮かべた。


「サルーイン様、あなたにお客様がいらしてるわよ」

「えっ」


 今日が初対面、しかも、入学式のあと、みんなの前で一度言っただけのディアナの家名を、すらっと口にするアルテア。

 ゲームだと、下々の名前をわたしが覚える必要なんてなくってよ! なんて、高笑いしていたのに、すんごい違いだ。


 ……もしかしなくても、この悪役令嬢さまは、めちゃめちゃいい人なのでは?……あ、いい人なら、すでに悪役令嬢ではないね。でも、でもよ? シャブリエさまが悪役をしないのだとしたら、わたしがぶたさん魔物にばっきんごっきん食べられるような事件も起きないんじゃないの?


「……というか、お客さまって…?」

 ディアナが、首をかしげつつ、アルテアが開けたドアの向こうを見ると。


「…! まあ、クライヴ様っ!」


 甘い音色を含んだ声で名前を呼び、制服のワンピースの裾をひるがえして駆け寄った………のは、ディアナではない。

 ディアナは、席から一歩も動いていない状態で、自分の婚約者の名前を呼ぶ女子生徒の後姿を眺めていた。


「ああ、ダントン嬢。お久しぶりです」

「いやだわ、そんな他人行儀な。先ほどアルテア様もおっしゃっていましたけれど、イリュージア学園では、家の位など関係ありませんわ。どうかイルマとお呼びくださいませ」

 「……、…」


 ディアナは、チョコレート色の目をぱちくりさせながら、二人の会話を聞いていた。

 現在のクライヴとイルマの距離はほぼ30cm。近い、二人がただの友人同士だとしても、限りなく近い。

 現代日本なら許されるかもしれない距離だけれども、ここは階級社会のフロンド王国。貴族の子女なら、たとえ友人でも、至近距離にいて許されるのは、女性が馬車を下りるのを男性が助ける時と、ダンスの時くらいだろう。


……ていうか、家の位関係なくお付き合いできるからって、名前呼びしていいってことにはならないよね? この世界でお互いを名前で呼ぶのって、家族か親友レベルの仲良しさんくらいだよね?


 ラフド子爵令嬢のとなりにいる、ちょっとぽっちゃりした少女が、ふんわりとした声でつぶやく。

「あら…? フィクトル侯爵のご子息が、婚約なさったのは聞いておりましたが…。お相手はダントン様だったかしら?」


 ……ちがいます。そのお相手はわたしです。……あれ、わたしでいいんだよね? そうだよね?


 わかっているつもりなのだけれど、クライヴとイルマの距離を見て不安になる。

 だって、ディアナは悪役令嬢。いずれは、クライヴを恋敵に取られてしまう立場にあるのだから。


「ディアナ」


 ……そう、こんな風に名前を呼ばれることも、いずれなくなってしまう……。


「って、え?」

 思いがけず近くから声が聞こえて、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。と。

 青みがかった金髪と、青みが入った黒い瞳が目の前にあった。


「ク、クライヴさま…!?」


 ……ち、近い…! さっきのイルマさまとクライヴさまよりもぜんぜん近い…!!


 吐息さえも届いてしまいそうな至近距離に、ディアナが顔を赤らめていると、クライヴの手がそっと伸びてきて、膝の上にあるディアナの手を取った。

「約束通り、学園内を案内しに来たんだ」

 穏やかな笑みを浮かべて手を引くクライヴに引き寄せられるかのように、ディアナは椅子から立ち上がる。

 するとクライヴは、少し残念そうに声を落として言った。

「でも、ごめん。生徒会の仕事があって…、時間はそんなに取れない」

「い、いいえっ! お忙しいのに、時間を作ってくださるなんて……」

 ディアナは、ふるふると首を振りつつ、うれしい、と続けようとしたのだけれど、それは出来なかった。甘ったるくもトゲのある声に、遮られてしまったので。


「まあクライヴ様…! お忙しいのなら、おっしゃっていただければいいのに…!」

 両手を頬に当てて、驚いた仕草を見せながら駆け寄って来るのは、ついさっきまでクライヴとあり得ない近さで接していた、伯爵令嬢イルマ。


 イルマは、またしてもあり得ない近さまでクライヴに接近すると、顔を覗きこむようにして言った。

「わたしがサルーイン様を案内しますわ。わたし、学園の地図を持っていますので、迷う事もありませんし」

「えっ…」


 突然の申し出に、小さく驚きの声をあげたディアナ。

 気持ち腰が引けているディアナを気にもとめず、イルマはクライヴに話し続ける。


 「学園なんて、毎日通っていれば、どこにどんな部屋があるかなど、自然に覚えられます。そもそも誰かに案内してもらう必要などないとわたしは思うのですが………ディアナ様は、違うのですか?」

 「えっ」

 いきなり話を振られて、ディアナはうろたえた。というか、今のイルマの言い方では、まるで、ディアナが忙しいクライヴに無理を言って、学園を案内してもらおうとしたように聞こえる。

 いや、ゲームのディアナは確かに、クライヴの都合なんておかまいなしに、そうしたんだけれども。

 でも、今ここにいるディアナは、悪役令嬢Dとは違う。

 クライヴに無理をしてもらってまで、自分のために時間を割いてもらおうとは、ほんのすこしも思わない。


「わたし―――――」


 イルマの言い方に引っかかるものはあるけれど、忙しいクライヴに手間をかけさせたくないのも事実。なので、ここはイルマに同調して、クライヴにはおいとましてもらおう。そう思って口を開いたディアナ。けれどそこに、クライヴの低くやわらかい声が重なった。


「いえ、学園を案内するという約束は、わたしがディアナと一緒にいたい為の口実ですから」


「……は…?」


 クライヴのきっぱりとした物言いに、イルマは、貴族令嬢らしくなく、ぽかんと口を開けた。クライヴは、もう話は終わったとばかりにイルマをまるっと放置し、ディアナに向かって笑いかける。


「申し訳ないけど、おれの我儘に付き合ってくれないか?」


 クライヴは、そっとディアナの手を取った。


「……! わ、わたしで良ければ、喜んでっ」


 そう答えたディアナのほおは、真っ赤に染まっていた。


「じゃあ、行こうか」

「………はいっ」


 手を握ったまま、歩き出すクライヴ。

 クライヴの手から伝わってくる体温にどきどきしながら、ディアナもそれについて行った。そして、扉の前に来たところで、女子生徒たちに向き直り膝を折る。


「申し訳ありませんが、お先に失礼いたします」

「さようなら、サルーイン様」


 そう言ってくれたのは、さきほど、クライヴの婚約者はイルマだったかとつぶやいた、ふわぽちゃのかわいらしい少女だ。その他にも、何人かの女子生徒が返事をしてくれたけれども、ベアトリスとイルマから、挨拶を返されることはなかった。


 何だか、初日から女子生徒との仲がこじれそうだけれども、いいのだろうか。

 ちょっと心配に思いつつも、とりあえず険悪になりそうな気配なのは、悪役令嬢のBとEだけだ。しかも、この二人とは、今のところ…恐怖の魔物ブタが召喚される危険のある、九月の合宿イベントが終わるまでは、密に接しない方がいいと思われるので、まあいいかと考え直す。


 それよりも、今は今のことを考えよう。

 そう思って、ディアナは、未だクライヴとつながれたままの手をじっと見る。


 ……今は放課後。入学式の日は、生徒会役員以外の上級生はお休みだから、人はいつもよりは少ないのかもしれない。しれないけれども。


「……………」


 ……見られている。たしかに、クライヴさまとつながっている手と手あたりに、すれ違う人の視線が集まっている………。


 チラ見程度の人もいれば、おっ、とのぞき込む人もいる。きゃぁっ、とか悲鳴をあげながら真っ赤になった頬を両手で押さえているのは、たぶんどこぞの深窓のご令嬢なのだろう。


 婚約者でも、往来で手をつないで歩くのは、ギリギリの線だ。中にはアウトと考える人もいるだろう。

 

 ……み、見られてます。見られてますよ、クライヴさま…!。

 

 深窓のご令嬢につられて、赤くなっているだろう自分の頬を片手で押さえつつも、声にしてクライヴに言うことはできない。


 だって。恥ずかしいけれどもうれしい。

 それが、ディアナの本音だから。


「まずは……教員室に行こうか。ここから一番近いし」

 ね。とやさしい笑顔とともに同意をうながされたら、実は、先に鍛錬室が見てみたいと思っていた、なんてことはどうでもよくなってしまう。


「はいっ…」


 まるで、食べごろに熟したりんごのように赤くなった顔で、こくこくとうなずくディアナなのだった。

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