129話 5月16日 ヒロインの魔法属性
広げた手のひらから、ぽた、ぽた、ぽた、と水が落ちてゆく。
混じりけのない透明な水は、まるでコンパスで書いたかのような、均一な丸い紋を描きながら、机の上にあるコップの中へとたまって行く。
最近の魔法実技は、自分の属性以外を鍛える、というコンセプトのもと行われていた。
五月に入って、炎の実技を二回行い、次は水というわけだ。
ディアナは、空気に溶け込んでいる水の魔力や、自分の体内にあるわずかな水の魔力を感じながら、すこしずつ、コップの中の水を増やす。
クラスメイトの多くは、ディアナと同じように、目の前に置かれた一個のコップに水をためる作業に集中している。
ただし、例外はいるもので、リュークはすでに二個のコップをなみなみと満たし、今は三個目と向き合っている。
さらに言うと、アルテアとヨハンネスの前には、洗面器が置いてあって、手のひらからぽたぽたぽたと平均よりもかなり速いペースで零れ落ちている。
それらを横目でにらむように見ていたダミアンが、両隣りに座っていた取り巻きのボニファスとコルネリス何かをささやく。二人は神妙にうなずくと、教室の後方の棚に置いてあった使われていない花瓶を持って来て、ダミアンの前に置いた。するとダミアンが椅子を後ろに倒しながら勢いよく立ち上がり、まるで正義のヒーローが必殺技を打つかのような堂々としたしぐさで花瓶に手をかざす。そして。
「どありゃぁっ!」
ちょっと悪役っぽい叫び声をあげた。すると。
ぽた。
「だありゃあっっ!!」
ぽた、ぽた。
「ぜいやああっっっ!!!」
ぽた、ぽた、ぽた。
「ニーラントさん。もう少し静かにできませんか」
「はい」
サリーバン先生に注意されて、素直に座るダミアン。その頬は、ほのかに赤い。他人に対して常に尊大な態度を取るダミアンだったけれども、今ばかりは謙虚だ。さすがにみんなの注目を集めた上で失敗したのが、恥ずかしかったのだろう。
……でも、気合を入れれば入れるほど、しずくが一滴ずつ増えるってわかったんだから、そこは成果だよね。……まあ、ちょっと騒音がついてくるけれども、そこはこっちがすこし距離を取れば済むことだしね。
それよりも、ディアナにとって意外だったのは、ファルシナだった。
ファルシナの目の前にコップはなく、ただ、手のひらを上に向けて炎を作り出している。
……おおお…すごい。
先日の授業で、ファルシナが炎を発生させた時には、手のひらの半分ほどの大きさだった。それが今では手のひらいっぱいに広がっている。
……さすがはヒロイン、と言ったところなんだけれども。
ディアナが気になったのは、そこではない。もちろん、ファルシナの成長度には目を見張るしうらやましくもあるのだけれども、やっぱりそこではないのだ。
……なぜに、ファルシナさまは、水の属性をお持ちなんだろうか。
ゲームのヒロインが持っていたのは、光の属性だけだった。なので、本来ファルシナの前にはコップ…いや花瓶かあるいは洗面器が置いてあるはずなのだ。
けれども、今、彼女の前には水の受け皿的なものは何も置かれておらず、真剣な表情で炎の練習をしている。
……そう言えば、クライヴさまも、風の他に水の属性をお持ちだったなー…。
エルカ村の農地に作った貯水池に水をためるために、水の属性持ちを探していたら、クライヴが手をあげてくれたのを思い出す。
そのあと引率のマリス先生も加えて向かったエルカ村で、クライヴが水をひたすら出してたところに、ファルシナが加勢して、それはもうきれいな水が、たっぷんと池にたまったのだ。
二人並んで水を放出させる姿は、三百六十度、どこから見てもお似合いで、さすがヒロインと攻略対象者だなー…、なんて思ったりしたのだった。
……さすがは、ゲームの主要登場人物。やっぱり能力がチートだよねー……。それに、水は便利だし。水さえあれば、たとえ未開の地で遭難したとしても、数日間はなんとか生き伸びられる。
「………いいなあー……」
目の前にあるコップに、なみなみとつがれた水を見ながらディアナはつぶやく。
「……ディアナさま?」
ぽたぽたとコップに注がれる水の音を、意識の遠くの方で聞いていると、りんとした声に呼ばれた。ここ一か月とすこしで、すっかり聞きなれてしまったヒロインの声だ。
「はい、何でしょう?」
「あ、いえ。今、いいなあ、とおっしゃっていたので、どうかなさったのかと思いまして」
「………」
どうやら聞かれていたらしい。
ひとりごとを拾われたのは気恥ずかしかったけれど、内容自体は一部をのぞけばかくすことでもないので、素直に口にする。
「ふたつの属性をお持ちでいらっしゃる、ファルシナさまがうらやましいです」
「えっ…! きゃっ…!」
「! わあ…」
魔力の調整が狂ったのかなんなのか、ファルシナの手のひらの炎が、一気に倍の大きさにふくれあがる。
けれどもそれは一瞬のことで、あっという間に炎は元の大きさに戻った。
「……ファルシナさまは、属性外でもそんなに大きな炎を出せるんですねえ…」
自分の持つ属性以外の魔法を放出するのは、難しいと言われている。
ここにいるクラスメイトは、コップに水を満たすことに悪戦苦闘しているわけだけれども、特化生よりも下のクラスに所属する生徒たちは、指先をぬらす程度の水を出すことにすら苦戦することが多いのだ。
一番下の生徒たちに限っては、他の属性を伸ばす授業すらしていないらしい。
にもかかわらず、目の前のファルシナは、一番下のクラスの生徒なら得意属性に入る規模の魔法をいとも簡単に出している。しかも手加減しているようだ。
今までは、あまり大きすぎる炎を出すとまわりが…主にディアナが熱くなってしまうので、ずっと加減してくれていたのだろか。
「わたしが驚かせてしまったのでしょうか……申し訳ありません、ファルシナさま」
炎を手のひらにともしている相手を驚かそうなんて気持ちは、みじんこの大きさ程度も持ち合わせていなかったけれど、ディアナと会話をしている途中で、いきなり魔力がふくれあがったのだから、やはりディアナが関係しているのだろう。そう思って、謝罪を口にする。
すると、ファルシナはめずらしく慌てた口調で首を振った。
「いいえ。ディアナ様に非なんてありません。わたしがついうっかり、魔力の供給量を間違えてしまっただけです」
「ファルシナ様は、供給量をセーブしてその大きさの炎が出せるのですね。では、全力でいったらどのくらいの大きさになるんですか?」
おそらく、ディアナと同じことを思ったのだろう。感心しながらアルテアが言う。
……わたしも、それ、ちょっと知りたい。
ディアナは、アルテアのとなりでこくこくうなずいてみせた。
すると、ファルシナが困り顔で答えてくれる。
「申し訳ないのですけれど……、わたしにもわからないのです。……ここに来る前は、最高でも指三本分ほどの大きさだったのですけれど、最近、力が伸びて来たので……」
「まあ! ファルシナ様も、成長期に入られたのですね」
ディアナのとなりに座っていたアルテアが声をあげた。
「も、と言う事は、アルテア様もですか?」
「ええ。わたしも、学園に入る前は、せいぜいコップ一杯に水を満たすのがせいぜいだったんですけれど、今ではこの状態です」
そう言って、洗面器を指し示すアルテア。
……どっちにしても、この人たちチートだ。うらやましい………。やっぱりどうやっても、主要人物と半モブの実力は、かけ離れていくものなんだろうか………。
ディアナは、目の前に置かれたコップをながめながら、ちょっと切ない気持ちになるのだった。
次回のタイトルは『朝から波乱の予感?』でっす。
ディアナ「えっえっ? 波乱とかいらないんだけども?!」
ライル「……波乱を呼ぶ女?」
ディアナ「わたしドラマーじゃないし!」




