118話 5月11日 治療イベント発生。
「………かわいらしい方だと思います」
延々とお預けをくらったあげくに出たファルシナの答えに、ディアナは目を丸くした。
「えっ…」
……かわいい? え、かわいいって………。
ディアナは、ロナンドとカーサの顔を思い浮かべながら首をひねる。
……待って。だって、カーサ殿下はなんとなく中性的なお顔をしている気もするけれども、かわいいって程じゃない。ちなみに、攻略対象者の中でかわいいが一番似合うのは、意外とマリス先生だったりするんだよね。あの人二十歳はとっくに超えてるはずだけど、ヘタをしたら一番幼く見えるし。……とまあそれはとりあえずどうでもいいとして、でも、カーサ殿下が違うなら、精悍なロナンドさまはもっと当てはまらない。……ということは…。ファルシナさまが気になっている方って、ゲームの攻略対象者じゃないてこと? そんなんあり? いや、ありならありでいいんだけれども………。でも、本当は、今一番声を大にして言いたいのはそこじゃない。なぜなら…!
ディアナは、むん、と気合を入れると、毅然とした目をファルシナに向けた。
「男女の差別を度外視したとしても、ファルシナさまよりもかわいらしい方は、そうめったにいらっしゃいませんっ」
そうなのだ。ファルシナは物語のヒロイン。ひいてはこの世界の主役とも言える存在なのだ。そのファルシナよりもかわいらしい人がいるなんて、ディアナにはとても思えない。
この件に関してはディアナはかなりの自信があったので、きっぱりと言い放った。しかもドヤ顔で。
けれども当のファルシナは、ディアナの言葉にきょとんと眼を見開くと、それから吹き出すようにぷっと笑った。
「いいえ。そんなことはありません。だって、わたしなどよりもはるかにかわいらしい方は知っていますもの。たとえば、人の話を聞く時、まるでお預けされているかのようなしぐさをされる方、とか」
「?」
「期待に満ちた表情は、それはもうかわいらしくて、思わず耳としっぽがついているのではないかと疑うくらい」
「…? ??」
何だか、どこかで聞いたような話だなと、ディアナが首をかしげていると、ファルシナはさらに笑った。
「自覚をお持ちでないところが、またかわいらしいですよね」
「? えっと、それは、ファルシナさまが気になさっている―――」
三年の方のことでしょうか? と訊ねる機会は訪れなかった。
校舎から外へ出て、馬車乗り場に行こうとするディアナとファルシナの前に、一人の男性が通りかかったからだ。
その男性―――ロナンド・エンノルデンは、学生服ではなく動きやすいチュニックを身にまとい、腰には剣をぶらさげていた。どうやら、今日の彼らの授業内容は、魔物討伐だったようだ。
そして今、ロナンドの左腕が、真っ赤に染まっている。どうやら包帯で応急処置はしているようだけれど、血が止まった様子はなく、今もぽたりぽたりと赤い雫が地面に零れ落ちている。
「エンノルデン様!」
ファルシナは叫びながらロナンドのもとへと駆けて行った。ディアナも、その後を追いながら、冷や汗をたらりと流す。
……うわーうわーっ。確かゲームでこんなイベントあった…! これは多分、ロナンドがケガしちゃったから、傷を癒してあげようイベントっ…!! ファルシナさまは、ロナンドさまに興味をお持ちでないみたいなのに、それでも発生しちゃうなんてっ! はっ、もしやこれが強制力? 何が何でも、たとえばヒロインが転生者で、運命に逆らおうとしていたとしても、ゲームのストーリーに添わせる何某かの強い力によって、無理くりにイベントが発生しちゃうやつ?!
傷を負ったロナンドにあわあわしているディアナの横で、ファルシナは毅然とした態度でロナンドを見据える。
「エンノルデン様、傷を見せていただけますか?」
……あれっ? 確かゲームのヒロインは、その傷、どうなさったのですか?! から初めて、ロナンドさまが魔物にやられたって答えると、地面に落ちる血を見てひどい怪我だと気づいて、自分が傷ついたような顔をするとかいう段取りだったような? で、震える手で、ロナンドさまの腕にそっとふれて、ああ…っ。とかちょっと嘆いたあとで、ようやっと、わたしに治療させてください、という言葉が出たような? そんなヒロインちゃんに、「いやいや、怪我人棒立ちさせてどーすんの、さっさとけがを治してあげようか?」って、攻略サイトの掲示板で、多くの人が突っ込んでいたような?
ファルシナの言葉にディアナが戸惑っている間にも、ヒロインは、「失礼いたします」と丁寧にロナンドに断って包帯の上から腕にそっと触れる。
一瞬だけロナンドが顔をしかめた。すぐに涼しげな表情に戻りはしたものの、ひたいには脂汗がにじんでいる。恐らく我慢しているだけで、本当は相当痛いのだろう。
「治療いたします。よろしいですか?」
「任せる。君の治療の腕は、クライヴから聞いているからね」
「……フィクトル様が?」
「ああ」
ファルシナの驚きを受け止めるかのように、ロナンドがうなずく。
「まだ入学して間もない頃、君は生徒が負った火傷を見事に消し去ったんだろう? シャブリエ嬢もおっしゃっていたよ、あの火力で皮膚を焼かれたら、火傷の跡は当然残ると思っていた、と」
……ん?
何だろう、またしても、どっかで聞いたような……って、あ。
ディアナは、ロナンドが自分のことを言っているのだと気づき、あわてて同意する。
「はい。ファルシナさまのおかげで、火傷の傷は、跡形もなく消え去りました」
「うん。生徒会でその話題が出た時、クライヴがうれしそうに言っていた。ディアナの傷を治してくれたオランジュ嬢には、感謝してもしきれないと、とね」
「………」
自分の知らない間に、クライヴがそんな会話をしていたと知り、ディアナの顔が心なしか赤くなる。まあ、ディアナは基本的に、クライヴの名前がどこからか聞こえてきただけでも、ほほを染めるのだけれども。
おかげで、ディアナはちょっとほんわかしてしまったのだけれども、ファルシナがその雰囲気に飲まれることはなかった。ファルシナは、きりっとした表情でロナンドに告げる。
「そうですか。では治療を始めますが、木陰かベンチに移動しますか? この場で腰を下ろしていただいてもかまいません」
「君さえ良ければできればこの場で。正直、もうあまり動きたくないんだ」
「構いません」
ファルシナが了承すると、ロナンドは崩れるように地面に座り込んだ。ファルシナがロナンドの横に膝をついて座ったのを見て、ディアナはロナンドの後ろにまわり、その背中に手を添える。
「お辛ければ、寄りかかって下さい」
「ありがとう。……だいぶ楽になった」
ロナンドはすこしだけ背中をディアナにあずけ、目を閉じた。完全に寄りかかったりしないのは、そうした時には、ディアナが受け止めきれずに倒れてしまうからかもしれない。
ディアナとロナンドがやりとりしている間に、ファルシナは治療を始めていた。
次回タイトルは、『ファルシナの力』で~す。
ディアナ「力と言うことは…ファルシナさまの重量挙げが見られる?!」
ファルシナ「バーベルがあればチャレンジしますけど?」
ディアナ「やってくれるんだー……」




