110話 5月9日 真夜中の考察
月明りが、いつもよりも明るく感じる夜、ライルは、学生寮の自室にいた。白い長シャツと同色のパンツを身に着け、机の上に置いた魔光灯が、オレンジ色の丸い円が室内を半分ほどを照らしている中で、椅子に腰かけ書物を読む。
内容は、昼間にも話題に上がった、先の時代、東南の地域に大量発生した魔物関連の報告書だ。
「………」
読み進めれば進めるほど、ライルの眉間にしわが寄る。
魔物が発生した区域は、人が立ち寄らない山の奥。これは、今まで読んだ書物とも内容が一致している。
けれど、具体的な場所は、どこにも示されていないのだ。
それだけではない。魔物をどのような方法で鎮圧したのかも、ほとんど記載がない。あったとしても、せいぜい、エドガー王の獅子奮迅の活躍により魔物を討ちとった、程度の事しか書かれていないのだ。
東南の地は、魔物を鎮圧した後、人も家畜も喰い殺され、荒れに荒れていたのを、エドガー王が自ら治めたはず。彼は、非常に勉強熱心で、分からない事はとことん追求する性質だったようだし、国民の役に立てばと、自分と弟が発明した道具すべての設計図を惜しみなく公開した彼だ。危険な魔物が発生した要因を、調べずにおけるのだろうか。
………考えられるとすれば……、エドガー王が立ち入れないレベルで危険だったのか…。でもだとしたら、抜け目のなさそうなエドガー王の事だ、必ずどこかにそう書き記すだろう。それがないと言う事は………。
ライルは、いったん顔を上げ、正面を見据えた。
と同時に魔光灯の光が、まるで風に撫でられたかのように、ゆらり…とあやしく揺れる。
原因はおそらく、単なる魔石に込められた魔力の消耗だろう。
けれどもその偶然が、ライルの胸に、不気味な影を落とす。
ライルは、見た目だけならやさしげに見えるその顔を、ぐしゃりと歪ませた。
「残る可能性は……、歴史の改ざん、か……」
――――面倒なことになりそうだ。
頭に手を置き、白金色の髪をくしゃりとくずして独り言ちると、気分転換だ、とばかりにライルは椅子から立ち上がり、部屋を出る。
消灯時間をとっくに過ぎた廊下は、静寂に包まれていた。貴族の子供が多いせいか、昼間も騒がしいというほどではないけれど、常に悪ふざけを楽しむ生徒ももちろんいる。
そんな彼らも、ライルを見るととたんに大人しくなってしまう。たとえば、背中へとさり気なく隠した本が、どのような内容なのか尋ねたら、彼らはさぞかし困るのだろうと思いつつ、あえて素知らぬ顔を決め込む時もある。
………別におれは、聖人君主じゃないんだけどね。
幼少から、自分からアクションを起こす方ではなかったので、周囲からはどうやら、大人しい子供、と思われていたらしい。
そのせいか、婚約者候補として紹介されたイルマ・ダントンに断りを入れた時は、周囲が非常に驚いた。
どうやらイルマを相当気に入っていたらしい母には、彼女のどこが気にいらなかったのか問われ、父には、彼女と婚姻する事に、何か問題があるのかと聞かれた。
ダントン家…シーラ・バンニングもそうだけれど、彼女たちの家の領土は、中央から見て西南の地域にある。まるで、蟹のはさみの部分のような形をしている大陸で、一番最後…ライルが八歳の時にフロンド王国に組みこまれた、新しい領土だ。
だからと言って、国が領土を広げようと、西南地域に攻め込んだわけではない。西南地域で、豪族同士がぶつかり合い、泥沼の様相を呈する争いに発展したところで、バンニング家からフロンド王国に仲介をして欲しいと望まれたのだ。そこで、ライルの父アドガス王が双方の勢力の間に立ち、結果、激しく消耗していた二つの勢力は、どちらもフロンド王国に組みする事になった。その時、バンニング家と共に戦争終結に奔走したのがダントン家だった。
やがて父王は、西南区との繋がりを強めようと、政略結婚の設定に乗り出した。
結果、シーラには、王家とも繋がりの深いノルデン公爵家の三男であり、武勲を得て公爵の地位を叙勲した、エンノルデン辺境伯家の嫡子、ロナンドがあてがわれ、ライルにはイルマはどうかと打診された。
本来なら、爵位の高いシーラがライルの相手になるところだけれど、バンニング家から丁重に断りを入れられたようだ。あの子はどうもマイペースで、とても王家の一族など務まらない、と。
ライルも基本マイペース人間なので、そこはあまり気にならないと思うのだけれど、本人が嫌がっているのに無理矢理引きずって来ても仕方がないので、その話はなくなった。
イルマはある意味、消去法でライルの相手にと選ばれたのだけれど、イルマ…だけでなく、ダントン家はこの話に相当乗り気だったらしく、候補に選ばれてからというもの、イルマは足繁く王宮へと通って来た。
その時、イルマはまだ九歳だった筈だが、礼儀作法を完璧にこなし、大人との会話もスムーズに交わす事ができた。見た目も美少女の類に入るし、性格も良い。そうイルマを評価した母は、喜んで彼女とライルの婚約を推し進めた。
けれども、ライルが受けたイルマの印象は、母とは大きく違っていた。確かに礼儀作法には文句の付け所はない。お茶会の時も、常に目上の者やライルを立て褒めちぎり、一緒にいるのが楽しいと笑っていた。けれど。
何かがおかしい。彼女の笑顔には、どこか違和感がある。そうまるで――――狙った獲物は、相手が疲弊するまでどこまでも追いかける、オオカミのような執拗さが、笑顔の下に見えかくれしているような気がするのだ。
……何より彼女、どんなに楽しそうにしていても、目だけは絶対に笑っていない。
まるで、隙を見せればいつでも襲い掛かろうと、狙っているみたいだ、とライルは思った。
それで、はっきりと断ったのだ。彼女がとなりにいたのでは、到底休まる気がしない…とはさすがに言わなかったけれど。
両親は、ライルに疑問を呈したものの、結局は意思を汲んでイルマを候補から外してくれた。ついでに、今まで紹介された令嬢たちとも結婚する気はないと言っておいたので、しばらくの間は自由にさせてもらえるだろう。当然、両親は渋った。それでもライルの、王家の人間としては基本許されない我儘が通ったのは、すでにいくつか魔動具を発明し、国力増強に貢献している点を評価してもらえているのだろう。
ちなみに父は、ライルの発明した魔動車や魔動翼機をすっかり気に入って、早く実用化させろとしきりに背をつついてくる程だ。
ライルの返答を聞いたイルマは、殊勝な様子で王妃に対し、自分の努力が足りなかった、と述べたようだ。ライルに相応しい女性になれるように努力する、とも。
けれどライルは思うのだ。もうイルマは、自分と婚姻を結ぶつもりなどないのではないかと。
事実、断りを入れてから、イルマはライルを獲物のような目で見る事はなくなった。
その代わり、今では、他の男を同じような、いや、ライルの時よりもはるかに執着のこもった瞳で見ているのだ。
彼女がライルをあきらめないと明言しているのは、恐らく、親に他の年頃の男を紹介されないようにするためのフェイクなのだろう。
「………まあ、大変だねえ…、あいつらも」
ライルは、当事者たちの顔を思い浮かべて肩をすくめる。
「それはそうと、今日、眠れるかな?」
頭を使いすぎたようで、さらに目が冴えてしまった。
ライルは仕方がないとあきらめて、せっかくだからと外の散歩にしゃれ込もうと椅子から立ち上がる。
そして、クローゼットの中から薄紫色のガウンを取り出すと、部屋の扉を開けるのだった。
次回のタイトルは『真夜中の対話』です。
ディアナ「真夜中に話すんだから…! ぜったいあれでしょ!」
ファルシナ「もしかして、恋…」
ディアナ「おばけ!」
ファルシナ「…え」
ライル「……………」




