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107話 5月9日 王子の憂鬱。

「…」

 その声は、ディアナの質問を見事に代弁してくれたのだけれども、ディアナは礼を言わないことにした。なぜなら、声の主は、ディアナではなく、ファルシナの方をじっと見つめていたからだ。それはもう、ファルシナのかわいいほっぺに穴が空いてしまいそうなレベルで。

「カ、カーサ殿下っ……」

 ディアナの代わりに、ファルシナが声の主に答える。いや、ただ驚いているだけか。

 ちなみに驚いているのはファルシナだけではない。もちろんディアナもクライヴも、そして普段はあまり動じないライルまでも、さすがに目を見開いていた。

「やあ、オランジュ嬢」

 カーサはファルシナに向けてさわやかに手を挙げる。もしかしたら、他の人間は視界に入っていないのかもしれない。

 カーサが東屋の中に入ると、後ろに控えていたらしい護衛が、すかさず追加の椅子をテーブルの前に置く。

 ……え、まさかカーサ殿下、このままここに滞在するおつもり?

「兄上、こちらへ」

 がたり、と音を立てて、ライルが席から立ち上がる。確かに、この東屋の中で一番上座にいるのはライルだ。

 今は、椅子を側面に二脚並べて、ライルとファルシナ、ディアナとクライヴが横に座っている状態だ。机は二脚並べて精一杯の長さなので、机を移動しないでもう一脚追加するとしたら、入口を背にした場所に置くしかない。

 ライルも、いくら学園内とは言え、王太子のカーサを末席に座らせるのはさすがにまずいと思ったのだろう。

 ……ゲームのカーサはこの頃かなりすさんでて、王位なんていらないとか言いつつ、いざ自分がないがしろにされると怒り出すという矛盾した状態だったもんね。ここはちゃんと並んで座った方がいいかも。てことは、えっと、わたしが今いる席にみのライルが座って? クライヴさまとわたしじゃ立場変わらないから、クライヴさまはそのままでいいとすると、ファルシナさまが末席に移動することになってしまって、カーサ殿下からかなり離れてしまう。……あれ、でもこの場合は、カーサ殿下がファルシナさまに会うためにいらしたんだから、ファルシナさまが三番目の席でいいのでは? それならカーサ殿下とファルシナさまが横に並べるし。わたしが末席に移動すれば、何の問題もないよね。

 ふんふんと考えた末に、ディアナは立ち上がった。そしてファルシナのところへ移動しようとしたところへ。

「いや、わたしはここでいい」

 そう言って、カーサはそのまま末席へと腰を下ろした。

 ………えっ…?! 待って待って。王太子、そこ座る?! 座っちゃう?! さすがにダメでしょう、そこ末席だし! いや、お誕生席だと思えばすこしはプレミアつくかも? いやいや、そうは言ってもやっぱりいかんでしょう、そんなん。

「いえ。兄上、こちらにお座りください。入口に背を向けて座るのは危険です」

 そう言ったのは、おろおろするディアナのとなりにいつの間にか立っていたライルだった。カーサは、そんなライルの気配りに対して冷笑で答える。

「危険ねえ…。お前だって、護衛のひとりもつけていないじゃないか。学園の中は警備が行き届いているから安心だと、お前も思っているのだろう? ……ああ、そうか。お前は学園内を一人で歩けても、わたしは無理だと、お前はこう言いたいのか? 弟よ」

 カーサは、憎々しげに言った。言葉のひとつひとつにどろりとした重みがあって、軽くなら相手を呪うこともできてしまうのでは? とさえ思ってしまうような口調だった。

「………」

 そんなカーサの怨嗟を一身に受け止めたライルは、ぐっとこぶしを握りしめる。

「……いえ。王太子の兄上に意見するなど、出過ぎた真似をいたしました。どうぞ、兄上のご随意に」

 ライルはカーサに対して一礼すると、静かにもとの席へと戻った。

 けれど、ライルが引き下がってもカーサの暴走は止まらなかった。

「それに、今ここでわたしが賊にでも襲われた方が、お前にとっては幸いなんじゃないのか? わたしがいなくなれば、お前が王太子になれるしな」

「……わたしは、王太子になるつもりはありません」

「まあ、お前がその気になれば、わたしが死ななくても王太子になることはできる。貴族の間では、エドガー王の如き頭脳と、エドガー王の弟であり、彼の良き理解者でもあった、アルス・ノルデン公爵の如き聡明さを併せ持つと名高いライル王子を次期国王にすべきだと言う声が多くある」

「兄上、わたしは――――」

「王太子…いずれ王になれば、お前の望むものがすべて手に入るかもしれんぞ? 魔動車や魔動翼機の研究も、お前の思い通りに進める事ができるだろう。…ああ、ついでにわたしの婚約者、アルテア・シャブリエ公爵令嬢もお前にくれてやろう」

「兄上!」

「ん? アルテアは不要か? まあ、そうかもな。暗い顔でとなりに居られても、こちらの気が滅入るだけだ」

 ……えっ。暗い? アルテアさまが? ……あ、でも…。

 一瞬だけ以外に思ったディアナだったけれど、すぐに思い直した。そういえば、学園初日、皆の前で話をしたアルテアは、どこか堅苦しく、声も沈んでいたのだ。

 初日は、あれがアルテアのデフォルトかと思っていたけれど、接していくうちに、本来は明るい人なんだなと分かった。

 そして、そのことを知っているのは、ディアナだけではなかった。

 もう一人、ディアナと同じように、初日のあいさつの時と、その後のアルテアを見て来た人物が、今この場にいる。

 その人物――――ファルシナは、背筋を正すと、すさんだ表情のカーサを真っすぐ見据え、凛とした声をあげた。

「お言葉を返すようですけれども、カーサ殿下、先ほど、ライル殿下は殿下の御身を心配されて、奥への移動を勧めていらっしゃいました。……そんな弟君の思いやりを疑うなど、情けなく思います」

「えっ…」

 ファルシナの言葉は、カーサにとってはよほど意外だったようで、ぽかんと口を開け、小さな声をあげる以上の応答ができない様子。

 驚きのあまりに時を止めたかのようなカーサに、ファルシナはさらに言いつのる。

「それに! アルテア様は、わたしにとって大切な友人です。その方を、厄介払いするような言い方で、くれてやろう、などと……。カーサ殿下にとって、臣下とはいったいどのような存在なのですか? ただそこにあるだけの置物ですか? それともゴミとでも?」

「い、いや、そこまでは…」

「そう聞こえたと申し上げているのですっ!」

 ファルシナの激しい問いかけに、カーサはすでにタジタジだ。幾分か腰も引けている。けれども、ファルシナはかまわずにぐいっとカーサに顔を近づける。

「殿下は、どのような方になられたいのですか?! 確かに、ライル殿下は、文武両道を地で行きつつも、配下への気配りも忘れない素晴らしい方です! ですが、カーサ殿下には殿下にしかない、素晴らしいところがおありでしょう?! ライル殿下はライル殿下であり、カーサ殿下もカーサ殿下以外にはなれはしないのです! それをあれやこれやといちいち比べるなど、おかしな話ではありませんかっ?!」

「…そ、そうかもしれんな…」

「でしたら! 殿下も目標をお持ちください! 他人に何と言われても! たとえ後ろ指をさされようが、絶対に成し遂げたいと思える目標を! そうすれば、他人に何をどう言われようが、気にするひまなどなくなります!」

「そ、そうか…?」

「そもそも! 他人の意見は、ほぼ他人の都合で出来ているのです! 尊重することは必要ですが、意見に振り回されてはいけません! 他人の意見を取り入れるのなら、それがご自身にとって正しいことなのか、ご自身のためになるのかを、きちんと考えてからになさってください!!」

「あ、ああ……、そうだな……」

 ファルシナの怒濤の言葉に圧倒され、カーサは、まるで借りてきた猫のように、すっかり大人しくなっていた。

「……わかっていただけて、よかったです」

 ファルシナは、息をつきながら言うと、すっと立ち上がり、カーサに向けてひざを折る。

「……ですが、たとえ学園内だったとしても、今の言葉は、殿下に対してあまりにも非礼でした。申し訳ございません。罰される覚悟もできておりますので、どうぞ、殿下の思うようになさってください」

 そう言って、カーサに対し無防備に首をさらすファルシナを前に、カーサは慌てて立ち上がった。

「い、いや! あなたは、血の繋がった弟ですら信用できない愚かなわたしの為に言ってくれたのだ。礼を言いこそすれ、罰するなどありえない。………顔を、上げてくれないか?」

「……はい」

 懇願するようなカーサの声に、ファルシナは静かに顔を上げた。

「………ああ…、あなたはやはり美しい…。しかも、外見だけではない。心まで美しいとは………。わたしは、あなたのような方と知り合えた事を、とても幸せに思う」

 ……ぐげ。

 カーサのストレートな言い回しに、ディアナはちょっとさぶいぼが立ちそうになった。けれども。

「……もったいないお言葉、ありがとうございます」

 ファルシナは、照れ笑いを浮かべながらも、素直にカーサの賛辞を受け取ったのだった。

次回のタイトルは『カーサ殿下の、ありがたいご講義。(?)』です。


ディアナ「ふむふむ、そうだったのかー」

ライル「まだ何も言われてないだろ」

ディアナ「ばれた?」

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