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死の書  作者: 上林
2/2

実家

電話を切ってからどれくらい経っただろうか。もう随分長い時間歩いている気がする。腕時計に目を落とすと、まだ5分くらいしか経っていないことに気がつき、コウイチは小さくため息をついた。偉い物理学者が言うには、時間が流れる速さは一定ではないらしい。そんなバカなと思うようなことを、今身をもって体験している。

「あとはここを登りきれば…」

急な坂をやっと登りきったあと、次に待っていたのは壁であった。壁というのはもちろん例えだが、壁と表現しても差し支えないほどの急な坂。

ちょっと前まで毎日これを登っていた自分を褒めてやりたい。そんなことをコウイチは考えていた。

また小さくため息をつき、一歩目を踏み出した。うんざりとした気分はもちろんあるが、それと同時にコウイチは寂しさのような感情を抱いていた。この坂を登るのは、この夏が最後になる。高速道路建設に伴い、ここ一帯の集落が立ち退きをすることになったからだ。

母さんは最後まで立ち退きに反対してたな。「お父さんとの思い出のある家を壊すなんてできない!」とか言って。それでも最後は近所の人たちに説得されて、渋々了承したという形だ。今では、立ち退き料で新しく建てる家に目を輝かせている。

そんなことを考えているうちに、見覚えのある建物が見えてきた。立派な日本家屋だ。最後の力を振り絞り、コウイチは門へと歩を進める。門の奥に、セミロングの髪型の女性が庭に打ち水をしている様子が見えた。

「あ!コウちゃーん!おつかれー!元気してたー?」つい数分前に電話をした声の主が、大きく手を振りながらこちらを見ている。

最後に会ったのは、去年のお盆。約1年ぶりの再会だが、母さんの姿は変わっていなかった。半袖の無地白シャツにジーパンという、いつも通りのシンプルな格好。実の息子が言うのも変かもしれないが、その姿はとても四十路とは思えないほど若く、キレイに見えた。これで中身がもう少し歳相応なら、再婚相手でも見つかるだろうにな…。

「コウちゃんなんかすごい失礼なこと考えてない??」

図星をつかれ、心臓の鼓動が一瞬強くなる。

「そ、そんなわけないじゃん。ただいま。」

「ほんとー?なんとなーくそんな気がしたの。ま、勘違いならいいんだけどねー。」

疑いの目を向けながら、母さんは先に玄関へと入っていく。コウイチもその背中を追い、玄関に入る。

「涼しい…」

入った瞬間、意図せずに言葉が出た。

「でしょ!これが自然の涼しさ!。打ち水の冷気が風に乗って家に入ってくるからねー。クーラーなんて必要ないのよー。」

自慢気な笑顔を見せながら力説する。そのまま台所へと歩いていき、玄関からは姿が見えなくなった。

「飲み物持ってってあげるから、居間に行ってて。あの坂道登って疲れたでしょ?」

台所から、カラカラという物音と一緒に声だけが聞こえてきた。

「いや、玄関で飲むよ。居間で涼んでたら、片付けやる気なくなっちゃいそうだし。」

「誰に似たのか、ほんと頑張り屋さんなんだからー。こんな猛暑日に休まずに動いて熱中症なったら大変でしょ?。あなたも看護師のたまごなんだから、それくらいわかるでしょ?。」

また台所から声だけが聞こえてくる。たまには母らしいことも言うのだなとコウイチは少し驚いた。

「それはそうだけど、俺は休んだあとにまた動き出すのが嫌いなんだよ。パッと終わらせて、早めにゆっくり休みたいの。」

「もー。その頑固なところはお父さん似ね。言い出したらどれだけ言っても聞かないんだもん。はい、どうぞ。」

お盆にコップを乗せながら母さんが台所からでてくる。コップには麦茶が注がれていた。さっきまでしていた物音の原因はこれだったらしい。

「ありがとう。料理の買い出しもしなきゃだし、暗くなるまでには終わらせるよ。」

コップを手に取り口をつけると、あっという間に飲み干してしまった。全身の細胞が水分を欲していたようだった。

「はい、お粗末さまでした。じゃあ、あとは蔵だけが残ってるのでお願いします!。母さんは疲れたので、コウちゃんの優しさに甘えてお昼寝させていただきます!。」さっきまで俺のことを心配してたはずだったが、今はお休みモードに入ってしまったらしい。小さく敬礼しながら話す姿は子供っぽく見え、どこか憎めなかった。

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