補助輪
県外の高校に進んだ。
陸上の特待生を蹴ったことは、別に後悔していない。
ねーちゃんがトライアスロンの盛んな愛知の大学に進学したことは幸運だった。
もちろん、簡単に愛知の高校に進学できたわけではない。
いっちゃん(父親
「本名一郎」)は、号泣。
ねーちゃんが県外に先に出ただけでも、ノイローゼになりそうたったのに
かわいい娘が、ふたりとも家を離れることになり、音を立てて精神が崩壊(笑)
たまらなく寂しかったようだ。
「趣味は子育て」と普段から豪語するいっちゃんは
最後まで反対していたが
強気なママ(母親
「京子」)と私に説得され、泣く泣く許してくれた。
そのかわり、3年経って高校を出たら、地元に帰ると約束させられた。
入学式を終え、その足でトライアスロン部に入部した。
地元の高校にはどこにもなかったトライアスロン部
さすがトライアスロンが盛んな愛知は違った。
部室に一歩足を踏み入れると、そこにはロードバイクが何台も壁に掛けられていた。
一通り説明を受け、早速、明日から練習に参加させてもらうことになった。
「輝真ぁ〜。荷物が届いとるよ」
家に帰ると、地元からおっきい段ボールが届いていた。
私はすぐにそれがロードバイクであることに気が付いた。
部活を引退して、本屋さんでバイトをし、ようやく買ったロードバイク。
いっちゃんがお金を出してくれると言ってくれたんだけど断った。
なんとなく、自分で買いたかった。
メーカーは、よく分からなかったが、野球チームに確か同じような名前があった。
ねーちゃんも興味津々で、さっそく段ボール箱を開けてふたりで中身をチェック!
すぐにでも外を走りたい気持ちで一杯だった。
…はて?(・・;)
箱の中に入っていたのは
自転車?
「なんか、たぶん自転車なんやろね、
これ」
「う…うん…」
そこに入っていたのは、タイヤや椅子が外された自転車の部品たち。
すぐに地元の自転車屋さんに電話を入れた。
「あのー、自転車が送られてきたんですけど、なんだか壊れてるっぽいんですけど…」
「ああ、ホイールやサドルは自分で付けてください。え?できないの?」
当たり前にできない。
いきなり試練が待っていた。
説明を聞いたが、クイックがどうとか
アーレンキーが
なんだかんだと、さっぱり意味が分からなかった。
それでも、とにかく早く乗りたい一心で
無謀にも箱から出して組み立ててみることにした。
無理…(;´д`)
私たちは諦め、翌朝、その箱を引きずりながら学校へ通った。
しかし、両手で抱えきれないほど大きなこの段ボール箱をどうやって学校まで運べばいいのだ!
家から出て、数十メートルほど引きずったところで、すでに泣きそうになっていたところ
後方からクラクションの鳴る音が聞こえた。
目の前で止まった車から降りてきたのは
顧問であり、担任の平松先生(体育の教諭)だった。
先生の車は、でかい!
しかも車の上に自転車が積んであった。
「え〜っと、輝真さんだったかな?その荷物、運んであげようか?」
平松先生は、昨日初めて会った私の名前を覚えていた。
これはラブだ!
「ありがとうございます!」
私は勢いよく返事をし、先生は恐怖の段ボール箱を、ひょいっと車に積み込んだ。
さすがに車に乗せてもらうわけにはいかなかったが
私は段ボール箱から解放され
羽がはえたような軽やかな足取りで学校へ向かった。
放課後になり、駆け足で部室に向かった。
トライアスロン部の部室の前には、私の自転車がタイヤや椅子が付いたままの状態で
壁にもたれ掛かっていた。
サンキュー平松先生!
あまり飾りっ毛のない、真っ黒な私の自転車
シャドーの乗る自転車としては、完璧なホォルムだった。
またがりたい気持ちを押さえ、部室に入り
トレーニングウェアに着替えた。
同級生は私を含めて3人。
女子高なので着替えるときに遠慮はない。
中学ですでに膨らんできていた胸は、高校に入って更にでかくなり
私のあだ名はシャドーから
ホルン(ホルスタインという、牛乳専用の牛の種類らしい)となった。
ストレッチを入念に行い、部活が始まった。
軽くジョグで流し、その後、念願の自転車!
地元の自転車屋さんでまたがったときは、何故かペダルがついてなくて
今日、私は初めて愛車に乗ることになった。
タイヤの幅は、2〜3センチほどしかない。ハンドルも、どこをもったらいいのか?
ギアは20段もあるそうだが、変え方はいまいちよく分かっていない。
先輩たちの呼ぶ声が聞こえた。
同級生たちが自転車に乗り、合流する。
そんな中、私は自転車にまたがってはいるものの、その場から一歩も前に進むことができずにいた。
怖い(・・;)
専用の靴とペダルは、普通のそれとは全く違い、靴の底の突起部分と、ペダル側のへこんだ部分が、
まるでスキーの板とブーツのようにカチッとはまるようにできている。
意を決して片方の靴とペダルを嵌め込み、地面を蹴って椅子に腰を下ろした。
「ドカーン!!!!」
思いっきり、こけた(;´д`)
びびりまくっている私は、前に自転車を進ませることができず
それでも早くみんなと合流しなければというプレッシャーが怖さに勝り、何度か同じことを繰り返した。
「ホルン!もういい!先生〜ホルンのことお願いね〜♪」
そう言い残して部員のみんなは風を切って学校から出て行った。
涙目の私に平松先生が
「なんでホルンなん?」
と不思議そうに声をかけてきたが、答えられなかった。
先生は工具を持ってきてペダルをはずし、ママチャリについているペダルを付けてくれた。
「ホルンはこれでええ!」
意味も分からず呼ばれるあだ名は、なぜだか思いっきり恥ずかしく感じた。
ママチャリ用のペダルに変えたのだが、やはりそう簡単には前へ進まず
何度も怖くて足をついた。
そのうち先生は、ある物を持ってきた。
「これを使ったやつは今までにおらんが、使わないかんかなぁ?(笑)」
先生が手に持っていたもの、それは
「補助輪」
さすがに補助輪のお世話にはなりたくなかった私は、気合いで自転車を前に進ませ
少しずつ、ギアの変え方も身に付き
トライアスロン部発足初の恥ずかしい体験をせずにすんだ。
でも実は構造上、ロードバイクに補助輪はつかないとのこと。
ハカラレタ…
けどまあお陰で自転車に乗れるようになった私は、翌日からみんなの練習に合流し
めきめきと力を発揮することとなった。