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クモッグの町 ⑤ vs盗賊団

 どこかで雫が滴る音がした。

 背の低い男が、わなわなと震える唇をようやく動かして言葉を紡いだ。

「テメエらのせいで計画がメチャクチャだ……!」

 そう言うが早いか、雷鳴のような速さでゼノが一気に距離を詰める。振り下ろした刃が、反射的に構えられた湾曲剣とぶつかりあい、その男の眼前で眩く火花を散らした。

 硬質な金属音が、静かな町に鋭く響く。

 男の言葉は続かず、ゼノの異様な形相に目を見開いて驚愕していた。その驚きはやがて、徐々に心に浸透していくにつれてにわかな恐怖を芽生えさせる。

 ゼノは笑顔だった。はちきれんばかりに口角を釣り上げ、目を見開いていた。常人とは決して見えぬ、その整った容姿が故にその狂気的な表情は冴えていた。

「君らが懺悔出来たのは、この町を焼く計画を立てた時だ。もう何を言っても遅い」

 ゼノは膂力、腕力だけで剣を振るう。それだけで男はたまらずたたらを踏んで、数歩後ろでようやく体勢を整えた。

「意気揚々と三人で現れた。逃げもせず……三人ならどうにか出来たって思ってたんだろう?」

 ならやってみろ。そう言うよりも早く、黒衣の男が動いた。瞬く間に物陰に這い宵闇に隠れたようだった。

 殺気はすぐ真横から襲いかかる。鋭い爪が迷いなくゼノの首元を狙うが、腰を低く身体を傾けた彼にそれは届かない。代わりとばかりに放たれた蹴りが一瞬にして男の腹部に突き刺さる。

 たまらず揺らいだ黒衣に、ゼノは容赦なく大上段から長剣を叩き降ろす。頭上で爪を重ねるように構えた男はそれを瞬時に受け止め、脇に受け流す。

 それとほぼ同時に巨大な戦斧が横薙ぎに払われた。空気を切る鋭い気配を感じて、ゼノは剣を受け流された方向にそのまま身体を飛び込ませる。

 再び立ち上がった時、隣に立つのはガンズだった。

「楽しそうだな」

「馬鹿言え、僕は戦いが好きなわけじゃない」

「そんな顔には見えねえよ」

 横目に見るゼノは、たしかに微笑んでいた。ガンズは特別それに何か思うところがあるわけでもなく、静かに言葉を続ける。

「手伝えとは言ったが、代わりに戦えとは言ってねえ」

「……それもそうか。君は案外、優しいんだな」

 そう言って横目に微笑むゼノを見たガンズは、馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「味方なら、死体にさせる必要もねえだろ」

 言葉は皮肉と気遣いがこもっていた。ゼノはそんな台詞に妙な懐かしさを感じながら、改めて剣を握り直した。

 改めて仕切り直す暇もなく、今度は敵からの剣閃が襲い掛かってきた。

 バカ正直に真正面から走ってきた背の低い男の剣筋は、ちょうどゼノとガンズの間に落ちた。

「それじゃあオレは、こいつを貰うぜ」

 言いながら大剣を大雑把に振るうが、その剣筋は相手を捕らえずに空を切る。男は既に、ひょいと後ろに飛び退いていた。

「ちょっと待て、僕は二人を相手する方かよ!」

 しかも背の低い男とは違い、不意打ちする男とそれを補助するゴリラ女だ。手練一人より連携をとる二人を相手するほうがやや困難だが、そんな事も構わずガンズはドンドンと距離を離していく。

 ゼノがその背を眺めている時間も長くはなく、背後からの強烈な殺気が襲う。

 構えていた剣を即座に返し、脇を通して背に突きを放つ。気配は咄嗟に距離を取り、それに合わせてゼノは振り返った。

 ゼノは笑っていた。視界の端で滾る炎の勢いが増している事に気づいたからだ。遠くの方で誰かの怒号と、消火の声が聞こえるが、この勢いではとても間に合いそうにない。

 恐らく半数以上の人間はこの間に町から逃げ出しているだろう。空はあいにくの満天の星空、天候による消火活動の手助けは期待できそうにない。

「ゲスだな、本当に……お前らという人間は」

 クツクツと肩を揺らし、節々でこらえきれなくなったように笑いを漏らす。

 ああ、そうだ。壊れていると思えばいい、狂っていると思えばいい、好きにしろ。

 僕は今、貴様らを死ぬほどに憎く思っているのだから――。

 ただこの姿をクロルに見られてはいけない……そういった危惧だけが、脳裏によぎった。


 皮肉にも、大火災のせいで町は明るく照らされている。

 血の池から逃げたクロルは、周囲を警戒しながらただ呆然とゼノと盗賊とのやりとりを眺めていた。

 ――胸が痛くなる思いだった。クロルは感じたことのない痛烈な悲しみと、怯えて足のすくんだままの己に対する無力感で追い込まれていた。

 何より見ていられなかったのが、ゼノの笑顔だ。

 この人の死体の山の狭間で、敵の大将を見て笑っている……異常だ、と切り捨てる事がクロルには出来なかった。

「どう、して……」

 絞り出せたのは、そんな一言。

 どうして、なぜ、一体どれだけの修羅場をくぐり抜ければ――それほど悲痛な笑顔が作れるのか。

 怒り、憎しみを必死に押し殺しているように見える。否、もはや感情を消す、上書きすることに慣れてしまって普通ならばその気配を感じることすら出来ない。

 魔術師は人の心を識る。会話を交わすだけで、あるいは触れ合うだけでその人の心情を推し量る事が出来る。クロルはその能力に長けていた。

 故に思う。彼は優しい、あまりに優しすぎると言っても過言ではない。そんな彼を誰がそうさせたのか――思考が怒りに走りかけるその間隙に、視界の端に滾る炎がちらついた。

「そうだ、せめてわたしにも出来ることをしないと……!」

 言いながら腰に差した身の丈の半分ほどの杖を抜く。

 自分に出来ること……それは術の行使。腐っても、あのリリィ・ブランカの弟子なのだ。そしてゼノ・ロステイトの同行者であるのなら、それに恥じぬように。

 考えながら、ポケットから出した尖った滑石を先端に装着する。石突を地面に強く叩きつけ、円を描き――瞬く間に、その中に紋様、そして言語として読み取れぬ不思議な文字を連ねた。

「天の恵みよ……我が呼びかけに、応えたまえ……クロル・ルッカの命により、呼び出すは……」

 呟く言葉に意味はない。だが必死の思いに、声が漏れる。

 やがてそれが完成した時、陣がにわかに光り始める。

 その中心に杖を突き立て、自身の力を注ぎ込む。

「呼び出すは――熱を奪い炎を閉ざす雨の衣……!」

 呼びかけは、果たして通じたようだった。空に散りばめられていた星々が徐々に消えていくのが見える。怖いくらいの速度で空が雨雲で埋め尽くされた時、クロルの頬に冷たい雨垂れが一粒、跳ねた。

「……ゼノさん」

 術の成功は当然だと言わんばかりに、クロルはゆっくりと降ってくる雨を肌で感じながら、ゼノを見守っていた。

 彼は何かを背負っている。深淵の始祖でも、妹でもあるが、それ以上に命に関わる何かを――。


 黒衣の男は着かず離れずの距離で適度に命を狙ってくる。それをあしらっている隙に、戦斧が横薙ぎに襲いかかる。

 攻めるに攻めきれない。一人に集中していればもう片方の攻撃が容赦なく襲いかかる。

 ゼノからすればさほど難しい相手ではないが、そうであっても油断していれば命を失う事になるだろう。

 考えている間にまた黒衣の男が一息で肉薄する。慣れたように剣を振るい牽制する。

 が、今度は男は退かなかった。振り下ろされた剣を半身翻して回避すると、また一足飛びに距離を詰める。鋭い爪が怪しく輝き、濡れていたのがわかった。

 毒だ、と理解し深く屈んですれ違うように避ける。それを予期して男は顔面に膝を合わせるように振り上げた。が、行動が一瞬遅い。ゼノは回避から攻撃に体勢を立て直し、逆にがら空きになったその脇腹に肘を叩き込んだ。

 肉を叩き、その先の骨が鈍い音を立てて砕ける感触があった。そのまま肘が深く食い込み、内臓を強く打つ。

 腕力と体重、速度を乗せた渾身の一撃だ。男は堪らずうめき声を漏らしてその場で少しよろけてから、地面に膝をついた。

 まだ倒しきれていない。だが一対一になるのは今しかない。

 待ち構えていた女が、戦斧を下方から振り上げる。風を切る刃が、頬のすぐ横を掠めた。

「アンタ、随分とキレイな顔してるじゃないか」

 酒で焼けたようなしゃがれ声に、ゼノは無表情のまま言葉を返す。

「お世辞でも言って、命乞いかい」

「はっ、案外情の欠片もないんだねえ。あたしだって、見てくれはそんな悪くないだろう?」

 言われて、改めて女の容姿を見る。くせ毛の金髪は波打ち、顔立ちは随分とはっきりした感じの美形だ。体つきも筋肉が目立つが、女性らしくグラマーな体型をしている。斧さえ持っていなければ、町で舞台の上で立っていそうでもあるし、酒場で歌でも歌っていそうなようにも見える。つまり簡単に言えば、彼女が自覚している通りの美人だ。

 だが、関係のない話である。

「戦う気がないなら逃げればいい。僕は君らと違って、戦う気のない人間まで殺すつもりはない」

「お優しいねえ、なおさら王子サマみたいだ。だけどね、あたしも食い扶持潰されてあっさり鞍替え出来るほど情のない人間じゃないし、黙って逃げられるタチでもないんでね」

「仲間思いなのは良いことだよ。もし生き残れたなら、もっとまともな道に進んだ方がいい」

 生き残れたなら。それが最も難しいことだが。

 言いながらゼノが剣を脇に下げるように構え、走る。逆袈裟に叩き上げた剣が、振り下ろされた戦斧にぶつかる。

 一瞬、目先で火花が散った。

 力負けしたのはゼノの方だった。

 剣が大きく弧を描くように弾かれる。その隙に斧の鋭い石突がゼノの胸目掛けて飛来した。

 だがゼノは弾かれた剣の勢いに任せるように身体を逸らす。ちょうど外套に引っかかる寸での位置を通り過ぎていった。

 その隙を見る。攻撃直後の無防備な姿――黒衣の男の時と同じだ。

 距離を一息で詰める。にわかに屈み込んで肘鉄をその横腹に叩き込もうとした時、彼女はちょうどゼノのさらに下から突き出すような蹴りを繰り出してきた。

 さすがのゼノも避けきれない。動きを辛うじて止めるが、足先が鋭く腹部を貫くように突き刺さった。

「くっ……」

 油断した――ゼノはたまらず少し後ろへ引きながら、思わずに跪く。

「なんだい、案外打たれ弱いんだねえ!」

 意気揚々と言い放った女は、大きく戦斧を振り上げる。ゼノは睨むようにそれを見上げていた。

 戦斧は鋭く振り下ろされ――その刃は力強く、地面の石畳を盛大に砕いていた。

 重く鋭い斧はゼノを捉えられなかった。否、間違いなく直撃していた筈なのに、その瞬間には彼はそこに存在していなかったのだ。

 一瞬意識が混乱する。現状の認識が甘い。考えている間に、ゼノは突然女の脇に姿を現した。

 彼は高い位置に居た。

 そしてその足先が鋭く女の首筋を叩き、勢いに任せてそのまま首ごと意識を刈り取った。

 ――武器が振り下ろされる瞬間に飛び上がったゼノは寸でで攻撃を回避すると共に、戦斧を足場に踏み抜くと跳躍。そしてそのまま女の首に蹴りを叩き込んだのだ。

 彼女は白目を向いて、脱力して倒れていく。加減はしたが、恐らく今夜中に目をさますことはないだろう。

 辺りを睨むように見渡すが、先程の黒衣の男は結局そのまま気絶しているようだった。

 一安心して、やや遠くの方で剣を交わしている二人へ視線を送った。

 その時ちょうど頬に雨滴を感じ、そしてまた、ガンズが敵の剣を大剣で叩き割った瞬間でもあった。

 割とあっけなかったな……そう一息つく瞬間だった。

 異変は突如として、訪れる。


「なんだよ、手応えがねえな」

 剣をぶつかり合わせる。その何度目かになる鍔迫り合いに、湾曲した剣は耐えきれなかった。

 ガンズの腕力、振り下ろす速度、そこに大剣の重量が上乗せされ剣は亀裂を入れる間もなくへし折れ、砕ける。無論大剣はそれだけでは止まらず、男の肩口から胸元までを切り裂いていた。

 致命傷だ。戦闘はこれで終了した――剣を引き抜き、倒れる男を眺めようとする。

 だが男はまだ目を見開いたまま、震える腕をズボンのポケットに突っ込んでいた。

「……ガハッ!」

 手に握る小瓶には、紫色の液体が満たされていた。それの蓋を指で弾いて捨てた時、男は口から大量の血液を吐き出した。口の端には鮮血が泡を作っている。

 それも無理はない。即死していてもおかしくはない怪我だ。骨を砕かれ肉を割かれ、おそらく片肺も破れているし、出血はもはや意識を保っているのが不思議なほどである。何が男を駆り立てているのか、ガンズにはわからない。

 戦闘中に会話を交わすことはなかった。ただ少し手加減をしながら対峙してみたが、ゼノに二人くれてやったのを後悔する程度には手応えがなかったのだ。

「全部……台無しだ。癪だが、コレしかねえ……」

 男は呟きながら、その小瓶の液体を煽るように飲み干した。

 瞬間、男の身体が大きく弾んだ。握っていた小瓶をそのまま握りつぶし、衣類が軋むような音を立てて徐々に引き裂けていく。

 何故か。それは男の身体がゆっくりと膨らんでいたからだ。筋肉が発達し、また骨格が変形していく。むき出しになった肌は黒い体毛で覆われ始め、やがて顔の形までが変わっていく。

 異様な光景だった。ガンズはただその行方を見守っていただけだったが、いつの間にかその衝撃に動けずに居たことに気づく。

 ――男は変異した。小柄な男が、大柄のガンズを二回りも超える巨大な狼男に。

 その眼光は赤く輝き、爪は鋭く、腕はガンズの大剣の直径ほどにも太い。

「……なんだこりゃあ、聞いたこともねえぞ」

「おい――ガンズ、これはどういうことだい」

 いつの間にか隣にやってきたゼノが、問いただすような口調でガンズに声をかける。

 人が魔物に化ける。聞いたことも見たこともない。

 ただ小瓶の中の液体を飲んだだけで――。

「いや……もしかしたら……」

 心当たりがある。意識した刹那、狼男は一瞬にしてゼノの眼前にまで距離を詰めていた。

 ――雨は気がつけば、周囲を照らす火災をゆっくりと弱め始めていた。

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