深淵の子 爆焔のフラム
男の意識は深い闇の奥底にあった。
夢などは無い。そこに誰かの声や、見知らぬ景色や、色も、温度もなにもない。
ただ眠っている――その曖昧な感覚を覚えながら、闇の中にたゆたっていた。
不意によぎるのは最後の記憶。
父と慕っていた者の指先から迸る青白い閃光が己の額を掠めたその瞬間の事が、時折蘇る。
故に男はその鈍い、死にも似た感覚の最中に理解していた。
ああ――自分にはもう、戻る場所などないのだ、と。
悲しいのか、それが嬉しいのか、彼にはわからない。何も感じていない訳ではないのだろうが、兎角それは彼自身初めての感情だった。虚しいような、だけれど妙に解放的であるような、複雑なものだった。
それが人である証左ならば、ただの木偶として操られていた訳ではないという証明ならば――きっとそれは、嬉しい事、なのかもしれない。
気がついた時には、フラム・ウィフトは質素な寝台の上であぐらをかいて居た。
――人に憧れてしまったのだな。
――貴君らはただの駒だよ。
――溜め池なのだよ。
意識が浮上したと共に持ってきた言葉は、そんなものばかりだった。
嬉しい事だと? バカを言え!
「オレはッ!」
化物なんかじゃない!
そう叫びかけて、目の前で何か物音がしたことに気づく。半ば忘我しかけていた意識が急速に現実に引き戻され、未だ見つめていた遠い記憶から、その眼球が捉える目の前の景色を映し出す。
そこには女が一人居た。
前掛けをし、薄汚れた布の服を着た茶色い髪の長い女が、痛そうに尻を撫でている。
どうやら突然叫んだフラムに驚いて尻もちをついたようだった。
「……誰だ、お前は」
言いながら、フラムは辺りを見渡す。
ここは手狭な一軒家のようだが、人の気配は目の前の女以外にはない。最低限の水場やテーブルなどの調度品がある程度の殺風景な一室だけの空間だが、テーブルにはレースの敷物がしてあったり、床には簡素な織物が敷かれてあったり、それなりの生活感はあった。
「や、やっと正気に戻ってくれたのは嬉しいのですが、あまり驚かさないで下さい」
女は立ち上がり、スカートを払うようにしながらフラムを見る。
そばかすの残るその顔はどこか不安気で、覇気がない。田舎臭い雰囲気の女だった。
「わたしは道端で倒れてたあなたを介抱してあげたんです。むっくり起きたと思ってもさっきまでみたいに、ぼーっとして。食事もとらないし、トイレにもいかないし」
それもそうだ。己らは食事は必要なく、故に排泄もしない。
ならばやはり、自分は化物なのだろうか――思案に沈み込みかけた意識を呼び戻すように、女はフラムの前の前で手を振ってみせた。
「ほら、またそうやって」
「……うるさい女だな」
「もう……助けなければ良かった」
ため息混じりにそうぼやいて、女は台所へと去っていく。
フラムはそのせいで随分と思考を乱されたように、大きく首を振って骨を鳴らす。身体を伸ばし、鈍った筋肉、関節をほぐしながら立ち上がった。
「どうあれ、迷惑を掛けたな」
フラムは思ったままにそう口を開いた。
女は微笑みながら振り向いて「ええ、とても」と楽しそうに言った。
――迷惑を掛けたな、だと?
フラムは自身が発した言葉に、苦笑する。まるで人間気取りじゃないか。
バカ真面目に生きてきた人間のようではないか。
本来ならば面倒を起こされる前にこの女を殺していて然るべきだし、そこに躊躇いなどないはず。
だが今、彼自身その気は全く無かった。
そして殺すどころか、相手をささやかであっても、気遣う言動をとったのだ。
面白い。
フラムはただ、そう思った。
そうだ、己は化物でないと訴えて深淵を去ったのだ。
やってやろうじゃないか。
どこまで人間ぶれるのか、やってみせようじゃないか。
例えそれが己自身を否定することになったとしても――。
「あ、あれ? どこへ行かれるんですか?」
扉の前まで進んだフラムを見て、女は慌てた様子で彼の元へ駆け寄ってくる。
先程のように不安げな顔をしているのを見て、フラムは不思議そうに口を開いた。
「迷惑を掛けたんだろ。悪いが対価になるようなものは持っていない、ならこれ以上の迷惑を掛ける前に帰るのが筋だろ」
「あ、あなたの国ではどうか知りませんが、わたしはそうは思いません。このままどこか行って、その先で行き倒れられてもわたしとしては後味が悪いです」
「面倒くさい女だな」
「……知らんぷりすればよかった」
それに、と続けるように女は言った。
「わたしはベラです。あなたの名前は?」
「教える必要があるのか?」
どちらにせよ、すぐにこの場を去るつもりなのだ。ここで関係を持つ理由はない。
言いながらフラムは扉を開け放つ。
同時に開いた扉の先から、黒い影が飛び込んできた。
その物体は即座にフラムを押し倒そうと飛びかかると、そのままワンワンと吠え喚いていた。
「ちっ! なんだ!?」
飛びかかったそれの首根っこを掴みながら、身体から離す。
それは黒い毛をした中型犬だった。口元に深いシワを何重にも刻みながら、警戒するようにフラムの顔を睨んで唸っている。
「や、ヤッコ! どうしたの、お姉ちゃんは? ちょ……一回離してあげて下さい!」
「なんだってんだ」
フラムは言われるがままに犬を放り投げる。ヤッコと呼ばれたそれは空中で器用に姿勢を整えながら、何事もなかったように着地してみせた。
そうしてまた飛びかかってくる予想をして身構えたフラムは、だが何かを伝えるように動かぬ犬を見て眉を顰める。
「ヤッコはお姉ちゃんと町まで買い物に行ったんです! でもヤッコだけ帰ってくるって事は、お姉ちゃんの身に何かが……!」
「はん、間抜けってことか」
変わらぬ様子で毒を吐くフラムをベラはキッと睨みつけてから、眉尻を下げまた不安そうな顔をした。
「もしわたしに多少でも恩を感じているのなら――近くの……クモッグの町まで行って、誰か腕の立ちそうな男の人を呼んできて貰えないでしょうか?」
ベラはフラムの前に飛び出す。そうする彼女の姿を見て、ヤッコは唸りながらどこかへ向かうように走り出していた。
「……土地勘がねぇのよ。わりいな」
フラムは右手を左の肩口まで振り上げた。そして虚空を握りしめ、掴んだそれを一気に振り抜く。
にわかな熱が僅かに空間を歪ませる――焔の尾を引いた刀が、瞬間的にその手の中に出現した。
――やっぱ、『アレ』がねェとこの程度か。
そんなボヤキに疑問符を浮かべる余裕すらないベラは、彼が一瞬、何をしてくれようとしているのか、理解が遅れた。
「テメエは待ってろ。姉ちゃんを連れてきてやる」
「で、でも」
それはきっと、人間じゃない何かの仕業。
そしてもしその予測が的中しているのならば、ただ一人ではどうにもならない事態。
暴漢に襲われても立ち向かってくれたヤッコが真っ先に助けを呼びに来たというのは、つまりそういうことなのだ。
「癪だがよ、テメエに助けられたんだ。恩を返す――人間は、そうするんだろ?」
鋭い狐目をさらに細く、薄く笑ってやったつもりだった。
だがベラの表情が少し引きつるのを見て、フラムは短く舌打ちをして足を前へ進めた。
何にしても急がなければ犬を見失う。
ベラを残して走り出したフラムは、ほんの一瞬だけ、無自覚にゼノ・ロステイトのマネごとをしたような気がして、忌々しげに短く舌を鳴らした。
やがて犬に追いつき並走すると、心なしかそいつはギョッとした顔でフラムを一瞥していた。そして少しだけ速度を上げても置いてかれない彼を確認するや、全力疾走と言わんばかりに一心不乱に走り出した。
「ワンコロよぉ、そんなに心配なのか?」
ハッハッと激しく呼吸を繰り返しながらよだれを撒き散らして走るヤッコへ、呼吸一つ乱さないフラムが声を掛ける。
犬は返事をしないが、この必死さを見るにどうやらその通りらしい。
――平原の奥地から離れ、森の中へと入り込む。
木々が生い茂りやや薄暗くなって来た頃、突然ヤッコは足を止め、グルグルと喉を鳴らして唸る。やがて吠えるその先を、フラムはようやく確認した。
それはフラムの腰ほどの背丈の怪物だった。禿頭に、鋭く尖って伸びた耳。薄汚れた布切れをまとい、鋭く伸びた爪を擦り合わせて奇怪な音を鳴らしている。
ゴブリンだ。
目の前には五体のゴブリンが居た。犬の鳴き声に少しぎょっとしたような顔をしていたが、こちらが一人と一匹であるのを見て、にたりと怪しげな笑みを浮かべたのがわかった。
「ワンコロ、こいつらなんだな?」
フラムの問いかけに、ヤッコはまた彼を一瞥した。鳴き声も、頷きもしない。だがその強い眼差しが訴えかけていた。
こいつらだ、と。
「そうかよ」
にしても、ゴブリンか。また厄介なのが出てきたもんだ。フラムはそう独りごちる。
ゴブリンは個々は弱いが、とにかく数がいる。ベラの姉が巣穴に引きずり込まれたのなら恐らく無事ではないだろうし、ただ一人を助けるためだけにそこまでするのは割に合わない。
だが。
「そうするのが人間なんだろ、なあ」
問いかけは、誰かに向けたものではない。
虚空に零れた言葉を追い抜いて、フラムは弾かれた矢のように地面を蹴り、一瞬にしてゴブリンへと肉薄した。
直後――ゴブリンの首が宙を飛ぶ。切断された首から血液を噴出しながら、残された身体は背中から倒れていく。
呆気にとられていた残り四体へ、フラムは悪鬼のように表情を歪めながら切迫。同時に振り薙ぐ一閃が、瞬く間に残りの四体を横に両断してみせていた。
血しぶきが己に降りかかる前にその場を離れ、フラムは走り出す。
恐らくこの五体は巣穴の門番役の筈。であるならば近くにゴブリンの巣があり、そしてそこが目的地の筈。
そうして思ったとおり、すぐ近くには洞穴があった。その周囲は酷く生臭く、血の臭いが漂っている。
洞穴の奥から強烈な魔の気配を感じる。
己の深淵とは似て非なるもの。
この世に元から存在していた邪悪なる存在。
妖魔――その巣には、幾千、幾万が生息しているとも聞く。
「行くか」
フラムはなんでもないように言って、足を前へ進める。
洞穴はフラムが少し腰を折り曲げなければならない程度の狭い入り口だったが、中は奥に続くにつれて天井を高くしていく。そこまで進めば洞穴の中はすっかり闇に包まれていたが、深淵から生まれたフラムにとっては全く障害とはならなかった。
その瞳は闇を見通す。
取り込める可視光線の領域が広く、それ故に周囲を見渡せるわけではない。
何故かと問われればフラムは困る。最早それは体質だからとしか説明のしようがない。
「ちっ、クセぇな」
酷く鼻腔に突き刺さるのは冷たくすえた臭い。岩壁や地面の土に染み付いた血や排泄物の臭い。ともかくまともであるなら吐き気を催すどころか、それに耐え兼ねて嗚咽と吐瀉を繰り返しても可笑しくない異臭。
その故は恐らく、ゴブリンの餌食となった人間、あるいは動物、さらには魔物でさえあるはずだ。
やがて先へ進んでいくと、奥の方から等間隔で何かを打ち付けるような音が聞こえてきた。同時に、ピチャピチャと何か液体を舐めるような音と、堅いものを力任せに砕くような音が重なる。
フラムは息を潜めて先へ進む。
少しばかり曲がりくねった道を進んだ先で、ようやく開けた空間に出た。
そして同時に、複数の影が動いているのが見えた。
まず視界に入ってきたのは、矮躯のゴブリンが丸い何かを両手で持ち、それへ必死に腰を振っている姿だった。
その先には数匹のゴブリンが集まり、何かを貪っている。一匹が血まみれになりながら、笑顔で長い縄のようなものを口に含んで引っ張り、噛みちぎっているのが見えた。
それは臓物だった。
腰を振られているのは、肉体から切り離された頭部だった。
良く見なくてもわかるそれらは、新鮮だった。
「……ちっ」
手遅れだった。
そういう結論になる。
あの女――ベラの不安そうな、自信のない顔が脳裏に過る。
息巻いて『恩を返す』などと言ったが、それはどうやら不可能になったようだ。
「クソが」
不意に思い出すのは、ドラン・グレイグでの事だった。
ジャーク・ウィフトに命じられて一人老人を殺害した。彼は年老いていた事もあって容易く死んでいった。
後悔などしていない。言い訳などするつもりもない。
ただ今になってようやく理解する。自分がした事のその意味を。
殺されるということ。
そして失うということ。
二度と取り返しがつかないということ。
「死んじまう弱ェ奴なんざに構ってても仕方ねえ」
オールバックの髪を撫で付けるようにしてから、剣を振り薙ぐ。途端に刀身に焔を灯らせたそれが、周囲に火の粉を散らせてみせた。
それに気づいたゴブリンは驚いたように動きを止め、フラムの方へ顔を向ける。途端に頭を持っていたゴブリンが、それをフラムへ投げつけてきた。
フラムはそれを片手で受け取る。一瞥するように視線を落とすと、その表情は悲壮に塗れ、血と涙と、生臭い精液らしきもので塗りたくられていた。
「オレは人間だが、別に善人であるつもりはねえんだよ」
掴んだ頭部に力を込める。瞬間、爆発的に発生した熱が瞬く間に炎を生み出し、その顔面もろとも焼き尽くしていく。
フラムはゆっくりとそれを足元に置き、大きく息を吐いた。
「だから仇なんかじゃねえ。ただの憂さ晴らしだ――テメエら全員ぶっ殺すッ!」
腹の奥底から息を吐く。それと共に全身に巡らせた力を深淵へ変換しようとするが、その手に握る剣に炎が灯るばかりだった。
何度やってもこの身を包む甲冑が発現しない。
ならもういい。知ったことか。
「オラァッ!」
頭部を投げてきた一匹が、地を蹴り飛び上がり、壁を蹴って立体的に肉薄する。フラムは構わずそれを宙空で斬りつけると、その肢体は容易く二つに断ち切られ地に落下する。
同時に、残った数体も飛びかかるように襲いかかってきた。
フラムは姿勢を低くすると共に腰だめに剣を構え、ゴブリンをギリギリまで引き付ける。そうしてその鋭い爪先が眼前にまで迫った所で、剣を振り放つ。その肉体に宿した力を全て解放するように円を描く軌道で放たれた刃は、違わず射程に誘い込まれた三体を横薙ぎに両断した。
慣性を帯びてフラムの横を通り過ぎて背後に叩きつけられる死体をそのままに、フラムは表情を怒りに歪めたまま先へ進む。
ゴブリンが貪っていた肉塊は、まだ形を殆ど残していた。身体は衣類を纏っていなかったが、唯一、力なく垂れる右の手首に巻かれていてる鎖のような装飾品が目に入った。鎖には指輪のようなものが連なっていて、フラムは片膝をついてそれを取り外す。そっとポケットにしまってから、フラムは目を閉じて大きくため息を付いた。
「……あんたは、運が悪かったんだ。やりきれねえだろう……仇をとるつもりはねえ、だが全員ぶっ殺したくなったからよ。それで少しでも、あんたの憂さ晴らしにでもなりゃいいけどな」
独りごちる言葉に、意味などない。
殺された彼女を想う言葉など無い。だがそう伝えたい気分になっていた。
フラムは無残な肉塊を網膜に焼き付けてから、また前へと歩き出す。
少し進んだ先は、大袈裟な下り坂になっていた。
今までの開けた空間など目じゃないくらいに広い空洞がそこにはあった。
まるで滝壺からそのまま水だけを消し去ったかのような穴。そして同時に、そこで蠢く数百、あるいは千を超える息遣いと気配が、一挙にしてその崖とも言える坂の頂上で炎を纏ったフラムへ集中したのがわかった。
ほんの僅かだけ、背筋に冷気が走る。
恐怖ではない。
後悔ではない。
それは蠢く虫の群れに対する嫌悪感に良く似ていた。
「根絶やしにしてやるよ、クソ野郎共」
フラムはその言葉を残して、崖からゴブリンの群れへと飛び降りた。
❖ ❖ ❖
猛烈な爆発音の直後に、巣穴の入り口は脆くも崩れ落ちていた。
田舎臭い女性に連れられてきた馬鹿げた大剣を背負う巨漢の男は、額に浮かんだ汗を拭ってそこに最後の一振りを叩きおろしていた。
「おらっ!」
振り放った巨剣の一閃が、最後に入り口を塞いでいた岩を容易く打ち砕く。大袈裟な爆裂音と共に岩が飛散し、ようやくそこにぽっかりと口を開けた巣穴が出現した。
そうした途端に、穴の奥底から酷い腐敗臭が煙を伴って吹き出してくる。男は嫌悪感丸出しに顔をしかめながら口元を抑え、その場から即座に離れた。
「なんだこりゃ……中に入った方がいいのか?」
困った顔で男はベラを見る。彼女は最初から変わらない、今にも泣き出しそうな顔で首を振っていた。
「わ、わたしの……せいです」
ベラは両手で顔を覆うようにしながらその場に膝から崩れ落ちる。近くに居たヤッコが、心配そうに彼女の身体に鼻先を擦りつけていた。
「お姉ちゃんは、もう……信じたくなかったけど、わかってたのに――信じたくないというだけで、あの人を巻き込んでしまって……!」
震える声を聞きながら、男は短く息を吐く。
気まずげに頭を掻きながらベラへと跪き、彼はようやく口を開いた。
「オレは傭兵の仕事をしている。だからよ、死んじまう仲間を何度も見送ってきた……辛い言い方だが、死ぬ奴は運が悪かったんだ。誰が悪いわけでもない、運命なんて知らねえ、ただ運が悪かった。そう言い聞かせなきゃよ、嬢ちゃん、アンタが壊れちまうぞ」
そう簡単に言っては見たが、どうあれこの凄惨な現実を前に気持ちを切り替えられる者など居るわけがない。
剣すら握った事のないのならば尚更だ。生きている世界が違うというのは、まさにこの事だろう。
「さて」
男――ガンズ・ダルフレークは大きく息を吐いてから立ち上がる。
とは言え、まだ結果はわからない。
最悪の事態を予想しながら、それでも死体くらいは拾ってきてやろうとガンズは思った。
だからあの悪臭満ちる巣穴へと飛び込む覚悟を決めたのだが――。
「っ!?」
足を向けたその暗闇の空洞の中で、何かが動く気配がした。
反射的に剣を構えると、直後に飛び出した黒い影が鋭く喉元目掛けて何かを突き出す。ガンズはそれを見極めて剣で弾くと、そのまま力なく崩れ落ちそうになる男の姿を認めた。
「ちっ、人間か……クソ、ビビった……」
狐目の男――フラムはにわかに開いたその目でガンズを認めると、立っているのがやっとと言わんばかりに剣を地面に突き刺し、杖のようにして辛うじて立つ。
フラムは全身血にまみれていた。特に頭部からの出血が酷く、また衣服もずたずたに切り裂かれていて、鋭い切創や、皮膚を失い抉られたような傷が目立つ。とても無事であるようには、ガンズには見えなかった。
フラムはガンズを一瞥してから周囲を見渡す。そうして座り込んで泣きべそをかいているベラを見つけ、嘆息した。
こんなトコまで来ていたのか、と認識すると同時に、泣いているということは恐らく全てを把握しているのだろうと理解する。だが現実と最悪の予想とが重なってしまっている事に納得できない、受け止めきれない、そんな所なのだろう。
フラムはよろよろと歩き出す。剣を握る力も失い、それをそのまま捨てて先へ進む。
「お、おい。大丈夫かよ?」
そう心配するガンズの声もよそに、やがてフラムは彼女の元へ辿り着いた。
屈み込もうとして、姿勢を維持できない。全身が痛みと疲労で悲鳴を上げている。そのまま両膝を地面について、両手でベラの肩を掴んだ。
彼女は驚いたように身体を弾ませると、顔を覆っていた手を降ろす。そうして開けた視界に、フラムの顔を見た。
ベラはまた驚いたように目を見開いて、そうして傷だらけの顔を、体を見て、また泣き出しそうな顔をした。
「姉ちゃんは、助けられなかった」
「……っ」
わかっていた。きっとそうなのだろうと思っていた。ベラは理解するが、その現実を突きつけられて、また潤っていた瞳から一筋の涙を零す。ただそれ以上の反応を押し殺すかのように、唇を強く噛む。
フラムはそれを見ながら、言葉を続けた。
「不十分だろうが、仇はとった。奴らを根絶やしにした……それと」
ポケットに手を突っ込んで、その中にある感触を確かめる。良かった、落としてはいなかったようだ。
取り出した鎖を見せるようにして、彼女の手に強引に押し付けた。
「あんま、そんな顔するんじゃねえよ」
そこまで言った所で、フラムは言いたい事を全て失った。故に意識を保たせていた緊張の糸が、ぷつりと切れたような気がした。
不意に全身を重く感じて、意識が鈍くなっていく。そうなってからは早く、それを打破しようと考える間もなくフラムは彼女の脇へ倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「くそっ――どっちにしろここじゃ何も出来ねえ」
「ならわたしの小屋に! ここからならその方が早いので!」
「ああ、案内を頼む」
「はい!」
ガンズは軽くフラムを担ぎ上げると、慌てた様子で立ち上がり先導するベラの後を追う。
――まったく、何やら妙な事に巻き込まれたようだ。
ガンズは短く嘆息した。
約一ヶ月前、ゼノ・ロステイトと出会った時も妙な敵と戦った。
今感じている妙な嫌な予感は、その時とよく似ていた――。
それが的中しなければ良いのだが。
ガンズは気を失ったフラムの顔を一瞥しながら、ただそう願うしかなかった。




