クモッグの町 ② 教会と情報屋
まだ夜も始まったばかりだと言うのに、既に飲んだくれがわめきながら路上に座り込んでいる姿がちらほら見える。
冬はもう過ぎたが、まだ夜になれば空気が冷えて肌寒い。見上げた空にはすっかり星々が散らばっていた。
クロルは手をつなぐのがよほど屈辱的だったのか、あるいは恥ずかしかったのか、言われる前にゼノの袖を指でつまんでいた。
「あら、カッコイイお兄さんウチで飲んでいかない?」
にぎやかな通りでは、日中は閉まっていた店が開き始めている。そう近寄ってきて声を掛けたのは、成熟しそのセクシーなスタイルを見せつけるような薄着姿の女性だった。酒場の客引きか娼婦といったところだろうか。
「僕は下戸なんで、失礼します」
軽く流して距離を離す。そんな中で、ふと気づく。
「お兄さーんこっちみてー」
「キャー! かっこいいわあ!」
周囲の視線が自分に集まっているような気がする。黄色い歓声というような、好意的な悲鳴じみたものまで耳に届く。
見渡してみれば、たしかに周囲から頭一つ抜ける身長と、生まれ持っての金髪は珍しいかもしれない。
「ここは飲み屋街か」
クロルが袖を掴む腕をしっかりと掴んで、少し引き寄せる。
「危ないからさっさとここを抜けようか」
「……やっぱり、ゼノさんてモテるんですね」
足早になった所で、突拍子もなくクロルが言った。ゼノは苦笑して言葉を返す。
「今のを見て言ったのなら、多分意味が違うと思うよ。単に物珍しいんだよ、珍獣でも見るような感じじゃないかな」
「誰から見ても顔は整ってるし、背は高いし、体つきもがっしりしてて……女性からは魅力的に見えます」
「ははっ、ありがとう。何か欲しいものでもあるのかい?」
飲み屋街を抜けると、ちょっとした夜市が始まっていた。
様々な食事や甘味などが売られ、人が楽しそうに行き交いしている。男女で歩くもの、家族で楽しげに話しながら食べ歩く姿が多い。
「違います」
引いていた手が、不意に止まった。引っ張られるようにして足を止めたゼノは、立ち止まるクロルに目をやった。
俯いているわけではなかったが、どこか暗い表情だった。眼差しはどこか寂しげで、ただゼノを見つめている。
見つめれば引き込まれそうなほどに大きな瞳だ。クロルはゼノを褒めたが、クロルとて十分に魅力的な外見をしている。全体的にまだ幼い顔立ちだが、それ故に愛らしさが強く、小柄な身体の割にも女性らしさはしっかりと誇張されている。
「ゼノさんは、ああいう風に声をかけられて嬉しくないんですか?」
少し不安げな声色が、一体どんな感情からなのかゼノにはわからない。
「そう思ったことはないかな。危害を加えるわけでもないし、特別意識したことがないよ」
「そう、ですか」
――クロルには一抹の不安があった。
ゼノは確かに見てくれがいい。性格も今のところは驚くほどに優しく、また戦闘能力も非常に高い。加えて王子だし、アクアスト王国軍の千人隊長だという。
目的も妹を助けるためにおとぎ話でしか聞いたことのない白銀竜を探し、またこの世の終わりを初めた『深淵の始祖』を倒すこと。
途方も無いほどの大人物だ。そんな彼だから女性にも人気があるし、もし気に入る女性が現れれば自分はその場で切り捨てられるのではないか。
そう思っていた。ふと思ったのだ。王族であるならばこんな小娘をもみ消すことくらい容易ではないし、またクモッグならまだしも、名も知れぬ土地で放り投げられれば為す術もなくなる。
だから不意に、底のない不安が溢れ出て来たのだ――。
「……ああ、そっか」
なんとなく、ゼノは理解する。そう言えば心配はするなとしつこいくらいには言ったが、一言大事な言葉を忘れていた、と思う。
ただ物を渡し、報酬の話しかしていない。これはある種契約と同じだが、二人きりの契約に最も大事なものは、
「言葉だけではどうとでも言えると思ったから首飾りを渡しただけで、すっかり忘れてたよ」
「……何を、ですか?」
「一番大事な言葉だよ――僕を信頼してくれ」
「信頼……ですか」
「うん」
そこまで言って、通行の邪魔になると思いゼノはまたクロルの手を引いて歩きだす。教会まではもうほど近い距離だ。
「君に安心してもらうには、信頼し合うことしか無いと思うんだ。首飾りも所詮物でしか無いし、契約書もないし言葉は何にも残らない」
「確かに、そうですね」
「だから信頼してほしいんだ。すぐには無理だろうけど……まあそれは僕次第か」
「わたしも頑張ります!」
「うん、僕も頑張るよ」
しばらくすると人気も少なくなり、正面には十字を掲げた教会の外観が見えてきた。鉄製の門からまばらに人が出て来るのを見て、二人は少し歩みを早める。
門を抜け、開け放たれた扉から中に入った。
天井は抜けるように高く、月明かりによって左右に埋め込まれているステンドグラスが鈍く光っている。
入ってすぐにある礼拝堂にはまだまばらに人が座り、手を合わせて祈りを続けている。
空間の奥には大きな聖母の石像があり、その正面に立つ牧師は書を手に祈りの文言を唱えていた。
二人は長椅子が並ぶちょうど真ん中あたり、黒いドレスを纏った女性の隣に移動した。
「マダム、失礼します」
「あら、どうぞ。随分と良い男に座られたものよね、どこの王子様かしら」
声は見た目に反して違和感のある高さだった。言ってしまえば男性が裏声で話しているような、そんな声質だ。
「さあ、お祈りだよ。手を握って、目を閉じて牧師さまの声に耳を傾けながら、今後の旅の安全を祈ろう」
隣に腰掛けたクロルに囁くようにして告げる。彼女は小さく頷いて言われたとおりにした。
さすが術師と言わんばかりに、その集中は早い。それを見て頷いた頃、また隣から声がかかった。
「今日はお祈りをしに?」
マダムは祈る様子など毛ほどもないように、足を組んでゼノへ顔を向けている。彼は笑顔で答えたが、声は限りなく抑えた。
「ええ。旅の無事を願って」
「あらあら、それは大変ねえ」
「――というわけで、何か情報はないのか? マダム・ティーン」
マダム・ティーン。まるで初対面のように接していたが、その実、エッジほどの付き合いの長さになる情報屋だ。彼、あるいは彼女が町に留まっている間は門にそのサインが記されているのが合図で、接触するのは日が沈んだ頃に二時間ほど教会に滞在しているのでそこに立ち寄るのが最も良い。
合言葉は『旅の無事を願って』だ。マダムはそれを聞いて、破顔した。
「何の情報が良いかしら」
「白銀竜について、何か新しい情報はあるかい」
「……あたしの知ってる所だと、ここから北に進んだ所にある『グラン・ドレイグ』に伝記などに詳しい老人が居ると聞いたことがあるわ。その老人は趣味で歴史の座談会みたいなのを開いてるらしいから、行けばわかると思うわ」
「グラン・ドレイグか……城郭都市だね、結構独自の軍備が発達してるらしいけど」
「そうね。アラリット共和国から離れているから、その為だと思うけれど」
「穏便に済めば良いんだけどな……」
「そうそう、穏便と言えば、の話だけど」
「何かあるのかい」
支払いの準備にとポケットに手を突っ込んだ所で、まだマダムの話は続いていた。
浅黒い肌に化粧を施したその顔が、やや不敵に笑っているようだった。
「この町も思っていたより安全とも言い難いわ」
「それはどういう事だ?」
「あなたもまったく、タイミングの悪い所に来たみたいでね。最も、あたしに出会えたのが不幸中の幸いかしら」
マダムはポケットから取り出した紙巻きを指で弄くりながら言葉を続ける。
「今夜……といってももっと遅い時間、深夜くらいだろうけど、この町にたかってる盗賊団が襲撃に来るらしいわ」
「盗賊団……?」
「ええ、なんでもここ最近目をつけられたらしくてね。最もこれは町民は知らない話だけど」
「だろうね。でもなんでまた、小さい町でもないだろうに」
「恐らくは、数日後にある大規模な競売があるらしくて、それが狙いらしいわ。今朝そのお宝が仕入れしたみたいだから」
「なるほど。マダムは気が利いて助かるよ、ありがとう」
「あと、気が利くついでにもう一つ。これは特別危険な事ではないのだけれど」
マダムはゆっくりと足を組み直してから言った。
「妙な男が一人居るわ。今日の昼間酒場に居たんだけど、傭兵のような格好で勝ち気で我が強くてうるさい男だったわ。なんでも今夜の盗賊の件を知ってるみたいでいきり立ってるらしかったわ」
傭兵のような格好。つまり鎧を着込んで、武器を持っているということだ。
「腕は立ちそうね。まだ若そうだったし、顔つきも男前で悪くはなかったわ……ま、あなたには全然敵わないけどね」
マダムはそこまで言って、ゼノへウインクしてみせた。
ゼノは苦笑しつつポケットから料金の入った布の小袋を取り出して差し出す。
「少ないけど……今夜もありがとう」
マダムはそれを見て微笑みながら首を振った。
「旅の途中なんでしょ? 王子様が金欠で行き倒れなんて聞きたくないから、いらないわ」
「……それは僕も困る。けど」
「だからお金の代わりに、あなたの情報を頂くわ。まずはソレから」
言って、マダムは隣のクロルを見て手で示した。ゼノはなるほど、と頷いて小袋をポケットにしまいなおした。
クロルはそんな気配を感じて、ようやく目を開ける。会話はすっかり聞こえていたようで、話は早かった。
「君のことを話しても大丈夫かい?」
「だ、大丈夫ですけど……この方は、何者なんですか?」
「付き合いの長い情報屋さ。僕は信頼してるし、わざわざここで取引している誠実さを何より買ってるんだ」
教会……つまり神の御許で嘘はつかない、というマダムなりのポリシーだ。
なるほど、とクロルは頷いて、少ししてからまた口を開いた。
「わたしはリリィ・ブランカの元で修行していた弟子であり、魔術師です。数日前からゼノさんのお力になるべくご一緒させて頂いてます」
「魔術師なのね、このご時世に珍しいわ。年はいくつなの?」
「十六歳です」
「あらまあ……ゼノ、ダメよこんな可愛い子にイタズラしちゃ」
「し、しないって。何を言うんだいきなり」
「でもそんな若いのに術者ってことは、相当なセンスの塊よ。逃げられない内にモノにしといたほうがいいんじゃない? 可愛いんだから、色んな虫が寄ってくるでしょうし」
「そっ、そんなことないですっ。むしろゼノさんの方がモテモテですし……」
「あらあら、可愛いわね。ふふふ、あんたも隅に置けないってわけね」
「マダム、からかうのは程々にしてくれ」
少し疲れたように言うと、またマダムはクスクスと笑う。
そうしてから、ゆっくりと腰を上げた。
「久しぶりにあなたと話せて楽しかったわ。あたしはもうこの町を出るけど、また縁があれば会いましょう」
「ああ。マダム、貴重な時間をありがとう」
「ええ、じゃあね」
背中越しに手を振って、マダムはようやく手にした紙巻きを口に咥えながら外へ去っていった。
それを見送ってから、クロルへ顔を向ける。
「それじゃあ僕らも出ようか。夜市でも寄って、ご飯を買って帰ろう」
「はい!」




