男人禁制の国アマズ・ハイネ ⑪ 痴話喧嘩
「子狸よ、男前を独り占めする気分はどうじゃ?」
翌朝、アマズを発つ報告の為にゼノはモカの部屋を訪れていた。
先日のこともあった為かクロルはついていくと聞かずに同行した訳なのだが。
「ひ、独り占めって、そういうつもりは……それに、子狸ってなんですか」
クロルの顔を見るなり、寝台に腰掛けたままモカは不満げな表情を隠そうともせず開口一番に文句を言い放っていた。
戸惑う様子だったクロルは、まるでケンカを買うような形で受けて立っていた。
「子狸のような顔をしておるからの、つい口から出てしまったわ。くくっ、失礼した」
意地悪な物言いにゼノは複雑に曖昧な笑みを作る。隣のクロルを一瞥すると、むっと眉間にシワを寄せていた。
足を組み、その膝の上で頬杖をついていたモカはひょいっと寝台から飛び降りて、裸足のままぺたぺたとゼノの前までやってくる。
そうして顎先を撫でるように、やがて頬を包むように手を添わせ、顔を近づけた。
「主さんにはまともに感謝も出来ていなかったの。この国を守ってくれた英雄じゃと言うのに」
「あ、いえ……僕は僕の尻を拭ったまでです」
「謙虚じゃのう。旅立つ前に、主さんの思うようにしても良いのじゃぞ?」
「――ゼノさんはそのような事は望んでいないようですけど」
あと近すぎるのでは?
クロルは怒ったような表情のまま二人の間に割って入り、ゼノの前に立ちはだかる。
それを受けて、モカはまた意地悪な笑みを浮かべてみせた。
「おや、小さくて見えぬかったわ。てっきりもう帰ったのかと思っておった」
またくくっ、と小さく笑う。
クロルは怒りをぶつけるように、きっとゼノを睨んだ。
どうしろと言うんだ、とゼノは困ったように笑い、口を開く。
「女王様、不躾とは思いますが……感謝といってくださるのならば、白銀竜の鱗の首飾りを拝借したいのですが」
「うんうん、主さんの頼みじゃ。それくらいはお安い御用よ、このモカに任せんし」
それと、と言いながら彼女は寝台に置いてある布で包んである物を指さした。同時に、楽しそうに尾がパタパタと左右に大きく揺れている。
「今持ってきんす。その間、服を準備させたからそれに着替えておくとよい。その格好じゃこの先寒いじゃろうしの」
ふふ、とモカは悪戯っぽい笑みを浮かべながら部屋から出ていく。
扉が閉まる音を確認してから、クロルはわざとらしく大きく息を吐きながら振り返った。
「なんですかゼノさん、鼻の下が伸びてますけど何かありました?」
「ああいや、そんなつもりは無かったけど……ふ、服を用意してくれたみたいだね」
ゼノは逃げるように寝台の方へ足を向け、さっさと包みを開く。
中には綺麗に畳まれた衣類が収まっていた。
黒地の襟付きのシャツに、白のズボン。外衣は厚手の白いものだったが、襟元が大きく広がっていて、胸元にも装飾用のボタンがいくつもつけられている。妙にかっちりとした雰囲気のそれは、かつてゼノが身を包んでいた軍服に良く似ていた。
さっそくそれを身に着けてみる。クロルは服を脱ぎだしたゼノを見て、あわてて背を向ける。
肌触りは良く着心地がいい。外衣も裏地に毛皮が使われているようで、ふわふわとして着ているだけでも暖かくなる。
外衣についている腰ベルトをしっかり締めると、その窮屈さにゼノは懐かしさを感じていた。
「クロル、どうかな?」
声を掛けると、彼女はゆっくりと振り向いた。
クロルはやや訝しげにゼノを足元から舐めるように見る。そうしてから一言、
「似合ってると、思います」
不本意そのものだと言うように口を開く。
ゼノはそんな彼女に苦笑しながら言った。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって顔だね」
「ゼノさんはいい気なものですよ。あんだけ綺麗な人に、あからさまな好意を向けられてるんですから」
「とは言え、良くしてもらってるのも事実だよ。これだけぴったりって事は、昨日一日で作らせたってことだろうし」
「まあ、そうですけど……」
言っても仕方がない、とクロルは口角を下げてぷいっとゼノから目を背け横を向いた。
ちょうどその頃に扉が開き、モカが帰ってくる。
「主さんや」
言いながら小走りで駆け寄るモカ。その足音に反応してゼノが振り返ると、ちょうど彼女はなにもない所で躓き、転ぼうとしていた瞬間だった。
ゼノは慌てて一歩前に出て、身体でそれを受け止める。
モカは少し驚いたような顔をしてゼノを見てから、ゆっくりと頬を緩めてはにかんだ。
「すまんの、わざとでは無いんじゃ……やっぱり主さんは、そういう格好つけた服装の方が似合うのう」
本当にわざとではなかったのか、ピンと突き立った耳と尾が、ゆっくりと表情にあわせて垂れていく。
モカはゼノに支えられるようにしてから一歩離れ、腕を引く。差し出させた手に、彼女は手を重ね、持ってきたものを握らせた。
「一枚の鱗を加工したものじゃ。これで白銀竜の場所がわかるかと言えば、正直な所不明じゃな。ただ近づけば近づくほどに、その鱗が鈍く輝き出すと聞いておる」
手のひらの上のそれを指で摘んで広げてみる。
銀の鎖の先に、楕円形の厚い鱗が一枚。そしてそれをはめ込んでいる合金の板は銅のようだった。
またその左右に爪を模した装飾が三本ずつ着いている。
「ありがとうございます。この旅が終わった時には必ずお返しに参りますので」
ゼノは小さく頭を下げてから、首飾りを身につける。
胸元を開いてそれを見せると、モカはそこに手を伸ばし、鱗を手に取る。そうして顔を近づけたと思えば、優しく口づけをしてみせた。
「わらわからのお祈りよ。さ、行きさんし……見送りには行くが、もう主さんの顔を見ておられん」
「……どうしてです?」
モカはゼノの脇を抜け、ゆっくりと窓際まで移動した。
窓から外を眺めながら、今度はゼノの方へ顔も向けずに言葉を返す。
「ふ、その子狸に余計嫌われるから言わんよ。さ、竜人も一人寂しく待っておるじゃろう。あの娘にもゆっくり別れの挨拶をしてきさんし」
「ええ……改めて、ありがとうございます。それでは、また」
ゼノは彼女の言葉をあまりよく理解出来ぬまま、頭を下げてその場を後にする。
クロルはモカの最後の言葉に後ろ髪を引かれながらも、ゼノの後を追っていった。
❖ ❖ ❖
アンジェリーナのもとへ戻ると、彼女は読んでいた本から目を離して彼らを見るや、途端にうんざりしたように口角を下げて見せた。
「あのなぁ……ここはお前たちの部屋じゃないんだぞ?」
「君が心配なんだっ――いっ」
肩を竦めながらそう口を開くと、不意に右手の甲に鋭い痛みを覚える。驚いて手元を見ると、隣のクロルが不機嫌そうな顔で手をつねっているのが見えた。
それを見てアンジェリーナはくすくすと笑う。
「クロルにとっては黒影騎士なんてのより、女王の方がよっぽど強敵だったってわけね」
「別に私は……」
歯切れ悪く否定して、クロルはゼノから離れてアンジェリーナの寝台に腰を掛ける。
微笑むアンジェリーナへ、クロルは問いかけるように口を開いた。
「ゼノさんはモテるんですよ」
神妙な面持ちだった。
アンジェリーナは「へえ」と訝しげにゼノを一瞥して、
「そうは見えないけど、ねぇ?」
「ああ、僕自身その自覚はないしそういった体験も無いよ」
「我もそう見える。だってお前という人間は……」
会って数日の所申し訳ないが、と前置きを置いてアンジェリーナは言う。
「確かに顔は良い。背も高いし、身体つきもがっしりしている。それだけだ、ガワが良いだけで中身はてんで魅力的じゃない。根暗だし、ネガティブだし、気遣いも中途半端で自己中心的だ。その外見でなければ人は寄り付かない、そんなダメ人間だ。面が良いだけってことね」
「褒められているのか、貶されているのか……」
ゼノは複雑そうに頬を引きつらせる。
アンジェリーナはふん、と得意げに口角を釣り上げて笑うと、「でもでも」と隣から待ったが掛かった。
「ゼノさんは優しいんですよ、すっごく。強いですし、すごく」
「ふうん?」
変わらず真剣な表情のクロルに、アンジェリーナは少し悪戯を思いついたように笑みを浮かべる。
「知ってるわ。空から落ちた時に必死に裸の我を守ろうと抱きしめてくれたし、黒影騎士の時も死に物狂いって感じで助けに来てくれたわよね」
「そ、そうでしたね」
クロルは少し複雑そうな面持ちで頷いて同意する。
「グランでは我のはだけた胸元を見てたし、森では裸の我を抱きしめてたし、すぐに触ろうとするし、ちょっとすけべだけどね」
「それは……不可抗力だと、思いますけど」
「そう? 普通なら目を逸らすか、それなりの配慮をすると思うけど」
「ゼノさんなりに精一杯やった結果なのですから、そのつもりは無いと思いますよ?」
「そうかなぁ」
「――申し訳ないが、少し席を外すよ。ちょっとお腹を冷やしたようで……差し込みがね」
自分の事を話されているのはなんだか気恥ずかしいし、気まずい。ゼノは簡単な言い訳を残してそそくさと部屋を後にする。
「あ、逃げた」
そんなアンジェリーナの声と共に響く笑い声を背に、無論として言い訳だったことは見抜かれていたことを知ったが、もはやそんな事などゼノには関係なかった。
❖ ❖ ❖
そう言えばマダムは無事に逃げられただろうか。
そんな事が気になって、アンジェリーナとクロルの元から逃げた先は地下牢だった。
扉には鍵が掛かっておらず、その先の鉄扉も簡単に開く。
空間に足を踏み入れてから、その中から話し声がしていた事に気づく。
そしてゼノの登場とともに声が消え、視線が自身に集中した気配を覚えた。
「あら」
と声を上げたのは、看守をしていたエミリだった。ウェーブがかった金髪を掻き上げるようにして振り返り、にこっと楽しげに笑った。
「噂をすればってわけね、王子様?」
どこに行っても女ばかりだな、と思いつつ、ここが女性だけの国であることをゼノは思い出す。
階段を降りて彼女らと対面すると、ゼノは深く頭を下げて見せた。
「性別を偽っていたこと、そして何より、僕のせいでこの国を巻き込んでしまったこと……言葉でしか今の僕には謝罪が出来ませんが」
言いながら顔を上げる。その先にある二つの顔は、少し驚いたように目を見開いていた。
ややあってから、破顔する。ゼノの行いをバカにするようなものでも、見下すようなものでもない。それは安堵を促す、柔らかな笑顔だった。
「我々はそんな感情を貴方には抱いていない。女王が説明してくれていたと思ったが、案外物分りが悪いんだな」
リナはそう言ってゼノの肩を叩く。優しく、言葉を染み込ませるように。
「次そんな事を口走ってみろ、縛り付けて外に放り出すぞ」
「あ、いや、そんなつもりで言ったわけでは……ありがとうございます」
「やれやれって感じね」
エミリは言いながら、紙巻きをふかす。
「ふふっ、にしても綺麗な顔だわ。本当に英雄さまって感じ」
「そんな大したものではありません。……ここにもう一人、牢に入っていた者が居たと思うんですが」
エミリが一歩近寄るのに合わせて、ゼノは一歩後ろに下がる。そうしながら問うものの、雰囲気からしてマダムはもうこの場には居なさそうだった。
ゼノの言葉を受けて、エミリが「ああ」と言葉を漏らし、大きく嘆息する。
「先の騒動の間に逃げられちゃってね。気づいたら居なかったのよ、あのオジサン」
「そうですか」
「何か用だったの? あ、もしかして何か盗まれたとか?」
「ああいや、そんな事は……ただ気になっただけなので」
「そう。ま、そこ座んなさいな、王子様」
「え?」
エミリは楽しそうに笑いながら、普段は己が座っている椅子へとゼノを連れ、無理やり力任せに座らせる。ゼノは戸惑いながらもそれに応じる。
瞬く間に二人の女性が机の前に立ちふさがり、ゼノの逃げ場を塞いでいた。
「さ、聞きたいことは山ほどあるんだ。少しは付き合ってくれても良いだろう、英雄殿?」
「そそ、どうやって黒影騎士を倒したのかとか――あの竜人の子と、術師の子、どっちが本命なのか、とか」
リナとエミリは楽しそうにまくし立てる。
ああここも藪蛇だったのか――ゼノは二人の問いかけに苦笑しながらも、しかし逃げる事も出来ずにそれに応じる事しか出来なかった。




