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男人禁制の国アマズ・ハイネ ⑩ 怪我の功名 その2

 クロルが飛び出したのは部屋のみならず、その館からだった。

 なんとなく居心地が悪い――その契機となった女王の館には、留まる気にはなれなかった。

 言ってしまった、という後悔の念が強い。

 正しくもあり、間違ってもある。正解など無い言葉ばかりだった。

 意味など無い。ただ感情のままに喚き散らす稚児そのものだ。だがそれは確かに己の胸の内に秘めた一つの想いでもあった。

「あの」

 玄関を背に立ち止まっていると、不意に前から声がかかる。

 顔を上げると、黒を基調としたドレスに身を包んでいる三人組の女が居た。

 三人は三様に、目元を、鼻を、赤く染めている。先頭の一人はまだ泣き止んだばかりとでも言うように、涙の跡がくっきりと残っていた。

「は、はい」

「旅のお方……でしょうか?」

「え、ええ……あの、何でしょうか?」

 責められるのではないか、とクロルは覚悟する。

 自分が先程吐いた言葉を、そのままそっくり、当事者である彼女らから返されるのではないかと肝を冷やしていた。

 心臓に針が刺さっているかのように痛む。胃がキリキリと鋭い痛みを発して、背筋が凍る。背中に、嫌な汗が一筋流れた。

「伺いました。黒影騎士を倒したのは、旅のお方だと」

 静かに紡がれた言葉の直後、先頭の一人が、大きく頭を下げた。

 同時に言葉が響く。

「ありがとうございました」

「……え?」

 その台詞を、クロルは一瞬理解出来ないでいた。

 予想とは大きく異なるそれは感謝の意。彼女らの言動に戸惑っていると、また彼女は言葉を継いだ。

「昨晩散っていった者の中には、我々を強く育ててくれた、師であり、姉であり、母でもある者がおりました。あなた方は、我々では取ることの出来ない仇をとって下さいました」

「――私は、何も……。みなさんは、その……被害に遭われた筈、です。巻き添えのように。あの、金髪碧眼の男を狙って、黒影騎士が来たと聞いています」

 だから……要領を得ないなりに、彼女はクロルの言いたいことを理解したようだった。

 彼女は薄く微笑むように頷くと、また静かに口を開いた。

「悔しいですよ。悲しいです。だけれど……国を襲われて、国を守る為に戦った。それだけの事です。みな命を懸けて、死を覚悟して。残されたものがそれを悲しむことはあっても、その結果を他者になすりつけるのは違います。他の国はわかりませんが、少なくともこのアマズでは、誰もがそう考えるはずです。大事なのは結果と、失ったものを憂う気持ち、そしてそれを次へと繋ぐ覚悟。我々が大事にしているものです」

 違いますか? そう問われて、クロルはすぐに返事をすることが出来なかった。

 張本人が言っている事を、まったくの部外者が否定することなど出来ない。

 そしてまた、彼女らが感謝しているのはゼノとアンジェリーナに対してである。

 余計に、自分の惨めさが際立つ。

 この場から消えてなくなりたくなる。

「それに――森の先にある荒野で、大量の魔物の死体がありました。数にしておよそ四○○……あれほどの魔物がこの国に攻め込んできていたら、黒影騎士でなくともひとたまりもなかった事でしょう。女王からまた何かあるかもしれませんが」

 女性はまた改めて深く頭を下げて、「ありがとうございました」と尽きる事のない感謝の言葉を口にしていた。

「……私は、本当に、なにも」

 そんな事など聞いていない。

 四○○もの魔物を? 朝になるまで帰ってこなかったのは……あの時慌てて一人駆け出していったのは、その為だったのか。

 クロルは、余計に自分を惨めに感じる。

 俯き黙り込んでしまったクロルを見て困った様子の三人は、また改めて彼女に深く頭を下げると、ゆっくりと背を向けて帰っていく。

 クロルは視界の端でそれを見送りながら、ただ呆然とするしかなかった。

 ああ――なんて酷い事を言ってしまったのだろうか。

 最低だ。

 クロルは扉の片方により掛かるようにして、そのままズルズルと体重を掛けて座り込む。そのまま膝を抱くようにして落ち着いて、大きく胸の奥から息を吐き出した。

 わかっていたのに、言ってしまった。誰のせいでもない、強いて言うならば深淵のせいだ。

 彼は精一杯やっていた。だから自分も彼を助けようと頑張っていたのではないか。

 クモッグで彼の悲痛な笑顔に胸を打たれたのも、ドラン・グレイグでは生死をさまよった彼を必死に看護したのも、全てはゼノ・ロステイトという人間を理解しようと、そして理解してさらに力になりたいと思ったからではないか。

 人は死ぬ。それが全て余すことなく望まぬ事ではない――正確には、望まぬが結果としてそうなってしまうのもやむを得ないと納得できる者も居る。

 自分にはそれだけがわかっていなかった。

 ただそれだけで彼を責めたのか。

 クロルは不甲斐なさに、涙すら出ない。合わせる顔がない、なんて思っている時だった。

 不意に隣の扉がガチャリとドアノブを鳴らしていた。

 横目で見ると、随分と背の高い人物がそこから出てきたようだった。

 金髪の、青い目をした青年が彼女を見るなり、柔和な笑みを浮かべてから、ゆっくりと隣に腰掛けた。

「……追ってくるにしても、遅かったですね」

 バツが悪くなって、クロルはぶっきらぼうにそんな事を口走る。どうにでもなれ、と思いながらのヤケクソだった。

 嫌われてしまえば良いんだ、と思ったのだ。術が必要ならその時に呼んでくれればいくらでも貸す。一緒に居たくなくなってしまったのなら、それも受け入れよう。

「うん、ショックで動けなくってさ」

 はは、と頬を引きつらせてゼノが笑う。クロルはそれに表情を変えず、ただ眼だけを細めた。

 耳が痛い。

 胸も痛い。

 ゼノはそんな彼女を見て、少し吹き出すように笑った。

「ごめん、意地悪だったね。……クロルとはここ一ヶ月ずっと一緒に居たけど、最近じゃあんまり話も出来てなかったね」

「……そうですね」

 言われて、ふと思う所があった。

 近頃はその時その時の意思疎通は出来ていたが、それだけだった。エルファやマッシュと出会い、別れた直後にアンジェリーナが同行した。急激な環境の変化のせいもあったのかもしれない。

 変わらずその間、ゼノは優しく接してくれていた。

 これ以上を求めてしまうのは、ただ己がワガママなだけなのだろうか。

 違う。

「ゼノさんは、他の人にはいろんな事を教えてるみたいですよね。私が聞いてもはぐらかすような話……私は世界を知らないですけど、バカじゃないんですよ?」

「……そうだね。君が頭の良い子だってことは知ってる。心優しく純粋な子だってことも。だからっていうのもあったんだ」

 言いたいことがわからない。クロルはゼノへ目もくれずに、返答と、自問自答に没頭していた。

 彼が隠していること。あの酷い笑顔に隠されている事。

 クロルはそれを何も知らない。ただ夕べ――黒影騎士と戦っていた時、奇妙な気配はあった。アンジェリーナの治療に集中していた為に殆ど彼を確認出来ていなかったが……。

「それに、女王サマの事も……エルさんだって満更でもなかったし、アンジュさんだって最初の頃とは違ってあんなに穏やかにゼノさんに笑ってくれる。ゼノさんは、女ったらしです」

 そんなセリフを吐いた時だけは、妙に胸がすくような感覚があった。なぜか後ろめたさを感じない、優位に立ったような錯覚を覚える。

 ゼノは困ったように笑いながら頬を掻いて、短く一つだけ息を吐いた。

「一つずつ、ゆっくり話をしようか」


 最初にクロルが投げた疑問は、やはり事の発端となった黒影騎士についてだった。

 あれは何者なのか。そしてまた、どうやって倒したのか。

 ゼノは少し言い淀んでから、意を決したように口を開いた。

「アレは……『邪なる者』の影だよ。奴は僕を殺しに来たと言っていた」

 実際聞いたわけではない。

 奴自身を構成していた深淵を取り込んだ際に、その強い意思と目的が伝わってきたのだ。

 今になって思えば、黒影騎士自体が持っている自我が己の深淵を介してこの肉体を支配してしまう可能性もあったかもしれない。なるほど、内なる深淵の支配者も怒るわけだ。

「フラムって人と同じ……ではないみたいですね。目的は似ているようですけど」

「正直僕自身、自分のことを真に理解したのはつい最近なんだよ。恥ずかしい話だけどね」

 ゼノはそう言って、言葉を続けた。

「僕の命がこの世に芽生えた時、『邪なる者』が僕の胸に深淵を植え付けたんだ」

 心臓の痛みは、それが許容限界を超えてしまっているせいなんだ。ゼノはまるで何でもないように言ってはにかんだ。

「邪なる者の目的はわからない。なぜ僕を選び、なんの目的で深淵を埋めたのか。そしてまた、僕の内にある深淵は自我を持っている……彼がなぜ僕を食い殺さないのか、わからない事は多い」

 わからない――そんなのは嘘だ。ゼノは言いながら、こういう所が彼女を不安にさせてしまうんだろうな、と思う。

「ただ確かなのは、これから深遠に辿り着くまでこういう事が続くだろうという事だね。僕を直接狙うだけじゃなく、僕の胸の内にあるものをいかにして増幅させようかって考えてるらしい」

 こいつは、怒りと憎しみでその総量を増やす。その度に己の力が失われていく。

 きっと動くことができなくなり、呼吸すら止まる時が限界ということなんだろう。ゼノは言って、クロルの目をしっかりと見据えた。

「ここでこう言う事は卑怯かもしれない。だけど、君は状況に惑わされずに、自分のことを考えて答えて欲しい――帰るなら今しかないと思う。どうする?」

「状況に惑わされずに判断するなら、まだ決断は早いと思います。逆にゼノさんはこれから先、そういう状況をどうするんですか?」

 クロルの目は強い意思をもってゼノを見つめていた。彼は問い返されて頷き、言葉を返す。

「僕は出来る限りの事はする。襲われているなら助け、守り、そして敵を倒す。巻き込まないようにするっていうのは、クモッグで無駄だとわかったしね」

 それはきっと避けられない。むしろ相手からその場所に誘われる形になる可能性さえある。ゼノはそう言った。

 クロルはそれに対して返答に迷った。

 アンジュの前であれほどの啖呵を切った手前、彼の言う事を否定することは出来ないし、無論そんなつもりも毛頭ない。

「そんな事を続けていれば、あなたの身体のほうが先に参ってしまうのでは」

 だからこそ、そこに正論など必要なかった。

 これは正しい道標を作る話などではなく、互いに納得がいき、妥協出来る情報の共有、作戦会議、その類なのだ。

「かもね」

「……それだけ、ですか?」

「フラムと戦った時に思ったことがあるんだ。僕はここに来るまで、死ぬわけにはいかない、再起不能になるような怪我をしてはいけないと思っていた。もちろんその通りんなんだけど――僕よりずっと強い奴らが居て、これから先そんな奴らと戦わなくちゃいけない。自分を守りながらね……無理な話だよ」

 だから死ぬ気で、怪我も、それこそ死すら恐れずに戦う覚悟を決めた。

 その結果があのザマだったわけだけど、なんてゼノは照れたように苦笑した。

「一緒にする訳にはいかないけど、黒影騎士に殺された人達と僕は、何も変わらないんだよ。彼女らは殺され、僕は生き残った。それだけのことだと思ってる。そして生きてしまっている以上、やはり僕は先に進むしか無いんだ」

 故に深淵に挑み、邪なる者を殺す。

 その結果何が生まれるかはわからない。

 奴のせいで死んでいった者達が報われるのかと言えば、それもまたわからない。

 結局は自分がそうしたいだけなのかも知れない。もっとも、この身体じゃそうする事しか出来ないのだが。

「ゼノさんは、将来の夢とか、ないんですか?」

「ええ?」

 自嘲気味に笑った後に、クロルは少し歯切れが悪そうに訊く。

 突拍子のない疑問にゼノは半分笑いながら聞き返していた。

「例えば全てが終わった後、目的を達成した後、ゼノさんは何かしたいことは無いんですか?」

「んー……それは、考えたこともなかったな」

 ゼノは腕を組んで首をかしげる。

 軍に入った時は己に使えるのは肉体だけだと思っていたからだし、深淵に挑む事を考えたのもここ一年くらいだ。そしてその頃にはもうそこまでこの命が長く続くものだとは思っていなかった。

 今もそうだ。深淵にたどり着ければ僥倖。その程度の認識で、大きな差異はない。

「強いて言えば……っていうのも、思いつかない。クロルはそういうの、あるのかい?」

「私は、まだまだずっと先の事ですけど……お師匠さまみたいに、人に何かを教えるような事がしたいと思ってるんです。私自身お師匠さまのお陰で色々な事を覚えて、ここまで大きくなりました。だからその事を、今度は他の人にも……漠然とした未熟な考えですけど、ね」

「いや、立派な考えだと思うよ。クロルなら教え方も上手だろうし、無責任な事を言うようだけど適任だと思う」

「ふふっ、ありがとうございます。だから私もまだまだ色々覚えなきゃって思いますし、大袈裟に言えば生きる張り合いや、希望にもなると思うんです。ゼノさんも、そんな暗い事ばっかり考えてないで、明るい事も考えたほうが良いと思います」

「ああ、そうだね」

 ゼノは頷き、

「自分を見返す良い機会にもなりそうだ。クロル、ありがとう」

「いえいえ」

 クロルは顔の前で手を振りながら照れたように笑った。

 先程までのやや気まずい雰囲気はようやく消えて、クロルも少し意固地になっていたのを諦めたように息を吐きながら、空を見上げた。

 視界を埋め尽くす青空はとても澄んでいて、肺腑を満たす空気の清潔さを視覚的に表しているかのようだった。

 肌に感じる空気は少し寒い。もう春も過ぎる頃だから、日差しも相まってその程度なのだろう。

 冬は恐らく考えているよりずっと寒いだろうし、ここから北は、きっと尋常じゃないくらいに凍える筈だ。

 北には――美しい女性が多いと聞く。

 そんな事を思い出して、クロルはまた少しむっと胸がざわざわする落ち着かない感情を覚えた。

「ゼノさんは、アクアストでは交際している女性とか……居ないんですか?」

 良くある話として、恋人や妻を国に残して旅立った勇士の小説などがある。また次に冒険譚としては、行く先々で現地の恋人を作る者の話もある。

 彼に関しては後者かも知れない、と思いながらゼノの答えを待つ。

 ゼノは首を振ってそれを否定していた。

「居ないし、居たこともない。そういう関係に近づいた人も居ないよ。そんな暇も、余裕もなかったしね」

「う、嘘だったら承知しないですよ?」

 何をどう承知せず、なぜその権利が己にあるかもわからぬまま、クロルはそう口走る。

 ゼノは苦笑しながら「本当だって」と返していた。

「じゃあ、だからエルさんや、女王さまを……?」

「クロル、勘違いしているようだけど、エルファもアンジュも、女王も、君が思っているような関係には無いよ。エルファは情に厚い良い娘だし、アンジュはちょっと直情的なだけで根は優しくて良い娘だよ。女王は……まあこんな環境だから男の僕を物珍しく思って、からかってるだけだと思う」

「か、からかう為に一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりするんですか?」

「風呂は、入ってる途中で術が解けちゃったんだよ。不可抗力だし、クロルが思ってるようないかがわしいことは何もしてないよ」

「い、一緒に寝てたのは?」

「あまり覚えてないんだけど、帰ってきた時は随分と死にかけてたらしくてね。温めてくれていたと聞いたけど……不思議なことに、結構怪我してた筈なのにその跡も無いんだよ。女王は治癒の術が使えるのかな?

「私には関係のない話ですけど、ゼノさんも良い年齢ですし、女王さまもお綺麗だしスタイルも良いし、ゼノさんに好意的ですし、別に私がとやかく口を出す資格も無いんですけど」

 たぶんきっと、自分にとってはこれが本題なのかもしれない。

 思いながら、言い訳に言い訳を重ねながら、クロルは言おうとして、気づく。

 じっとゼノの瞳を見つめていたら、彼も真面目に表情を引き締めて見返してきたのだ。

 強い瞳だ、と思う。宝石のように美しい瞳だが、それ以前に強い意思と覚悟を秘めた目だと理解する。

 油断していれば吸い込まれそうになる。二重の大きい、優しげな目元だ。大きく開かれているそれは、なんでも見通していて、いつでも自分を見守ってくれているような目だ。

 曇りなき眼というのはこういう事を言うのだろう。

 きっと酷い事もたくさんあったはずだ。辛いことも、苦しいことも。

 それでもその目は汚れず、曇らず、歪まず、前を見ている。

 その目が、己を見ている。

 ――ああ、そういう事なのかもしれない。

「私は……ちょっと、嫌です」

 別に潔癖というわけではない。

 ゼノも男でまだ若い。仕方のない話でもあるから、強制力なんてない。

 だけど嫌だ。理屈もなにもない。ただ嫌なのだ。

 彼女の言葉にそれ以上の事はない。

「そうだね。僕も逆の立場だったら、嫌かもしれない」

 ただでさえ少女という立場で、良くも知らぬ男に協力するという形で同行しているのだ。

 街に立ち寄る度にそんな事が繰り返されれば不快にもなるし、自分の身にも危害が加わるのではないかと不安にもなる。

 そんなゼノの考えとクロルの感情は平行線だったが、会話は不安定に成立していた。

「だから、時間はかかると思うけど」

 ゼノは真剣な表情を崩さぬまま、言い聞かせるように言った。

「僕を信頼してくれ」

「信頼……クモッグでも、聞きました」

「ああ、言った。難しいかもしれないけどね」

 それに、と言いながらゼノはクロルの胸元を指で示す。

 それで彼女は久しぶりに、自分がずっと彼から預かっている首飾りをつけたままであることを思い出した。

 金細工の綺麗な楕円型、平べったい卵のような形のチャームが特徴的なロケットペンダント。これは彼の国で、長子であることを示す首飾りであると言っていた。

「それは魔除けのお守りでもあるんだ。そしてそれを人に託すというのは、その人を生涯かけて守り抜くという一種の婚約の証として使われていた事もある」

「こっ」

 不意の告白に、クロルは虚をつかれて言葉に詰まる。

 そんな顔が面白かったのか、ゼノはクスクスと笑いながら言葉を続けた。

「もちろんそういう意味で渡したわけじゃないから、安心して良いよ。ただそれ自体、そう気軽に渡したものじゃないってことを覚えておいて欲しいんだ」

「……わかりました。今回はそういう事で、納得します」

「ありがとう、クロル。これで仲直りかな?」

「うん……ですね」

「じゃあ仲直りの印に」

 言いながらゼノは右手を差し出した。クロルは頷きながら同じように右手を出し、手のひらに触れ、指を曲げ、握る。そうしてからゼノも応じて優しく手を握り返した。

 いつも手を握っている筈なのに、クロルはその握手に妙なほどに胸が高鳴っていた。

 頬が上気しているのではないかと思うほどに顔が熱くなったような気がして、クロルは恥ずかしくなって慌てて手を離してしまった。

「ゼノさんはそうやって、女の人をたぶらかしてるんですね」

 照れ隠しにそんな事を言えば、ゼノも表情を緩めながら反論する。

「また蒸し返すのかい?」

「ふふっ、信頼、してますからね?」

「ああ。その信頼に足るよう、僕も心がけるよ」

 言って、ゼノは立ち上がる。クロルに手を差し伸べて立つのを手伝った。

「アンジュに心配掛けちゃったみたいだね。一緒に謝りに行こう」

「ですね……アンジュさんは止めてくれたのに、悪い事をしました」

「うん、ご飯も途中だったのにね」

「ああっ、忘れてましたっ! ああもう余計に申し訳ないです……早く行きましょう! 早く! ほら!」

 クロルは途端に慌ただしい様子で玄関を開いて中に入る。そんな姿を見ながら微笑んでいたゼノに、必死だというような表情で手招いて先を急ぐ。

「今行くよ」

 何はともあれ、人心地ついた。ゼノは安堵に胸をなでおろしながら、クロルの後を追いかける。

 しかしこんな事を思うのは悪いかもしれないが――改めてこうした話せる場が出来て良かったと、ゼノは思った。

 このままクロルが胸に不信感を募らせ続けていれば、恐らくこの程度の話では済まなかったはずだ。それこそ愛想を尽かせて何も言わずに出ていってしまうかもしれない。

 階段を上りかけていたクロルは、「あ」と声を出して立ち止まる。

 見下ろす形でゼノを見て、履いているスカートの裾を抑えながら彼女は悪戯っぽく微笑んでみせた。

「帰るかどうか、保留にします」

「ええ……納得したって言ったじゃないか」

「信頼はします。でもまだ、信用はしてないですもん。ふふっ、だからそれを見極めます」

「オッケー、わかったよ。クロルの気が済むように値踏みしてくれ」

 呆れたように、あるいは諦めたようにゼノは両手を広げて頭を振った。

「うふふっ、いつまでかかるかわかんないですよ?」

 一段一段ゆっくりと階段を上って、やがて隣に並ぶ。

 ゼノは肩を竦めながら言った。

「待つよ、いつまでも」

 その頃にはこの旅は終わっているかも知れないけれど――そんな無粋な言葉は、胸の奥に秘めて。

 楽しそうに笑うクロルの手を引きながら、アンジュの居る部屋へ二人は足を向けた。

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