男人禁制の国アマズ・ハイネ ③ アマズの牢
三人の包囲はそこまで厳しいものではなかった。
自然とゼノの隣にやってきたクロルを咎めるわけでもなく、後ろに並ぶ二人は楽しげと言うほどではないが、談笑している。
「お前たちは、あの飛竜に乗ってた連中だな?」
だから気兼ねなく、先導していた一人もそう話を掛けてくる。
「ええ、まあ……」
「三文芝居には気づいていたよ。今この国は訳あって厳戒態勢……という程ではないが、やや外部の存在に対して敏感になっている。さらに言えば空を飛ぶ者には特に、な」
空を飛ぶ巨大な影など、そうそうあるものではない。攻撃してしまったのは申し訳ないが――お前たちの素性が明らかになり害意がないと分かればの話だが――どちらにせよ、タイミングが悪かったな。
そこまで彼女は説明して、ふう、と息を吐いた。
「説明をしてくれるあたり、実際あなたたちには認められてるみたいですね?」
「んん……まあ、そんな所さ。我々も出来れば、争いは無いに越したことはない。それは、お前たちもそうだろう?」
「そうですね。ちなみに、訳ありっていうのは聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。だがここで話すような内容でもない。まずは街に入って牢に入れられるかもしれないけど、その後女王と謁見出来る筈だ。そこで詳しく聞くと良い」
言いながら、ちら、とまた彼女はゼノを見る。隣にクロルが並んでいるが、仲睦まじい姉妹のように手を繋いでいる。容姿は似通っているわけではないが、会話が少ないからこそ感じる信頼感が、血縁者を思わせる。
――遠かった街の灯りが、やや近づいてくる。歩きだしてからもう暫くの時間が経つ。辺りはすっかり宵闇に飲み込まれていて、景色も夜目の利くゼノ以外にはまともに確認できていない。
「あ、そうだ」
ふと言い忘れていたことを思い出して、ゼノは首を後ろへ向ける。
後ろ手を組んで歩くアンジェリーナは彼に反応して、少し距離を縮めた。
「元々目的はアマズ・ハイネだったんだ。君はこれ以上付き合う必要はないよ」
「……言うのが遅いんだよ。ケンカを売ってるのか?」
「いや、ごめん。でも言い出せないだろ? あんな状況で、三文芝居って言われたし。そんな中でどう匂わせろっていうのさ」
「じゃあこの状況で平然と一人で飛んで帰れというのか?」
「可能ならの話だよ。そのかわり君は危険因子と認識されて、二度とこの土地を踏めなくなるだろうけど」
「……ケンカを売ってるのか?」
改めていうアンジェリーナの言葉に、クロルは思わず吹き出すように笑った。
「うふっ、二人は仲が良いですね」
「いや」
「いや」
否定の言葉が、全く同時に重なった。それに気まずげに顔を見合わせて、
「そんな事はないよ」
「そんな事はない」
また台詞が続いて、アンジェリーナは短く舌を鳴らした。対照的に、クロルは隣で楽しそうにからからと笑っている。
「ふざけるな、真似をするな、嫌がらせか?」
「ははっ、そう言えばこの声なら真似できそうだね」
「……何をだ?」
「ドレイグ様! わたしは嫌で御座います! ……ふふふっ、あはははっ」
そこまで言って肩を震わせ、我慢出来なくなったように腹を抱えてゼノは笑い始める。
アンジェリーナはまた、からかわれて顔を赤くした。わなわなと身体を震わせたかと思うと、彼女は即座に風のような速さでゼノの背中を蹴り飛ばす。
「ぐわっ」
前のめりにつんのめるゼノだが、転ばず、そのまま踏みとどまる。腰よりやや高い位置に突き刺さる、ズキズキと身体を蝕む激痛に顔をしかめながら振り向いた。
「痛い……」
「あははっ! ぐわっ、だって! あはははっ」
「君、暴力はいけないよ。もしコレでぼ……わたしの背骨がへし折れて死んでいたらどうするつもりだったんだい?」
「死ねばいいんだよ、悪口ばっかり言ってバカにして」
「……本気で言ってるのか?」
ゼノは神妙な顔をして、アンジェリーナを見た。眉間にシワを寄せ、声色を精一杯低くして、目を強く開いて見せる。
アンジェリーナは思わず息を詰まらせ、言葉に迷った。
この男――今は女だが――は怒っている。だが元はと言えば自業自得だ。人をバカにして笑ったりするほうが悪いに決まっている。
だが今の行動は、確かに彼が言うように下手をすれば重篤な状態になっていてもおかしくはなかった。手加減はしたとは言え、すっ転び、頭を堅い部分に強打したり、変な転び方で首を折ってしまってもおかしくはない。この暗がりだ、危険はある。
ゼノが死んだらどうなる? まず彼が目的とする白銀竜には会えず、その妹が死ぬ。その後彼の友人と会う事はできず、そいつは一人で深淵に向かうだろう。
一人で向かった所で、いくら強いとは言えどうにかなるものではない。
そして何より、少なくともこの目の前に居る少女は悲しむだろう。己を恨む……ことはしなさそうだが、それがかえって胸に痛い。
グラン・ドレイグでもゼノが寝込んでいる間中ずっと見守っていたと聞いた。兄弟が居るかどうかは知らないが、兄のように慕っているのは事実だ。彼女はゼノとは異なり素直で良い娘だ。まだ若いみそらだが、気も使えるし、術の扱いに秀でているらしい。そんな彼女を傍若無人の行いで悲しませる事などは出来ない。
「ご……ごめん」
だからこその謝罪という選択だったが、声は無自覚に震えていた。顔もひどく怯えたような悲しみを帯びていて、ゼノも少し気の毒に思えた。
ゼノはその言葉に対してにっこりと破顔して、優しく告げる。
「いいよ。怒ってないから、そんな顔をしないで?」
顔を覗き込むように近づくゼノに、アンジェリーナは少し驚いたように肩を弾ませる。
まだ頬に朱色が差していた彼女は、そっぽを向いて、また腕を後ろに回して手を組んだ。
「……ほっておけ」
ぶっきらぼうに告げるアンジェリーナに、ゼノは肩をすくめて前へ向き直った。
――少しだけ、どきっと胸が高鳴った。
恐ろしい男だ、と思う。こうやって怒らせて、慰めれば女をどうにか出来ると思っているのだろう。その容姿も相まって、一瞬だけ心臓が不穏な鳴り方をした。もしこれがあの元の顔でされていたのならば、それもまた少しの間続いていたのかも知れない。
だから気に食わない。頭を冷やすようにアンジェリーナは大きく深呼吸をする。
まだまだ修行不足だな、と彼女は思った。こんな優男程度に心を揺るがされてしまうなど、愚の骨頂。そこいらに居る尻の軽い女と同じだ。
❖ ❖ ❖
街の近くの道は、しっかり舗装されているようだった。
そこは国というにはあまりにも小さい街であり、木造の大きな門の脇には大きな燭台で火が焚かれていた。
ただ枠のようなだけの役割しか果たさぬ門を抜けると、まずはじめに大きな広場がゼノらを迎え出ていた。もう夜も更け始める時間だからか、外に人影はない。
広場にはその中心に大きな樹が一本天高く聳えているのが特徴的だったが、季節のせいか、気候のせいか、やはり葉はついていなかった。
広場の外周、そしてその奥に続く道には等間隔で燭台が置かれていて、轟々と炎が滾っている。そのためか街の中は思っていたよりずっと明るく、足元の小石の数さえも数えられる程だった。
そこを抜けた先には、民家らしき建物が連なっているのがわかる。だがそれはゼノらが普段目にするような木造の家屋ではなく、半球状の雪洞じみた形をしていた。さながら遊牧民族のような造りだったが、それは飽くまで民族の特徴としての形であり、そういった目的からなるものではなさそうだった。
路面はレンガで覆われているようでしっかりと舗装された道であり、広さと言えば大型の荷馬車が通っても余裕が残るほどの幅を持っている。
そこを幾度か右左折した先に、街の中で一際大きい建物に辿り着く。
国というからには恐らくそれは城なのだろうが、その様相はどちらかと言えば屋敷に近い。
やや広い庭は枯れた木々とは裏腹に綺麗な白い花が咲き誇っていて、庭の一面を埋め尽くしている。それを割るような道が玄関口へと伸びていて、この建物に対して大げさにも思える大きな玄関扉には二人の女が警備としてそこに立っていた。
「……その者たちは?」
「先刻、飛竜に乗っていた連中だ。黒影騎士とは無関係そうだが、偶然この国に用があったらしくてね」
「へえ? そんな偶然ってあるわけ?」
「あるから偶然なんだろ? ともかく、ひとまずは牢で大人しくしてもらい、女王の準備が出来次第って感じだな。女王に嘘は突き通せん」
「ふん? 相変わらずリスキーね」
「だが確実だ。危険で不安なのは、お前の腕前に自信がないからじゃないか?」
「言っておきなよ。ほら、キレーなお姉さん方が待ってるよ」
「ん、そうだな」
門番の女が言いながら扉を開け放つと、先導していた女は頷いて背後のゼノらを一瞥した。
着いてこい、と視線だけで語る彼女にゼノは頷く。
室内に入ると、そこは思ったより手狭だった。まず開けた空間に対し、両脇に扉がついている。その奥、右端に階段が伸びていて、吹き抜けとなる二階部へと繋がっている。左側にまた、奥へと続く扉があった。
天井からはシャンデリアがぶら下がっていて、薄暗く室内を照らしている。
先導していた女はそのまま進んで、奥へと繋がる扉を開いて先へ向かう。ゼノらも後に続くと、通路は途端に狭くなっていた。人一人がようやく通れるほど幅が狭く、天井も、手を伸ばせば届きそうなほどに低い。
一度突き当りを右に曲がった先に鋼鉄造りの扉が道を塞いでいて、扉越しにボソボソと何かを話した様子の後に、少ししてそこが開いた。
扉の先は下りの階段が続いていて、扉を開けた女と共に先へ。
しばらく下った先に、ようやく鉄格子の部屋が四つほど存在する空間に出た。扉を開けた女は階段を降りてすぐにある机に座り直して、嘆息した。机に置いていた灰皿、その上にまだ煙を立てる紙巻きを指で摘んで口元に運び、紫煙をくゆらせる。
色眼鏡でゼノらを流し見た後、先導していた女に言葉を投げる。
「リナ。彼女らは?」
「……ああ」
また説明しなきゃか、と独りごちたあと、リナと呼ばれた女は改めて彼女に事のあらましを説明する。
「ふーん」
特段興味なさ気な返事に、リナは引きつったような笑みを浮かべた。
「そこのオジサンの隣にして。あの人うるさいから話し相手にさせてよ」
言いながら鉄輪にいくつも連なっている鍵の束をリナへ投げる。彼女は頷いて、右手側手前の鉄格子まで進んで、解錠してみせた。
金属が擦れるガチャリという小気味よい音と共に、錆びた音をたてて扉が開く。
「さ、少しの間ここで待っていてくれ。女王の支度が出来ればまた呼びに来る」
「ああ、ありがとうございます。手間を掛けてしまっているみたいで、申し訳ない」
「ふっ、気にするな」
ゼノは軽い会釈をして、扉をくぐる。中腰になってようやく抜けた鉄格子の先には、簡素な寝台に薄い布が引っかかっているのと、排泄用の樽が部屋の端に鎮座していた。さすがに中身は入っていないようで、異臭や不潔感はない。
次いでクロル、アンジェリーナと部屋の中に収まった所で、また外側から鍵が閉まった。リナは看守の女に「ご苦労さん」とだけ声を掛けて、その部屋を後にした。
荷物、武器を床におろしてゼノは寝台と、鉄格子の隙間に座り込んでいた。その鉄格子は隣の牢屋に面しているもので、程よい窮屈さが妙な安心感を与えていた。
アンジェリーナは落ち着かないように立ったまま壁に寄りかかって腕組みをしていて、クロルは対照的に疲れたように寝台に寄りかかって船を漕いでいる。
「眠いのかい?」
「ふわっ」
声を掛けられ、驚いたように珍妙な声を出す。彼女は改めて目を覚ましたように、大きなあくびをしながらゼノの方へ首を向けた。
「アンジュさんの上でゆっくり休ませて頂いたんですけど……先程の術で、力を使い切っちゃって、えへへ」
「ああ……それもそうか。エルクの治癒は効果がなかったのに、君の術はしっかり効いている。相当な力なんだろうね」
「ええ、まあ……あの転移術を百回くらい、ですかね……ふわ」
言いながら、また気の抜けたようにあくびをする。
転移術を百回――簡単に言うが、通常の術師ならば転移術の行使すら困難を極める。
まったく、ため息が出るほど凄まじい実力だ。こんな小さな体で、まだまだ子供だというのに……こんな事を言えばきっと彼女は怒るだろうが、実際戦場に彼女のような存在はひどく非現実的だ。ならば子供と言われても仕方がない。
「休める時に休んでおいた方が良い。リナさんはああ言ってくれてはいたが、実際どういった扱いをされるかわからないしね」
「はい……すみません、少し、休みます……ふわぁ」
また何度目かになるあくびをするのを他所に、ゼノは寝台からひったくるようにして布を剥ぎ取ると、そのまま彼女にかぶせてやった。
しばらく待っていると小さな寝息が穏やかに聞こえてくる。
「さながら姉妹だな」
そんな頃に、アンジェリーナは不意にそう口を開いた。
「姉妹……か」
言われて脳裏を過るのは、やはりルルの顔だった。
今こうしてここに居るのは全て彼女の為だ。大切な妹であり、大切な友人の婚約者である彼女の。
ルルは今、どうしているだろうか。安静にしていれば苦はないとは聞いたが、まだそのままで居るだろうか。
こんな所でこうして手をこまねいている場合などではない。そう考えれば、尚更己の怪我で足止めを喰らったのが手痛い停滞だ。
最も、そんな事を考えていても仕方がないのはゼノ自身理解している。焦ればいざという時仕損じるし、大事な所で判断を誤ってしまう。
「お前だって、疲れてるんじゃないのか? グラン・ドレイグを発ってから、お前だって眠っていないだろう」
「それは君もだよ。飛びっぱなしだったんだ、ちゃんと休まなきゃ」
「ふっ……我を誰だと思っている。竜人は、この、程度では」
言いながら彼女はその場にどかっと崩れ落ちるように座り込む。言葉は途切れ始め、やがて立てた膝の間に顔を埋めて、小さくいびきが聞こえてきた。
「……色々と凄絶だなぁ」
小さく呟いて、眠る二人をなんとはなしに眺める。
このまま、出来れば何事も無ければ良いのだが。
リナと門番の会話に出てきた、黒影騎士という言葉が頭の奥底から湧き出てきたが、静かで穏やかな寝息によって思考が鈍くなっていく。
そう言えば朝も早かったのだ。慣れぬ空の旅をして、襲撃にあい、牢に居る。まあ凄絶と言えばこの展開もそれなりに凄絶だ。さすがのゼノも疲労に耐え兼ねるというもので、天井を仰ぐように頭を壁に持たれかけ、目を閉じた。
三人目の寝息が聞こえてくるのはそれから少ししてからのことだった。




